海と空

天は高く、海は深し

聖霊とは何か

2007年11月15日 | キリスト教

聖霊とは何か

キリスト教の神は、三位一体の神として知られている。父なる神、子なるイエス・キリスト、そして、聖霊である。この三者は本質的には同じものであり、それぞれとして現象として異なっているにすぎないとされる。

父である神とは、天地万物を創造された主体である。子であるイエス・キリストとは、言うまでもなく、新約聖書に記録されている神としての人であり、その精神は言葉・理性(ロゴス)としてとらえられている(ヨハネ書第一章)。イエスは父なる神と性質を同じくする。

そして、イエスの「死後」に、私たちにイエスの「精神」を告げ知らせ、教えるものが、いわゆる「聖霊」であるとされる(ヨハネ書14:16)。また、この「聖霊」とは、私たちに真理とは何かを悟らせるものでもある(ヨハネ書16:13)。同じキリスト教でも正教会においては、「聖霊」は「聖神」と訳されている。

使徒言行録には、イエスが使徒たちに、まもなく「聖霊」が降って力を受けることを告げられた後に、天に昇られたことが記録されている(使徒言行録1:8)。また、使徒言行録の同じ章には、「聖霊がダビデの口を通して預言している」(使徒言行録1:16)とも書かれている。この「使徒言行録」は「聖霊」の働きを受けた初期のキリスト教徒たちの活動の記録である。

もともと聖書で「霊」と訳されている言葉は、原語では「ルアハ」である。父なる神が土から人間を形作られたあと、その鼻から吹き込まれたものが「ルアハ」である。(創世記2:7)それによって人は生き(息)るものになった。ルアハには「息」とか「風」の意味がある。

英語では「スピリット」に相当する語である。そして、息を吹き込み、ふるいたたせるのは、「インスパイアー」である。芸術家が創作する原動力となるものが「インスピレーション」であり「霊感」である。ドイツ語では「ガイスト」に相当する。

もともと漢字の「霊」には、「雨の水玉のように清らかな、形や質量をもたない精気」を指すらしい(漢字源)。それは、目に見える形ある肉体に対して、目には見えない精神を指している。それはまた、目には見えない力であり、やがて、生きている人間に幸いや災いをもたらす、神や死者などの眼にはとらえることのできない主体を指すようになった。とくに、中国や日本では、この意味合いに使われる場合が多い。

しかし、「聖霊」の「霊」とは、ヘブライ語聖書の「ルアハ」や「吹く」という意味を持つギリシャ語の「プネウマ」の訳語であり、漢語や日本語の「死者の霊」や「怨霊」などに残っている死者の魂というような意味合いはもともとない。

イエスの死後は、イエスの精神は「聖霊」として働き、「信仰」によってその働きを受けた(インスパイアーされた)人々は教団を形成する。だから「聖霊」とはいわば、教団や教会などの共同体の精神でもあり、「ハギオ・プネウマ」「HOLY SPIRIT」「Der Heilige Geist」とは、むしろ、個人の観点からすれば「良心」としてとらえた方が、事柄をより的確に捉えることになるかもしれない。しかし、いずれにせよ、この「聖霊」の概念は、倫理的な存在である人間の精神に由来するものである。

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ユダヤ人、プロテスタントそしてカトリック

2007年10月31日 | キリスト教

ユダヤ人、プロテスタントそしてカトリック

イエスはカトリック教徒ではなかった。また、必ずしもユダヤ人でもなかった。
イエスはキリスト教徒そのものである。イエスはキリスト教徒の初心であり概念である。

それではカトリックでもないプロテスタントは、ユダヤ教にもどるのか。確かに、ユダヤ人とプロテスタントの間には共通項は多い。プロテスタントとユダヤ人は似ている。プロテスタントは現代のユダヤ人と言ってもよい。

しかし、本当のプロテスタントは、ユダヤ人に還るのではない。ユダヤ人でもないカトリックでもない、イエス・キリストそのものに還るのである。


神と私の間に、誰をも介在させることなく、神に私が直ちに接する。父なる神、聖霊、イエスのみが唯一の権威である三位一体の神に還るのである。そこに自由と独立がある。

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「議論となる要点」について、 pfaelzerweinさんへ。

2007年04月27日 | キリスト教

「議論となる要点」について、 pfaelzerweinさんへ。

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございました。

先日の私の「ドイツ文化と日本文化」の小論が、趣旨の不明確な取り留めのない駄文であったために、テーマの整理に余計な苦労をおかけしたかもしれません。そこでのテーマは「日本において民主主義の可能性はあるか」というもので、さし当っての私の結論は、「そのための前提としては、日本国民の宗教改革が必要である」というものでした。

とりあえず、pfaelzerweinさんがコメントで提起された論点について、さらに逐条的に私の考えを書いておきたいと思います。こうしたテーマに興味を持たれる方もおられるかと思い、新しい記事として投稿しました。くどくなるかもしれませんが、お許しください。


①ヨーロッパの集合体は、その個の特徴を際立たせながらキリスト教的「文化的共通性」でEUとして存在していないか?


ヨーロッパの諸民族、ドイツ、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ポーランドなどは、それぞれに民族的な特徴を際立たせていると思いますが、一方で、キリスト教という伝統的な「文化的共通性」も保持している点も、これらヨーロッパ諸国の特徴であると思います。私の論考ではヨーロッパ諸民族の個性を強調しましたが、それは、キリスト教という共通の文化的土壌の存在を否定するものではありませんでした。むしろ、キリスト教の普遍性は、それぞれの民族の特殊性、個別性を十分に発展させるところにこそあると思います。

②東アジアは、儒教的な世界観の文化的共通性を強調して大東亜共栄圏の集合体とすることが出来るか?

これだけ思想や価値観の多様化した現代およびこれからの将来においては、「儒教的な世界観の文化的共通性」を土台として、東アジアの共同体を形成するのはむずかしいだろうと思います。共同体の形成の前提としては、やはり、キリスト教の完成とその帰結としての「自由と民主主義」が原理になるだろうと思います。
        
参照  北東アジアの夢


③近代化の手順として、立憲体制の確立は、また国体をその基礎においたのは、主体的な導入への苦肉の策ではなかったのか?


明治維新とその後の「大日本帝国憲法」の制定による、日本の立憲君主体制の成立は、その議会制民主主義という点で、多くの特殊日本的な欠陥と弱点を抱えてはいたものの、それは「主体的な導入への苦肉の策」というよりも、やはり日本が選択せざるを得なかった必然的な政策だったと思います。現代の国家は、その歴史的、伝統的制約の中で、民主主義体制としては、大統領制か立憲君主制を選択するしかないのだろうと思います。

④インドや香港、フィリッピンなどの植民地は、近代的国家で日本より民主化している(いた)のか?

私の伝えたかったことは、インドや香港、フィリッピンなどの植民地化された国民や民族の国家や民主主義は、日本と比較して、それらの民族固有の伝統文化の基盤の弱さのゆえに、十分な主体性を欠いたものとなったのではないかというものです。植民地化されたこれらの国々の民主主義は、その民族固有の精神を失った、あるいは少なくともそれらを十分に媒介しない、いわば植民地的「民主主義」になっているのではないかというものです。だから、肯定的な評価ではなく、むしろ否定的なものです。それは、日本が欧米文化を翻訳を通じて受け入れたのに、それらの国では、旧主国の言語である英語を通じてそのまま直接に受け入れたことにも現われています。

⑤敗戦によって否定されたのは、「自由と民主主義」への動きでなく、時代遅れの植民地主義やそのもの国体ではないのか?


その通りだと思います。明治の「自由民権運動」や大正時代の「普通選挙運動」は決して、否定されてはいないし、否定されるべきものでもないと思います。問題にしたいのは、戦後の日本の「民主主義体制」が、太平洋戦争の日本の敗北によって、占領軍によって直接的にもたらされたものであって、明治の「自由民権運動」や大正時代の「普通選挙運動」などの日本国民の主体的な運動の延長として獲得されたものではないというこの一点です。

⑥戦後の民主主義は、戦前の民権運動などとどのように違うのか?少なくとも天皇制を自ら護持した一方、そこに文化的な主体性は本当になかったのか?


これは⑤の論点ともダブりますが、「天皇制を自ら護持」するなど「文化的な主体性は」日本国民にまったくなかったと言おうとするものではありません。ただ、日本の戦後の民主主義で問題にしたい点は、マルクス主義のいわゆる「ブルジョア国家性悪説」の影響もあるせいか、あるいは戦前の軍国主義の反動のためか、それが「国家意識」を否定するか、もしくは喪失していることと、戦後日本人の植民地文化的なアメリカ型民主主義の浅薄で表面的な模倣です。


⑦欧米諸国の価値観とは「自由と民主主義」を指すのだろうが、その刻々と変化し変遷する価値観を、どのようにして確認して現実化していくのか?


