行ってしまったのよ
彼女は行ってしまったの
一体どんな気分?
そうでしょうね
打ちのめされているのね
せいぜい幸運を祈っているわ
でも私には祈ってくれなくていい
私は自分でやっていける
あなたのせいで私はぼろぼろだから
あなたのせいで私はぼろぼろなの
擦り切れた道路みたい
何でもあなたの言うままにしたけれど
もう私は疲れ果てたわ
喜んでほしくてどんなことでもしたけれど
あなたは彼女のことが頭から離れない
あなたの頭は彼女のことでいっぱいなのよ
そしてあなたは間違ってる
むきになっている訳じゃないの
何かがおかしいわ
どうして私たちはお互いをまるで信用しないの
そんなふうに感じるのよ
これからもそう
あなたのせいで私はぼろぼろになってしまったから
私の心はすっかり擦り減ってしまったから
彼女はとても魅力的だし
なにも間違ってなんかいない
でも私はもううんざりなの
今夜もまた彼女のことを考えるなんて
ENGLISH
今日はまた旅から少し外れたお話です。先日(5/23)にビルボード・ライヴ東京でレイチェル・ヤマガタのコンサートを観に行って、頭から離れなくなった事柄があるので、それが消えてしまわないうちに書き残しておきたいと思います。最近、旅のことを書こうとしながら、たった1月半から2月経ったくらいでも、感情というのはそれがどんなに激しく強いものであっても、日々確実に失われるか、変容していってしまうのだということを痛感しています。どれだけ強い印象を受けたと思っても、どれだけ深く愛着を持ったと思っても、そう感じたこと自体は覚えていても、その時の感情というのはあっという間にどこかへ行ってしまう。ただ、時間が経つことで、経験がそれなりに自分の中で確かな形を持ったものとして消化吸収されるということは確かにあって、私はそうなった過去の出来事を文章にすることはしばしばこちらでも行なってきたのだけれど。今日の内容は、そうしたそれなりに片の付いた過去の出来事とつい数日前のコンサートという生々しい感情を伴った新しい出来事のミクスチャーになるのかなと思います。
今日取り上げた曲は、たぶん、レイチェルが日本で知られるきっかけになった2004年の作品で、よくラジオでもかかり、私もこの曲を通じて彼女のことを知るようになりました。私がその頃住んでいた場所のローカルラジオ局の1つにFM COCOLOというものがあるのですが、そこで「今月の1曲」に選ばれていたような気がする。でも出会ってすぐさまレコードを買いに行ったわけではなかったと思います。アルバム『Happenstance』(2004)のリリース日を見ると9月になっているけれど、私はもっと日が暮れるのが早く、寒くて暗い時期に彼女の声を聴いていた覚えがある。でも、それは思い込みなのかもしれない。
私が16歳か17歳くらいの頃に、母親を病気で失いかけたことがありました。今になってみると、本当にそんなことがあったなんて殆ど信じられないけれど、もう少し体力がなかったら、もう少し歳をとっていたら、助からなかったかもしれないとお医者さんは言っていたそうです。それは本当に最初の一瞬だけのことだったけれど、病自体はなかなか厄介なもので随分長い間、母は病院で過ごさなくてはならず、家が父子家庭のようになった時期がありました。父親と弟と私だけ。母は専業主婦だったし、私は学校でミニマムな時間しか過ごさない高校生だったから、家から母親がいなくなる、というのは私にとってかなり大きな変化でした。反発も強くしていたにも関わらず、話も相談もよくしていたので、そういう相手も家からいなくなってしまった。欠けた部分はぽっかりと穴が空いたままだったり、しょっちゅう残された3人のうちの誰かが足を踏み外してその中へ落ちていったりしていた。もちろん1番苦しんでいたのは母親だったはずだけれど。レイチェル・ヤマガタの"Worn Me Down"はそういう時期ととても強く結びついている1曲です。父が病院に寄ってから帰ってくるまでの間、ひとりで洗濯物をたたんだり、夕食を少し作ったりしていた時にかけていたラジオや、学校帰りに寄った病院で落ち合った父と家へ帰る時に車の中でかかっていたラジオでとてもよく耳にしていました。レイチェルの声は私が今まで出会ったことのないようなもので、それが何となく陥ったことのないその時の境遇の非現実性とぴったりと合っているようでした。ずっといつか覚めるのかなと思いながら、夢を見ているような毎日だった。だから、今でもあまりその当時のことが現実的に思い出せないのだと思う。忘れてしまう訳はないけれど、ぱっと手を伸ばしてそこにあることを感じられる記憶ではない。それから、歌詞の内容は当時はよく知らなかったけれど、"Worn Me Down"というタイトルにも共感を覚えたのだと思います。私は全然苦労を知らずに育っていたから、こんなことが割りに大きなダメージになってしまって、どうしてこんなめに遭わなくちゃいけないのかと思いました。もううんざりだ、と。そういう自分のやりきれない思いを代弁してくれる音楽があったというのは幸せだったと思います。
