多くのベルばらファンは、原作はもちろん、それ以外にも何かしら関連書籍を持っていると思う。この40年の間に、たくさんの関連本が出版されてきたけれど、一番内容が充実しているのは「大事典」かなと思う。お値段が安い割に中身が濃い。
この本は「ベルばら」に関するあらゆる情報を集めた集大成本とも言える。久しぶりに手にとって偶然開いたページは、池田先生のあとがき。タイトルは「ベルサイユのばら 30周年に寄せて」。以下、抜粋させていただくと
真実描きたかったことはと言えば、一点に尽きている。
女性の人間としての自我の確立と、それによってもたらされる自立した能動的な人生である。
そのことは作品中においてオスカルが父・ジャルジェ将軍に語りかける「感謝いたします。略 人間として生きる道を。」という言葉に集約されている。
池田先生が「ベルばら」を執筆された1972年の日本は、女性には自分で選び取れる自由な人生など、まだない時代だった。再び引用させていただくと
フランス革命も、華やかなドレスも、めくるめくロマンスも、すべてただ一点、オスカルやマリー・アントワネットの内なる人間としての目覚めを描くための舞台装置にすぎなかった。フランス革命とは、日本の女性たちにとっての内なる革命であってほしかった。それが作者のもっとも強く望んだことである。とはいえ、あの時代のフランス史の一つの教科書としても、また恋愛物語としても、そしてなかんづく重要なことであるが、“美しい日本語”を学ぶための教科書としても、十分面白く読み応えのあるものになるようにとの配慮は、怠らなかったつもりである。
私を含め多くの読者は、オスカルとアンドレの恋愛のゆくえと成就が一番気になるのではないだろうか?特にオスカルがアンドレに愛を告白してから結ばれるまでの、恋人同士としての約2週間余りの日々を、どのように過ごしたのかはいろんな想像の余地が生まれる。けれど池田先生は、この時期二人だけで甘く過ごしたであろう時間について、じっくりと描いていない。むしろオスカルは吐血し、死と向き合うことになる。それゆえこの隙間を埋めるべく、多くの二次創作が生まれるわけだが---。
「ベルばら」「オル窓」「栄光のナポレオン」「エカテリーナ」---いずれの作品も池田先生が一番描きたいのは恋愛ではなく、革命などの大きな歴史の波に揉まれながらも自分を見失わず、自己の真実と正義に従って行動する人間の姿だろうか?オスカル,レオニードなど少なくとも池田先生が創作した人物は皆、人生の最終目標は恋愛成就ではなかった。恋愛は1つの舞台装置。
そして美しい日本語。「契る」「春のたまゆら」「夏のめくるめき」「秋のたたずまい」「冬のそしり」-----安易にカタカナ言葉を使わず、古典で用いられる雅な言葉を散りばめた二人の夜。子どもの時はこうした難解な言葉は飛ばして読んでいたけれど、今読み返すと本当に味わい深い。
このあとがきの文章は、今読んでもまったく違和感ない。それだけこの作品には、時代を超えた普遍的なメッセージが込められているということだろう。
読んでくださり、どうもありがとうございます。
この本は「ベルばら」に関するあらゆる情報を集めた集大成本とも言える。久しぶりに手にとって偶然開いたページは、池田先生のあとがき。タイトルは「ベルサイユのばら 30周年に寄せて」。以下、抜粋させていただくと
真実描きたかったことはと言えば、一点に尽きている。
女性の人間としての自我の確立と、それによってもたらされる自立した能動的な人生である。
そのことは作品中においてオスカルが父・ジャルジェ将軍に語りかける「感謝いたします。略 人間として生きる道を。」という言葉に集約されている。
池田先生が「ベルばら」を執筆された1972年の日本は、女性には自分で選び取れる自由な人生など、まだない時代だった。再び引用させていただくと
フランス革命も、華やかなドレスも、めくるめくロマンスも、すべてただ一点、オスカルやマリー・アントワネットの内なる人間としての目覚めを描くための舞台装置にすぎなかった。フランス革命とは、日本の女性たちにとっての内なる革命であってほしかった。それが作者のもっとも強く望んだことである。とはいえ、あの時代のフランス史の一つの教科書としても、また恋愛物語としても、そしてなかんづく重要なことであるが、“美しい日本語”を学ぶための教科書としても、十分面白く読み応えのあるものになるようにとの配慮は、怠らなかったつもりである。
私を含め多くの読者は、オスカルとアンドレの恋愛のゆくえと成就が一番気になるのではないだろうか?特にオスカルがアンドレに愛を告白してから結ばれるまでの、恋人同士としての約2週間余りの日々を、どのように過ごしたのかはいろんな想像の余地が生まれる。けれど池田先生は、この時期二人だけで甘く過ごしたであろう時間について、じっくりと描いていない。むしろオスカルは吐血し、死と向き合うことになる。それゆえこの隙間を埋めるべく、多くの二次創作が生まれるわけだが---。
「ベルばら」「オル窓」「栄光のナポレオン」「エカテリーナ」---いずれの作品も池田先生が一番描きたいのは恋愛ではなく、革命などの大きな歴史の波に揉まれながらも自分を見失わず、自己の真実と正義に従って行動する人間の姿だろうか?オスカル,レオニードなど少なくとも池田先生が創作した人物は皆、人生の最終目標は恋愛成就ではなかった。恋愛は1つの舞台装置。
そして美しい日本語。「契る」「春のたまゆら」「夏のめくるめき」「秋のたたずまい」「冬のそしり」-----安易にカタカナ言葉を使わず、古典で用いられる雅な言葉を散りばめた二人の夜。子どもの時はこうした難解な言葉は飛ばして読んでいたけれど、今読み返すと本当に味わい深い。
このあとがきの文章は、今読んでもまったく違和感ない。それだけこの作品には、時代を超えた普遍的なメッセージが込められているということだろう。
読んでくださり、どうもありがとうございます。
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