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遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

永井荷風#53摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#7~交友録その2

2024年03月24日 | 日記


今日は 少し変わった荷風の交遊録 
作家の五木寛之が早大在学中の昭和30年頃 2年間ほど市川市に住んでいた
町名は北方町・・・町名の由来PDFをG-Driveにリンク(市川市サイトより転載)

五木寛之「風に吹かれて」より要約引用
~京成電車の市川真間駅で永井荷風に出会ったことがあった
集金バックみたいな袋を膝の上に握りしめて私の向い側に坐っていた
たぶん浅草に出かけるところだったにちがいない
自分の学生時代 ふと思い出すのは そんな事である~

言葉を交わしたわけでは無いので 荷風の日記や随筆に五木は出て来ない
その五木が「日記」という本を書いている その二十歳の日記(要約引用)
~1月6日 11時に配達終わり立石へ売血に行く200cc 3時半に終わる~

上述の「風に吹かれて」にも売血の話が出ている(要約引用)
~立石や鐘ヶ淵の方面へは 近くの採血会社の帰りに寄った
私はしばしば京成電車に乗り 青砥か立石かの製薬会社に売血に行った
新小岩あたりには まだ水田が残っていて夏は蛙の声がしきりにした~

~K製薬株式会社葛飾工場の門表を確かめ ぼくは建物の中へ入った
木造の待合室があり 15、6人の男達が壁際のベンチに座っていた~ 

葛飾区の地名は 荷風の日誌等にもよく登場する
例えば「戦後日瀝」にも立石・亀有・新小岩・小岩・・・などが出て来る
といっても荷風の目的は売血ではなく 日参した玉ノ井と同じ

昔 五木寛之の夜のラジオ放送をよく聞いていたことがある
偶々 五木寛之の夜 20031026 葛飾柴又」(Youtube)を見つけた
荷風と出会った話もあり 中ほどからの帝釈天の彫刻写真もGood!

ついでに 処女作の映画版(といっても一部 英会話学習版 7分程)
(字幕アイコンをクリックで 英→日本語 日→英語の字幕が出る)


今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#52摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#6~交友録その1

2024年03月23日 | 日記
今日から視点を変え 荷風の市川での交友関係を書く
まずは 和田芳恵という人 名前から女性だと思ったが違った

和田芳恵(わだよしえ 男性)1906/M39-1977/S52 小説家・文芸評論家 
出版社で編集を行う傍ら樋口一葉の研究を行う 後に小説家となる
昭和10年から24年まで市川市に住んだ 

荷風が 市川に移り住んだのが1946/S21年 荷風68歳の時
和田はその年5月に荷風を訪ねている
「摘録日乗」には その日付の記載が無いので 資料から要約記述する 

~荷風先生が新しい小説に 女学生同士の会話を書きたい というので
国府台の女子学院に通う娘を五叟宅へ行かせた それが先生との出会い
娘はその後「永井の小父様」と呼んでいた~

林芙美子が先生に会いたがっている と荷風に伝えたのも和田らしい
芙美子は荷風に会ったあとこんなことを書いているようだ(これも要約)

「七十歳過ぎた先生が 今もゾラを読んでおられるとか
自分の読みたいものを読まれる その気性を面白く思いました 略
先生は髪の毛も房々で 若々しい風貌で頼もしい気がしました

 林芙美子 1903/M36ー1951/S26) 小説家 

それでは 芙美子が荷風にあった日の「摘録日乗」の記述
09/23 閨秀作家林芙美子来話 

これがすべtて 実に愛想がない! 実際にはこんな会話があったようだ
荷風「林芙美子というひとはなんです」
和田「先生 女流作家ですよ」
荷風「いけません 女でものを書くひとはきらいです」・・・

交友録をもう一人くらいと思ったが やめて前日の日誌から

09/22 夜小岩散歩 夜店出る路傍に舞台を作り バンドの楽師が4,5人
洋装の女性歌手が拡声器を前に流行り唄を歌い 踊子が舞台で踊る
人波でごった返して歩くことも難しい その様子浅草大都座舞台と同じ

どんな唄かは書いていないが こんなのはどうだろう?


それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#51摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#5浅草再び

2024年03月22日 | 日記
 右手前が常盤座(1937年1月) 

1948/S23年 荷風70歳
昨日の「同居人荷風」の日誌で 「摘録 日乗」 S22年分を十分カバーできた
今日は翌年のS23年の「日乗」から要約記述する 

01/01 来客なく終日家に居る 以下朱書き
七十になりしあしたの淋しさを誰にゃ告げむ松風のこゑ
01/03 去年暮れより野菜統制で闇値暴騰 大根1本10円 人参3,4本20円
 老後の一興で 春本[濡ズロ草紙]を書く

01/09 省線で浅草へ 罹災後3年初めて東京の地に来た
仲見世は両側とも焼けていない 伝法院無事 露店の大半は古着屋
木馬館は昔のまま ロック座はレビューと劇を見せて入場料60円