この母親の病にまつわる経験は、振り返ってみると私にとってブルース・スプリングスティーンとの出会いに匹敵するくらい大きな人生の1つの転機であったように思えます。ブルースとの出会いが雷に打たれるような一瞬の出来事だったのに対して、こちらは長い時間をかけて緩やかな変化をもたらすものではあったのだけれど。今、レイチェル・ヤマガタの"Worn Me Down"を聴いて当時のことを思い出す時に、私が最も強く感じるのは、母親が元気になって良かったな、ということでも、当時は辛かったな、ということでもなく、自分がどれだけ自己憐憫に浸った冷たい子供だったかということです。結局、私は「自分が擦り切れて」しまうことしか考えていなかったと思う。私は力になってくれない弟に腹を立てていたし、父の精神的な支えにもなれなかったし、母の立場や感情を想像できなかったし、早く治してくれない母の主治医のことを疑っていました。本当は弟は私よりも幼かったのだからもっと困ったことがいろいろあったかもしれないし、父にかけられる言葉は沢山あったのだろうし、母のことはとても傷つけたと思う。というよりも、傷つけてしまったことで、私は初めて自分が自分のことしか考えていないことを知りました。この頃の自分自身の怒りとか、家族の不満というものを直接肌身に感じることで、少しだけそれまでなかった想像力を身につけることができたのだと思います。だから私は優しさとか愛情というのは、あまり自然なものとは思っていない。エーリッヒ・フロムが「愛とはアート(技)である」というふうに書いているように、それは努力によって身に着けなくてはいけないし、経験されなければいけないし、やはり意志によって維持されなくてはいけない。少なくとも私にとってはそうです。"Worn Me Down"は、聴く度にここまでのことを毎回毎回考える訳ではないけれど、これまでずっと16,17歳くらいの頃の自分の人間的な弱さみたいなものを思い出させる曲でした。
その曲を、出会ってから8年経ってコンサートで聴くとは思いもしなかったけれど、これがとても素晴らしいものでした。レイチェルは、この公演がアジアツアー最後のものだから、何かラディカルなことをやらなくちゃね、と言って、4人のバンドメンバーの男性がズボンを脱ぐというのはどうだろうか、というむちゃくちゃな提案をしたところ、チェロ奏者の方が不穏な旋律を強い調子で奏で始め、ギタリストの男性は本当に半分脱ぐ、ということをやってのけてからやはり力強くギターをかき鳴らし始める。そこから流れ込むように演奏されたのが"Worn Me Down"でした。そういう冗談交じりの心安い雰囲気とこの曲が結びつけられたことが私にとってはとても「ラディカル」であったし、その演奏がすごくロック色の強いびっくりするほどパワフルなものだったことにひどく胸を打たれました。私は7,8年前に比べて、少しは強かになれたと思うし、そうあってほしいと願ってやまない。この日の演奏は、それが多かれ少なかれ叶っているのだということを裏付けてくれているような気がしました。レイチェルがこの曲を書いてから、この日までに一体どんな経験をしてきたのか私はまるで知らないし、これまでレコード以外でこの曲の演奏を聴いたことは1度もなかったけれど、彼女が今これほど活き活きとして吹っ切れた形でこの曲を歌い、奏でるのを聴いていると、17歳頃の自分の情けなさをやっと許す気持ちになれた気がしたし、人はちゃんと精神的な成長をささやかな形ではあっても遂げることができることを肯定されたようでした。それは結局自己満足に過ぎないのかもしれないけれど、より自分の望む自分に近づくことはできる。そしてそうなれば、少なくとも自分で「自分を擦り減らす」ことなく生きていける。
最後に、レイチェル・ヤマガタと旅のお話は完全に関わりのないもののように思われるのだけれど、実はちょっとしたつながりもありました。レイチェルのアジアツアー(韓国4公演+日本2公演)に参加したドラマーのリッチ・メルクリオさんという方は、実は前回・前々回に記事にしたマークととても親しい間柄だったのです。リッチはマークの2枚のレコードでドラムを叩き、共同プロデューサーとしてクレジットに名前を連ねています。コンサート自体は3月末に旅に出る直前に知って行くつもりにしていたので、マークから親しい友達が今度日本へ行くのだけれど、と聞いた時にはとても驚き、なんとも不思議な気持ちになりました。
彼女は行ってしまったの
一体どんな気分?
