不吉な風に乗って便りが舞い込む
俺と君は互いに
もう2度と会うことがないそうだ
それが来ることは分かっていたんだ
それでもなおショックで俺は呆然としていた
俺たちがキスをした時にも
君の舌は血の味がしたんだよ
心配するなよ、ダーリン くよくよすることないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何も起こっていないんだから
心配するなよ、ダーリン 悩むことないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
選挙の日に目覚めると 火薬で空が灰色に霞んでいた
汚れた太陽のもと、俺は口笛を吹いて時間をやり過ごした
そして日の沈む頃
お前が歩いて町を通り抜けて行く
ブーツの踵が立てる音は
まるで銃のシリンダーの回転音のよう
大地はぼろぼろになり 海面は太陽に向かって高く上昇した
俺はお前に心を開き、すっかりずたずたにされた
俺の船「リバティ」は血のように赤い水平線の向こうへ消えた
公園の管理人は門を開け 野犬を中で走り回らせた
俺は町を歩いて行く 日暮れに途方に暮れたカウボーイ
自分の未熟な部分を抑え 地面の音に耳を澄ませる
信仰は粉々に崩れた あれは轟く稲妻なのか
それともなにか正しいものが沈んでいく音なのか
心配するなよ、ダーリン くよくよすることないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何も起こっていないんだから
心配するなよ、ダーリン 悩むことないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
ENGLISH
昨年の大晦日に横浜の街を歩いていたら、ブルース・スプリングスティーンの顔が店先の小さなDVDプレーヤーの画面に映っているのが目に入りました。いわゆるブートレグ屋さんというのか何なのかよく分からないけれど、ブルースのものを含めてコンサート映像を収録した非公式のDVDをいろいろ売っているお店で、流れていたのは、2004年の『Vote for Change』の映像でした。品揃えを眺めていると、懐かしい2007年9月28日にニューヨーク市のロックフェラー・プラザでアルバム『Magic』(2007)のプロモーションのために『ザ・トゥデイ・ショウ』に出演した時のフッテージを収めたものがあり、1000円台と安かったので、つい買ってしまう。たぶん、YouTubeにもある映像だと思うのだけれど、ブルースのものを見かけるとつい自分が買わなければいけないような気になってしまう。おかげで見たこともないほど、格好悪いブルースのポストカード(100円)までその日は買って帰ってしまったのでした。
今回取り上げた"Livin' in the Future"も、アルバム『Magic』からの1曲で、番組の中でも演奏されていました。この曲は、歌詞がところどころ難しく、「心配するなよ、俺たちは未来に生きていて、こんなことはまだ何も起こっていないんだから」というフレーズの意味するところもはっきりとは理解できない気がしたけれど、好きな作品だったし、その後のツアーの中でもこの曲を演奏する時のブルースを見ていると、彼にとっても大事な意味のある曲なのだということが感じられました。また、私にとっては『Magic』というアルバム自体が、何故かはよくわからないけれど少し特別な存在でもあります。それは、"Long Walk Home"を三浦久さんの対訳を読む前に自分で訳してみたくて、このブログを始めたからかもしれないし、ブルースを好きになり始めてから、最初に発表されたいわゆる「Eストリート・バンドらしい」アルバムだったからかもしれないし、"Long Walk Home"と"Girls in their Summer Clothes"というブルースの曲の中でも10本か15本の指には入りそうなくらい好きな曲が2曲含まれているからかもしれない。
『Wrecking Ball』(2012)は、今までで最も怒りに満ちたアルバムと言われたけれど、『Magic』も振り返ると随分、怒りと苦みに満ちたところがあったと思います。『ザ・トゥデイ・ショウ』で、"Livin' in the Future"を演奏する前にブルースは次のようなことを言っています。
