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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Bruce Springsteen "Livin' in the Future"

2013-02-10 23:42:28 | Magic
不吉な風に乗って便りが舞い込む
俺と君は互いに
もう2度と会うことがないそうだ
それが来ることは分かっていたんだ
それでもなおショックで俺は呆然としていた
俺たちがキスをした時にも
君の舌は血の味がしたんだよ

心配するなよ、ダーリン くよくよすることないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何も起こっていないんだから
心配するなよ、ダーリン 悩むことないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから

選挙の日に目覚めると 火薬で空が灰色に霞んでいた
汚れた太陽のもと、俺は口笛を吹いて時間をやり過ごした
そして日の沈む頃
お前が歩いて町を通り抜けて行く
ブーツの踵が立てる音は
まるで銃のシリンダーの回転音のよう

大地はぼろぼろになり 海面は太陽に向かって高く上昇した
俺はお前に心を開き、すっかりずたずたにされた
俺の船「リバティ」は血のように赤い水平線の向こうへ消えた
公園の管理人は門を開け 野犬を中で走り回らせた

俺は町を歩いて行く 日暮れに途方に暮れたカウボーイ
自分の未熟な部分を抑え 地面の音に耳を澄ませる
信仰は粉々に崩れた  あれは轟く稲妻なのか
それともなにか正しいものが沈んでいく音なのか

心配するなよ、ダーリン くよくよすることないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何も起こっていないんだから
心配するなよ、ダーリン 悩むことないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから

ENGLISH


昨年の大晦日に横浜の街を歩いていたら、ブルース・スプリングスティーンの顔が店先の小さなDVDプレーヤーの画面に映っているのが目に入りました。いわゆるブートレグ屋さんというのか何なのかよく分からないけれど、ブルースのものを含めてコンサート映像を収録した非公式のDVDをいろいろ売っているお店で、流れていたのは、2004年の『Vote for Change』の映像でした。品揃えを眺めていると、懐かしい2007年9月28日にニューヨーク市のロックフェラー・プラザでアルバム『Magic』(2007)のプロモーションのために『ザ・トゥデイ・ショウ』に出演した時のフッテージを収めたものがあり、1000円台と安かったので、つい買ってしまう。たぶん、YouTubeにもある映像だと思うのだけれど、ブルースのものを見かけるとつい自分が買わなければいけないような気になってしまう。おかげで見たこともないほど、格好悪いブルースのポストカード(100円)までその日は買って帰ってしまったのでした。

今回取り上げた"Livin' in the Future"も、アルバム『Magic』からの1曲で、番組の中でも演奏されていました。この曲は、歌詞がところどころ難しく、「心配するなよ、俺たちは未来に生きていて、こんなことはまだ何も起こっていないんだから」というフレーズの意味するところもはっきりとは理解できない気がしたけれど、好きな作品だったし、その後のツアーの中でもこの曲を演奏する時のブルースを見ていると、彼にとっても大事な意味のある曲なのだということが感じられました。また、私にとっては『Magic』というアルバム自体が、何故かはよくわからないけれど少し特別な存在でもあります。それは、"Long Walk Home"三浦久さんの対訳を読む前に自分で訳してみたくて、このブログを始めたからかもしれないし、ブルースを好きになり始めてから、最初に発表されたいわゆる「Eストリート・バンドらしい」アルバムだったからかもしれないし、"Long Walk Home"と"Girls in their Summer Clothes"というブルースの曲の中でも10本か15本の指には入りそうなくらい好きな曲が2曲含まれているからかもしれない。

『Wrecking Ball』(2012)は、今までで最も怒りに満ちたアルバムと言われたけれど、『Magic』も振り返ると随分、怒りと苦みに満ちたところがあったと思います。『ザ・トゥデイ・ショウ』で、"Livin' in the Future"を演奏する前にブルースは次のようなことを言っています。

「この曲は"Livin' in the Future"と言うんだけど、本当は今まさに起きていることについて歌っている。部分的にはアメリカの俺たちが好きなところについての歌、とも言える。チーズバーガーとか、フレンチ・フライとか、レッドソックスと闘うヤンキースとか権利章典、Vツインバイク、ティム・ラッサートの髪型とか、トランス脂肪酸とか、ジャージー・ショアとかね。俺たちは、女性がマット・ローアーが好きなようにこうしたものが好きなんだ。でも、この6年の間に、俺たちはアメリカの風景に次のようなものも付け加えざるを得なくなった。(CIAによるテロ容疑者の)国家間秘密移送、違法な盗聴、投票妨害、人身保護請求の否定、ニューオリンズという素晴らしい都市とそこに住む人々の放置、憲法への攻撃、そして悲惨な戦争で失われた男女の尊い命などだ。この曲は、起こるべきではないことが、今まさにここで起きていることについて歌ったものだ。だから今、俺たちはそれに対して何か行動をする計画を立てなくちゃならない。俺は、それについて歌うことを計画するよ。今は、朝早い時間だけれど、もう遅いんだ。だから一緒に俺たちに加わってほしい」(参考/拙訳)。