そうでしょうね
打ちのめされているのね
せいぜい幸運を祈っているわ
でも私には祈ってくれなくていい
私は自分でやっていける
あなたのせいで私はぼろぼろだから
あなたのせいで私はぼろぼろなの
擦り切れた道路みたい
何でもあなたの言うままにしたけれど
もう私は疲れ果てたわ
喜んでほしくてどんなことでもしたけれど
あなたは彼女のことが頭から離れない
あなたの頭は彼女のことでいっぱいなのよ
そしてあなたは間違ってる
むきになっている訳じゃないの
何かがおかしいわ
どうして私たちはお互いをまるで信用しないの
そんなふうに感じるのよ
これからもそう
あなたのせいで私はぼろぼろになってしまったから
私の心はすっかり擦り減ってしまったから
彼女はとても魅力的だし
なにも間違ってなんかいない
でも私はもううんざりなの
今夜もまた彼女のことを考えるなんて
ENGLISH
今日はまた旅から少し外れたお話です。先日(5/23)にビルボード・ライヴ東京でレイチェル・ヤマガタのコンサートを観に行って、頭から離れなくなった事柄があるので、それが消えてしまわないうちに書き残しておきたいと思います。最近、旅のことを書こうとしながら、たった1月半から2月経ったくらいでも、感情というのはそれがどんなに激しく強いものであっても、日々確実に失われるか、変容していってしまうのだということを痛感しています。どれだけ強い印象を受けたと思っても、どれだけ深く愛着を持ったと思っても、そう感じたこと自体は覚えていても、その時の感情というのはあっという間にどこかへ行ってしまう。ただ、時間が経つことで、経験がそれなりに自分の中で確かな形を持ったものとして消化吸収されるということは確かにあって、私はそうなった過去の出来事を文章にすることはしばしばこちらでも行なってきたのだけれど。今日の内容は、そうしたそれなりに片の付いた過去の出来事とつい数日前のコンサートという生々しい感情を伴った新しい出来事のミクスチャーになるのかなと思います。
今日取り上げた曲は、たぶん、レイチェルが日本で知られるきっかけになった2004年の作品で、よくラジオでもかかり、私もこの曲を通じて彼女のことを知るようになりました。私がその頃住んでいた場所のローカルラジオ局の1つにFM COCOLOというものがあるのですが、そこで「今月の1曲」に選ばれていたような気がする。でも出会ってすぐさまレコードを買いに行ったわけではなかったと思います。アルバム『Happenstance』(2004)のリリース日を見ると9月になっているけれど、私はもっと日が暮れるのが早く、寒くて暗い時期に彼女の声を聴いていた覚えがある。でも、それは思い込みなのかもしれない。
私が16歳か17歳くらいの頃に、母親を病気で失いかけたことがありました。今になってみると、本当にそんなことがあったなんて殆ど信じられないけれど、もう少し体力がなかったら、もう少し歳をとっていたら、助からなかったかもしれないとお医者さんは言っていたそうです。それは本当に最初の一瞬だけのことだったけれど、病自体はなかなか厄介なもので随分長い間、母は病院で過ごさなくてはならず、家が父子家庭のようになった時期がありました。父親と弟と私だけ。母は専業主婦だったし、私は学校でミニマムな時間しか過ごさない高校生だったから、家から母親がいなくなる、というのは私にとってかなり大きな変化でした。反発も強くしていたにも関わらず、話も相談もよくしていたので、そういう相手も家からいなくなってしまった。欠けた部分はぽっかりと穴が空いたままだったり、しょっちゅう残された3人のうちの誰かが足を踏み外してその中へ落ちていったりしていた。もちろん1番苦しんでいたのは母親だったはずだけれど。レイチェル・ヤマガタの"Worn Me Down"はそういう時期ととても強く結びついている1曲です。