これはあの当時のちょっとした思い出
Run DMCのことは決して忘れない
ビーチで過ごした
楽しかった時のこともみんな
紙コップから飲み物をすすったり
砂浜でいちゃついたり
俺は夢を見ているのかな
教えてくれよ
覚えてるかい
長く長く続いた夏を
6月から9月まで
歌を歌い尽くす俺達の時間だった
覚えてるかい
みんな一緒にいたよな
太陽の下で大人になった
俺達がやったことはみんな絶対に忘れない
KROQから大音量で流れてくるクールな80's
カルチャー・クラブに
クラッシュ、メン・ウィザウト・ハッツなんかが流れていたっけ
今思うとちょっと笑えるけど
昔に引き戻される
いつもラジオに合わせて歌って
自分達で大笑いしていた
夢見るのをやめたくない
教えてくれよ
時を巻き戻したい
何故って言葉にはとても多くの意味合いがあるから
誰にも気に留めていなかった時でも
俺の気持はいつも知っていた
今夜は一緒にいて 俺ひとりで思い出に耽らせないでくれ
結局またみんなを思って寂しくなるばかり
君は寂しく思ってくれているかい
俺がいなくて
ENGLISH
今日は寄り道をして、ブルース・スプリングスティーンとも、彼のことが好きな若いバンドとも関係のないお話。夏が終わってしまう前に、一夏に1回くらいは夏らしい曲を取り上げようかなと思います。
今日取り上げたSugar Rayの"Under the Sun"が収録されたアルバム『Sugar Ray』(2001)を買ったのは、中学1年生の夏休みだと思っていたけれど、改めてアルバムの発表された年を確認してみると、中学2年生の時でした。そうして時の記憶は次第に曖昧に、不確かになっていくけれど、それでも幾つかのことは不思議なくらい鮮明に覚えている。例えばこのCDを買ったのは、千葉県にある母方の祖父母の家を夏休みに家族で訪ねていた時だったこと。その家にはCDプレーヤーというものがなくて、伯母か誰かがプレゼントしたプレーステーションが唯一CDを再生できる機械だったので、私はテレビの画面にサイケデリックな映像が渦巻くのをぼんやりと眺めながら、1人で買ったばかりの『Sugar Ray』を聴いていたこと。そのCDを買ったお店の横には31アイスクリームが併設されていたこと。帰り道の蜃気楼が出ていたかもしれないくらい熱いアスファルトの下り坂の道のこと。CDを買って、何だか誇らしい気持ちでその下り坂を歩いて帰ったこと。それから、バンドの名前をアルバムに付けるのは、デビュー作ですることだと思っていたので、4作目でセルフタイトルのアルバムを出すこともあるのか、と驚いたこと。同時多発テロより前の頃だと思うと、私にとっては殆ど紀元前のように感じられるほど昔だけれど、このアルバムはその頃から変わらず好きでもう10年間、聴き続けています。カリフォルニアのアイデンティティを前面に出したシュガー・レイの歌詞や音楽や、その後、2003年、2005年と私がまだラジオをよく聴いていた時期に彼らが新しい楽曲を発表したのが大体初夏の時期だったためでもあるだろうけれど、やっぱり、この10年前の夏の少しも特別ではないけれど、鮮明に焼きついた光景のために、特に夏になると聴きたくなるのです。
だから、このアルバムとの関係という点では、私は10年前と変わらないものを持っていると言えるのかもしれません。この曲の主人公がRun DMCやクラッシュを思い出すように、私もシュガー・レイのかかる夏の日を覚えている。でも、その一方で10年の間に千葉に住んでいた祖父母はどちらも亡くなり、私はもう長い間、その町を訪れていない。それに、31アイスクリームはとっくの昔に潰れてしまっていたし、あのCD屋さんがどうなったのかも覚えていない。日本では夏休みは、6月から9月まで、とシュガー・レイが歌う長さの半分しかなかったから、私はいつも物足りなく感じていたけれど、毎年決まってやって来ることについては殆ど永遠のように感じられた。私は6年制の中高一貫校に通っていたので、この同じ夏休みが後、3回、4回も続くなんて考えただけでも気が遠くなりそうなことでした。そんな時、頭の中にあった夏休みはきっと毎年同じことをする夏休みだったのだろうけれど、結局必ずしもそうはならなくなった。そして、"Under the Sun"という曲は、本当は10年前からずっと、必ずしもそうはならなくなることを歌い続けていたのです。それは何だかとても不思議な感覚をもたらす事実のように思えます。長い長い夏は毎年やって来ていたのに、いつか来なくなってしまう。でも、それはそういうものであって、そのちょっとした郷愁のような感情はとても救い難い、というよりは、ある日の夕方、或いは夜、ふと心を捉われてしまうようなものでしかない。それが新しい夏の一場面になったというだけのこと。"Under the Sun"はそんな気負いのないささやかな、でも胸を締めつけられるような夏の感覚を実にぴったりと閉じ込めて、悲しすぎも、楽しすぎもしないところに何とも心を惹かれます。これから夏の終わりにかけて、益々季節はこの曲がしっくりくるようになりそうです。
Run DMCのことは決して忘れない
ビーチで過ごした
楽しかった時のこともみんな
紙コップから飲み物をすすったり
砂浜でいちゃついたり
俺は夢を見ているのかな
教えてくれよ