「自由と民主主義」は欧米諸国の価値観ではあると思いますが、それは決して特殊な、すなわち、欧米諸国の独自の「固有の」価値観であるとは思いません。「自由と民主主義」は、民族を超越した普遍的な価値観であると考えています。それは、キリスト教が特殊な民族宗教でないのと同じだと思います。
また、「自由と民主主義」の現実化の問題については、それはキリスト教が実質的に日本国民の支配的な宗教となることによって実現されると思います。


⑧キリスト教の意識なくして、「自由と民主主義」が無意味か?そもそも宗教改革の意味と近代の「自由と民主主義」は同義か?むしろ出自はフランス革命や市民革命ではないのか?


キリスト教の意識なくして、「自由と民主主義」は無意味だとは思いません。なぜなら、民主主義とは「完成された」キリスト教のことだと考えるからです。民主主義においてキリスト教はアウフヘーベンされていると思います。民主主義は世俗化されたキリスト教でありながら、キリスト教とは独立したそれ独自の価値を形成していると思います。
また近代の「自由と民主主義」の真の出自は宗教改革であると思います。イギリスの市民革命は、この宗教改革の上に成立した政治革命であると思いますが、フランス革命や日本の「戦後民主改革」は「宗教改革」なき単なる政治革命であり、そうした革命は、フランス大革命や毛沢東の「文化大革命」、北朝鮮の「千里馬運動」などに同じ運命をみるように、誤ったものです。

⑨大ドイツ統一の市民革命が頓挫して、プロテスタンティズムの自由主義や工業化へと向けられたドイツが進むのも結局は遅れた植民地主義ではなかったのか?

ドイツでは、プロテスタンティズムとして宗教改革は実現しましたが、イギリスやフランスのような市民革命、政治社会革命、民主主義革命には失敗しました。それが、ドイツがナチスドイツのような全体主義、民族主義に傾斜してゆく原因になったと思います。

⑩プロテスタンティズムの実現として最も代表的なのは英米の社会や経済ではないのか?

宗教改革(プロテスタンティズム)の上に立脚した政治革命(名誉革命や独立革命)を実現したのはやはり英米で、その社会と経済が代表的であると思います。中国やフランスやロシア、ドイツ、日本等のそれは、宗教改革なき政治革命か、あるいは政治革命なき宗教改革という点で、典型的概念的ではないと思います。


⑪消費社会としての日本や、躍進する中国の精神的な基盤や世界観は、プロテスタンティズムの影響を受けていないのだろうか?また、そうした批判が出ない理由は何処にあるのか?

現代の日本や中国などの諸国が、政治的な統治原理として民主主義を標榜しているかぎり、その「精神的な基盤や世界観」において、プロテスタンティズムの影響を受けていないことなどありえないと思います。現代民主主義そのものがプロテスタンティズムの帰結であると考えるからです。それに、グローバリズムの嵐は、アメリカ・プロテスタンティズムを源流としています。プロテスタンティズムの影響は世界史的なもので、どのような個人、民族、国家もその影響からのがれることはできないと思います。

 

以上pfaelzerweinさんのさまざまな問題提起について、さし当って私の考えるところを記しました。これまで、こうしたテーマでブログを書いていても、なかなか議論の成立しないのは、日ごろ残念に思っている点です。これは、日本の学校における民主主義教育の未熟と無能力の問題として、とくに政治家、学校関係者などに深刻に自覚して欲しいと思っているところです。それを補うものとしてこのようなネットにも、教育改革の一つの可能性を見出せればよいのですが。

pfaelzerweinさんのお住まいのドイツでは、その民主主義やブログ上の議論の実情はどのようなものでしょう。私のドイツ語や英語の語学が弱く、せっかくインターネットという手段を手にしながら、まだ直接に海外に発信して議論できないのは残念に思っています。

なお、私のブログ上での議論についての考え方は、次の記事に書いてあります。(ブログでの討論の仕方)

少しくどくなりましたが、とりあえず、pfaelzerweinさんの提起された論点について、逐条的に私の考えを書いておきました。また興味の持てるテーマがあれば議論しましょう。また、これからも引き続きあなたのブログで、ドイツからの風を極東の日本にもお送りください。

                                             そら(私のHNです)

 

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ドイツ文化と日本文化

2007年04月25日 | キリスト教

 

ここしばらく、個別・特殊・普遍の論理を事物の発展の中に検証しているが、特に人類の精神の発展について考察しているときにやはり興味がもたれるのは、人種や民族のそれぞれの精神の特殊性についてである。民族の精神をもっとも個性的に発展させているのはヨーロッパの諸民族であるように思われる。ドイツ、イギリス、フランス、スペインなどは、それぞれに民族的な特徴を際立たせている。

それと比較して、東アジアの諸民族の文化、特に中国、朝鮮、日本のそれぞれの文化は、それぞれの個性よりもむしろ共通的な性質の方が濃厚であるように思われる。これらの後方東アジア人、モンゴル人種の文化的な共通点は、儒教文化圏として、その特殊性を包括的に捉えることができるのではないだろうか。いまだなお、これらの諸民族においては、戦前の日本の天皇制軍国主義や毛沢東の文化大革命、北朝鮮の個人崇拝などに見られるような、家父長制的な精神構造がなお支配的であると思われる。

それにしても、これらの民族精神を根本的に規定する要素は何かという問題については、繰り返し問う価値のある興味あるテーマであると思う。民族精神の形成においては、その地理的な条件や気象条件などの自然的な条件がやはり決定的であると考えられるけれども、宗教などの人文的な条件も大きな影響をもっていると見なさざるを得ない。

いわゆる市民社会を、マルクスの用語で言えば資本主義社会をもっとも早く発展させたのはヨーロッパであり、とくにその経済的な背景としてイギリスの産業革命は世界史的にも特筆されるが、この市民社会の発展と膨張は、必然的に人類の諸民族のすべてを同一の世界史の土壌にのせることになった。現代においては、グローバリズムとして、世界史の新たな質的発展の段階に入ったと思われる。

ユーラシア大陸の極東に位置する日本も、ぺリー提督の黒船来航以来、精神文化においても科学技術においても、欧米文化の圧倒的な影響下に置かれてきた事実は、現代日本人の生活に見るとおりである。

それでも百年や二百年ぐらいの歳月は、民族精神の変化や変質に要する時間としては十分ではない。ただ、議院内閣制や民主主義を導入しても、一方において象徴天皇制を保持しているように、日本人の精神的な民族的な特徴に本質的な変化はないと思われる。

それに対して、インドや香港、フィリッピンなどの植民地化された国民や民族の場合は、精神的にもより本質的に欧米の影響を受けやすかったといえる。香港人やフィリッピン人が、キリスト教の洗礼名を公的に使用していることなどがその端的な例である。

ただ、日本人の場合は、キリスト教の受容においても、過去の仏教や儒教の受容の場合と同じく、島国という特性もあって、他の大陸諸民族や熱帯、亜熱帯民族に比べても、その文化的な受容は、伝統的にも地理的にもきわめて主体的に行われたといえる。

ただ、今日の現代日本の、とくに太平洋戦争の敗北という未曾有の歴史的な混乱の後に生きる現代日本人の民族的な精神的な混乱状況は、もっとはっきりいえば、その腐敗と退廃の文化状況は、戦後の日本人が、その政治的な、文化的な歩みを、十分に主体的に進めることができなかったことに根本的な原因があるように思われる。

その意味で、現在の半植民地的な文化的状況から、真に日本に文化的な主体性を回復するためにも、現在の安倍内閣が目指しているような、憲法改正を契機とする戦後の連合国占領統治体制からの脱却は、その目的とするところは評価はできる。ただしかし、問題は、安倍晋三氏の目指すいわゆる「美しい国」のその具体的な内容である。その回復しようとする政治と文化状況の内容である。

確かに、安倍晋三氏は「自由と民主主義」を否定はしていないし、むしろ、欧米諸国とその点で、価値観を共有してゆくことを明言さえしている。それは肯定できるとしても、問題はその方法論である。

安倍晋三氏は、その保守的な思想の動機としては、岸信介や安倍晋太郎という保守的な政治家を、たまたま祖父、父に持ったこと以外に見当たらないのである。氏の「自由と民主主義」に何となく浅薄さを感じる理由である。

自由も民主主義も、思想的な出自、宗教的な出自としては、事実としてキリスト教を背景にもっている。にもかかわらずキリスト教の自由と人権意識なくして、「自由と民主主義」が論じられているように思う。そのせいか、非キリスト教徒の「自由と民主主義」論に直観的に胡散臭さを感じる。丸山真男氏や樋口陽一氏の「民主主義論」についても同じである。

おそらく、宗教改革という文化革命を日本国民が通過しないかぎり、そして、実質的にプロテスタント・キリスト教が日本国の支配的な宗教とならない限り、日本国民は主体的に「自由と民主主義」を国民自身のものにできず、したがって真に「美しい国」も現実的な可能性を持ち得ないのではないのかと思う。

だから、いくらスローガンとして「美しい国へ」を、掲げようと、日本国が真の自由と民主主義国家に生まれ変わることができず、民主主義の奇形とも言える現代全体主義への変質の可能性は、消えてなくならないのである。

