Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

ベルばら大事典より No.2 (つぶやき)

2014-07-29 21:26:30 | つぶやき
 池田先生のあとがきは、更に続く。

 再度、池田先生の文章から引用させていただく。

 そして何よりも、1人1人の読者が年齢を重ね人生を重ねていくにつれて、また違った角度から味わい直すことのできる作品になるように との配慮も。

 あれから30年という歳月が流れた今、当時の情報収集手段や作者の絵画的技量と言った制約から、描き直せるものならば---と思う点は多々あるのだが、それはそれで一つの完結した作品として世に残していくこともまた作家に負わされた宿命なのだろうと思う。

 連載開始41年目を迎え、私自身も年齢を重ね、今読み返すと10代の頃には気づかなかった点がたくさんあることがわかる。それがまた面白い。ジャルジェ将軍夫妻の親心など、10代の頃は飛ばして読んでいた。
一向にオスカルに自分の気持ちを気づいてもらえぬアンドレが、ついに業を煮やしてオスカルに迫るいわゆるブラビリの場面。あの時オスカルは「やめろ!」と言った男言葉ではなく、「いやぁ」と無意識に女性言葉を発している。これはオスカルの女性性の目覚め、イコール産声ではないかと勝手に思っている。この時オスカルは自分の内にある女性性を覗いてしまった。それがのちに、ジェローデルのくちづけを受けた時の疼きに繋がっていくのでは?無意識に出てしまった女性としての自分に、あとになって戸惑わなかったか?本人が一番驚いたかもしれない。

 今のようにインターネットで容易に外国の情報が得られない時代、池田先生は一度もフランスに行くことなく「ベルばら」を執筆された。(集英社でなく)小学館の図書館等で資料を収集して描いた。今ならヴェルサイユ宮殿の画像や動画はネットですぐ見ることができる。ありすぎてどれを見ればよいのか困るほどだ。また「ベルばら」を執筆されている時、同時進行で多摩美術大の学生さんから、描き方の技法を学んだと聞いている。だから「ベルばら」の絵は、途中からグッと画風が変わってきた。
 描き直せるものなら---池田先生はどのあたりを修正されるだろう?興味のあるところだが、一度世に送り出した作品を、手直しすることはまずないだろう。宝塚は再演のたびに「オスカル編」「フェルゼンとマリー・アントワネット編」と名付けて、少しずつ変化を持たせながら公演を続けてきたけれど、原作はこれからもずっと41年前のまま刷を重ねていくはず。

 このあとがきを読む限り、池田先生が私たちに伝えたかったメッセージは、41年前も今もきっと変わりないだろう。時が流れ時代が変わっても、芯にあるものがブレていない奇跡のような作品との巡りあい。今後も私は「ベルばら」から離れることはないと思う。

 読んでくださり、ありがとうございます。


コメントを投稿