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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Bruce Springsteen "Rendezvous"

2013-06-23 03:17:26 | The Promise
夢を見たよ 俺たちは永遠に愛し合うという夢
昨夜夢を見たんだ 彼女も見たって
今夜はあの娘が待っていてくれるはず
俺が塞いでいてもそんな気分は吹き飛ばしてくれる
Ooh ランデヴー

お前のことがどんなに好きか言わなかったかい
感じるんだよ お前もきっと俺が好きなんじゃないかって
お前がぎゅっと抱きしめてくれさえすれば
俺たち2人、夜に乗ってどこへでも行けるよ
Ooh ランデヴー

こんな状況に甘んじているなんてもったいない
俺はお前の最後のキスに力を得て
その約束にすがって生きているんだ
なぜって俺たちは永遠に愛し合うという夢を見たから
昨夜夢を見たんだ 彼女もそう
だからほら きつく抱きしめてくれよ
俺たち2人で夜に乗ってどこへでも行こう
2人で待ち合わせて 出かけたいんだよ
ランデヴーにさ

ENGLISH


先日も少しふれた、1978年にデイヴ・マーシュ『Rolling Stone』に書いたブルース・スプリングスティーンの記事"Bruce Springsteen Raises Cain"の中で、印象的だった話に、"Rendezvous"という曲に関するものがありました。前にこのマーシュの文章を取り上げた時にも述べたことですが、ここに書かれているのは、まさに28歳くらいの頃のブルースの姿で、誰もこの後、彼が『Born in the U.S.A.』(1985)なんていうアルバムを作ることも、やがてEストリート・バンドを1度は解散することも、そして50歳を過ぎてから、精力的な活動をして、音楽の世界の中では、アメリカの代名詞のようにも扱われる人物になるなんてことも、何ひとつ知られていなかった頃のことです。記事の中でマーシュは、「ブルース・スプリングスティーンが結婚して、身を落ち着け、家族を作り、子供を持つなんて想像することもできない。そんなのはあまりにもいんちきくさいことだろう」と書いています。でも、現実には彼は結婚して、家族を作り、3人の子供がいる。誰も30年以上も後で、ブルースがどんなふうになっているだろうとか、まだ音楽を作っているだろうとか、考えもしなかった頃。何故なら、彼の活動は、3年前の『Born to Run(明日なき暴走)』(1975)で、大分、広範囲の注目を集め出してはいたものの、本当にしっかりとした基盤は北東部と南西部にしかまだなかったし、3年間を法廷闘争で失った後に出された『Darkness on the Edge of Town(闇に吠える街)』(1978)がどんな意味を持つものなのか、まだ誰も本当には知らなかったし、それを掴み得るほどには時が経っていなかった(この記事が書かれたのは、アルバムが発表されてからちょうどひと月後)。だから、今から思えばあたかも当然にも思えるような選択や決断も、このときのブルースにとっては大きなチャレンジであり、リスクでした。私はブルースに出会ったとき、彼はすでにもうあまりにも大きな存在になってしまっていたから、このことをつい忘れてしまいそうになるけれど、ひとたびそうした当時の状況に思い至ると、今の自分とそう歳の変わらない彼が、どれほど真面目に、強い意志を持って、『Born to Run』以降の自分や音楽について考えてきたかということが感じられて、殆ど畏怖の念さえ感じそうになる。

今日取り上げた"Rendezvous"は、正式に発表されたのは2回で、いちどは『Tracks』(1998)で、このときは1980年12月31日にニューヨークで行なわれたコンサートの音源が使われています。2度目は2010年にリリースされた『The Promise』という『Darkness』の頃に沢山撮られていながらお蔵入りとなった曲を集めたアルバムに収められました。いちばん最初は1977年にスタジオでレコーディングされたということですが、こちらは歌詞が『Tracks』のものと同じで、『The Promise』の方はちょっと違っている。今日取り上げたのは、『The Promise』の方の歌詞です。私が本当にびっくりしたのは、マーシュが78年に書いた記事の中で、ブルースが以下のように述べていたからです。

「1枚のアルバムになるくらいポップな曲を書いたよ。"Rendezvous"とか、初期のイギリスっぽいやつを。アルバム1枚作れるくらいの数が今まさにあるんだ。どうにかしてリリースはするつもり。そんな曲ばかり10曲か11曲くらいは言ったアルバムを作りたいね。でも、今はそのときじゃないと感じたんだ。"Rendevous"を放り込むことによって、アルバムの張りつめた緊張感を損なうのは絶対に嫌だった。あの曲は、コンサートでやっていて人気があるというのは分かっていたけれど」。