とくに現代日本の政治家、教育者、マスコミ関係者たちの、「自由と民主主義」についての、その宗教的、思想的な未成熟と教養の不足は、日本国民にとって根本的な欠陥となって、悪循環を再生産しているように思われる。ドイツやイギリスやデンマークやオランダは、いずれもプロテスタント諸国である。そうした諸国の精神的、文化的な特質を、日本国民が民族の精神として主体的に自らのものにするに至るまでは、それらを手にすることはできないのではないかと思う。個別・特殊・普遍の論理を検討する中で、それぞれの民族の精神、それぞれの国民のもつ精神について思い至るとき、このような印象をどうしても拭い去ることができない。

参考    toxandoriaドイツの旅行記 

      日本の内なる北朝鮮 

 

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熊本市長の『赤ちゃんポスト』再論

2007年04月09日 | キリスト教

熊本市長の『赤ちゃんポスト』再論

このような虚しいテーマに時間を使いたくないが、日本の民主主義や国家としての弱点も不完全性をも証明している面もあり、もう少し論じておこうと思う。

熊本市の幸山政史市長が、慈恵病院の『赤ちゃんポスト』を認可するにあたって、厚生労働省に法解釈や法整備などについて意見を求めたそうであるが、そのときの厚生労働省の意見というのは「反対する合理的な理由が見当たらない」というものだったらしい。

こうした問題で、厚生労働省のとっている姿勢は全くもって、開いた口がふさがらないというべきか。この事案についての厚生労働省の辻次官の示した見解は、①「そういうことは考えづらい」②「法律的には、認めない合理的理由はないという見解は変わっていない。こうした見解はすでに熊本市に伝えており、十分議論して結論を出していただきたい」③「明らかに違法とは言い切れない」
というようなものだったらしい。

国民の生命、健康を守るべき使命を持つ官庁のトップが、この程度の見解しか示せないのだから、日本の国民も哀れなものだ。『赤ちゃんポスト』の本質は、児童虐待であり、保護責任者遺棄ではないか。法律の番人でもある行政官僚がなぜ、この本質を見抜けず、法律違反であり犯罪であると言い切れないのか。そうした行為が犯罪であることを、国家のトップである安倍首相や厚労省の柳沢大臣も、はっきりと国民に向かって言明しなければならない。

現実に起きている乳幼児の保護対策については、『赤ちゃんポスト』のように養育責任の放棄を肯定するような形で行なうべきではなく、厚労省が自らの行政責任として、民生委員の相談窓口の広報や教育の充実、病院に対する指導などを通じて、そのような乳幼児遺棄事件を防いでゆくべきものである。厚労省の辻次官の発言からも、行政責任者としての当事者としての自覚が全く感じられない。なぜ厚労省は熊本市や慈恵病院にそのような指導ができないのか。児童虐待や乳幼児遺棄を防ぐことは、自らの責任問題であり、職業的な義務ではないのか。そのことをこの次官は本当に自覚できているのか。

安倍首相は「匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいか、大変抵抗を感じる」といい、塩崎官房長官は「法的解釈の前に、親が子を捨てる問題が起きないよう考えるのが大事」と話し、高市少子化相も「無責任に子どもを捨てることにつながっては元も子もない」などという異論を出しておきながら、だれ一人指導力を発揮して厚生労働省の『赤ちゃんポスト』の設置容認を中止させようとしない。


これがわが国の「民主主義政治」の現実である。まともな国家としての体をなしていないのである。そこには首相による行政上の指導も意思統一もなく、戦前の軍部が政府の統制も効かずに暴走した頃から、ほとんど進歩も見られなければ、その反省も生かされてない。

カトリック教徒であるらしい慈恵病院の蓮田晶一院長は『赤ちゃんポスト』を設置しても、捨て子は増えていないと反論しているようであるけれど、問題の本質をこの院長は理解していないように思う。それともこの院長には日本の伝統的な倫理意識は壊れてしまっているのか。ヨーロッパがすべて先進であるわけではない。両親の子供に対する養育責任という人間としての本能や倫理という本質を破壊しておきながら、善人気取りに目先の乳幼児の生命の保護を優先したつもりになっている。

近視眼の善意によって、真の倫理と本当の善意を長期に破壊することを、いみじくも「地獄への道は善意で敷き詰められている」というのである。目先の善意を装った甘い誘惑によって日本の伝統的な健全な倫理的な本能を破壊すべきではないだろう。過激なフェミニズムが問題にされるのも、それが狂信的な平等意識を正義の御旗として、男女の区別を解消し家庭を崩壊させかねないものになっているからである。

2007/04/07

参考資料

揺れる「赤ちゃんポスト」

ニュース①
厚労省「容認」文書を拒否…熊本市、許可判断へ詰め  (07.03.09)
 熊本市の慈恵病院が計画している「赤ちゃんポスト」設置を巡り、厚生労働省の辻哲夫次官は8日の記者会見で、熊本市が求めている文書での「容認」回答について、「そういうことは考えづらい」として応じない考えを示した。

 これを受け、幸山政史市長は「文書を出す出さないの問題でいたずらに時間をかけたくない」と述べ、再度、厚労省の見解を確かめたうえで、文書なしでも設置許可について判断する詰めの協議に入る考えを明らかにした。

 厚労省は先月22日、幸山市長に対し設置を容認する見解を口頭で示していた。

 辻次官は8日の会見で、「法律的には、認めない合理的理由はないという見解は変わっていない。こうした見解はすでに熊本市に伝えており、十分議論して結論を出していただきたい」と述べ、国に“お墨付き”を求める熊本市の姿勢に疑問を呈し、文書なしで協議を進めるよう促した。

 辻次官はこれまで「容認は今回限り」との認識を示しており、文書回答することで「指針」を示す形となって他にもポスト設置の動きが広まることを警戒したものとみられる。

慈恵病院の蓮田晶一院長は9日午後、同病院で会見した。ポスト開設が捨て子を助長するとの批判に対し、「ポストを設ければ、親が後で取り戻すこともできる。(先進地の)ドイツでも(ポスト設置後に捨て子は)増えてはいない」と反論した。

ニュース②
国が設置容認、厚労省「違法と言い切れぬ」  (07.02.23)
 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が昨年12月、親が養育できない新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の設置を同市に申請した問題で、厚生労働省は22日、「明らかに違法とは言い切れない」として設置を認める考えを市側に示した。これを受けて熊本市は、設置を認める方向で最終調整に入る。

 ただ同省は今後、同様の施設を設置する動きが出たとしても、「一律に容認する訳ではない」との方針。新生児が直ちに適切な看護を受けられ、生命や身体が危険にさらされることがない環境かどうかを検証し、児童虐待防止法などに抵触しないかどうかを個別のケースごとに慎重に判断するとしている。

 赤ちゃんポストを巡っては、「失われる命が助かる」と評価する一方、「捨て子を助長しかねない」との批判もあった。また、〈1〉新生児を手放すことが児童虐待防止法の虐待にあたらないか〈2〉病院が刑法の保護責任者遺棄罪のほう助に問われないか――などの法的問題が浮上していた。

 これらの点について熊本市の幸山政史市長が22日、厚労省を訪れ、見解を求めたところ、同省は、「安全な病院内で直ちに適切な看護が受けられるなら、虐待に当たるとは言い切れない」と説明。保護責任者遺棄罪については、「ケースバイケースで判断され、直ちに法に抵触するとは思われない」と述べた。

 ただ同省は、設置を同市が許可する場合には、〈1〉ポストの付近に、児童相談所などに相談するよう親に呼びかける掲示をする〈2〉預かった場合は必ず児童相談所に通告する〈3〉赤ちゃんの健康と安全への配慮を徹底する〈4〉親が考え直した場合には、引き取ることができるような仕組みを考える――の4点を検討するよう要望した。

ニュース③
柳沢厚労相「今後は慎重に」、安倍首相は「抵抗感じる」  (07.02.24)
 熊本市の病院が申請した、親が養育できない新生児を預かる「赤ちゃんポスト」の設置を厚生労働省が容認する見解を示したことについて、柳沢厚生労働相は23日の閣議後の記者会見で、「活動や推移を慎重に見ていく姿勢が必要だ」と述べた。今後、他の申請が出てきた場合は、慎重に判断する考えを示したものだ。

 安倍首相も同日、首相官邸で記者団に、「子どもを産むからには親として責任を持って産むことが大切ではないか。匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいのかどうかというと、私は大変抵抗を感じる」と語った。

 

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個別・特殊・普遍の論理③

2007年03月27日 | キリスト教

個別・特殊・普遍の論理③

概念論の研究

この個別と特殊と普遍の論理は、すべての事物の根本的な原理でもあるから、当然に思想や精神の原理でもある。精神においては、その普遍の契機として、モメントとしては絶対的な精神が、天地の創造者として、父なる神として前提されている。この絶対的精神は、主体的な絶対的な威力でもある。