01/10 市川駅前から上野行バスで浅草雷門へ 歩いて言問橋渡り白髭へ
白髭神社・蓮華寺も無事 秋葉神社前に出る横丁に玉ノ井の娼家が移転
秋葉神社前から金町行バスに乗る 乗客混雑して途中で降りられない
金町で京成電車に乗り帰宅する
 
01/30 この頃聞く街頭の流行り歌
♪古い日記のページには・・・という歌の歌詞1番から3番まで記述している
~荷風はこの歌を気に入ったのだろうか?~


02/04 午後銀座 千疋屋裏の喫茶キューベル営業 不二屋に小憩して帰る
02/20 午後銀座 西7丁目万年堂の喫茶店を訪れる
02/22 午後浅草公園 六区の諸劇場みな裸踊りの看板を掲げている

04/05 午後浅草 桜花爛漫
04/06 午後浅草 常盤座楽屋
04/07 午後 真間川の桜花を見る

05/07 東京朝日新聞に記事 旧作「襖の下張」を秘密刊行し警視庁に拘留
巡査来て警視庁に出頭せよとの事 代わりに小西氏らが行ってくれる
帰って来て 10日に刑事来るが大事には至らない由 2人の親切に感謝
05/10 午前 刑事2人来て訊かれる 作成した調書に署名・捺印する

06/01 午後 浅草公園大都座楽屋 近頃各劇場が競って裸体舞踊を見せる
今日見た大都座の舞台 着物姿の女が踊りながら 赤いしごきを解き
長襦袢を脱ぐところまで見せる 朝10時開場と同時に各座とも満員の由

このあと「摘録 日乗」には7月~9月下旬まで日誌が無い
時代が20年ほど新しいが 浅草の空撮映像があったので埋め込む


今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#50摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#4同居人荷風

2024年03月21日 | 日記

 市川駅北口付近(1928/S03) by Wikipedia 荷風いちかわマップ(市川市サイト)へリンク

1947/S22年 荷風69歳
前年は主に「戦後日瀝その一」から超要約したが 日瀝は1年限りで終わり
今回より「摘録 断腸亭日乗」からの超要約となる(必要に応じ他資料参照)

01/01 午前正岡容氏(*1)来訪 午後小西氏(*2)方へ行く

*1 正岡容(まさおかいるる) 芸能研究家 1904/M37ー1958/S33

*2 小西茂也(こにししげや) 仏文学者・翻訳家 1909/M32-1955/S30 
~荷風は五叟一家のラジオ放送や三味線稽古の音に辟易していたため
小西邸の一室を借りて時々避難?していた

01/04 午後小西宅へ 夕刻帰宅時阿部雪子来訪 切り餅を贈られる
~昨年の「日瀝」では 7回ほど彼女の名前が出て来た
「摘録日乗」の昨年分を再読したら0件 これでは摘録編集者失格?
阿部雪子の情報もだいぶ集まって来たので そのうち書く予定~

01/06 確執の多かった五叟の家を出て 小西邸の一室に移り住む
~この小西氏 実は稀代の荷風ウォッチャーでもあった
荷風の言動を克明に日誌に書く 荷風が「日乗」に書けないことまで
とりわけ 五叟一家との確執は 荷風には書けなかった事だろう
もちろん実名ではなくO氏になっている
五叟の本名は大島一雄 その息子永光が荷風の養子になっている

小西氏の日誌には O氏の娘が荷風の蔵書を盗み古本屋に売った
荷風は養子縁組解消も考えていた との裏記述?もある
小西氏自身は日誌を焼却すると書いたが なぜか一端が残っている
この日誌の日付は この年の8月1日から11月17日まで
読み始めたら止まらなくなりそうなので 今日はここまで~


それでは明日またお会いしましょう!
[Rosey]

永井荷風#49摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#3小岩漫歩

2024年03月20日 | 日記

 戦後の闇市

1946/S21年 荷風68歳
「戰後日歴 第一」の読み飛ばしがあった 今日はそこから始める

06/11 午後省線(現JR)新小岩町の私娼窟を歩く
省線駅前に並ぶ露店から一本道の町を歩くこと8~900mの町外れにある
女は思っていたより醜くない 揚代は客の和洋いずれも50円という

この頃の日雇いの日給30円前後 荷風はこの後年内に2度歩いている

11/23 午後新小岩邊漫歩
12/10 夕方新小岩散歩
 
散歩と漫歩との違いは分からないが それにしても70歳近く 元気だ
小岩で思い出したが 安吾が名所?東京パレスのことを書いている

ルポルタージュのハシリのような作品
同行した作家がいたが名前は書けない と初めに断っている
ところが名前が出て来て 石川淳 林芙美子・・・意図的だろうが面白い~ 

荷風は これを雑誌か何かで読んで 小岩に行ってみたのだろうか
あるいは作品のイメージ作りの小岩散歩だったのかもしれない

「小岩」や「パレス」で荷風の青空文庫作品検索
幾つか作品が出て来て やっぱり作品のイメージ作りの散歩だったか・・・
 
 
なお 葛飾に因む荷風作品は他に「葛飾土産」や「葛飾情話」(未文庫化)がある

小岩の歴史やパレスや街の案内動画
 

それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]