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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Jimmy Cliff (Joe Strummer) "The Harder They Come"

2013-08-10 23:49:50 | ROCK
死ぬ時には ありもしないいいことが
待っていると奴らは言うが
生まれてから死ぬまでの間
俺たちにはたとえ叫んだって耳を貸そうともしない

だから太陽が常に輝くように必ず
俺は自分の取り分は掴み取ってみせる
そしてどんな厳しいめに遭わされようと
黙って引き下がるつもりはない 誰が相手だろうと
手ひどい仕打ちをするつもりなら
奴らも覚悟した方がいい ひとり残らず

抑圧者は俺を押さえつけ
地下に追いやろうとする
奴らは闘いに勝ったと思っているだろうが
俺は神に彼らを許してくださいと頼む
自分たちのやったことを分かっていないんです、と

俺は自分の求めるもののために闘い続ける
死んだら闘えないってことは分かっているけれど
それでも死んでも自由な方を俺は選びたい
他人に操られたり奴隷のように生きるくらいなら

どんな厳しいめに遭わされようと
黙って引き下がるつもりはない 誰が相手だろうと

ENGLISH


ロンドンでのお話。今回の旅の目的はとにかくキルケニーでブルース・スプリングスティーンを観ることだったし、本当に行きたかったのはアイルランドだったので、失礼と言えばその通りなのだけれど、ロンドンへ行くことはちょっとおまけのように考えていました。もちろん、いちどは行ってみたいところではあったけれど、その程度でした。そして、そういう気持ちは、たぶん自分に跳ね返ってくるものなのかもしれない。ロンドンでの滞在は、正直なところ、あまりうまくいかなかった。うまくいく、いかない、とはどういうことか、というと、自分の気持ちが乗り切らなかった、ということです。大学生の頃、いろんな地域の研究をされている先生が1人あたり2コマ(つまり2週間)時間を使って、映画を見せてくれるという授業があって、私はその中で、フランス文学の先生がかけたエリック・ロメール『緑の光線』(1986)という映画がとても好きでした。主人公の若い女性デルフィーヌが、出会いだとか素敵な休暇を求めて、ウロウロする話なのですが、彼女はどこに行っても、誰に会っても、心が満たされない。誰にも出会わないとそれも寂しい。周りの人達は一体、何が不満なのかもうよく分からないし、映画を観ている人もそう思うかもしれない。でも、そういうデルフィーヌのわがまままで含めて、20歳くらいの私は結構、深く共感し、感激したのでした。だから紹介したはずの先生が最後に解説の段階になって、「デルフィーヌってやっぱりちょっとヘンじゃないですか」とばっさり言い切ったのはかなりショックでした。でも、そのおかげで一層この映画が自分にとって忘れ難いものになったというところはあると思います。今回、ロンドンに約1日半、そしてブライトンに約1日いた間、特にすることを決めていた訳ではないから、ひたすら修行のようにあちこちを歩き続けながら『緑の光線』のことをよく思い出しました。デルフィーヌも私も休暇はある。好きでここに来て、好きでひとりでいる。何も不満はないはずだ。でも、じゃあどうしてあまり楽しくないのだろう?どこか寂しい感じがするのだろう?ヒースロー空港を出たばかりの時には、そうか、アメリカではない西洋社会というのはこういうものなんだ、ということをひしひしと感じて、古びた建物や、細部にいちいち凝ったような装飾にとても心を惹かれてわくわくしていたのに、その気持ちがいつの間にか、小さくなってしまったのはどうしてなのだろう?来て良かった、と心から思えないのは何故なのか?あまりにも私が無計画であったことや、ヨーロッパの夏の休暇の真っただ中にあって、ロンドンが混雑しすぎていたこと、そしてその混雑が家族連れや友達同士や恋人同士によって作られていて、ひとり旅の人によって(主に)作られていた訳ではなかったこと、アメリカみたいに馴れ馴れしい人が少ないなど、いろいろな理由はあったのだと思います。ただ、こういう感じを予想していなかった訳ではなかったから、それで深く落ち込むということはなかった。私はひとりでいることがどんな気持ちのするものかを自分でちゃんともう十分だと思えるくらい味わうことなく、誰かと一緒にいるという選択をしたくないと思っていたから、今はしっかりひとりでいる、ということを楽しめなくても知ろう、と思った。