しかし、この絶対的な精神としての普遍も自己の分身としての子を、キリスト・イエスを産み出す。そしてこの特殊の契機において、自然は有限的な精神すなわち人間と対立的に分裂する。そして、子なるキリスト・イエスは死の痛苦の中に絶命する。こうして、普遍は特殊へと進展するが、それは普遍が自己を原始分割(UR-TEIL)することであり、それは日本語には現われてはいないが、判断をすることでもある。それは事物が分裂することによって、自己の本質を明らかにする判断の過程でもある。

絶対的な精神は、このを原始分割(UR-TEIL)を通じて自己の本質を現象させ、自己の姿をみずからの子の姿の中に顕かにする。そして、苦痛の中に死に至るという子の絶対的な自己否定を通じて、和解はなし遂げられる。この過程は、普遍―→特殊―→個別の推理をなし、客観的な歴史的な全体的な統一として、すでに世界において実現されている。

この普遍―→特殊―→個別の推理は、歴史的に実現された客観的な全体として、有限な個人においては、それを他者として、しかし、真理として直観されているものである。この精神の証を有限な精神(個人)が手に入れることを通じて、個人は自己の本性を悪として、虚しきものとして自覚するが、すでに、この普遍―→特殊―→個別の推理を通じて、世界に和解の実現されていることを確信しており、その直観を通じて、自己の永遠性を認識しようとする。ここでは個別は特殊を通じて普遍と結合されている。

また同様に、特殊は普遍を媒介として個別と結合される。また、個別は普遍と特殊をつなぐものでもある。

この個別は具体的で現実的なものであり、かつその永遠の存在が精神の理念であり、聖霊である。この事柄も日本語では表現されにくいが、ドイツ語では精神も聖霊も同じくGEISTであり、同一物の二側面である。

これらの推理の構造は、もちろん形式論理学では説明できないキリスト教の三位一体の教理を説明するものであるが、事実としては、ヘーゲルはキリスト教の研究を通じて、この論理を洞察したというべきだろう。

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カンタータ第二十五番

2006年12月23日 | キリスト教

カンタータ第25番

バッハのカンタータ第二十五番は、詩篇第三十八篇第四節のコラールを基礎に歌われている。

私の肉体には健やかなところがありません。あなたの激しい憤りのために。
私の骨にも安らぎはありません。私の過ちのために。
(詩篇第三十八篇第四節)

この詩篇第三十八篇では詩人はおぞましい疫病に冒されている。彼の肉体は爛れて膿み、悪臭を放っている。(第七節)
そのために、かって親しく付き合った友も、愛した人も今では自分から離れて去ってしまった。(第十二節)

それどころか、これを機会に敵は彼の命を付けねらい、彼を破滅に陥れようとうかがっている。(第十三節)

こうして、この詩人は不治の業病を患って、この世で考えられるかぎりの生き地獄の世界をさすらっている。

こうした悲惨な状況にある詩人の境遇は、マタイ受難曲思わせる悲しい旋律で合唱される。(第一曲)

それに応じて、次のレチタティーヴォでは、この全世界は無数の病人を抱え込む病院に過ぎないと説明される。子供も大人も病み穢れ、熱と毒で四肢を冒された病人に満ち満ちた病院の様子が、福音史家を思わせるテノールによって描写される。患者たちは人々からも見捨てられて、この世に身の置き所もなく、当てもなくさすらわなければならない(第二曲)
Die ganze  Welt  ist  nur  ein  Hospital  !

そうした救いのない世界で、彼の肉体の病を癒してくれるどんな薬も見当たらない中で、身と心を癒してくれる唯一の医者であるイエスに対する希望と願いが、苦しむ詩人のアリアのバスによって歌われる。(第三曲)

Du mein  Arzt, Herr  Jesu, nur  Weisst 
die  beste  Seelenkur.

しかし、この悩める詩人は、とうとうイエスの中に遁れ、そして清められ心も新しく強められて癒される。それで全心で命の限り感謝を捧げようと思う。ここでは明るいソプラノによって詩人の喜びが描写される。(第四曲)

続いて、救われた者のいっそう高揚した感謝の気持ちが、ソプラノのアリアで歌われる。(第五曲)

そして終局では、イエスの強い御手によって、まさに死の境にあった患いと悩みから解放された歓びと感謝から、人々は合唱によって、イエスを永遠にほめたたえるように勧める。(第六曲)

わずか10分たらずの小さな曲の中に、キリスト教の本質が美しく、心の中の対話があらわになる形で、その苦悩と感謝が、バッハのその芸術の天才によって、人々の心に刻み込まれる。こうしたカンタータを土台にして、彼の受難曲などが作曲されたのだろう。

聖書の詩篇も、もともと楽曲をともなって歌われたのだろう。中東の世界においてはもっと素朴な旋律だったと思う。バッハの場合は、詩の趣旨が見失われかねないほどに、その旋律はあまりに美しすぎる。ここでも罪の問題が人類の深刻なテーマであることには変わりはない。全世界は一つの病院である(Die ganze  Welt  ist  nur  ein  Hospital )と言う。

 

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ヘーゲルのプラトン批判

2006年12月06日 | キリスト教

ヘーゲルのプラトン批判

古代ギリシャ民主政治の根本的な欠陥を痛感していたプラトンは、みずからの理想国家を構想して『国家』に著した。プラトンは、哲人と称される理想的な人格が政治を指導するようになるまでは理想とする政治は実現できないと考えたのである。そのためには哲学が国家権力を指導するようにならなければならない。この意味でプラトンは全体主義の創始者といえる。


現代においては「全体主義」は悪の権化のようにみなされている。しかし真実の全体主義はそんなに安易に批判して済ませられるものではない。全体主義の評判が悪いのは、先の第二次世界大戦でドイツにおいてはヒトラー、イタリアにおいてはムッソリーニなどの独裁者に率いられた国家主義政治が、犯罪を国家レベルで指揮したからである。本来的には全体主義や独裁政治自体が「悪」であるとはいえない。独裁者が善を志向するか悪を志向するかによって決まるものである。


ただ現代においては独裁政治自体は自由主義の観点から批判されてはいる。それは独裁政治において、たとい善政が施行されるにしても、そこには自由がないという点において批判されるのである。ヘーゲルがプラトンの国家論を批判しているように、プラトンの哲人政治の根本的な欠陥は、その政治が個人の自由の上に成立していないことである。(岩波文庫版『精神哲学』下§176以下参照)


プラトンの生きた当時の古代ギリシャ民主主義の国家形態とプラトンやソクラテスの内面に目覚めつつあった自由の意識との間に生じつつあった矛盾をヘーゲルは指摘している。プラトンは真実の憲法や国家生活は「正義の理念」の上に、それが国民一般の自覚の上に築かれなければならないことを、哲学に主導される政治として表現したのである。この点についてはヘーゲルは、プラトンの歴史的な意義として評価をしている。

しかし、このプラトンの哲人政治は単に理念にのみとどまり、現実の政治になることはできなかった。それを限界として指摘している。実際にそれを準備したのは歴史的にはキリスト教であり、ルターの宗教改革であった。


わが日本の戦後の日本国憲法の民主主義体制の根本的な欠陥は、それが事実上はアメリカ駐留軍政下の指揮下において、国民主権を主張する日本国憲法として国家の原理として制定されておりながら、事実上、わが国においてはキリスト教は日本国の支配的な宗教にはなってはいないという矛盾から来るものである。この宗教の原理はいまだ国民の自覚的な国家原理にまで、現在に至るまで自覚されてはいないからである。

アメリカ合衆国は、プロテスタント・キリスト教そのものの中から生まれた国家である。民主主義のアメリカ合衆国のみが、純粋にキリスト教から生まれた自由と正義の上に立脚する理念に築かれた国家である。そのアメリカの主導によって日本国憲法が制定されておりながら、それに一致した倫理規範を国民が支配的な宗教的意識としてもたないことに、わが国の政治や文化における根本矛盾が存在している。

欧米の歴史的な伝統にあっては、「法と正義」は同じ概念である。「RIGHT=RECHT」には、法と正義の両義が含まれる。しかし、わが国民の法意識には正義の観念は含まれてない。それは、国民の間に支配的な宗教が欧米のそれとは異なる性格に由来するものである。

太平洋戦争の敗北を契機とするわが国の戦後民主主義は、国民に人権を自覚させることにはなったが、東大教授の樋口陽一氏や丸山真男氏たちの主張したキリスト教抜きの人権至上民主主義教育は、日本国民の間に人間の欲望の無制限な解放として帰結しただけであった。倫理的な規制をもたないその無国籍的な人権意識は、欲望民主主義として、また、戦前のゆがんで抑圧された滅私奉公の精神の裏返しとして、エゴイズムの利己主義の無制限な解放と国家社会における倫理の崩壊をもたらす結果になった。

国民の間に愛国心などがもし欠乏していたとすれば、それは一つには、戦後の自民党政治の利権政治といわゆる革新政党の自己抑制のない人権至上主義政治の帰結として生じたものであって、現行教育基本法そのものの欠陥によるものではなかった。


