俺達は自らを偽ったまま
すべてを手中から手放してしまった
終いには諦めまいと思うものも
奪い取られてしまう
他人の顔に優しさを見出すことなんてできない
ここでは奇跡なんて起こりっこない
救われるのを待っていてどうなる
でも俺には考えがあるんだ
賛美や情けを期待しているんじゃない
支えを求めている訳でもない
俺は言葉を交わす相手が欲しいだけ
そしてささやかな人とのふれあい
少しばかりの人の温もりが
この冷たい町の通りでは
天の助けなど得られない
身代わりになってくれる人などいやしない
今夜 いるのはお互いだけだ
この無情な世界で
俺は求めすぎているのだろうか
ただこの身をあずける何かと
ささやかな人とのふれあいがあるだけでいい
お前が大切にする安心感というものは
とても高くつくんだ
危険や痛みを排除することなんてできない
残された愛を失うことなしには
俺達はみんな同じ列車の乗客なんだよ
お前は傷つきふさぎ込んでしまったという
だけどそうでない人がいるだろうか
俺はいけ好かない人間かもしれない
だけどたぶん 少しの努力
ちょっと手を加えれば…
お前も頼るものが必要なのかもしれない
どんな答えも十分だと感じられない時
ただ話をする相手が要るかもしれない
そしてささやかな人の温かさが
この無情な世界で
俺は求めすぎているのだろうか
俺はただお前を腕に抱いていられればいい
誰かと少しばかりふれ合って
人の温かさを感じたい
ちょっとした温もりを感じたいんだ
ENGLISH
既に広く知られていることとは思いますが、『Song for Japan』という日本の東北関東大震災のためのチャリティアルバムが海外アーティストの協力のもとで製作されました。iTune Storeで日本では1500円で購入することができ、収益は日本赤十字へ寄付されることになっています。28曲を収録したこのアルバムにブルース・スプリングスティーンは1992年のアルバム『Human Touch』からタイトル曲を提供しています。私の思うところとしては、たぶんコロンビアの社員さん達があらかた決めたものにブルースがいいよ、と言ったという感じなのかなという気がします。70年代後半からチャリティ目的のコンサートや曲の発表はしばしば行なわれるようになったと言われていて、1984年、85年にそれぞれ"Do They Know It's Christmas?"と"We Are The World"がリリースされたことが1つの頂点になっていると思います。最近では、2001年のアメリカ同時多発テロの後のテレソンや昨年のハイチ地震後のものも記憶に新しいです。私は"We Are The World"についてあまり良い印象を持っていなかったことをかつて書いたことがありました。
それで今回の『Song for Japan』はどうなのかということですが、やっぱりある種の渋谷陽一さんが「ロック的でない」と言ったような側面はあると思います。これだけ沢山のチャリティがある中で、ある程度の影響力を持ったアーティストが沈黙を保つことにいささかの居心地の悪さを感じてしまうといったような。そして、このアルバムに1曲を提供するくらい、少しも損失にならない、プラスにはなってもマイナスにはならないという気軽さ、気楽さもあると思います。その一方で、ブルースが曲を提供してくれたことを嬉しいと思う気持ちもやはりありました。過去に2度来たきりであっても、大勢のミュージシャンが参加する作品の中でブルースの名前を見られることは、ファンとして誇らしい思いと感謝の念を感じずにはいられないのです。矛盾していると思うけれど。
"Human Touch"はもともと、男女の繊細な関係を歌った曲でした。1992年にリリースされた『Human Touch』と『Lucky Town』は『Tunnel of Love』(1987)でブルースが潜ってしまった長く暗いトンネルを漸く抜け出し、向き合うことで克服しようという作品です。"Human Touch"は少し苦みのある曲で、世界の描かれ方は厳しいものだし、愛することの甘い幻想をきっぱり否定する内容になっています(ブルースの歌にはそういうものが多くて、私はそれが好きなのでもあるけれど)。でも、今回改めて聴いてみると、不思議と『Song For Japan』に収めるに相応しいと思われるフレーズがあるように思いました。それはブルースが何かを求めることに伴う責任や人との関係に真面目すぎるほど誠実であり、同時に畏れを持っているからかもしれません。私が特に今の状況においてはっとしたのは3連目の前半でした。苦労を耐え抜く我慢をいたずらに称賛したり、他人事のように憐れみをかけることではどうしようもないのだというところです。