そういう気持ちでダブリンへ向かう日までやっていく助けになってくれたのが、たぶん、1日目の夕方に街で耳にした"The Harder They Come"の演奏でした。ほんの2,3分のことだったけれど、旅の前半でいちばん心に残っている出来事です。ロンドンに着いた日は、映画『Springsteen & I』(2013)の公開日だったから、ホステルにチェックインを済ませた後、映画館の沢山ある辺りへ出かけました。ホステルに着くまでに道に迷ったり、1日目の緊張感があったりして、夕方頃には随分疲れていたのだけれど、通りがかったところで、あと5分でブルース・ウィリスが映画『RED 2』(2013)の欧州プレミアをここでやるから見られるよ、と言われて、何となく人だかりの中に入ってしまって、一言も発しない見世物の動物みたいな、なんだか不幸せそうに仮設の橋の上を歩くだけのブルース・ウィリスを見るために結局1時間くらい突っ立って過ごしてしまった。それで観ようと思っていた映画館で『Springsteen & I』が観られなくなって、夜9時20分から上映している近くの別の映画館へ行くことになりました。映画が始まるまでまだ1時間以上あり、晩ごはんを食べていなかったから、近くで見つけたベン&ジェリーズという日本にも最近やって来たアイスクリーム屋さんで"Born in the U.S.A."という名前のアイスクリームと、日本では悲しいことになかなか食べることのできないピーナッツバターのアイスクリームを買ってトラファルガー広場に行く。するとロンドン・ナショナル・ギャラリーとトラファルガー広場の間の通りで、黒人の男性がギターを弾きながら、歌を歌っていたのです。それが"The Harder They Come"でした。この日のロンドンは、びっくりするくらい暑くて、お昼の間は結構しんどかったのだけれど、午後8時くらいになるとまだ明るいけれど次第にひんやりとしてきて気持ちがいい。まだまだ人通りは多いけれど、そのごちゃごちゃした地面に近い辺りから浮き上がって、高い空に上っていくみたいに、アーチを描くみたいにして、彼の歌とギターは通りのちょうど反対側のちょっと高いところに座った私のところに聴こえてくるようでした。この時、やっぱりロンドンに来て良かった、とすごく思ったのです。なぜだろう?

私が初めて、このジミー・クリフの曲に出会ったのは、ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロス『Streetcore』(2003)というアルバムの中でした。このアルバムが高校生の頃、大好きで、とても大切に聴いていた。アルバムの後半はジョーとメスカレロスのライブ音源になっていて、その1曲目が"The Harder They Come"だったのです。私がジョーを知った時、彼は二月ほど前だったけれどすでに亡くなっていました。私の15歳の誕生日に、彼は亡くなっていた。そんなこともあって、そして、『Streetcore』の私の日常とはまるで関係ないよその世界とつながっているかのような感覚が手伝って、高校生の間(今も少しはそうかもしれない)、ジョーは私にとっての守護聖人みたいな存在だったところがありました。そういうふうな役割を果たしてくれる人は、たぶん、もうすでに亡くなっている人でないといけないと思うのだけれど(自分の中で勝手な神秘化をするために)、ジョーはそういう死んでしまった人の中でいちばん近しく感じられた。何か心に語りかけてくれるものがあったのです。クラッシュも好きだったけれど、『Streetcore』はちょっと特別なアルバムでした。これもなぜかはよく分からない。歌詞が良かったとか、そういうことではなかった。もしかすると、ジョーの遺作だったというところが自分にとってのひとつのポイントだったのかもしれない。今から思うと、そのジョーを通じて知った"The Harder They Come"をジョーが生きたイングランドで、誰か知らない人が演奏するほんの一瞬の時間に立ち会う、というの奇跡のようなことに私は胸を打たれたのかもしれない。それは私には、デルフィーヌにとっての「緑の光線」のような意味を持つものだったのかもしれない。探し求め、運とタイミングに味方されたなら、見ることができるもの。私はそれを旅の本当に最初に見たのだけれど、それが幸運のお守りのようにイングランドでの滞在を助けてくれたのだと思う。