カトリック教徒の田中耕太郎による労作として制定された現行教育基本法は、その精神が忠実に実行されてさえいれば、決して愛国心や郷土愛を否定するものにはならなかった。現在にいたる戦後教育の欠陥は、戦後の自民党の実際の教育行政の欠陥と日教組の人権至上主義教育によって生じた国民倫理の崩壊によるのであって、田中耕太郎が展開した教育基本法の精神自体に根本的な欠陥があったためではない。

そして現在の自民党と公明党の与党政権は、みずからの手になる「品格」のないフランケンシュタインのような継ぎはぎだらけの奇形的な新しい日本国教育基本法によって愛国心を人為的に作ろうとして、偽善的な国民をさらに養成しようとしているにすぎない。


真実の宗教が国民の間に普遍的にならないかぎり、そして、それによって正義と法に基づく真実の国家の原理が現実の中に入ってこないかぎり、また、その上に国家の原理である憲法が制定されないかぎり、たとえどのような憲法が制定され、どのような教育基本法が新しく制定されようと、国家と国民の人倫性は回復されることはないに違いない。

 

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七十人訳聖書(ギリシャ語訳旧約聖書)

2006年11月17日 | キリスト教

 

昨日、七十人訳聖書が届いた。長い間欲しかった本だ。日本ではまだそれほど聖書研究などは普及していないから、なかなか手に入らなかった。洋書を取り扱っている書店などで探せば、すぐに手に入ったのだろうけれども、学者ならぬ世界の狭い私には縁が遠かった。しかし、ネットのアマゾンなどを通じて、自分のような無学の者にも洋書は身近になって、手にすることができた。本人のやる気次第ということなのだろうか。
装丁も美しく、値段もそんなに高くもない。関心のある人には価値ある本だと思う。

このSEPTUAGINT(セプチュアギント)の序言を読んでみた。
最初に出版されたのはロンドンで、1851年だという。この本自体はアメリカで印刷されている。本文の英訳者は、Sir Lancelot Charles Lee Brentonという人である。Sirがついているから、貴族だったのかも知れない。ただ、(1807-1862)と表記されているから、五十五歳程度でこの人は亡くなったらしい。カトリック系の人だったのかプロテスタントの人か今のところそれは分からない。

この本には古典ギリシャ語であるコイネーに翻訳された旧約聖書と、その英語訳が併記されている。序言によれば、このSEPTUAGINT(セプチュアギント)は、紀元前285年から247年ごろに、プレトミー・フィラデルフス治世下のエジプトのアレキサンドリアで、七十人もしくは七十二人のユダヤ人学者たちによって当時のギリシャ語に翻訳されたそうである。

英語訳の聖書もたまには読むこともあるけれど、現在私の使っているのは、日本聖書協会から出版されている和英対照の新共同訳聖書だから、誰が訳したのかは分からない。この七十人訳聖書で、サー・ブレントン氏は旧約聖書をどのような英語に訳しているのだろうか。優れた個人訳であれば貴重である。若くして亡くなられたブレントン氏の不朽の仕事なのかも知れない。

それにしても、ユダヤ人ならぬ私たちには、ヘブライ語の旧約聖書を私たちの本とすることができない。私たちの旧約聖書としては、やはり、このギリシャ語訳旧約聖書しかない。七十人訳聖書、SEPTUAGINT(セプチュアギント)が新約聖書とならんで私たちのよるべき最終的な聖書であると思う。

 

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『薔薇の名前』と普遍論争

2006年11月08日 | キリスト教
 

 

もう何年が過ぎただろうか。『薔薇の名前』という小説が、世界的なベストセラーになり、また、ショーン・コネリーの主演で映画化もされたことが記憶に残っている。

この小説の主人公である修道僧アドソの師はイギリス人のフランチェスコ会修道士でバスカヴィルのウィリアムといい、同じイギリスのフランチェスコ会修道士で唯名論者として知られていたオッカムのウィリアムと友人であったという舞台設定になっている。そして、異端審問官であり学僧でもある彼はまた、イギリスの経験論の祖ロジャー・ベーコンにみずから弟子として私淑していることになっている。

この小説は小説家ならぬイタリアの記号論言語学者にして文献学者でもあるウンベルト・エコの手になる作品である。それは一見書籍誌らしい小説で重層的な構造になっているらしいことである。ヨーロッパの修道院や教会の建築のように、石造りの城郭のように堅牢な歴史の風雪にたえうる小説のような印象を受ける。

それにしても興味をそそられるのは、もちろんこの作品が文献学者が書いた小説であるといったことよりも、この小説の中で、主人公アドソの師バスカヴィルのウィリアムの友人として、実在の唯名論者オッカムのウィリアムが取り上げられていることである。

唯名論というのは実在論の対概念であって、ヨーロッパの哲学・神学史においては、この二つの哲学的な立場から行われた論争は―――いわゆる「普遍論争」として―――歴史上もよく知られている。もちろん、こうした論争は、ソクラテス・プラトン以来の西洋のイデア論の伝統の残された世界でしか起こりえない。

私たちが使っている言葉には概念が分かちがたく結びついている。中には、ゲーテの言うように、概念の無いところに言語が来る人もいるとしても。

この概念は、「普遍」と「特殊」と「個別」のモメントを持つが、はたして、この「普遍」は客観的に実在するのかということが大問題になったのである。

たとえばバラという花が「ある」のは、もちろん誰も否定できない。私たちが菊やダリアなどの他の植物から識別しながら、庭先や植物園で咲き誇っている黄色や赤や白いバラを見ては、誰もその存在を否定することはできない。

バラの美しい色彩とその花びらの深い渦を眼で見て、そして、かぐわしい香りを鼻に嗅いで、枝に触れて棘に顔をしかめるなど私たちの肉体の感覚にバラの実在を実感しておきながら、バラの花の存在を否定することなどとうていできないのは言うまでもない。それは私たちの触れるバラの花が、個別的で具体的な一本一本の花であるからである。

それでは「バラという花そのもの」は存在するのか。「バラという花そのもの」すなわち「普遍としてのバラ」は存在するのか。それが哲学者たちの間で大議論になったのである。

この問題は、「バラ」や「船」「水」のような普通名詞であれば、まだわかりやすいかもしれない。それがさらに「生命」や「静寂」、「正義」や「真理」などの、私たちの眼にも見えず,手にも触れることのできない抽象名詞になればどうか。「鈴木さん」や「JACK」などの一人一人の人間や「ポチ」や「ミケ」などの犬猫の個別の存在は否定できないが、それでは「生命そのもの」「生命」という普遍的な概念は客観的に存在するのか。あるいはさらに、「真理」や「善」は果たして客観的に実在するものなのか。

この問題に対して、小説『薔薇の名前』の主人公アドソの師でフランチェスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムは、唯名論者オッカムのウィリアムらと同じく、「バラそのもの」は言葉として存在するのみで、つまり単なる名詞として頭の中に観念として存在するのみであるとして、その客観的な存在を認めなかったのである。

話をわかりやすくするために、「バラそのもの」や「善」などの「抽象名詞の普遍性」を「概念」と呼び、そして、「バラ」の概念や、「善」といった概念は、客観的に実在するのか、という問いとして整理しよう。

この問題に対して、マルクスやオッカムのウィリアムなどの唯物論者、経験論者、唯名論者たちは、概念の客観的な実在を認めない。それらは「単に名詞(名前)」にすぎず、観念として頭の中に存在するだけであるとして、彼らはその客観的な実在性を否定する。唯物論者マルクスたちの概念観では、たとえば「バラ」という「概念」ついては、個々の具体的な一本一本のバラについての感覚的な経験から、その植物としての共通点を抽象して、あるいは相違点を捨象して、人間は「バラ」という「言葉」を作ると同時に「概念」を作るというのである。

だから、経験論から出発する唯物論者や唯名論者は、マルクスやオッカムのウィリアムたちのように、概念の客観的な実在を認めないのである。

しかし、ヨーロッパ哲学の伝統というか主流からいえば、イデア論者のプラトンから絶対的観念論者ヘーゲルにいたるまで、「概念」すなわち「普遍」は客観的に実在するという立場に立ってきたのである。(もちろん、私もこの立場です。)

これは、「普遍」なり、「概念」なりをどのように解するかにかかっていると思う。マルクスやオッカムのウィリアムのような概念理解では、唯名論の立場に立つしかないだろう。唯名論者に対して、プラトンやヘーゲルら実在論者の「普遍」観「概念」観とはおよそ次のようなものであると思う。

それはたとえば、バラの種子の中には、もちろん、バラの花や茎や棘は存在してないが、種子の中には「バラという植物そのもの」は「観念的」に実在している。そして、種子が熱や光や水、土壌などを得て、成長すると、その中に観念的に、すなわち普遍として存在していた「バラそのもの」、バラの「概念」は具体的な実在性を獲得して、概念を実現してゆくのである。そういう意味で、「バラそのもの」、バラの「普遍」、バラの「概念」は種子の中に客観的に実在している。