覚えてるかい
長く長く続いた夏を
6月から9月まで
歌を歌い尽くす俺達の時間だった
覚えてるかい
みんな一緒にいたよな
太陽の下で大人になった
俺達がやったことはみんな絶対に忘れない
KROQから大音量で流れてくるクールな80's
カルチャー・クラブに
クラッシュ、メン・ウィザウト・ハッツなんかが流れていたっけ
今思うとちょっと笑えるけど
昔に引き戻される
いつもラジオに合わせて歌って
自分達で大笑いしていた
夢見るのをやめたくない
教えてくれよ
時を巻き戻したい
何故って言葉にはとても多くの意味合いがあるから
誰にも気に留めていなかった時でも
俺の気持はいつも知っていた
今夜は一緒にいて 俺ひとりで思い出に耽らせないでくれ
結局またみんなを思って寂しくなるばかり
君は寂しく思ってくれているかい
俺がいなくて
ENGLISH
今日は寄り道をして、ブルース・スプリングスティーンとも、彼のことが好きな若いバンドとも関係のないお話。夏が終わってしまう前に、一夏に1回くらいは夏らしい曲を取り上げようかなと思います。
今日取り上げたSugar Rayの"Under the Sun"が収録されたアルバム『Sugar Ray』(2001)を買ったのは、中学1年生の夏休みだと思っていたけれど、改めてアルバムの発表された年を確認してみると、中学2年生の時でした。そうして時の記憶は次第に曖昧に、不確かになっていくけれど、それでも幾つかのことは不思議なくらい鮮明に覚えている。例えばこのCDを買ったのは、千葉県にある母方の祖父母の家を夏休みに家族で訪ねていた時だったこと。その家にはCDプレーヤーというものがなくて、伯母か誰かがプレゼントしたプレーステーションが唯一CDを再生できる機械だったので、私はテレビの画面にサイケデリックな映像が渦巻くのをぼんやりと眺めながら、1人で買ったばかりの『Sugar Ray』を聴いていたこと。そのCDを買ったお店の横には31アイスクリームが併設されていたこと。帰り道の蜃気楼が出ていたかもしれないくらい熱いアスファルトの下り坂の道のこと。CDを買って、何だか誇らしい気持ちでその下り坂を歩いて帰ったこと。それから、バンドの名前をアルバムに付けるのは、デビュー作ですることだと思っていたので、4作目でセルフタイトルのアルバムを出すこともあるのか、と驚いたこと。同時多発テロより前の頃だと思うと、私にとっては殆ど紀元前のように感じられるほど昔だけれど、このアルバムはその頃から変わらず好きでもう10年間、聴き続けています。カリフォルニアのアイデンティティを前面に出したシュガー・レイの歌詞や音楽や、その後、2003年、2005年と私がまだラジオをよく聴いていた時期に彼らが新しい楽曲を発表したのが大体初夏の時期だったためでもあるだろうけれど、やっぱり、この10年前の夏の少しも特別ではないけれど、鮮明に焼きついた光景のために、特に夏になると聴きたくなるのです。
だから、このアルバムとの関係という点では、私は10年前と変わらないものを持っていると言えるのかもしれません。この曲の主人公がRun DMCやクラッシュを思い出すように、私もシュガー・レイのかかる夏の日を覚えている。でも、その一方で10年の間に千葉に住んでいた祖父母はどちらも亡くなり、私はもう長い間、その町を訪れていない。それに、31アイスクリームはとっくの昔に潰れてしまっていたし、あのCD屋さんがどうなったのかも覚えていない。日本では夏休みは、6月から9月まで、とシュガー・レイが歌う長さの半分しかなかったから、私はいつも物足りなく感じていたけれど、毎年決まってやって来ることについては殆ど永遠のように感じられた。私は6年制の中高一貫校に通っていたので、この同じ夏休みが後、3回、4回も続くなんて考えただけでも気が遠くなりそうなことでした。そんな時、頭の中にあった夏休みはきっと毎年同じことをする夏休みだったのだろうけれど、結局必ずしもそうはならなくなった。そして、"Under the Sun"という曲は、本当は10年前からずっと、必ずしもそうはならなくなることを歌い続けていたのです。それは何だかとても不思議な感覚をもたらす事実のように思えます。長い長い夏は毎年やって来ていたのに、いつか来なくなってしまう。でも、それはそういうものであって、そのちょっとした郷愁のような感情はとても救い難い、というよりは、ある日の夕方、或いは夜、ふと心を捉われてしまうようなものでしかない。それが新しい夏の一場面になったというだけのこと。"Under the Sun"はそんな気負いのないささやかな、でも胸を締めつけられるような夏の感覚を実にぴったりと閉じ込めて、悲しすぎも、楽しすぎもしないところに何とも心を惹かれます。これから夏の終わりにかけて、益々季節はこの曲がしっくりくるようになりそうです。
和訳を知りたく ここに 辿り着きました
Under the Sun は 自分が 育った世代に ハマる曲 当時 2001年に 聴いた時 そうそう 曲に 出てくる アーティスト ラジオから 聴いた聴いた
アメリカ人 日本人 アーティスト思い出
一緒なんだなぁ〜と
どうですか? 20年以上経ち アーティストの 思い出 何処かで 聴いたなぁ〜
と 曲のような 思い出 出来ていますかね?