
宮崎龍介一家 左:燁子(白蓮)と長男・香織 右:龍介と長女・蕗苳(ふき)
滔天と槌には3人の実子と養子が1人いる。
実子は、長男・龍介、次男・震作、長女・節(セツ)。
龍介については、柳原白蓮との駆け落ち事件など何度か既述した。
(事件は1921/T10年、燁子36歳、龍介29歳の時)
その事件発生時、醜聞として新聞や世間が大騒ぎした。
滔天に対して特に煩かったのが内田良平らの愛国浪士たち。
’’皇室に繋がる女性と駆落ちするなど言語道断、龍介を勘当しろっ!"
そんな彼らに滔天は取り合わない。
”勘当しても親子は親子・・・どうにもならない”と。
"そんなことより、おまえ、大丈夫か"と滔天は龍介を気遣った。
槌はどうしたか。
"意地でも添い遂げてみせなきゃ、ね" 笑ってそう言ったという。
龍介は帝大卒業後、弁護士となるが、肺結核で3年間自宅療養の身となる。
その間、燁子が小説や歌集出版、講演会などで生計を支えた。
槌は、燁子のことを気に入り、家事や育児(※)を引き受けて世話をした。
※長男・香織:1921/T10ー1945(S20) 早大在学中学徒出陣・所属基地で爆撃死
長女・蕗苳:1925/T14ー2022(R04) 華道家・歌人
病床から復帰した龍介は、社会活動や政治活動を行う。
1928/S03年 第16回衆議院議員総選挙に社会民衆党から東京4区で出馬。
選挙事務所で燁子も資金集めなど手伝ったが、龍介が演説中昏倒し落選。
~燁子や龍介の社会活動あれこれを書きたいが省略する~
晩年、白蓮は緑内障で視力喪失、龍介や蕗苳の介護の元、81歳で没した。
2人が連れ添って46年後のことだった。その4年後、龍介も78歳で没する。
今日はここまで。明日は、殆ど知られていない次男震作のことを書く予定。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]