驚く部分はいろいろあるのですが、1つには、この頃に書いたポップな曲をいずれは何らかの形でリリースしたい、と彼が言っていて、それが『Darknes』期に限って言うならば、32年後に実現したということです。10曲か11曲というような控え目な形ではなかったけれど、結局、『The Promise』という作品は基本的にこの78年時点でブルースがいつかやる、と言ったものとほぼ同じものと言ってもいい。一体、誰が2010年なんていう時代に、それが実現すると想像することができただろう、と思うと眩暈のするような心持ちがします。そしてもう1つには、ブルースの『Darkness』に対する真剣さでした。ここで彼が言っているのとやはり同じようなことは、2010年に出たこの作品のドキュメンタリなどの中でも大いに語られていたのだけれど、それを今のブルースが言うと、もちろんその時はそれなりに胸を打たれたのですが、やっぱりブルースはそういう人なんだ、という再確認のようにどうしても私は感じてしまっていた部分があったことに気づかされました。今から考えれば、このときのブルースの判断はとてつもなく誠実であり、正しかったし、だからこそ何となく当然のようにも、他の選択はないようにも考えられるけれど、当時の人達はブルースがそんな人だなんて(多くの場合)知らないし、今みたいに、どんなものでも彼が真面目に作ったものなら、かなりそれなりに売れる、というのとは状況がずいぶん違ったわけです。その中で、人が好んでくれている"Rendezvous"を敢えて出さない、というのは、本当に勇気のいることだと思う。

マーシュはあるとき、不思議に思って、なぜ『Darkness』にはコンサートにあるような浮き立つようなユーモアが無いのか、と尋ねます。ブルースは真面目な話をするとき、たどたどしくなる癖があり、このときもそうだったと言います。「ショウは、すべてのアルバムのコンピレーションなんだ。『The Wild, the Innocent and the E Street Shuffle(青春の叫び)』(1974)に戻ってみれば、"Rosalita"とかそういう曲がいろいろある。でも、このアルバムを作っていたときには、俺は特定のことだけを考えていた。中でもとりわけ重要だったのは、この作品は容赦なく、諦めることを知らないものでなくてはならない、ということだった…特定のことの集中砲撃とでもいうような」。また、『Darkness』は真面目くさっていて暗く、憂鬱なアルバムだ、という評価も多くあったようですが、ブルースはこう言われることがすごく嫌だった。"Badlands"が始まって数秒で、「愛や希望、信念を信じている」というフレーズを入れたのに。アルバムの四隅すべて("Badlands," "Racing in the Street," "The Promised Land," "Darkness on the Edge of Town")でそういうことを歌っているのに」と。

(ブルースのコアなファンという枠を超えた)広い世間から見て、『Darkness』というアルバムがどれくらい評価されているか私にはいまいちよく分からないのだけれど(もちろん、『Born to Run』や『Born in the U.S.A.』ほど知られていないし、デビューアルバム『The River』(1980)ほどよく取り上げられたりもしていない気がする)、やっぱり重たい、暗いというイメージはあるのかもしれない(マーシュはタイトルのせいだとも言っている)。私はこのアルバムは、いちばん最後に聴き始めたスタジオアルバムの1枚でもあったのだけれど、ここ数年間はときに『Born to Run』以上に救われる作品になっています。夢見るばかりの時代が終わったときに、いかに強かに、容赦なく、諦めることを知らない姿勢で物事に臨んでいくかを、この作品から掴みとろうとしていると思う。でもそれは、本当にそれ一辺倒の精神的鍛練のようにやらなくちゃいけないか、といったら、もちろん本当に大切な部分ではそうだけれど、ブルースだって同じ時期に"Rendevous"を書いたり演奏したりしていた、ということを知っておくこともまた、大事なような気がする。


Bruce Springsteen "Gotta Get That Feeling"

2012-02-26 03:56:20 | The Promise
なあ 今夜出かけないか
星がきらきらと輝くところへ
あの気持ちを取り戻さなくちゃ
2人であの思いを取り返さなくちゃ
もう1度
再び

今夜は 何か特別な感じがする
今夜 俺たちは一文無しだけれど構わない
ただあの気持ちを取り戻さなくちゃならないだけ
あの感じを味わいたいんだ
夜が明ける前に
お前にもあの気持ちを感じてほしい