「この曲は"Livin' in the Future"と言うんだけど、本当は今まさに起きていることについて歌っている。部分的にはアメリカの俺たちが好きなところについての歌、とも言える。チーズバーガーとか、フレンチ・フライとか、レッドソックスと闘うヤンキースとか権利章典、Vツインバイク、ティム・ラッサートの髪型とか、トランス脂肪酸とか、ジャージー・ショアとかね。俺たちは、女性がマット・ローアーが好きなようにこうしたものが好きなんだ。でも、この6年の間に、俺たちはアメリカの風景に次のようなものも付け加えざるを得なくなった。(CIAによるテロ容疑者の)国家間秘密移送、違法な盗聴、投票妨害、人身保護請求の否定、ニューオリンズという素晴らしい都市とそこに住む人々の放置、憲法への攻撃、そして悲惨な戦争で失われた男女の尊い命などだ。この曲は、起こるべきではないことが、今まさにここで起きていることについて歌ったものだ。だから今、俺たちはそれに対して何か行動をする計画を立てなくちゃならない。俺は、それについて歌うことを計画するよ。今は、朝早い時間だけれど、もう遅いんだ。だから一緒に俺たちに加わってほしい」(参考/拙訳)。
この曲についての解釈を少しオンラインで見てみると、未来のことやもう起きてしまったことに心を痛めていないで、今を生きろという歌だと書いている人もいましたが、私はそういう歌ではないと思う。むしろ歌詞で「起きていない」と言われていることは、もうすべて起きてしまっているのだという警鐘のような曲だったと思います。或いは、「まだ何も起きていない」と未来の中で言うためには、今何かをしなくてはいけない、という歌。今と過去と未来は決して別ものではなくて、過去が今につながっているし、今が未来になる。先日、ジェニファー・イーガンの『ならずものがやってくる』(早川書房・2012年)というすごく良い本に出会ったのだけれど、その中で、とても印象的な表現がありました。「○と×」と題された章の中で、スコットという男性が昔親しかったベニーに何年もの月日が流れてから会いに行く場面です。
「ここに来た理由は、AとBのあいだで何が起きたか知りたかったからだ」
ベニーは黙って続きを待った。
「Aは、おれたちが2人ともバンドをやってて、1人の女の子を追っかけてたとき。そしてBが現在」
アリスのことを持ち出したのは、よい一手だったとすぐに悟った。おれは字義通りのことを言ったわけだが、言外の意味もある―かつておれたちは2人ともクソ野郎だったが、いまはおれだけがクソ野郎なのはなぜか?さらに言外には―かつてクソ野郎だった人間は、その先もずっとクソ野郎なんだ。(谷崎由衣訳、141-2頁)
それから、しばしば「AからBへ」(このタイトルの章も本の中にはある)ということについて考えるようになりました。AとBはまるで一続きになっているなんて思えないくらい、まったくの別ものだから、一体どうやってそんな移行が起きたのか理解できない、という気持ち。それは考えてみると国や他の人だけではなくて、自分自身の個人的なこと些細なことについても結構感じることだった。でも、それは魔法の杖の一振りで起きた移行なんかではない。全部、自分が下した判断、選択の結果なのに、それが行き当たりばったりだから、覚えていないだけ。そして、どんなに遠くへ来ても、クソ野郎である自分から逃げられる訳じゃない。だから、行き当たりばったりじゃなしに計画を立てて、できるだけ自分が行きたいところに行けるようにするしかない。それだって、大体のことはあんまりうまくいかなかったりして、気がついたら全然違うところに来てしまったりするのだから。でも困った時に案外助けてくれるのは、A、つまり過去でもあると思う。自分にはそんなに持ち札がないのだから、それはどこかから探してくるほかないのだけれど、それは大概、これまで自分がやって来たことや他の人が既に為し遂げた何かの中にあったりする。私にとっては、"Thunder Road"や"Darkness on the Edge of Town"や沢山の古いブルースの歌がそこに含まれます。そして"Livin' in the Future"のコーラスにあるフレーズや何かがやって来るようなイメージは、ブルースが好きで、昨年のSXSWの基調講演でも取り上げていたサム&デイヴの"Soul Man"から貰っているようにも感じられる。
俺と君は互いに