父が病院に寄ってから帰ってくるまでの間、ひとりで洗濯物をたたんだり、夕食を少し作ったりしていた時にかけていたラジオや、学校帰りに寄った病院で落ち合った父と家へ帰る時に車の中でかかっていたラジオでとてもよく耳にしていました。レイチェルの声は私が今まで出会ったことのないようなもので、それが何となく陥ったことのないその時の境遇の非現実性とぴったりと合っているようでした。ずっといつか覚めるのかなと思いながら、夢を見ているような毎日だった。だから、今でもあまりその当時のことが現実的に思い出せないのだと思う。忘れてしまう訳はないけれど、ぱっと手を伸ばしてそこにあることを感じられる記憶ではない。それから、歌詞の内容は当時はよく知らなかったけれど、"Worn Me Down"というタイトルにも共感を覚えたのだと思います。私は全然苦労を知らずに育っていたから、こんなことが割りに大きなダメージになってしまって、どうしてこんなめに遭わなくちゃいけないのかと思いました。もううんざりだ、と。そういう自分のやりきれない思いを代弁してくれる音楽があったというのは幸せだったと思います。
この母親の病にまつわる経験は、振り返ってみると私にとってブルース・スプリングスティーンとの出会いに匹敵するくらい大きな人生の1つの転機であったように思えます。ブルースとの出会いが雷に打たれるような一瞬の出来事だったのに対して、こちらは長い時間をかけて緩やかな変化をもたらすものではあったのだけれど。今、レイチェル・ヤマガタの"Worn Me Down"を聴いて当時のことを思い出す時に、私が最も強く感じるのは、母親が元気になって良かったな、ということでも、当時は辛かったな、ということでもなく、自分がどれだけ自己憐憫に浸った冷たい子供だったかということです。結局、私は「自分が擦り切れて」しまうことしか考えていなかったと思う。私は力になってくれない弟に腹を立てていたし、父の精神的な支えにもなれなかったし、母の立場や感情を想像できなかったし、早く治してくれない母の主治医のことを疑っていました。本当は弟は私よりも幼かったのだからもっと困ったことがいろいろあったかもしれないし、父にかけられる言葉は沢山あったのだろうし、母のことはとても傷つけたと思う。というよりも、傷つけてしまったことで、私は初めて自分が自分のことしか考えていないことを知りました。この頃の自分自身の怒りとか、家族の不満というものを直接肌身に感じることで、少しだけそれまでなかった想像力を身につけることができたのだと思います。だから私は優しさとか愛情というのは、あまり自然なものとは思っていない。エーリッヒ・フロムが「愛とはアート(技)である」というふうに書いているように、それは努力によって身に着けなくてはいけないし、経験されなければいけないし、やはり意志によって維持されなくてはいけない。少なくとも私にとってはそうです。"Worn Me Down"は、聴く度にここまでのことを毎回毎回考える訳ではないけれど、これまでずっと16,17歳くらいの頃の自分の人間的な弱さみたいなものを思い出させる曲でした。
その曲を、出会ってから8年経ってコンサートで聴くとは思いもしなかったけれど、これがとても素晴らしいものでした。レイチェルは、この公演がアジアツアー最後のものだから、何かラディカルなことをやらなくちゃね、と言って、4人のバンドメンバーの男性がズボンを脱ぐというのはどうだろうか、というむちゃくちゃな提案をしたところ、チェロ奏者の方が不穏な旋律を強い調子で奏で始め、ギタリストの男性は本当に半分脱ぐ、ということをやってのけてからやはり力強くギターをかき鳴らし始める。そこから流れ込むように演奏されたのが"Worn Me Down"でした。そういう冗談交じりの心安い雰囲気とこの曲が結びつけられたことが私にとってはとても「ラディカル」であったし、その演奏がすごくロック色の強いびっくりするほどパワフルなものだったことにひどく胸を打たれました。私は7,8年前に比べて、少しは強かになれたと思うし、そうあってほしいと願ってやまない。