それから最後に、ブルースのファンサイト、Backstreetsからの逸話を1つ書いて終わりにします。Backstreetsでは『Songs for Japan』の紹介と共に、現在韓国にお住まいの日本人であるヒロキさんという方がブルースの本(For You, The Light in Darkness)を書いたLawrence Kirschに宛てたEメールを紹介していました。日本では警察官をされていて、15年来のブルースファンだという彼は福島原発の傍に故郷の町があるということでした。そして今のような時期にあって、"The Rising"や"You're Missing," "Roulette," "This Hard Land"といったブルースの作品に境遇を重ねていると書かれていました。けれども、中でも私の胸に突き刺さったのは彼がその次に書いていらっしゃったことです。
「日本や韓国にいて、ブルースの大ファンであるというのは時に'寂しさ'を感じることです。傍に似た人を見出すことは容易ならざることなのです。」
だから彼はKirschさんにメールを書いたのです。これは遍く日本のブルースファンの悩みと言ってもいいのかもしれません。こうしてブルースについて少しずつ書いていると、自分が決して珍しい存在でも、孤独な存在でもないことに気が付くけれど、私も以前は小さな世界に残された最後のひとりのブルースファンであるかのような気がしたものでした。或いは、どこかにいる自分と似た人たちからも隔絶されているような気がしたのです。ブルースの曲というのは引き裂かれたところがあって、コミュニティや人とのつながりを求める一方で深い孤独もあるものだから、ほかのブルースファンと親しさを感じることが最初は難しく思えたこともありました。でも、本当はそんなことはなかった。そして、こういう形でしかはっきりと意識することができないのは悲しいことではあるけれど、今は東北地方を中心に寛容や思いやりが広く日本を覆う(もしかすると少し全体主義のきらいがあると言ってもいいくらいに)稀有な時期と言っていいと思うのです。そういう意味ではひとつの国に何らかの形でつながりを持つ者として、孤独感が薄らぐ時でもあるかもしれない。そして、ブルースを聴いて震災や津波や人や故郷を失う恐怖や悲しみの前で挫けないように踏みとどまろうとしている人も、確かに多くはないかもしれないけれど、傍に見出すことは容易ではないかもしれないけれど、本当にいるのです。それは本当の「human touch」というには少し不十分かもしれないけれど、それでも何かしらの温もりを感じさせるものです。ヒロキさんはメールの最後に「どうか私たちのために祈っていてください」と書かれていました。あまりにも凡庸ではあるけれど、そしてあまりにも微力ではあるけれど、「ブルースの音楽に対して同じパッションを抱く」私の祈りもたくさんの知られざるブルースファンに届きますように。「human touch」を望むことは決して求めすぎなんかではない。
すべてを手中から手放してしまった
終いには諦めまいと思うものも
奪い取られてしまう
他人の顔に優しさを見出すことなんてできない
ここでは奇跡なんて起こりっこない
救われるのを待っていてどうなる
でも俺には考えがあるんだ
賛美や情けを期待しているんじゃない
支えを求めている訳でもない
俺は言葉を交わす相手が欲しいだけ
そしてささやかな人とのふれあい
少しばかりの人の温もりが
この冷たい町の通りでは
天の助けなど得られない
身代わりになってくれる人などいやしない
今夜 いるのはお互いだけだ
この無情な世界で
俺は求めすぎているのだろうか
ただこの身をあずける何かと
ささやかな人とのふれあいがあるだけでいい
お前が大切にする安心感というものは
とても高くつくんだ
危険や痛みを排除することなんてできない
残された愛を失うことなしには
俺達はみんな同じ列車の乗客なんだよ
お前は傷つきふさぎ込んでしまったという
だけどそうでない人がいるだろうか
俺はいけ好かない人間かもしれない
だけどたぶん 少しの努力
ちょっと手を加えれば…
お前も頼るものが必要なのかもしれない
どんな答えも十分だと感じられない時
ただ話をする相手が要るかもしれない
そしてささやかな人の温かさが
この無情な世界で
俺は求めすぎているのだろうか
俺はただお前を腕に抱いていられればいい
誰かと少しばかりふれ合って
人の温かさを感じたい
ちょっとした温もりを感じたいんだ
ENGLISH
既に広く知られていることとは思いますが、『Song for Japan』という日本の東北関東大震災のためのチャリティアルバムが海外アーティストの協力のもとで製作されました。iTune Storeで日本では1500円で購入することができ、収益は日本赤十字へ寄付されることになっています。28曲を収録したこのアルバムにブルース・スプリングスティーンは1992年のアルバム『Human Touch』からタイトル曲を提供しています。私の思うところとしては、たぶんコロンビアの社員さん達があらかた決めたものにブルースがいいよ、と言ったという感じなのかなという気がします。70年代後半からチャリティ目的のコンサートや曲の発表はしばしば行なわれるようになったと言われていて、1984年、85年にそれぞれ"Do They Know It's Christmas?"と"We Are The World"がリリースされたことが1つの頂点になっていると思います。最近では、2001年のアメリカ同時多発テロの後のテレソンや昨年のハイチ地震後のものも記憶に新しいです。私は"We Are The World"についてあまり良い印象を持っていなかったことをかつて書いたことがありました。