俺を抱きしめて 夜が俺たちを見守ってくれる
雨にも嵐にも屈することなく 愛は俺たちの中に留まるはず

今夜は 何か特別な感じがするだろう
今夜 俺たちは一文無しだけれど構わない
2人であの気持ちを取り戻したいだけ
一緒にあの気持ちにならなくちゃ
もう1度
再び
あの思いを取り返さなくちゃ
あの気持ちを今感じたい
あの思いを取り返さなくては
あの気持ちを今感じたいんだよ

ENGLISH



ブルース・スプリングスティーン『レッキング・ボール』の本国リリースまで早くも2週間を切りました。収録曲は毎日1曲、異なるサイトで紹介され、今は丁度5曲目の "This Depression"まで解禁になっています。(でも各曲は、一応紹介されてから24時間で再生不可になるようです。)ここまでは、厳しい現実を歌ったシビアな曲が続いていますが、レビューではこの曲が折り返しになり、後半からは再生と希望のトーンへ転じるとも言われています。でも、アルバムリリースまで試聴を封印している方もいらっしゃるかと思うので、今日は新しいアルバムのお話はここまでにします。『Star-Ledger』紙のトリス・マッコールさんは、できたらアルバムがリリースされて通して聴けるようになるまで聴かない方がいいともおっしゃっています。私はもう手遅れだけれど…。

ブルースを好きになったばかりの頃は、よく地元の奈良にあるCD屋さんで『Light of Day』(2005)というブルースのトリビュートアルバムを見かけました。2枚組の豪華なアルバムで、何度も手に取ったのだけれど、高校生には少し高く感じたのと、やっぱりブルースのアルバムを先に集めなくては、と思っているうちに最近はお店で見かけなくなっていたように思います。でも先日とうとうそのアルバムを手にすることができました。日本盤には「アズベリーパークからの挨拶」という素敵な写真と文章が載ったブックレットがついていて、アズベリーパークに行きたくてたまらなくなる、憧憬で胸が締めつけられるような内容でした。それを読んだためか、昨夜の夢で私はアズベリーパークにいました。薄暗いバーでなぜかソファに座っているのだけれど、少し離れたカウンターの後ろには白地に馬のシルエットがプリントされた大きなロゴがかかっていて、そこがストーン・ポニーであることが分かる。その左右には、ブルースの古い写真が額に入れてずらりと飾ってありました。そこへ、スティーヴ・ヴァン・ザントがやって来て、1曲ジュークボックスでかけるというのです。その曲が、今日取り上げた "Gotta Get That Feeling"でした。私は(夢だから)、曲がかかる前からきっとこの曲だと分かっていて、その通りであったので嬉しく思いました。

春から始まるEストリート・バンドのツアーについて、スティーヴは、『レッキング・ボール』と『The Promise』(2010)の2枚の新作を引っ提げたツアーだと『ローリング・ストーン』に語っています。そして、ツアーでぜひ演奏したい曲を問われると、『トラックス』(1998)の2枚目と『The Promise』の楽曲だというふうに答えています。スティーヴはブルースが80年代初頭くらいにいろいろ書いていたポップな楽曲が大好きで、彼がラジオ番組『Underground Garage』でかける曲もそういう傾向が強いようにも思います。『The Promise』がリリースされた後、暫くしてからブルースがゲストで番組に数回出演しましたが、その時には"Gotta Get That Feeling"を2度もかけていました。昨年末には、2011年で最もクールだった曲を決める投票をリスナーに募っていて、リストの中にはこの曲もきちんと含まれていました。(投票結果はこちら。)また、"Gotta Get That Feeling"は、2010年12月にアズベリーパークのカロウセルハウスで行なわれた特別ギグの時にも演奏されましたが、その時のスティーヴの嬉しそうな顔がとても印象的で、私は大好きです(上に掲載したビデオはその時のものです)。スティーヴはブルースとハーモニーを歌ったり、掛け合いをするのだけれど、聴いているとまるで、歌詞では「ガール」と呼びかけているこの曲が、実はこういう甘くて楽しい楽曲を一緒に演奏していた若い時の気持ちに戻ろう、という2人の友情の歌のようにさえ思えてくるのです。

