身分違い---オスカルとアンドレ、特にアンドレが最後まで悩み苦しんだのは、自分とオスカルとの身分の違いではないかと思います。
約20年の片想いがようやく実り、晴れて恋人同士になってからのほうが、アンドレは一層自分を律して過ごしたように感じます。依然として二人の間には身分の違いがある。オスカルは「身分差なんて、どうでもいい。すぐそばにいて、自分を支えてくれる優しい眼差しのおまえこそ、私には必要。」と考えていたでしょうがアンドレは違います。オスカルを愛する気持ちは誰にも負けないが、身分の違いだけはどうにもならない。このことでオスカルに不利益が生じては絶対にいけないと思っていたはず。契りたいけれど、軽はずみに抱ける相手ではない。彼女には大貴族の娘として果たさなければならない義務がある。それを思い、毎日悶々としていたのでは?
この時代、貧しい平民の女性が貴族の養女となり、教養を身につけ王の公妾となるケースは珍しくなかったです。ルイ15世の愛妾ポンパドール夫人は平民出身ですがサロンに出入りし、一流の文化人と知り合ううちにその美貌がルイ15世の目にとまり、侯爵夫人の称号を与えられました。
だったらアンドレもどこかの貴族の養子となり、堂々とオスカルにプロボーズできるよう、ジャルジェ夫人あたりがアレンジしてくれていたら良かったのに---と思ったことがあります。貴族の身分さえあれば、アンドレはジェローデルのようにオスカルの結婚相手として、正式に名乗りを上げることができる。でもオスカルは相手の身分で自分の結婚相手を決めるような愚かなことはしませんでした。
オスカルとアンドレ---この二人の関係は谷崎潤一郎が描く「春琴抄」に似た面があります。あちらはこいさんが盲目でしたが。そして出動前夜は三島由紀夫の「憂国」がダブってきます。二人が結ばれた12日の夜が更け、空が明るくなってきた13日の朝、アンドレは名残を惜しむようにオスカルのベッドを離れ、部屋を出て行った---長いこと、このイメージで、漫画には描かれなかった夜明けの二人を想像していました。しかし今年1月、友人に「憂国」を読むことを勧められ、短編なのですぐ読み始めたら、主人公の軍人とその妻が、オスカルとアンドレに重なってきたのです。「憂国」の主人公とその妻は、自死を前にして最後の契りを交わす。結ばれた後はいつまでも名残りを惜しむことはせず、さっと潔く死に臨む。オスカルとアンドレの13日の朝も、まさにこうだったのではないかと思えてきたのです。本当はアンドレはオスカルの元を去りたくない、いつまでも抱きしめていたかったはず。でも敢えてその気持ちを押し殺し、自由を得るための戦いに向かうため、潔くベッドを離れる。いつまでも余韻に浸ってはいない。そんな2人が見えてきたのです。
10人いれば、10とおりの受けとめ方や感想があって当然。だから読む人それぞれに出動前夜のイメージがあるでしょう。それでいいと思います。「絶対にこれ」などと答えは1つではない。そしてそれぞれの人がそれぞれのアプローチで「ベルばら」を愛すればいいのでは?
約20年の片想いがようやく実り、晴れて恋人同士になってからのほうが、アンドレは一層自分を律して過ごしたように感じます。依然として二人の間には身分の違いがある。オスカルは「身分差なんて、どうでもいい。すぐそばにいて、自分を支えてくれる優しい眼差しのおまえこそ、私には必要。」と考えていたでしょうがアンドレは違います。オスカルを愛する気持ちは誰にも負けないが、身分の違いだけはどうにもならない。このことでオスカルに不利益が生じては絶対にいけないと思っていたはず。契りたいけれど、軽はずみに抱ける相手ではない。彼女には大貴族の娘として果たさなければならない義務がある。それを思い、毎日悶々としていたのでは?
この時代、貧しい平民の女性が貴族の養女となり、教養を身につけ王の公妾となるケースは珍しくなかったです。ルイ15世の愛妾ポンパドール夫人は平民出身ですがサロンに出入りし、一流の文化人と知り合ううちにその美貌がルイ15世の目にとまり、侯爵夫人の称号を与えられました。
だったらアンドレもどこかの貴族の養子となり、堂々とオスカルにプロボーズできるよう、ジャルジェ夫人あたりがアレンジしてくれていたら良かったのに---と思ったことがあります。貴族の身分さえあれば、アンドレはジェローデルのようにオスカルの結婚相手として、正式に名乗りを上げることができる。でもオスカルは相手の身分で自分の結婚相手を決めるような愚かなことはしませんでした。
オスカルとアンドレ---この二人の関係は谷崎潤一郎が描く「春琴抄」に似た面があります。あちらはこいさんが盲目でしたが。そして出動前夜は三島由紀夫の「憂国」がダブってきます。二人が結ばれた12日の夜が更け、空が明るくなってきた13日の朝、アンドレは名残を惜しむようにオスカルのベッドを離れ、部屋を出て行った---長いこと、このイメージで、漫画には描かれなかった夜明けの二人を想像していました。しかし今年1月、友人に「憂国」を読むことを勧められ、短編なのですぐ読み始めたら、主人公の軍人とその妻が、オスカルとアンドレに重なってきたのです。「憂国」の主人公とその妻は、自死を前にして最後の契りを交わす。結ばれた後はいつまでも名残りを惜しむことはせず、さっと潔く死に臨む。オスカルとアンドレの13日の朝も、まさにこうだったのではないかと思えてきたのです。本当はアンドレはオスカルの元を去りたくない、いつまでも抱きしめていたかったはず。でも敢えてその気持ちを押し殺し、自由を得るための戦いに向かうため、潔くベッドを離れる。いつまでも余韻に浸ってはいない。そんな2人が見えてきたのです。
10人いれば、10とおりの受けとめ方や感想があって当然。だから読む人それぞれに出動前夜のイメージがあるでしょう。それでいいと思います。「絶対にこれ」などと答えは1つではない。そしてそれぞれの人がそれぞれのアプローチで「ベルばら」を愛すればいいのでは?
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