それで今回の『Song for Japan』はどうなのかということですが、やっぱりある種の渋谷陽一さんが「ロック的でない」と言ったような側面はあると思います。これだけ沢山のチャリティがある中で、ある程度の影響力を持ったアーティストが沈黙を保つことにいささかの居心地の悪さを感じてしまうといったような。そして、このアルバムに1曲を提供するくらい、少しも損失にならない、プラスにはなってもマイナスにはならないという気軽さ、気楽さもあると思います。その一方で、ブルースが曲を提供してくれたことを嬉しいと思う気持ちもやはりありました。過去に2度来たきりであっても、大勢のミュージシャンが参加する作品の中でブルースの名前を見られることは、ファンとして誇らしい思いと感謝の念を感じずにはいられないのです。矛盾していると思うけれど。
"Human Touch"はもともと、男女の繊細な関係を歌った曲でした。1992年にリリースされた『Human Touch』と『Lucky Town』は『Tunnel of Love』(1987)でブルースが潜ってしまった長く暗いトンネルを漸く抜け出し、向き合うことで克服しようという作品です。"Human Touch"は少し苦みのある曲で、世界の描かれ方は厳しいものだし、愛することの甘い幻想をきっぱり否定する内容になっています(ブルースの歌にはそういうものが多くて、私はそれが好きなのでもあるけれど)。でも、今回改めて聴いてみると、不思議と『Song For Japan』に収めるに相応しいと思われるフレーズがあるように思いました。それはブルースが何かを求めることに伴う責任や人との関係に真面目すぎるほど誠実であり、同時に畏れを持っているからかもしれません。私が特に今の状況においてはっとしたのは3連目の前半でした。苦労を耐え抜く我慢をいたずらに称賛したり、他人事のように憐れみをかけることではどうしようもないのだというところです。
それから最後に、ブルースのファンサイト、Backstreetsからの逸話を1つ書いて終わりにします。Backstreetsでは『Songs for Japan』の紹介と共に、現在韓国にお住まいの日本人であるヒロキさんという方がブルースの本(For You, The Light in Darkness)を書いたLawrence Kirschに宛てたEメールを紹介していました。日本では警察官をされていて、15年来のブルースファンだという彼は福島原発の傍に故郷の町があるということでした。そして今のような時期にあって、"The Rising"や"You're Missing," "Roulette," "This Hard Land"といったブルースの作品に境遇を重ねていると書かれていました。けれども、中でも私の胸に突き刺さったのは彼がその次に書いていらっしゃったことです。
「日本や韓国にいて、ブルースの大ファンであるというのは時に'寂しさ'を感じることです。傍に似た人を見出すことは容易ならざることなのです。」
だから彼はKirschさんにメールを書いたのです。これは遍く日本のブルースファンの悩みと言ってもいいのかもしれません。こうしてブルースについて少しずつ書いていると、自分が決して珍しい存在でも、孤独な存在でもないことに気が付くけれど、私も以前は小さな世界に残された最後のひとりのブルースファンであるかのような気がしたものでした。或いは、どこかにいる自分と似た人たちからも隔絶されているような気がしたのです。ブルースの曲というのは引き裂かれたところがあって、コミュニティや人とのつながりを求める一方で深い孤独もあるものだから、ほかのブルースファンと親しさを感じることが最初は難しく思えたこともありました。でも、本当はそんなことはなかった。そして、こういう形でしかはっきりと意識することができないのは悲しいことではあるけれど、今は東北地方を中心に寛容や思いやりが広く日本を覆う(もしかすると少し全体主義のきらいがあると言ってもいいくらいに)稀有な時期と言っていいと思うのです。そういう意味ではひとつの国に何らかの形でつながりを持つ者として、孤独感が薄らぐ時でもあるかもしれない。そして、ブルースを聴いて震災や津波や人や故郷を失う恐怖や悲しみの前で挫けないように踏みとどまろうとしている人も、確かに多くはないかもしれないけれど、傍に見出すことは容易ではないかもしれないけれど、本当にいるのです。それは本当の「human touch」というには少し不十分かもしれないけれど、それでも何かしらの温もりを感じさせるものです。ヒロキさんはメールの最後に「どうか私たちのために祈っていてください」と書かれていました。あまりにも凡庸ではあるけれど、そしてあまりにも微力ではあるけれど、「ブルースの音楽に対して同じパッションを抱く」私の祈りもたくさんの知られざるブルースファンに届きますように。「human touch」を望むことは決して求めすぎなんかではない。