
今週のイラストはベルナールが「武器を取れ 市民諸君!! パリを守ろう!!」と力強く人々に呼びかける場面。
ベルナールは実在するジャーナリスト、カミーユ・デムーラン(1760年~1794年4月5日)がモデル。カミーユは地方公務員の息子で、奨学金を得てパリのルイ=ル=グラン学院に進学。ロベス・ピエールと共に学ぶ。カミーユの妻リシュル・デプレシは、彼より10歳年下の資産家の娘。まだ10代前半の頃に、リュクサンブール公園でカミーユに出会い交際を始めるが、両親に猛反対される。そこでカミーユは家庭教師として、デプレシ家にやってくる。何とも強気の構えであり、しかも大胆な行動。
1789年7月、ネッケルが罷免された際、パレ・ロワイヤル広場で民衆の蜂起を訴えたデムーランは、以後革命期のジャーナリストとして名を上げ、リュシルの父親から、ようやく交際を認められた。やがて2人は、1790年12月29日にサン=シュルピス教会で結婚式を挙げ、ここに7年越しの恋を成就させた。ロベス・ピエールも式に招かれた。1792年、二人の間に男児が生まれ、ロベス・ピエールが名付け親となった。これほどまで親しかったカミーユとロベス・ピエールだが、次第に政治思想や信念が異なっていき、ついにカミーユは1794年春に逮捕され、4月5日には処刑されてしまう。
激しい絶望感に襲われたリシュルであったが、その深い悲しみに浸る暇もなく、今度は彼女自身に反革命容疑がかかってしまう。夫を自由にするために、彼女が刑務所での暴動を企てていたとして、夫の処刑から2週間を経ずして逮捕されてしまった。やがてリュシルも、1794年4月13日にギロチンに送られることが決定した。しかし彼女は、「もうじき夫のカミーユに会えるのだから、私は幸せです」と嬉々として断頭台に登っていった。その姿は、恐怖におびえながら死んでいった夫よりも堂々とした死に様であったという。夫の死から約1週間後、リシュルも彼のあとを追うように亡くなる。享年24歳。あまりにも早すぎる死である。あとに残していく子どものことは、どう思っていただろう?
「ベルばら」のベルナールとロザリーはとても仲睦まじい夫婦だが、カミーユとリシュルもきっと仲の良いおしどり夫婦だったに違いない。それはリシュルの最後の言葉「もうじき夫に会えるのだから、私は幸せです。」によく表れている。
読んでくださり、ありがとうございます。
「1789」にも、デムーラン夫妻が出ていましたね。
手を取り合っていた革命家達も、やがて考えのズレを認め合うことができず、粛清しあう時が…皮肉な思いで観ていました。
粛清に向かう頃を木原敏江先生が描かれた「杖と翼」を読みました。木原先生の世界観、癒しの乙女の目を通してでしたが…疲れました。
木原先生もたくさん歴史物をお描きになっていますね。残念ながら私は「杖と翼」は読んでいません。昭和の少女マンガは、本当に優れた作品がたくさんありました。