この日の演奏は、それが多かれ少なかれ叶っているのだということを裏付けてくれているような気がしました。レイチェルがこの曲を書いてから、この日までに一体どんな経験をしてきたのか私はまるで知らないし、これまでレコード以外でこの曲の演奏を聴いたことは1度もなかったけれど、彼女が今これほど活き活きとして吹っ切れた形でこの曲を歌い、奏でるのを聴いていると、17歳頃の自分の情けなさをやっと許す気持ちになれた気がしたし、人はちゃんと精神的な成長をささやかな形ではあっても遂げることができることを肯定されたようでした。それは結局自己満足に過ぎないのかもしれないけれど、より自分の望む自分に近づくことはできる。そしてそうなれば、少なくとも自分で「自分を擦り減らす」ことなく生きていける。
最後に、レイチェル・ヤマガタと旅のお話は完全に関わりのないもののように思われるのだけれど、実はちょっとしたつながりもありました。レイチェルのアジアツアー(韓国4公演+日本2公演)に参加したドラマーのリッチ・メルクリオさんという方は、実は前回・前々回に記事にしたマークととても親しい間柄だったのです。リッチはマークの2枚のレコードでドラムを叩き、共同プロデューサーとしてクレジットに名前を連ねています。コンサート自体は3月末に旅に出る直前に知って行くつもりにしていたので、マークから親しい友達が今度日本へ行くのだけれど、と聞いた時にはとても驚き、なんとも不思議な気持ちになりました。
その時に聴いた音楽はより印象深くなるのだと思います。
人は強くなければ優しくなれないというけれど、自分が弱くても優しくなると思う。両方だと思う。
愛は意思を持って維持するもの。なるほどと思います。
僕は大切な時に逃げてしまった。今も思い出す。
でもそれは今ではお互いの成長への糧になっていると思いたいです。
こうして昔いた自分を今あるしかたでまとめられるということは、きっと成長したとか、そういうことだと思います。もしそうでないとしても、asburyさんは昔も今も何かに向けて精一杯生きていて、それだけで別に恥ずかしいようなことはひとつもないのではないかとおもいました。
それにしても人生の多くの場面で音楽に出会い、癒され、刺激をうけてこられたのですね。asburyさんは、ずっと昔の「私の音楽の聴き方」という記事で(これは、僕のお気に入りの記事なのです(恥))、音楽を聴くときに、おもに歌い手の人がどのような背景のもとで歌い、それを歌うことでどのような変化をこうむるのかを気にする、とおっしゃっていましたが、asburyさん自身の変化――それは副次的に生じる変化かもしれませんが――も気になさっているのかなと思いました。それは、その場で音楽を楽しむだけでなく、何か自分のことを追求するために、という目的もあるのかなぁと。あ、これはものすごく形式的に浮かんだ疑問なので、率直な感想をお伺いしたいかもしれません☆
自分は、小さい頃に音楽って全く聞きませんでした。親が歌謡曲が結構好きだったので、「チャンピオン」とか「川の流れのように」は覚えていますが、当時感じていた言葉にならない覚束なさや名前のない恐怖みたいなものに、かたちをあたえ(強い反発やいらだち、時に深く傷つくことであったとしても、感情を共有し合えれば形が生まれるのだと思いました)、その歌に心を預けたり通わせたり代弁してもらったりするような経験は、僕にはありませんでした。だから、小さいころに自然に音楽に出会い、耳を傾け、信じることができたasburyさんが、とてもうらやましくも思えます。これまで誰かをうらやましいと思ったことってないし、結局僕は今の自分以外のものであることは微塵も望まないのだけど。
ええと、なにを書きたかったということはなかったので、うまくまとまらずすみませぬ。長々すみません。私はあまりまとまりのない性格なのでいつもこうなのです。でも、こうしてコメントを残させていただけてとてもうれしいです!