この曲についての解釈を少しオンラインで見てみると、未来のことやもう起きてしまったことに心を痛めていないで、今を生きろという歌だと書いている人もいましたが、私はそういう歌ではないと思う。むしろ歌詞で「起きていない」と言われていることは、もうすべて起きてしまっているのだという警鐘のような曲だったと思います。或いは、「まだ何も起きていない」と未来の中で言うためには、今何かをしなくてはいけない、という歌。今と過去と未来は決して別ものではなくて、過去が今につながっているし、今が未来になる。先日、ジェニファー・イーガン『ならずものがやってくる』(早川書房・2012年)というすごく良い本に出会ったのだけれど、その中で、とても印象的な表現がありました。「○と×」と題された章の中で、スコットという男性が昔親しかったベニーに何年もの月日が流れてから会いに行く場面です。

「ここに来た理由は、AとBのあいだで何が起きたか知りたかったからだ」
ベニーは黙って続きを待った。
「Aは、おれたちが2人ともバンドをやってて、1人の女の子を追っかけてたとき。そしてBが現在」
アリスのことを持ち出したのは、よい一手だったとすぐに悟った。おれは字義通りのことを言ったわけだが、言外の意味もある―かつておれたちは2人ともクソ野郎だったが、いまはおれだけがクソ野郎なのはなぜか?さらに言外には―かつてクソ野郎だった人間は、その先もずっとクソ野郎なんだ。
(谷崎由衣訳、141-2頁)

それから、しばしば「AからBへ」(このタイトルの章も本の中にはある)ということについて考えるようになりました。AとBはまるで一続きになっているなんて思えないくらい、まったくの別ものだから、一体どうやってそんな移行が起きたのか理解できない、という気持ち。それは考えてみると国や他の人だけではなくて、自分自身の個人的なこと些細なことについても結構感じることだった。でも、それは魔法の杖の一振りで起きた移行なんかではない。全部、自分が下した判断、選択の結果なのに、それが行き当たりばったりだから、覚えていないだけ。そして、どんなに遠くへ来ても、クソ野郎である自分から逃げられる訳じゃない。だから、行き当たりばったりじゃなしに計画を立てて、できるだけ自分が行きたいところに行けるようにするしかない。それだって、大体のことはあんまりうまくいかなかったりして、気がついたら全然違うところに来てしまったりするのだから。でも困った時に案外助けてくれるのは、A、つまり過去でもあると思う。自分にはそんなに持ち札がないのだから、それはどこかから探してくるほかないのだけれど、それは大概、これまで自分がやって来たことや他の人が既に為し遂げた何かの中にあったりする。私にとっては、"Thunder Road""Darkness on the Edge of Town"や沢山の古いブルースの歌がそこに含まれます。そして"Livin' in the Future"のコーラスにあるフレーズや何かがやって来るようなイメージは、ブルースが好きで、昨年のSXSWの基調講演でも取り上げていたサム&デイヴ"Soul Man"から貰っているようにも感じられる。


Bruce Springsteen "Girls in their Summer Clothes"

2008-05-04 23:09:34 | Magic
街灯の光がブレッシング・アヴェニューを照らす
恋人たちが脇を歩いて行く 手に手を取り合って
ポーチにそよ風が吹き 自転車の車軸が回る
俺は上着を着て 外へ出る
今夜この街を焼き尽くそう

夏服を着た女たち
涼やかな夕方の光の中
夏服を着た女たちが 俺を通り過ぎていく

子どもたちのゴムボールがはねて
街灯下の側溝から転がり出てくる
銀行の大時計の鐘は時を告げ
眠たげな人々は玄関の灯りを消していく
宵が近づくにつれて明るく輝き出すダウンタウンの店々
ちょっときつい時期が続いてるが
きっと運が向いてくるはずさ

フランキーのダイナー
街外れに住んでる奴とは古い付き合いだ
回転するネオンの看板は
まるで置き忘れられた十字架のよう
おやじの食堂では蛍光灯が一瞬消えそうになったりしている
シャニカがコーヒーを運んで来て、
「もう1杯どう」と訊いてから
「ぼんやりして今なに考えてたの、ビル」と言う