もう2度と会うことがないそうだ
それが来ることは分かっていたんだ
それでもなおショックで俺は呆然としていた
俺たちがキスをした時にも
君の舌は血の味がしたんだよ
心配するなよ、ダーリン くよくよすることないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何も起こっていないんだから
心配するなよ、ダーリン 悩むことないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
選挙の日に目覚めると 火薬で空が灰色に霞んでいた
汚れた太陽のもと、俺は口笛を吹いて時間をやり過ごした
そして日の沈む頃
お前が歩いて町を通り抜けて行く
ブーツの踵が立てる音は
まるで銃のシリンダーの回転音のよう
大地はぼろぼろになり 海面は太陽に向かって高く上昇した
俺はお前に心を開き、すっかりずたずたにされた
俺の船「リバティ」は血のように赤い水平線の向こうへ消えた
公園の管理人は門を開け 野犬を中で走り回らせた
俺は町を歩いて行く 日暮れに途方に暮れたカウボーイ
自分の未熟な部分を抑え 地面の音に耳を澄ませる
信仰は粉々に崩れた あれは轟く稲妻なのか
それともなにか正しいものが沈んでいく音なのか
心配するなよ、ダーリン くよくよすることないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何も起こっていないんだから
心配するなよ、ダーリン 悩むことないさ
俺たちは未来に生きていて
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
こんなことはまだ何ひとつ起きていないんだから
ENGLISH
昨年の大晦日に横浜の街を歩いていたら、ブルース・スプリングスティーンの顔が店先の小さなDVDプレーヤーの画面に映っているのが目に入りました。いわゆるブートレグ屋さんというのか何なのかよく分からないけれど、ブルースのものを含めてコンサート映像を収録した非公式のDVDをいろいろ売っているお店で、流れていたのは、2004年の『Vote for Change』の映像でした。品揃えを眺めていると、懐かしい2007年9月28日にニューヨーク市のロックフェラー・プラザでアルバム『Magic』(2007)のプロモーションのために『ザ・トゥデイ・ショウ』に出演した時のフッテージを収めたものがあり、1000円台と安かったので、つい買ってしまう。たぶん、YouTubeにもある映像だと思うのだけれど、ブルースのものを見かけるとつい自分が買わなければいけないような気になってしまう。おかげで見たこともないほど、格好悪いブルースのポストカード(100円)までその日は買って帰ってしまったのでした。
今回取り上げた"Livin' in the Future"も、アルバム『Magic』からの1曲で、番組の中でも演奏されていました。この曲は、歌詞がところどころ難しく、「心配するなよ、俺たちは未来に生きていて、こんなことはまだ何も起こっていないんだから」というフレーズの意味するところもはっきりとは理解できない気がしたけれど、好きな作品だったし、その後のツアーの中でもこの曲を演奏する時のブルースを見ていると、彼にとっても大事な意味のある曲なのだということが感じられました。また、私にとっては『Magic』というアルバム自体が、何故かはよくわからないけれど少し特別な存在でもあります。それは、"Long Walk Home"を三浦久さんの対訳を読む前に自分で訳してみたくて、このブログを始めたからかもしれないし、ブルースを好きになり始めてから、最初に発表されたいわゆる「Eストリート・バンドらしい」アルバムだったからかもしれないし、"Long Walk Home"と"Girls in their Summer Clothes"というブルースの曲の中でも10本か15本の指には入りそうなくらい好きな曲が2曲含まれているからかもしれない。
『Wrecking Ball』(2012)は、今までで最も怒りに満ちたアルバムと言われたけれど、『Magic』も振り返ると随分、怒りと苦みに満ちたところがあったと思います。『ザ・トゥデイ・ショウ』で、"Livin' in the Future"を演奏する前にブルースは次のようなことを言っています。