前回の記事では、夜に慰められるために昼を過ごすのは…という僕の言葉(愚痴ですね。はぅ)にたいして新しい考え方をいただき、ありがとうございます!
でも、こう、どうしても僕にとっては、美しい音楽を聴いたり、好きな本を読んだりお酒を飲んだりするのって、何かの褒章としてなんですよね。だから、そっちが主体になっちゃうと、ちょっとだめみたいです。目の前の美しいものが自分に値するのか、自分はしょせん金を出しただけじゃないか、って思っちゃうのです。
僕が受ける様々なものを受け取る僕がだめだと、結局なにを受け取っても、自分でけがしてしまうというか。ので、夜になぐさめられつつ、昼の時間にもっと胸を張れるようにしたいです!がんばります!ありがとうございます!!
「愛は技である」というのは苦労人の言葉という感じで説得力がありますね。かつて、ブルースは人付き合いが苦手で、相手の気持ちを害する自分の言動に悩み、 またミュージシャンであることを逃げ口上にしてきた代償に苦しんでいましたね。それで、「Human~」「Lucky~」の頃、自分自身を根本から見つめ直し、本腰を入れて自己改造に取り組みました。プロの手を借りて。大金を費やして。パティも、ブルースの狡さには容赦がなく、エヴァンまでもがパパにダメ出ししていたみたいです。現在のブルースの高いコミュニケーションスキルは、その当時の徹底した解体と再構築により、天性の優しさを上手に表出する術を身につけた結果だと思います。そうした意味で、ブルースの愛も技術であると言える気がします。愛を技術と考えた方が、生きることは断然面白くなりますね。
最後に私事ですみませんが、Twitterを辞めようと思っています。見え隠れする自分の自己顕示欲に吐き気を覚えて(笑)。創作に専念したいというのもあります。貴ブログへのコメントも今回で最後とします。
Bruce’s voice always resonates throughout my life at any given moment.
短い期間でしたが、同じ対象におそらく同じように心いっぱい思いを抱く方と交流でき、得るものが多くありました。有り難うございました。
今回の記事は何だかあまりにもパーソナルな気がして、一体こんなことを外に向けて書いてどうするんだろう…と思ったりもしたので、こうしてコメントを頂けてとても嬉しかったです。ありがとうございます。
kantenbouさん
弱くても優しくなれる…、そうであればいいなと思います。殆どお会いしたことがないのに、私に勝手にこんなふうに言われるととても心外に思われるかもしれませんが、私はkantenbouさんは芯の部分でとても強かだと思っています。6割理論とか、ブルースに対する熱意だとか、自分が拠るべき信条をきちんと持たれていて、人への接し方もご自身を常に省みながら、とても丁寧に考えていらっしゃると思います。国立で少しだけお会いした時にも、何てあたりの柔らかな優しい方なのだろう、と思いました。kantenbouさんはご自分の強かな部分を持っていらっしゃるから、弱い人もきっと優しくなれる、という広い心を持つことができるのではないかな…と感じています。私はまだそれほどの心の広さは全然持てていないような気がする。kantenbouさんにはどこか背筋を正されるような気持ちになることがよくあるのです。逃げてしまった、と思っていらっしゃることについても、お互いにとって成長の糧になっているといい、と前向きに考えられるのは、やっぱり1つの強さに外ならないと思いました。自分を責めたり、後悔し続けることだってできるのだと思うと。
こちらこそコメントを頂けて本当に嬉しいです。そんなに昔の記事まで遡ってくださったなんて恥ずかしいようなありがたいような気持ちです。4年の間に変化があったようで、「1番共感するのはブルースじゃない」と書いてあるのを読んでぎょっとしました。今は確実にブルースになっています。でも、それ以外の部分ではあまり変わっていないと思います。