これは、動物の場合も同じで、「人間そのもの」、人間という「普遍」、人間という「概念」は、卵子や精子の中に、観念的に客観的に実在していると見る。

ビッグバンの理論でいえば、全宇宙はあらかじめ、たとえば銀河系や太陽や地球や土星といった具体的な天体として存在しているのではなく、それは宇宙そのものの概念として、無のなかに(あるいは原子のような極微小な存在の中に)観念的に、「概念として」客観的に実在していると考える。それが、ビッグバンによって、何十億年という時間と空間的な系列の中で、宇宙の概念がその具体的な姿を展開してゆくと見るのである。プラトンやヘーゲルの「普遍」観、「概念」観はそのようなものであったと思われる。

唯名論者や唯物論者たちは、彼ら独自の普遍観、概念観でプラトンやヘーゲルのそれを理解しようとするから、誤解するのではないだろうか。

小説『薔薇の名前』の原題は『Il nome della rosa 』というそうだ。この日本語の標題には現れてはいないが、「名前」にも「薔薇」にも定冠詞が付せられている。定冠詞は普遍性を表現するものである。だから、この小説は「薔薇そのもの」「名前そのもの」という普遍が、すなわち言葉(ロゴス)そのものが一冊の小説の中に閉じ込められ、それが時間の広がりの中で、その美しい花を無限に咲かせてゆく物語と見ることもできる。主人公の修道僧メルクのアドソが生涯にただ一度出会った少女のもつ名前が、唯一つにして「普遍的」なRosaであるらしいことが暗示されている。

それにしても、小説『薔薇の名前』はまだ本格的には読んでいない。何とか今年中には読み終えることができるだろうと思う。書評もできるだけ書いてみたい。映画もDVD化されているので鑑賞できると思う。年末年始の楽しみになりそうだ。

写真の白バラはお借りしました。著作権で問題あれば、削除いたします。 

2006年11月04日

 

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大衆と哲学

2006年09月29日 | キリスト教

 

哲学と大衆の関係について、ヘーゲルは彼の『小論理学』の第三版への序文の中で、キケロの言葉を引用しながら、次のように言っている。

「キケロは言っている。「哲学は少数の批評者に満足して、大衆を故意に避けるから、大衆からは憎まれいかがわしいものと思われている。したがって、もし誰かが哲学一般を罵ろうと思えば、必ず俗衆の支持をうることができる」と。哲学を罵るのに、その罵り方が馬鹿らしく浅薄なものであるほど、一般には受けるものである。というのは卑小な反感というようなものは、難なく共鳴できるものであるし、無知もわかりやすさの点では、これに引けは取らないから、この仲間となるからである。」(岩波文庫版50頁)

これらの文章を見ても、古代ギリシャ・ローマの昔から、ヘーゲルの時代も、哲学などはいかがわしいものと「俗衆」から思われていたことがわかる。何も現代に限ったことではないようである。ヘーゲルもまた彼自身のキリスト教研究を明らかにしたとき、学者ばかりではなく、俗衆からも多くの揶揄や非難をこうむっていたようである。もちろん、彼自身は真理は自己を貫徹するものであること、そして、時が来れば受け入れられることを確信していたが。

ただ何事においても非難はやさしく、創造はむずかしい。ヘーゲルのような哲学の立場に立つものは、神学者と哲学者の両陣営から批判を受けることになる。神学者の立場からすれば、彼の神学はあまりに哲学的でありすぎ、哲学者の立場からは、彼の哲学はあまりに神学的でありすぎると。

もちろん、これはヘーゲル哲学の欠陥ではなく、むしろ、彼の哲学の高さ、正しさゆえである。彼の哲学は神学者からも俗流哲学者からも理解されず、誤解され非難されもした。彼自身はそうした無理解に頓着しなかったけれども。

それにしても、現代においてはキリスト教などの宗教を研究するために、ヘーゲルの哲学が顧みられるということは「大学の府」などにおいてもほとんどないのではないか。クリスチャンやその他の宗教家であっても、この哲学者に論及するものもほとんどいないと思う。そうした問題意識すらもないようだ。彼の哲学の中心的なテーマは生涯キリスト教であったのに。

かって社会思潮を風靡したマルクス主義の関係から、ヘーゲルの「弁証法論理」が流行したこともあったが、そのほとんどは、唯物論者や共産主義者の立場からのものだった。

かって、私自身もブログで宗教について、とくにキリスト教などについてあつかましくも発言しようとしたとき、惜しくもさきに亡くなられたが、モツニ氏こと吉田正司氏から、「その資格として、田川建三氏や丸山圭三郎氏、ニーチェなどの読解が最低限要求される」という厳しい先制パンチをいただいたことがある。キリスト教や聖書の研究の導きとして、細々とヘーゲルを読みかじるぐらいのことしかできない私には、残念ながら、吉田氏とも対等に論議できずに終わってしまったけれども。http://blog.goo.ne.jp/aseas/e/264a6896e3ae29e528fdc97198dbc608

だから、もちろん自慢にもならないが、田川建三氏のみならず、カール・バルトやブルンナー、八木誠一氏、荒井 献氏など国内外の著名な現代神学などについて論じる資格は自分にはない。ただ、二十一世紀においても、今日なお、ヘーゲルの哲学は、キリスト教についての最高にして最深の宝庫であるとは思っている。 

現代のキリスト者で、彼の哲学にかかわるものが少ないのには、ヘーゲルなどを紹介してきた日本の権威主義的な哲学者たちのせいもある。日本ではヨーロッパにおいて以上に、哲学は女性や大衆には取り付きにくく思われているようだ。惜しいことだと思う。ヘーゲル自身は、異性とお酒やダンスも愛好する、世事にも通じた偉大なる俗人だった。

ヘーゲルの哲学は、キリスト教や聖書、宗教一般の研究には必須の登竜門であると考えている。たとえば三位一体の教義などは、キリスト教にとって本質的ではあるけれども、この教義の生成についての歴史的な、論理的な必然性をヘーゲルほどに明確に論証した学説は知らないからである。バルトや八木誠一氏などは読んではいないが、これらの神学者たちには、おそらくヘーゲルほどには、父と子と聖霊の三者の論理を明らかにはできていないだろうと思う。(バルトや八木氏の研究者が居られれば教えてください。学問的な怠惰はお許しを。)

現代日本の多くの大衆的なクリスチャンが、ヘーゲル哲学などに論及することなどほとんど皆無であるのは、彼らの多くが信仰の立場に立ち止まり、そこに満足して、真理や学問の立場に進むだけの余力がないからなのだと思う。これは、国家国民の学術・文化における水準の問題としても残念なことではあると思う。(信仰と真理、哲学や科学との関係については、いずれまた論じたい。)

参照  女系天皇と男系天皇──いわゆる世論なるもの

2006年09月28日
 

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イザヤ書第二章

2006年09月07日 | キリスト教

イザヤ書第二章

永遠の平和と終末の日


アモツの子、イザヤがユダとエルサレムについて見た言葉。

終末の日、主の家の山は、山々の頂上に据えられ、峰々を越えて聳え立つ。    そして、すべての国々はそこに流れ来る。
そして多くの民が来て言うだろう。
来れ、主の山に、ヤコブの神の家に登ろう。
主は私たちに主の道を示される。
そうすれば私たちは主の道を歩むだろう。
主の教えはシオンから、主のみ言葉はエルサレムより来るから。
そして、主は国々を裁き、多くの人々に正義を示される。


彼らは剣を打ち直して鋤に代え、
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かってもはや剣を上げず、
戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、来れ。主の光の中を歩もう。

あなたはあなたの民を、ヤコブの家を捨てられた。
ペリシテ人のように東の国から占い師を呼び寄せ、
異邦人の子供らと睦んだからだ。


彼らの土地は銀と金であふれ、
財宝には限りがない。
彼らの土地は軍馬であふれ、
戦車には限りがない。
彼らの土地は偶像であふれ、
自分たちの手で、自分たちの指で造った物を伏し拝む。
こうして人間は卑しめられ、人は低くせらる。
主よ、彼らをお赦しにならぬように。

岩の裂け目に身を隠し、山の中に隠れよ、
主の恐るべき御顔と崇高と威厳を避けて。
人間の高ぶった眼は低くされ、
人間の横柄は卑しめられる。
その日には、ただ主のみが崇められる。


万軍の主が臨まれる日には、
誇り傲る者はすべて、
高ぶる者はすべて、主が恥をかかせるだろう。
聳え立つレバノンの杉とバシャーンの森の樫の木のすべて、
聳え立つ山々と高い丘のすべて、
聳え立つ塔と堅固な砦のすべて、
タルシシュの帆船と満艦飾の船もすべて、
打倒され、破壊され、沈められる。