彼女は行ってしまった
俺の心を切り裂いて
なあ 美人なお前 お前なら俺を救えるかもしれない
ただ一瞥するだけで この魔法の通りで
愛というのは愚か者のダンスなんだな
俺は大した踊り手じゃあないが踊ることはできる

夏服を着た女たち
涼やかな夕方の光の中
夏服の女たちが俺を通り過ぎていく

ENGLISH


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この曲はブルース・スプリングスティーン『マジック』(2007)の中でも私が最も好きな1曲ですが、どうやら私に限らず、人気の高いナンバーであるようです。
ブルースの歌い方はとても優しく、美しく、それを支えるEストリートの演奏もここに描かれたありふれた街の風景を煌かせるようなロマンティックな仕上がりになっています。
歌詞はブルースの故郷ニュージャージーの街を舞台としながらも恐らく、アーウィン・ショウというニューヨークの作家の短篇「夏服を着た女たち」("Girls in their Summer Dresses")
へのオマージュになっているのではないかと思います。

「夏服を着た女たち」という作品はなかなか際どいストーリーです。ショウの妻はこの作品を書き上げたショウが散歩に出て行った間に物語に目を通し、彼が帰宅した際にはアパートから原稿を投げ捨てるところだった、という逸話もあるくらいです。
物語が始まった時点では幸せそうに見えたある夫婦がニューヨークシティに散歩に出かけます。しかし夏服を着たニューヨークの女性とすれ違うたびに彼女を眺める夫に妻は不安を覚え始めてその事を問い詰めます。夫にとってそれは欲望とはまた別のものなのですが、話しても妻にはそれが分からない。2人の間には埋め難い溝が生じてしまうのです。
人間の矛盾とか首尾一貫性のなさ、という当たり前だけど受け容れ難い弱点をきちんと描き出すという点で"Brilliant Disguise"などに見られるようなブルースの表現と共通するところがあるように思いました。

物語に出てくる夫にとって夏服を着た女たちの美しさは、たぶん例えば花や木々の美しさなんかと同じものなんだと思います。新しい季節の訪れを感じさせるもの、清々しい歓びを感じさせてくれるもの、温かく見守りたいもの、ただそれだけなのです。
ブルースのこの詞の中でも「夏服を着た少女たち」は街の他の風景、風に回る自転車の車軸や、子どもたちのゴムボールなどと同じ愛しい故郷の風景の1つに過ぎないんだと思います。
でも、私も本の中や歌の中ではそれがとてもよく分かるけれど自分の夫がこうで時、傷つかずにいられるかは何とも言いがたいです。そこがやっぱり誰かと付き合っていく事の難しさなんだなぁと思います。

それからこの物語や歌が共通して示唆するもう1つの事は夏服の女性を眺めやる夫、或いはビル、が最早若くはないという事です。欲望とは全く別個に女性を美しいと思えること、それは10代や20代の少年ではなくて、
十分に愛を経験した男性にだけできる事なんじゃないかと思います。例えば"4th of July, Asbury Park"の歌詞なんかと比べると主人公の"girls"の捉え方に大きな違いが生じている事は明らかです。そうした自分の歳を感じさせるという意味でも「夏服を着た女性」というのはビル達にとってとても大切な表象なのかもしれません。

人生の機微がいっぱいにつまっているようなこの曲を私がブルースの歳になったらどう聴くようになっているのかちょっと興味が湧きます。



Bruce Springsteen "MAGIC"

2007-10-23 20:25:22 | Magic
連続で同じテーマでごめんなさい
でもやっぱり今日はこのトピックについて少しでも書かずにはいられません。
ブルース・スプリングスティーンの最新スタジオアルバム『マジック』の国内盤を買いました。
大好きなアーティストの新作を買うというのは本当に幸せなものですね
大げさかもしれないけれど、人生というのは大事件がなくてもこういう幸せがあることで成り立っているんだろうなぁと思います。。。

今作はサウンド的にはふっきれたところがあって、聴きやすさがある反面、
ザ・ライジング』で獲得したテーマやスタイルも残されていて本当にブルースの集大成的な作品に仕上がっていると思います。

まだ少ししか聴いていないのでいろいろ書くのは控えたいと思いますが、
歌詞の表現の独特さと不思議さと緻密さが相変わらず彼らしくて素晴らしいです。
音楽と一緒になってイメージが目の前に広がります。
でも深遠な分、難しくもあると思います。
日本盤では今回も三浦久さんが訳してくださっていますので歌詞が気になる方はそちらをご覧になるといいかもしれません。
あと、ローリングストーン誌でジョン・ランダウかブレンダン・オブライエンが今回政治的なメッセージがこもっているのは『Devil's Arcade』だけ、というようなことを言っていたのですが、私はそんな事はないと思います。