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14 コメント

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Unknown (かいたく)
2013-08-11 11:38:54
asburyさん

こんにちは。とても面白い記事で、二段落目まで読んですぐ一つの小説を思い出しました。それは、村上春樹の『回転木馬のデッド・ヒート』という短編集のなかの「レーダーホーゼン」という小説です。この短編はすべて、はるきさんが実際に聞いた話を文章にしているということです。(あとは、『東京奇譚集』の「偶然の旅人」とか)

この短編小説は、なんの不満もなく日本で暮らしていた母親が、ドイツに初めて一人で旅行することになり、そこで父親(旦那)に頼まれていた「レーダーホーゼン」(短パンみたいなもののようです)を買うというのがだいたいの筋です。

最終的に、母親はレーダーホーゼン体験みたいなものを経て、母親自身なぜかはわからないのだけど、父親との離婚を固く決意することになります。これはasburyさんの体験とは反対で、ネガティブな方向への転換ですが。(なんだかよくわからないブラックボックスを通過することで、心が一変してしまうというモチーフははるきさんの小説において繰り返し登場する形式だと思います。これ自体はよくある形式かもしれないけど、そのブラック・ボックス自体がかなりはっきりとした形や体験をもっているというのは彼の小説の独自性なのではないかとも思います。はっきりとしたストーリーの底に非連続な心の移ろいがあるというか)

…結論はどこへ。。。「似てるなー」と思って書き始めましたけれど、こうして書いてみると似てないところが目について残念な感じになっています。はぅ。『緑の光線』を見てみたくなりました。
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Unknown (asbury)
2013-08-11 23:15:27
かいたくさん
こんにちは。いつもありがとうございます。『回転木馬のデッド・ヒート』、かいたくさんのコメントを頂いてからアマゾンで注文しました。本当は「レーダーホーゼン」を読んでからお返事をするのが良さそうだけれど、それだと遅くなってしまうので、とりあえず書いています。

たぶん、旅をすること、しかも日本からヨーロッパのようにかなり遠くへ旅をすること、というのはいったん自分の現実(日常生活)と切れる、というような経験であるように思います。だから、移動している間にブラックボックスを通り抜けたというふうにも既に言えて、更にそこから何か重要な経験をすることで決定的に何かが変わってしまう、というのは現実的にすごく分かるきがするのです。既にに心がこれまでの日常生活から離れてしまっているところで、ぐいっと強い力で引っ張られたら、すっとそちらへ行ってしまう、というような。

でも、私の場合はむしろそれとは反対だったのかな…というような気もするのです。私は、"The Harder They Come"によってこれまでの自分との連続性を得た、そのことによって何らかの道筋とか拠って立つところを見出したと言えるのかな…と思ったのだけれど、でも、それはかいたくさんが私の文から受け取ってくださった印象とは違う、ということなのかもしれないです。ウーン、難しい!でも、面白いです。「レーダーホーゼン」、読むのを楽しみにしています。

『緑の光線』、私もそのとき学校で観たきり、いちども観ていないので今ではどう感じるものか、観たいなと思っています。それから、かいたくさん、twitter辞めてしまわれたのですか…?かいたくさんの日常tweet、好きだったのでちょっと寂しかったです。
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Unknown (かいたく)
2013-08-12 01:07:17
asburyさん