傲り高ぶる人は引き倒され、
誇る者は卑しめられる。
その日には、ただ、主のみが独り崇められる。
偶像はすべて滅ぼし尽くされる。

主が立ち上がって大地を揺るがすとき、
栄光と威厳をまとった主の御顔を恐れて
彼らは、岩穴に大地の裂け目に身を隠すだろう。

その日には、自分たちが崇めるために造った金と銀との偶像を、
彼らはモグラやコウモリのために投じるだろう。

主が立ち上がって大地を揺るがすとき、
主の恐るべき御顔と崇高と威厳を避けて
岩穴に、崖の裂け目に逃げ込むがよい。

鼻に息するだけの人間に頼ることを止めよ。


イザヤ書第二章註解

アモツの子、イザヤが黙示のなかに幻に視たユダとエルサレムの姿を書き記したものである。紀元前七〇〇年頃にユダの国に生を享けたイザヤは、ユダの国と聖地エルサレムについてその理想を見た。そこでイザヤが視たのは、永遠の平和と終末の日の姿だった。
主の神殿のあるエルサレムの丘に、諸国民が集い来て上る。主の教えと御言葉はエルサレムより来るとイザヤはいう。二十一世紀に生きる私たちには、それがイエスによってすでに歴史的に実現されていることを知っている。

そして、主は国々を裁かれ、人々に正義を示されて、戦争が永遠に止む時の来ることも記している。人類にとって平和は、究極の理想と言える。プラトンやカントをはじめ、多くの哲学者が、人類にとっての平和の条件を研究してきた。カントはその著書『永遠の平和』を書いて、民主主義と世界政府を通じて人類の平和を追求しようとした。しかし、それは今日なお実現されていないことは、歴史の現実を見て周知のとおりである。

また広島や長崎で「永遠の平和」の誓いは、毎年述べられるけれども、それが夢想にすぎないことを、人類は現実と歴史によって教えられるのである。「平和主義者」がどれほどばら色に人類の未来を描こうと、戦争を無くせぬ人類の業の深さに、いずれ厳粛に頭をたれざるを得ない。

豹がその皮の斑点を消せないように、たとえ頭の中でどれほど平和を願おうと、人類はそのみずからの本性の中から戦争を消し去ることができないのである。人類の実際の歴史と厳粛な現実の前に、「永遠の平和」を語る空しさをやがて思い知らされることになる。                            
とすれば、科学技術を局限にまで発展させた二十一世紀の今日、軍事力を核兵器として実現した人類は、人類の最終戦争を戦わざるを得ないのかもしれない。この第二章の中で、イザヤが「主の日」として述べている「終末の日」とは、イザヤが人類のこの最終戦争を予見して語ったのだ。それは「怒りの日」「裁きの日」とも言われているからだ。

もちろん中国とアメリカ、あるいは、日本と中国が戦争するとしても、それはまだ人類の最終戦争ではないに違いない。「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても惑わされてはならない。それらは起きざるを得ないが、まだ世の終わりではない」ともイエスは語っているからである。(マタイ書24:6)

イザヤ書によれば、人類が「永遠の平和」を手にするのは、哲学者の理論や政治家の構想した「世界政府」などによるのではなく、主が国々を裁き、正義を示されるときである。(第四節)

「あなたはあなたの民を、ヤコブの家を捨てられた。」

この一節は、前節とのつながりがよく分からない。前節でイザヤは、人類の恒久平和を預言しながら、ここから一転して、ユダヤ人の腐敗と堕落を告発しているからである。おそらく、イザヤの言葉の断片を編集して「イザヤ書」が造られたからかもしれない。
いずれにせよ、現代のユダヤ人である巨大な富と軍事力をもつアメリカが、その傲慢を募らせるとき、このイザヤの言葉は、その国と民に対する主の審判としての預言となる。

そして、「終末の日」、「万軍の主の日」には、岩の洞窟や大地の裂け目に身を隠すよう忠告している。主の恐るべき御顔を避けるためにである。

「鼻に息するだけの人間に頼ることを止めよ。」

いずれ日本も、膨張する共産主義中国と民主主義アメリカの超大国の狭間で、国家としての自由と独立をいかにして確保してゆくかという切実な難問を突きつけられることになる。かってイザヤの祖国ユダも北の大国アッシリアの圧力の前に、国家の自由と独立を守るために苦闘したのである。そのときに、イザヤは、自由と独立を保つために、エジプトを頼らず主なる神にのみ畏れ待ち望むよう警告した。しかし、ユダ国はそのとき西の大国エジプトに頼った。そして結局、国家の滅亡は防ぎきれなかったのである。

このイザヤの政治学は、共産主義中国と自由民主主義アメリカの狭間におかれた日本の取るべき態度を示唆している。現代のエジプトである超大国アメリカにどこまで頼りきれるのか、わが国の政治家は政策を誤らないことである。

 

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雅歌第八章

2006年07月03日 | キリスト教

雅歌第8章

1.(娘)
もしあなたが、私の母の乳房を吸った私の兄弟でしたら、
外であなたを見つけて口づけしても、誰も私をさげすまないでしょう。

2.私が育った母の家に、あなたをお連れして、
ぶどう酒やざくろ酒の、かぐわしい飲み物を差し上げましょう。

3.あなたの左手は私の頭の下に、右手は私を抱きしめて。

4.エルサレムの娘たちよ。私はあなたたちに誓ってお願いします。どうか、愛がおのずから望むまでは、ことさら起すことも目覚めさせることもないように。


5.(女たちの合唱)
恋する者に抱かれて、荒れ野から上ってくるのは誰ですか。

(娘)
りんごの樹の下で、私はあなたを呼び覚まします。
あなたの母はここでみごもり、苦しみのなかから、あなたを産みました。


6.
あなたの心に、私を印章のように刻み、
あなたの腕に、 私を印章のように刻んでください。


(女たちの合唱)
愛は死のように強く、妬みは墓のように残酷です。
愛は炎をあげて燃える石。激しく火花を散らす。

7.どんな大雨もそれを消し鎮めることは出来ない。
どんな洪水もそれを流し去ることは出来ない。
もし人が、住む家を抵当に入れて愛を買おうとするなら、
その人はさげすまれる。

8.(娘の兄弟たち)
私たちには幼い妹がいる。まだ乳房もない。
妹が求婚された日には、私たちはどうすればいい。

9.もし妹が城壁ならば、その上に銀のやぐらを建てよう。
もし妹が城門ならば、レバノン杉で打ち固めよう。

10.(娘)
私の胸は城壁で、乳房は二つの塔。私の愛しい人の眼には、それは歓びと安らぎです。

11.(女たちの合唱)
ソロモンはぶどう園をバアル・ハモンというところに持っていた。彼はそれを農夫に貸した。彼はぶどうの収穫のためにソロモンに銀貨一千を納めた。

12.(農夫たち)
ぶどう園は私たちのもの。ソロモン様、ぶどう園からの銀一千はあなたに、銀二百は農夫たちに。

13.(若者)
園に住まう愛しい人よ。友はあなたの声に耳を傾けています。どうか、どうか私にもあなたの声を聴かせてください。

14.(娘)
急いで、愛しい人。香り草の生える山にいる雄鹿や小鹿のように。

 

雅歌第八章注解


雅歌は、「ソロモンの歌」とも訳される。全篇はギリシャ歌劇のように、小さな戯曲としても味わえるのではないだろうか。

登場人物

若者(ソロモン)

合唱するエルサレムの女たち 

娘の兄弟たち

農夫たち

第八章はその最終章。とうとう最後になって、愛し合っている若者(ソロモン)と娘はお互いを見つけ出す。それまでは二人は互いを求めても見出せず、恋の病に冒され患ってさまよっていた。

とうとう恋する憧れの人ソロモンを見つけた娘は、彼を自分の生まれ育った母の家にいざなう。ソロモンは娘の本当の兄弟のようで、街角で口づけしても気にとめる人はいない。

娘は、母の家、自分の育った部屋に、取って置きのザクロ酒やぶどう酒をソロモンに用意している。それは彼女の愛の証し。しかしまた、娘は愛みずからが望むまでは、ことさらにそれを眼ざませることのないように、エルサレムの女たちに誓わせる。

娘は若者にいだかれて荒れ野を上って来る。そこに一本のりんごの樹があった。知恵の実をつけるりんごの樹。そのりんごの樹の下は、若者の母が身ごもったところ。そこで、娘は自分の愛が若者の身と心に刻まれることを願う。

愛とはどのようなものか。エルサレムの女たちは歌っていう。
愛は死のように強く、愛の妬みは墓のように残酷であると。
その熱情は炎のように燃え、大雨も洪水も消し鎮めることができない。
その愛を金で購おうとする者は軽蔑される。


娘の兄弟たちは、妹の純潔を心配してどう守ろうかと気遣う。しかし、娘は自分の乳房が若者を慰めることを知っている。
ソロモンはぶどう園をもっていた。そして、その管理を農夫たちに任せていた。そこから、地代としてソロモンは銀貨一千枚を得、農夫たちには労賃として銀貨二百枚を手渡す。

