2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
議論となる要点 (pfaelzerwein)
2007-04-26 15:12:52
TB有難うございました。些か難しいテーマですが拝読しました。議論となる要点だけを書き抜いてみます。


ヨーロッパの集合体は、その個の特徴を際立たせながらキリスト教的「文化的共通性」でEUとして存在していないか?

東アジアは、儒教的な世界観の文化的共通性を強調して大東亜共栄圏の集合体とすることが出来るか?

近代化の手順として、立憲体制の確立は、また国体をその基礎においたのは、主体的な導入への苦肉の策ではなかったのか?

インドや香港、フィリッピンなどの植民地は、近代的国家で日本より民主化している(いた)のか?

敗戦によって否定されたのは、「自由と民主主義」への動きでなく、時代遅れの植民地主義やそのもの国体ではないのか?

戦後の民主主義は、戦前の民権運動などとどのように違うのか?少なくとも天皇制を自ら護持した一方、そこに文化的な主体性は本当になかったのか?

欧米諸国の価値観とは「自由と民主主義」を指すのだろうが、その刻々と変化し変遷する価値観を、どのようにして確認して現実化していくのか?

キリスト教の意識なくして、「自由と民主主義」が無意味か?そもそも宗教改革の意味と近代の「自由と民主主義」は同義か?むしろ出自はフランス革命や市民革命ではないのか?

大ドイツ統一の市民革命が頓挫して、プロテスタンティズムの自由主義や工業化へと向けられたドイツが進むのも結局は遅れた植民地主義ではなかったのか?

プロテスタンティズムの実現として最も代表的なのは英米の社会や経済ではないのか?

消費社会としての日本や、躍進する中国の精神的な基盤や世界観は、プロテスタンティズムの影響を受けていないのだろうか?また、そうした批判が出ない理由は何処にあるのか?


こうして多くの疑問が生まれますが、ご指摘のように、これらが教科書の知識での言葉遊びに終わっていて、一般市民どころかジャーナリズムの日常の議論とならないのは、英米にも似た地理的な気質があるかもしれません。こうした高度に情報化した社会において大変不思議なことですが、やはり現実の国境に接しての生活感は異なるかもしれません。
返信する
「議論となる要点」について ()
2019-03-12 23:25:16
pfaelzerweinさん、拙文にも関わらず私の論考に対して的確な論点の指摘ありがとうございます。それに対する私のさしあたっての考えは、あらためて別の記事として投稿しておきました。また、ご批判ご批評のほどよろしくお願いいたします。

「議論となる要点」について、 pfaelzerweinさんへ。 - 作雨作晴 https://is.gd/8eLLSR
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。