そうですね。asburyさんの場合は、ちょうど反対の変化を受けて、連続性を感じたということなのだろうと思います。ただ、はっきりと言葉にできない大きな作用を受けて心が一変するという点で類似性を感じたのだと思います(asburyさんはその変化を今回の一曲にまとめて論じられていますが)。

twitterは、やめたというよりも、しばらく休止しようという感じです。いままでほかの人を含めていただいたリプライは本当にとても大切なもので、それを一切なくしてしまいたいという気持ちはありません。むしろ、なんとかして大事に保存しておきたい気持ちが強いです。ただ、八月は自分にとって、とても大事な転換点になってくると思いまして、自分が個人として、どう考えるのかというところをしっかり見定めたいと思い、いったん止める形になりました。わたしはtwitter上の人々がとても好きで、ややもすると流されてしまうところがありますのです。

なんといいますか、言おうか言うまいか随分迷ったのですが、自分も院生という身分でして、心身共にいろいろ地盤がしっかりしていないところがあるのです。がんばります!!
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Unknown (asbury)
2013-08-12 02:35:55
かいたくさん
なるほど…。「レーダーホーゼン」を読むのが本当に楽しみです。

ウワー!そうだったのですね。それは…全然考えもしなかったので、まさかかいたくさんと私が同じ立場だなんて、びっくりしました。でも言われてみると、なんだかしっくりくる感じがするし、うかがってまた一段とかいたくさんに親しみを(勝手に)感じてしまったり、twitterを休止されたことなんかに対する尊敬の念を感じたりしました。教えてくださって嬉しかったです。ありがとうございます。8月の転換期、かいたくさんにとって良い方へ、ゴロン!と進むようお祈りしています。私もがんばらないと.。o○またかいたくさんが、twitterへ戻って来られるのも楽しみにしています。
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Unknown (トム・ジョード)
2013-08-12 19:18:07
自分ははじめてイギリスに行ったのは
中学生の時でフランスのカレーから
船でイギリスに付く時にはフランスの映画館で観た、
ケビン・コスナーの「ロビン・フッド」と同じ白い岸壁が
左右一杯に広がって見えて気分が高揚しました。

自分は小学高学年から
高校生の途中までフランスとデンマークに住んでいたのですが
子供ながらに思ったのは近代化しつつも
教会が街の中心になっている、また
信仰心も日本人と比べれば断然違うということでした。

今になって思うのは信仰心、または絶対神を抱くことは
個人のスピリットを強固にもするけれども、
それが揺らぐとかなり脆いと思いました。
スプリングスティーンなんかは
そういう事実はアルバム表題曲のDevils&Dustなんかで
描いていると思います。

多くの、平均的な日本人は自分の生きるよすがを抽象的な
信仰に求める度合いが低いので確固たる軸も無いけれども
逆になにかで心が揺らぐことも少ない。

springsteen&Iでは「寂しいアメリカ人たち」が多く映っているな
と感じました。スプリングスティーンの様にカトリックスクールの
強固な価値観で育ってもその常識が通じない事態にぶつかる、
その時に感じる強い喪失感、哀しみ、無力感、を、映画で喋っていたファンたちはブルースの歌でそれらをなにがしかの強みに変えられた
んじゃないかなと思いました。
一番、自分が近いと思ったのは車は運転しながら
ブルースの歌について語りだし、サングランスをかけたままむせび
無く白人男性でした。

ブルースの歌を聴いて哀しみを感じる。
哀しんで何になるのか?
多分、悲しい時は、ただ涙が枯れるまで哀しめばいい、と
いうことじゃないかなと。
ブルースの歌を聞くと彼の感じてきた哀しみを沢山感じる。
哀しみも一人より二人の方が何かしら愛おしいものになる。
Springsteen&Iもそれぞれの悲しみが沢山詰まっていました。
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Unknown (ニャロメ)
2013-08-12 22:09:40
ロンドンの街でasburyさんがThe harder they comeの演奏を眺めている情景が浮かぶ、素敵な記事ですね!
この曲は自分も大好きです。底知れないパワーを感じる曲です。高校の頃、キース・リチャーズがシングル盤でこの曲をカヴァーしたシングル盤を出したのを聴いたのが最初だったような気がします。レゲエはとくに聴かないですけど、このサントラは持っています。ジョー・ストラマーがカヴァーしていたこと知りませんでした。ありがとうございます。思想がパンクと同じですから違和感は全く感じません。