若者は、ぶどう園に住まう娘のきれいな声を聴きたいと思い、娘は早く若者が羊を世話する山から、小鹿のように自分のもとに駆け降りてくることを願っている。

ユダヤ人たちはキリスト者と同じように、自分たちを娘になぞらえ、若者ソロモンの愛を、父なる神の彼らへの愛の象徴と見る。若いソロモンの愛はまた、イエスの愛の前表でもある。


雅歌も黙示録のように、シンボルとして比喩として事柄を表現しようとしていて、その注解は難しい。どこまで正確を期せるかどうか。

 

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片手の平和、両手の戦争  (伝道の書第四章第六節)

2006年05月03日 | キリスト教

 

片手だけを満たして憩っている方が、両手にいっぱい持って、なお忙しく気苦労しているよりもよい。  (伝道の書第四章第六節)

ここでも、本当の幸福がどこにあるかを語っている。しかしまた、これは内向きの、退廃にも通じる心組みにもなりかねない。

ただ、分を弁えて節度を守り、その中に、心穏やかに生きることに、作者のコヘレトは、幸福を見出している。

これは、単に個人について言えるばかりではなく、国民や民族についても言えることである。他人といつも同じことをしていなければ、心休まらない経済大国で、しかも、サラ金のコマーシャルがたえず流され、その中に多くの多重債務者を生み、また年間に三万に及ぶ自殺者を生んでいる社会が幸福であるかどうか。

 

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エリヤの生涯

2006年04月19日 | キリスト教

エリヤの生涯

旧約聖書のなかの預言者エリヤの生涯の軌跡については、聖書のなかのいくつかの個所にたどることができる。エリヤというのは、「ヤーウェは神なり」という意味で、ヤーウェは固有名詞、神は本質を示す普通名詞である。旧約聖書なのなかでエリヤが初めて登場するのは、列王記上第十七章である。この列王記は、エルサレムを治めたダビデ王の晩年の描写から始まる。

ダビデ王の事業は息子のソロモン王に受け継がれ、成就される。賢君ソロモン王の治世は、ユダヤ民族の歴史の中でもっとも輝かしい時代として記憶されている。およそ三千年前に、ソロモン王によって築かれた神殿は、その後バビロニアによって破壊されるが、その残された遺跡は、「嘆きの壁」として、今日もユダヤ人たちの祈りの場になっている。

ダビデの犯した罪の結果として、王国はやがて北のイスラエルと南のユダに分裂する。列王記は、ユダヤの民が、北方の民族バビロニアの王ネブカドネザルによって滅ぼされるまでを記録した歴史物語である。この分裂した二つの王国を治めた王たちの事跡が、預言者の眼から記録され評価される。日本で言えば、さしずめ天皇を中心に紀伝体で編んだ「大鏡」や「太平記」のようなものである。ただ、そこに一貫する根本の思想は、モーゼの戒律に忠実な国や民族は栄え、それに背く王と民衆は滅亡するというものである。イスラエル民族の現実の歴史は、それを実証するものとして語られている。

列王記の前半は、ダビデ王の晩年と、その王位継承をめぐる争いとソロモン王の王権の確立の描写から始まり、そして、類まれなソロモン王の知恵と、その統治下の民族の富と繁栄が、壮大な神殿の建築やその他の事業の様子が語られる。しかし、エリヤが登場するのは、ユダヤの王と民衆の神からの離反によって、やがて王国が堕落し分裂を招いた後の、第十七章からである。イスラエルの王アハブの治世下に生きたエリヤは、ギレアドの住民で、ティシュベ人と記録されている。

エリヤは、イスラエルの王であるアハブに旱魃を予言する。だが、アハブ王の妻イゼベルは、異教の神バアルを崇拝していたから、エリヤは主の命じられたとおり、ヨルダンの東にあったケルト川の辺に身を隠して暮らさざるをえなかった。そこで、エリヤは烏たちの運んでくるパンと肉で身を養った。しかし、その川もやがて涸れてしまった後、さらに北方の異邦との国境シドン地方のザレプタに行き、その地の一人のやもめに養われたと記録されている。

その地に滞在する間、二つの奇跡のあったことが記されている。そのやもめが持っていた──彼女は名前すら記録されていない──壷の中の、小麦粉が尽きることのなかったこと、そして、瓶の中の油も無くなることのなかった。だから、彼らは飢えることもなかった。そして、もう一つの奇跡は、やもめの女主人の息子が病気で一度は死んでしまうが、エリヤがその息子を生き返らせたことである。息子を失ったことをエリヤのせいのように苦情を言い立てる、この女やもめがいじらしい。

エリヤの生涯は、異教の神バアルとその預言者たちとの戦いであったことが伺われる。アハブ王の妻イゼベルが、主の預言者の多くを迫害し殺したことも記されている。彼女を通じて、イスラエルの王と民衆は異邦人の神に惹かれつつあった。ユダヤの民衆は、彼らの祖先の神であるヤーウェと、イゼベルがもたらした異教の神バアルとの間で迷っていた。そのとき、エリヤはただ一人残ったイスラエルの主なる神の預言者として、バアルの預言者四百五十人に立ち向かい、民衆に決断を迫る。

いずれの神が真実の神であるか。燔祭のために犠牲にされた牛に、燃え尽くす火で応じた神こそが本当の神である。バアルの預言者たちも神の名を大声で叫んだ。その際に彼らは槍や剣で自分たちの体を傷つけながら祈祷する。彼ら独特の宗教の様子が描写されている。しかし、彼らの祈りには何の応答も無かった。だが、エリヤの祈りに対しては主は、空から火を降し、いけにえを焼き尽くすことによって応えられた。こうしてエリヤは勝利し、民衆もヤーウェこそが真の神であることを認め、バアルの預言者をすべて、キション川の辺で殺してしまう。(同第十八章)

しかし、ユダヤ民族の宗教を守り純化したエリヤも、アハブ王の妻イゼベルの報復を恐れて、シナイの山に遁れざるをえなかった。言うまでもなく、この山はモーゼが燃える柴の中から神の啓示として十戒を授かった場所である。エリヤは主のみ使いに助けられ、四十日四十夜歩きつづけてモーゼのかって立った神の山に登る。そして、モーゼと同じように神の啓示を受けて、エリシャ──神は救いという意味──を後継者として見出す。

エリヤの生誕や彼の家族、幼少期や青年期にのことについてなど、その他のエリヤの生涯については記されていない。ただ、彼が「毛皮の衣を着て、革の帯を締めていたこと」(列王記下第一章)と、彼の最期が「火の馬に引かれた火の戦車が現れ、そのときの竜巻によって天に引き上げられた」(同第二章)などと描写されているのみである。エリヤの生涯について知り得るのは、わずかにこれくらいである。

エリヤは後世にどのように認められているか。それについては、旧約と新約とをつなぐ、旧約の最後の預言書マラキ書の中では、主の来臨の前には預言者エリヤが遣わされると預言されている。(マラキ書第四章)

さらに新約聖書では、エリヤは洗礼者ヨハネとなって現れたという。(マタイ書第一章)そして、イエス自身も在世時には人々から「エリヤ自身の現れ」とも言われている。(マタイ書第十六章、ルカ書第九章)
また、イエスのご変容に際しては、モーゼとエリヤが現れてイエスと語り合ったと記されている。このように、イエスにとってもエリヤはモーゼと並ぶ重要な預言者とされている。(マルコ書第九章、マタイ書第十七章)

イエスご自身が故郷の人々に受け入れられなかった時にも、エリヤを引き合いに出して、イスラエルにも多くのやもめがいたにもかかわらず、その中の誰一人にもエリヤは遣わされずに、シドン地方のサレプタに住む異邦人である寡婦に遣わされたと皮肉に語っている。(ルカ書第四章)

そして、十字架上でイエスが最期に大声で叫ばれたときにも、人々の耳には、「エリヤを呼んでいるように」も聞こえたという。(マタイ書第二十七章)
パウロの神学の中では、エリヤは異教の神バアルに跪かなかったイスラエルの神に忠実な七千人を象徴する一人として取り上げられ、(ロマ書第十一章)、十二使徒の一人ヤコブには、エリヤが私たちと同じ人間でありながら、熱心に祈ったために三年半も雨が降らなかったとして、祈りの持つ大きな力を証明した預言者として取り上げている。新約聖書の中でも重要な預言者として評価されているといえる。

列王記や歴代誌に垣間見ることのできるエリヤやエリシャの生涯は、国内外のさまざまな敵や異民族との軋轢や殺戮にまみれた困難なものだった。この中東の困難な歴史は現代にまで続く。

昨日もテルアビブで自爆テロがあったばかりである。聖書の列王記や歴代誌に記録されているように、ユダヤ人の先祖たちと、シリア人やパレスチナ人の祖先であるアラム人、フェニキア人、モアブ人、ペリシテ人たちとの軋轢や戦争は、イスラエル・パレスチナ問題として、二十一世紀の今日にいたるまで連綿として続いている。かってバビロニアとしてエルサレムを陥落させた今日のイラクも、新生民主国家の建設に苦闘している。

 

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