自分自身の変化は確かに気にしているのかもしれないです。私は自分が停滞することがすごく嫌なのかもしれない。毎日生きていて、全然何も変わらないというか、現状維持をずーっと続けていく、ということに抵抗があるみたいです。自分の核にブレない部分がある一方で、やっぱり8年経って何も成長を遂げていないとしたら、一体自分は何をやってきたんだろう、と思ってしまう。でも、その成長というのはそんなにも劇的なものでなくても良くて、1つでも新しいことを知る、とかそういうことの積み重ねで良いとも思っています。だから、音楽を聴く時に常に「あッ、これが新しい!」とかいうふうには思わないのだけれど、でも、この音楽を知っている自分と一生知らないままの自分はきっと違うはずだ、とは思うし、はっきりと感じる変化がいつ訪れるかは誰にも分からないから、そういうチャンスを逃さないようにしたいとは思っていると思います。でも、小さな積み重ねで良いと思っているせいで、新しいCDを1枚聴いたり、映画を1本観ただけで、「アー、今日は充実した!」と思ってしまうという怠惰さの弊害もあります…。
自分の感情を代弁したり、かたちにしてくれるものがあったというのは確かに幸せなことだと思います。拠りどころでもあってきたのだろうなと思います。それは多くの場合、思い込みにすぎない部分もあっただろうとは思うのだけれど。でも、それは感情の1つの処理の仕方に過ぎないと言えばそうなのかな、という気もするし、かいたくさんにはきっと他の何かがあったのではないかな、とも思います。
かいたくさんは、ご自分をかなり律する方なのだな…と思いました。アズベリーパークで、実はそういう方に1人出会ったのです。彼もとても強かで立派な眩しいくらいの方でした。かいたくさんもきっとそういう方なのだろうなと思います。きっとお昼の時間もいずれものにしてしまわれるような気がします。がんばってください!
私はかなり孤独を好む傾向にあると思います。それは現在進行形での悩みでもあります。以前、マーヴェさんには共感して頂いたことでしたが、自己完結的すぎて他者になかなかコミットできない、という部分は本当に何とかしないといけないと思っているのだけれど、一朝一夕には解決できないです。「愛とはアートである」というのも、そういう性格だから効いてくる言葉でもあるのかもしれません。もっと素直に愛情が湧き出てくるような愛情深い人も世の中には結構いるのかもしれない。でも私も怠ける言い訳ではなく、ブルース自身が40代になるまで、そういう部分で悩んでいたということには、どこか慰められます。一朝一夕には解決できないけれど、8年とか、10年とかをかけて40代くらいまでに、或いは一生かけて、技を磨いていけばいいんだと思えるからです。
そして今回がマーヴェさんとお話できる最後なのですね…。twitterもこちらへのコメントももう拝読できない…と思うととても寂しいです。『Wrecking Ball』のリリースの頃からでしたので、たった数か月だけでしたけれど、彗星のようにtwitterに登場されたマーヴェさんの存在感はとても大きくて、辞めてしまわれたらぽっかりと穴が空いてしまいそうです。ブルースが来日したら、マーヴェさんとニャロメさんやkantenbouさんやみなさんで会場でお祝いできたらいいな…と密かに夢を持っていたのだけれど.。o○でも、twitterを辞めたからといって、マーヴェさんがいなくなってしまう訳ではないですし、私達がいて、あなた方がいるところに、姿はなくても彼らもまたいるのだ、とブルースが言う時にはマーヴェさんのこともこれからきっと思い出します。これまで沢山の温かく、素敵なお言葉をありがとうございました。マーヴェさんのこれからのご活躍もお祈りしています。
マークのエピソードなのですが、自分で選んだ道には後悔せずに、たとえ成功は保証できないとしても自由を感じれるものだと思います。
自分よりasburyさんの方がよほど色々な選択があると思います。
こんな事書いておきながら意気地なしなのでリスキーな道を選べるというだけでも憧れちゃいます。
今回のお話ですが、自分には耳の痛い話です・・
孤独を好むという点、自己憐憫に浸るという点、後学校生活がミニマムというのも似ています笑
特に同意したいのは愛とは技であるということですね。