歌詞が全部載っているブックレットもついているのですが、その裏表紙の写真が大好きです
うつむいて微笑んでいるブルースのとても美しくて胸を打たれる写真です。



Bruce Springsteen "Long Walk Home"

2007-10-22 23:59:23 | Magic

1番始めに何を書こうかなぁと少し悩んで、やっぱりブルース・スプリングスティーンについて書くことにしました。私にとって彼の音楽ほど文章にするのが難しいものはないのですが―というのも、あまりにもそれに対する自分の感情が多くて複雑だからです―、新しい曲の中にとても好きな作品があるので清水の舞台から飛び降りるつもりで紹介してみたいと思います。
アメリカ本国では10月2日、そしてここ日本では24日にリリースされるブルースの新作『MAGIC (マジック)』の中の1曲、「Long Walk Home (ロング・ウォーク・ホーム)」という曲です。オリジナルの英詞はこちらです。
     

       昨夜、俺はお前の家の戸口に佇み
       一体何が悪かったのか 答えを探していた
       お前は俺の手に何か忍ばせ
       そして去ってしまう
       夏の深緑の香りは変わらずかぐことができ
       頭上にはいつものように夜空が煌いていた
       遠く 生まれた町が見える

       長い家路を歩くことになるだろう
       なあ、起きて待っていなくてもいい
       長い家路になりそうだから 長い家路に

       町ではサルの食料雑貨店、サウス・ストリートの理髪店を通り過ぎた
       人々の顔を覗き込むが 皆俺には全く見知らぬ人々
       退役軍人会堂が丘の上高く
       立っている 音もなく 孤独に
       ダイナーにはシャッターが下り 看板がかかっている
       「店じまい」とだけ書かれて
 
       ここでは誰にでも隣人がいる
       誰もに友人がいて やり直す理由がある
 
       父が言った 「息子よ 俺達はこの町にいて幸せだ
       ここは生まれるには素晴らしい場所
       両腕を広げ お前を受け入れてくれる
       何か押しつけてくる人もいなければ 他人を拒む者もない
       裁判所の屋根に翻る旗があると知っていること
       それは不変の真理があるということ
       自分自身について 自分が何をし 何をしないかについて

       長い家路を歩くことになるだろう
       もう 起きて待っていなくていいんだ
       故郷まで 長い歩みとなりそうだから
       起きて待っていなくていい
       長い家路を歩くことになるだろうから 長い家路なるだろう



ブルースの故郷、アズベリーパークへの複雑な思いがとても繊細に歌われていて、曲の優しい旋律と一緒に聴くと本当に言葉にできないような泣きたい気持ちになります。
ブルースだけではなく、ロックの世界では「家/故郷」というモチーフは非常によく扱われますし、私はそれにとても惹かれます。故郷というのは自分のアイデンティティの1部であり、だからこそ愛しくも疎ましくもあります。そして、私自身と同じように変わっていくものでもあるのです。
ブルースは「涙のサンダーロード」の中で宣言しているように1度は生まれ育った町を飛び出します。でも、結局は「My Hometown」や「My City of Ruins」やこの曲のように故郷へと心は戻っていきます。ただその荒廃し、自分の不在の間に変わってしまった姿には戸惑いやセンチメンタルな思いも感じるのだと思います。

10月12日のNHK-FM『ワールド・ロック・ナウ』という番組の中で私の大好きな渋谷陽一さんもこの曲を取り上げて、この歌詞を「単純な解釈がしにくい」と仰っていました。私と聴き方が違うなあ、と思ってのは「もう 起きて待っていなくてもいい」というフレーズについてです。渋谷さんはこれを「(故郷への)どこか醒めた思い」とされていたのですが、私はこの言葉は信頼から生じるのではないかと思います。起きて待っていてくれなくても、待っていようという気持ちを持ってくれているのは分かっている、だからわざわざ起きていなくてもいいんだ、というのが私の解釈です。みなさんはどのようにお聴きになるでしょうか。

それから、『The Dig』(シンコーミュージック)という雑誌の50号では、長谷川博一さんという方が「女性が男の手に忍ばせたのはきっと(問題の解決を促す)鍵なのだ」と書いていらっしゃいました。読んだ時は何を手渡したのか全然考えていなかったのですが、この解釈は素敵だなぁと思いました。

何だか1つ目から沢山書きすぎてしまったようです
でも私が書いたことの50倍くらいの事をブルースはこの曲の中で語っていると思います。