
「フェルゼン伯、今まで本当にありがとうございました。私がこうしてオスカルと結婚できるのも、あなたのおかげです。パリで私たちの乗った馬車が民衆に襲撃された時、現場にあなたがいらっしゃらなかったら、私もオスカルも今頃どうなっていたか-----。本当にどれだけお礼を申し上げても、足りないです。」
「アンドレ、私は当然のことをしたまでだ。襲われていたのが君たちだろうが他の貴族だろうが、同じことをしただろう。」
そういうフェルゼンだから、オスカルは愛したのだ。
「何て恐ろしい。話には聞いていましたが、ずいぶん危険な目に遭われていたのですね。一つ間違えばフェルゼンさまのお命も危うい状況でしたわ。ご自身の命の危険を顧みず、あの場でオスカルたちを救ってくれたフェルゼンさまにオスカルの母として、改めて心から感謝申し上げます。」
「フェルゼンさま、どうかこれからも私とオスカルの良き友人でいてください。オスカルがあなたを必要とする時は、お力添えをいただければと存じます。」
「おいおいアンドレ、何を言うのだ。今後はお前がオスカルを自分の命に代えて守り抜くのだぞ。もちろん、今までもそうだったが----。」
「それは充分承知しておりますし、そのつもりでおります。しかしあなたさまとの15年近くに及ぶ絆は、これからも断ちたくないのです。」
「フェルゼン、私もアンドレと同じ気持ちだ。ずいぶん迷惑をかけてしまった。きついことも言ったな。でもそれはお前だから----。これからも男とか女とか関係なく、良き友人であり続けよう。」
「わかった。」
「ソフィアさま、カヌレのお味はいかがかしら?お口に合って?ばあやの作るカヌレは、外側はパリッと香ばしく、内側はふかふかで本当に美味しいのです。オスカルもアンドレも、子どもの時からこれを食べて育ちました。」
「奥さま、とても美味しいですわ。スウェーデンに帰ったら、ぜひ作ってみたいです。」
「ではお帰りまでに、作り方を書いておきますね。さて私は将軍に頼まれていた仕事があるので、おいとまさせていただきます。フェルゼンさまもソフィアさまも、時間の許す限りゆっくりしていらしてね。」
ジャルジェ夫人は優しく微笑み、ゆったりと屋敷の中に入って行った。
太陽がだんだんと4人の頭の真上に近づいてくる。この日差しのいくらかを、スウェーデンに持ち帰りたい。北欧にこの日差しがあったら、画家たちはどんな絵を描いただろう----そんなことをソフィアは考えた。
「フェルゼン、1つ頼みがあるのだ。」
「何だ?」
「私たちの結婚披露パーティの席で、スピーチと乾杯の音頭を取ってもらいたいのだが、引き受けてくれるか?」
「おいオスカル、本気か?俺か?本当に俺でいいのか?」
「当たり前だ。アンドレとも相談したのだが、私たち二人のことを昔からよく知っていて、雨の日も晴れの日も、いやどちらかといえば雨の日が多かっただろうか、共にくぐりぬけてきた戦友のようなお前に、ぜひスピーチをしてもらいたい。」
「知ってのとおり、私は王妃さまとの道ならぬ恋で幸せな結婚から一番縁遠い男だ。そんな私が多くの招待客の前で、愛や恋、永遠の誓いを語るのはピエロ以外の何者でもない。完全に物笑いの種になるだろう。そしてそんな私に白羽の矢を立てたお前が恥をかく。それでもいいのか?」
「フェルゼン、お前にしか語れない愛がある。お前の王妃さまに対する真摯な想いを、真の愛を語ってくれ。大方の貴族にとって結婚とは、地位や財産、身分や名誉を手に入れるための手段にすぎない。下手をすれば一生、心から人を愛することなく生涯を終える者もいるだろう。セ・ラ・ヴィ----人生はそんなもの。私などがいろいろ言う権利はないのかもしれない。だが私が望む結婚はそういうものでなく、心の底から相手を信頼、尊敬し、相手のすべてを受け入れ、生涯かけてたった一人を愛し抜くこと。フェルゼン、お前ならわかってくれるな。この想いを語れるのは、フェルゼン、きみをおいて他にいない。どうか私たちのために、スピーチをしてくれないか?」
「オスカル----そういうことだったのか。わかった。ならば参列した人たち全員に理解してもらえなくてもいい。二人の幸せを願い、私自身の言葉で語ってみよう。」
「フェルゼン!ありがとう!」
「フェルゼン伯さま、本当に感謝申し上げます。」
「私もお兄さまのスピーチをぜひ聞きたいわ。真の愛を知らぬ人たちに、嘘いつわりのないお兄さまの率直なお気持ちを語る----わからない人に無理にわからせようなどど思う必要はないわ。物笑いの種になったっていいじゃありませんか。お兄さまはお兄さまなのですから。」
「ありがとう、ソフィア。ところで結婚披露パーティには、王妃さまも出席されるのだろうか?」
「その予定だ。」
「王妃さまの前でスピーチをするのか----。」
「オスカル、フェルゼン伯にあまり無理なお願いをするのは失礼かもしれないぞ。」
「いやアンドレ、御心配には及びません。私にとっても自分の気持ちを整理するちょうど良い機会になる。オスカル、わかった。スピーチを引き受けるぞ。」
お兄さまは男女を超えた、本当に素晴らしい友人をお持ちだわ。オスカルさまにとっても、お兄さまはアンドレさまに次いで大切な男性ではないかしら?かつてはお兄さまを想って、ドレスをお召しになったこともあった。けれど今は違う。オスカルさまのブルー・サファイアの瞳は揺らぐことなく、しっかりとアンドレさまを見据えている。そして時折お二人は、テーブルの下でしっかりと手を握り合っている。人は誰だって最短距離で最愛の人に巡り会えるわけではないわ。紆余曲折は当然のこと。
「ソフィアさま、お茶のお代わりはいかがですか?いささか冷めてしまったようですので、新しいのを持ってまいりましょうか?」
「アンドレさま、大丈夫ですわ。アンドレさまは本当にゲストのことをよく考えて、動いてくださいますね。でもどうかお気づかいなく。私も兄も大丈夫ですから。」
「そうですか、ソフィアさま。でもいつでも気兼ねなくお申し付けください。」
「ありがとう、アンドレさま。」
きっとこんなふうにアンドレさまはいつも、オスカルさまが今何を求めているかを察し、動いていらっしゃるのだわ。ご自身の立ち位置をしっかり理解し、自分がどういった役割を求められているのかちゃんとわかっていらっしゃるとても頭のいい方だわ。でもそんなことを表に出そうとしない。一人では何もできない貴族の男性より、よっぽどしっかりしていらっしゃる。
「オスカル、私はアンドレと男同士の話をしたいのだが----いいだろうか?」
オスカルはアンドレを見た。一瞬アンドレは動きが止まったが、すぐに何もなかったかのようにもとの表情に戻った。
「アンドレ、行ってこい。」オスカルが言った。
「ではオスカル、しばらくアンドレを借りるぞ。すまないな、お前の最愛の人を奪ってしまって。」
「心配するな。私はソフィア嬢にドレスの着こなし方を伝授してもらうとしよう。」
「承りました。」
「ではアンドレ、あちらへ移動しよう。」
「はい、フェルゼン伯。」
男二人は立ち上がり、中庭を越え厩舎のほうへ向かって歩いた。
*写真はセーブル焼きのカップです。
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