文脈が違いますがWhat others may want for free I'll work for your loveということですね。
自由も愛も、何というか傲慢不遜な性格を暴露することになりますが、こうした西洋の概念はどうしても日本では軽く扱われている気がしています。じゃあお前はどうなんだと言われると自信はないですが、どちらも努力しなければ安々と手に入るものではないと考えています。
まだまだ理解不足ですがキリスト教の本質もこうした点にあるのではないのかと思います。同時に口では言うほど簡単ではなく、そしてそう思えば思うほど自分が高みに登ったような勘違いをし、努力しない人間を軽薄とみなしたりするというのがあるので、他者に求めることではないとも思いますが・・
ただどちらにせよこうした自己への批判の眼差し、酷薄な性質を認識して改めようとする姿勢は殉教者的な姿勢ということで、自分はそうした人を信頼します。こうした記事を読めることは貴重だと思います。
Brilliant disguiseでのおはなしにも関連しますが、仰るとおり自分も愛情などは自然なものではなく常に身につけようと焦がれるものだと思います。だからこそよく歌われる純粋な感情なんて信じていないし、酷薄さを意識していないだけだ、などと調子に乗る一方で友人にも元来意識せずとも自然に優しい人などもいるので単に自己肯定してるだけかもしれません。
感情は確かに薄れ行くものですが、こうして過去の自分の弱さを今まで意識し、今こうして記事にできる成長をなされたという事実に励まされます。自分も強く残したい記憶、核となるものを忘れないようにしたいです。
長文失礼いたしました。
「あの頃の自分」を思い起こす、ということは自分もよくあります。
そのことが悪かった、良かった、と思うより、そのことも自分の一部になっているのだ、と思うことが多いです。
「愛とはアートである」大人の言葉だと思います。
折角とても丁寧なコメントを頂いていたのにこんなにもお返事が遅くなってしまって本当にごめんなさい!
こういう問題(?トピック、というべきでしょうか)は、人によるのかもしれないけれど、とにかく自分自身との絶えざる対話でしかなくて、自己肯定と自己批判の繰り返しでなかなか前に進めているのか、正しい方向(それがどういう意味であるにせよ)に進めているのか分からないものだな、ということを改めてBBさんのコメントをお読みして感じました。それでも格闘し続けるしかないし、その中でフロムの言葉やブルースの言葉みたいに何か指針になるものに出会っていくのだと思うのだけれど…。BBさんは別の部分で、偶然、私と「似ている」ということを今回のコメントの中で書いてくださっていましたが、BBさんの仰られることの中には、まるで自分を見ているようだ、と思う部分が時々あります。考え方の内容が、というよりも行きつ戻りつの自分との対話のあり方が、です。"Brilliant Disguise"もそういう意味で私も印象に残っています。
自由も愛することについても、結局のところは真実として正しい答えはどこにもないのであって、こだわる理由は自分で納得できる自分を追求する、という1点に尽きるのだけれど、そのことについてこうして誰かと言葉を交わせるのはとても貴重な機会であるように思います。そして、「励まされる」と書いてくださったことがとても嬉しかったです。自分の試行錯誤でしかないはずのものが何か自分以外のところで何か意味を持ち得るというのは、滅多にないような気がするし、でもそれでもこうして文章にしているのだから、意味を持つといいなという気持ちはどこかに自分の中であるのかもしれない。私もBBさんもどこへ向かっているのか誰にも自分にも分からないけれど、「the place we really want to go」に向かって走っているのですね、きっと…!あと、"I'll Work for Your Love"のことは、今回の記事を書いていて頭に浮かばなかったけれど、まさに文脈にぴったりくる1曲で、はっとしました。この曲の内容もブルースらしくてとても好きです。