asburyさんの満たされない様子、連想したのはハングリーハートでした。スプリングスティーンの曲の世界が下層階級を歌っていることに対し、ファン層は中流が多いとよく言われていますが、自分は精神的に「ハングリー」な人がスプリングスティーンに共感するのだと思っています。心の中に暗闇のようなものを持っている人が。
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Unknown (asbury)
2013-08-15 02:39:58
トム・ジョードさん
トム・ジョードさんは「信仰心」と仰る時に、具体的な宗教的信仰心を念頭に置いていらっしゃったのかな、と思うのですが、トム・ジョードさんが書いてくださったことは、実はそれに留まらず、個人的な信念だとか、そういう広い意味での「faith」に当てはまるお話なのではないかな、と感じました。それが、覆されたり、阻まれたりする中で感じる「強い喪失感、哀しみ、無力感」をブルースは掬い上げて、跳ね返す力に変えていき、それらを聴き手が感じ取っている、ということなのかな、と。だからこそ、とトム・ジョードさんが『Springsteen & I』のブログ記事に書かれていたように、「全てを変えて」、全然違う人たちが一様にブルースに惹かれていくのじゃないかな、と思いました。
『Springsteen & I』では、私もサングラスの男性に大いに共感したけれど、トム・ジョードさんのコメントや記事を拝読して改めて彼が「悲しみ」という言葉を口にしていたことを思い出すことができました。ありがとうございます。
最後の段落には、ブルースの音楽に感じられるような温かみ、優しさを感じました。辛いとき、悲しいときに、「元気を出して」と言われるよりも、「悲しい」と言ってくれることに救われることがあるということを意識しながらも、その悲しみに押し潰されないだけの強かさを失わない、というところがブルースの本当に優れたところでもあるのだと改めて感じました。
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Unknown (asbury)
2013-08-15 02:40:15
ニャロメさん
ありがとうございます。私は反対に、キース・リチャーズのカバーを知らなかったのでそちらをYouTubeで聴いていました。割と素直な感じのするジョーのカバーとはまた違っていて、新鮮でした。私はキース・リチャーズの人柄はよく存じ上げませんが、ブルースが"Trapped"をカバーしたりしている一方で、ジョーは"The Harder They Come"だという辺りに、人柄が出ているような気がして面白く感じました。
"Hungry Heart"を連想してくださった、というご指摘はとてもはっとさせられるものでした。この曲を自分自身に重ねて聴かないことがない訳ではもちろんなかったけれど、今回のこの状況ではまるで結びついていなかったので、なるほど、そうなのかもしれないな…と(何だか他人事のようですが、そういうつもりではなく)考えてしまいました。こういうことは、やっぱり自分に起きたことや考えたことを、なんとか言葉にして、それを読んでくださる方がいらっしゃらないと、一生思い至らないことだろうな、と思います。
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Unknown (dn)
2013-08-24 00:39:06
お久しぶりです。 前に何度かコメントさせてもらいました。
ジョーストラマーのRedemption songが好きで最近このアルバムを買いました(21日が命日でもあるので)。そしてこのサイトに来てストリートコアについて書かれていたので、ちょっとびっくりしました。ちょっと感動です。

話変わりますが、asburyさんよく外国にいかれるんですか。
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Unknown (asbury)
2013-08-24 15:52:39
dnさん
お久しぶりです。昨日ちょうど、dnさんに以前頂いたコメントを読み返す機会があったので、こうしてまたコメントを頂けて私も驚きました。そしてとても嬉しいです。ありがとうございます。『Streetcore』に入っている"Redemption Song"も本当に温かくて私も大好きです。

よく、というのの基準があんまり分からないけれど、去年と今年は行く機会に恵まれたと自分では思っています。でもそれ以前だと、2010年の春から2012年の春にかけてはどこへも行っていないですし、むらがあるんだと思います。
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