「この曲は"Livin' in the Future"と言うんだけど、本当は今まさに起きていることについて歌っている。部分的にはアメリカの俺たちが好きなところについての歌、とも言える。チーズバーガーとか、フレンチ・フライとか、レッドソックスと闘うヤンキースとか権利章典、Vツインバイク、ティム・ラッサートの髪型とか、トランス脂肪酸とか、ジャージー・ショアとかね。俺たちは、女性がマット・ローアーが好きなようにこうしたものが好きなんだ。でも、この6年の間に、俺たちはアメリカの風景に次のようなものも付け加えざるを得なくなった。(CIAによるテロ容疑者の)国家間秘密移送、違法な盗聴、投票妨害、人身保護請求の否定、ニューオリンズという素晴らしい都市とそこに住む人々の放置、憲法への攻撃、そして悲惨な戦争で失われた男女の尊い命などだ。この曲は、起こるべきではないことが、今まさにここで起きていることについて歌ったものだ。だから今、俺たちはそれに対して何か行動をする計画を立てなくちゃならない。俺は、それについて歌うことを計画するよ。今は、朝早い時間だけれど、もう遅いんだ。だから一緒に俺たちに加わってほしい」(参考/拙訳)。
この曲についての解釈を少しオンラインで見てみると、未来のことやもう起きてしまったことに心を痛めていないで、今を生きろという歌だと書いている人もいましたが、私はそういう歌ではないと思う。むしろ歌詞で「起きていない」と言われていることは、もうすべて起きてしまっているのだという警鐘のような曲だったと思います。或いは、「まだ何も起きていない」と未来の中で言うためには、今何かをしなくてはいけない、という歌。今と過去と未来は決して別ものではなくて、過去が今につながっているし、今が未来になる。先日、ジェニファー・イーガンの『ならずものがやってくる』(早川書房・2012年)というすごく良い本に出会ったのだけれど、その中で、とても印象的な表現がありました。「○と×」と題された章の中で、スコットという男性が昔親しかったベニーに何年もの月日が流れてから会いに行く場面です。
「ここに来た理由は、AとBのあいだで何が起きたか知りたかったからだ」
ベニーは黙って続きを待った。
「Aは、おれたちが2人ともバンドをやってて、1人の女の子を追っかけてたとき。そしてBが現在」
アリスのことを持ち出したのは、よい一手だったとすぐに悟った。おれは字義通りのことを言ったわけだが、言外の意味もある―かつておれたちは2人ともクソ野郎だったが、いまはおれだけがクソ野郎なのはなぜか?さらに言外には―かつてクソ野郎だった人間は、その先もずっとクソ野郎なんだ。(谷崎由衣訳、141-2頁)
それから、しばしば「AからBへ」(このタイトルの章も本の中にはある)ということについて考えるようになりました。AとBはまるで一続きになっているなんて思えないくらい、まったくの別ものだから、一体どうやってそんな移行が起きたのか理解できない、という気持ち。それは考えてみると国や他の人だけではなくて、自分自身の個人的なこと些細なことについても結構感じることだった。でも、それは魔法の杖の一振りで起きた移行なんかではない。全部、自分が下した判断、選択の結果なのに、それが行き当たりばったりだから、覚えていないだけ。そして、どんなに遠くへ来ても、クソ野郎である自分から逃げられる訳じゃない。だから、行き当たりばったりじゃなしに計画を立てて、できるだけ自分が行きたいところに行けるようにするしかない。それだって、大体のことはあんまりうまくいかなかったりして、気がついたら全然違うところに来てしまったりするのだから。でも困った時に案外助けてくれるのは、A、つまり過去でもあると思う。自分にはそんなに持ち札がないのだから、それはどこかから探してくるほかないのだけれど、それは大概、これまで自分がやって来たことや他の人が既に為し遂げた何かの中にあったりする。私にとっては、"Thunder Road"や"Darkness on the Edge of Town"や沢山の古いブルースの歌がそこに含まれます。そして"Livin' in the Future"のコーラスにあるフレーズや何かがやって来るようなイメージは、ブルースが好きで、昨年のSXSWの基調講演でも取り上げていたサム&デイヴの"Soul Man"から貰っているようにも感じられる。