また、クラレンス・クレモンズを失った今、この曲をもしもブルースとEストリート・バンドが演奏するのを聴いたら、きっと私にはクラレンスやダニー・フェデリシがいた頃の気持ちを思い返す楽曲のように感じてしまうと思います。これはもちろん今だからこそ、そう思うのだけれど、トリス・マッコールさんも書かれているように、ブルースの曲は「成長するもの」(grower)なのだと思います。繰り返し聴き、共に生きることで意味が変容したり、新しい側面が見えてきたりする。特に、"Gotta Get That Feeling"はクラレンスの胸のいっぱいになるようなサックスが心に残る作品でもあるので、「あの時の気持ちを取り戻さなくては」というフレーズと共に、アズベリーパークのボードウォークを彼と一緒に歩いた時の思い出や、初めての出会いをステージで再現していた時の思い出や、その他の私が知り得ないようなたくさんの記憶とその時の興奮や喜びや驚きがブルースやEストリート・バンドのメンバーたち心に戻ってくるのではないかという気がついしてしまうのです。感傷的かもしれないけれど。

『The Promise』の楽曲は、『レッキング・ボール』の曲と組み合わせるのは少し難しそうではありますが、スティーヴの願いが叶って、彼がブルースとマイクを分け合いながら、素敵な笑顔でこの曲を演奏できればいいなと思います。1999年から2000年にかけてのリユニオンツアーでは、『ライヴ・イン・ニューヨークシティ』(2001)でも聴かれるように、"My Love Will Not Let You Down""Don't Look Back"などが演奏されているけれど、これはもしかしてスティーヴのリクエストだったのでしょうか(どちらも『トラックス』の2枚目の収録ではないけれど)。まだアルバムも出ていないのに、ツアーの話をするのも気が早いですが、どういう構成になるのかやはり楽しみです。


Bruce Springsteen "The Promise"

2010-12-26 01:05:36 | The Promise
ジョニーは工場に勤め ビリーはダウンタウンで働いている
テリーはロックンロールバンドでがんばっている
一大ヒットを求めて
俺はダーリントンでつまらない仕事を得た
だけど行く晩もあるが
ドライブインまで行ったり 全然行かずに家にいることもある
映画で観る男達のように夢を追い
ルート9をチャレンジャーで駆けた 行き止まりや修羅場も越えて
だが約束は破られ 俺は幾つかの夢を金に換えた

俺はチャレンジャーをこの手で作り上げた
だが金が必要になり 手離してしまった
自分ひとりで保つべき秘密を生きていたのに
ある晩 酒に酔って口にしてしまった
ずっとこの闘いを闘い続けてきた
誰も勝つことなどできない闘いを
毎日 困難になるばかりだ
信じる夢を生きるということは
サンダーロード お前は本当に正しかったんだな
サンダーロード 今夜ハイウェイで何かが失われていく

俺はかつて大きな勝利を得て 海岸まで赴いた
だがどういう訳か 大きな代価を払う羽目になった
胸の内では まるですべての敗れた者達の
砕けた心を抱いているような気がした
約束が破られても 人生は続いていく
けれども 心の奥底から何かが奪われ
真実が語られようとも 何の意味もなくなってしまう
心の中で何かが冷たく冷えてしまう
サンダーロード 
サンダーロード 雨の中を走る車輪のため
サンダーロード ビリーと俺がいつも言っていたことを覚えているか
サンダーロード 俺たちはすべてを掴み取り
そしてそのすべてと決別するのだ、と

ENGLISH

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The promise (live 2010 ) - bruce springsteen

今回、ブルース・スプリングスティーン『The Promise: Darkness on the Edge of Town』(2010)をリリースすることになった時、最も注目を浴びたものの1つが、"The Promise"という楽曲だったと思います。『18 Tracks』(1999)にも確かに収録されてはいたのだけれど、『Born to Run』(1975)から『Darkness on the Edge of Town』(1978)の間に書かれ、当時の録音は正式にリリースされることがないままとなって、伝説化していた1曲だったからです。

私は、この曲に注目するようになってそれほど時が経っていません。私がブルースを好きになった時、私の心は完全に『Born to Run』の温度で、もちろん他の作品も聴いてはいたし、好きな曲、頼りにしている曲も沢山あったのだけれど、自分を鼓舞しなければならない時には『Born to Run』の楽曲に立ち戻ることで切り抜けることができました。まだ、私自身の成長が『Darkness』という作品に追いついていない時期が圧倒的に長かったのです。特に表題曲である"Darkness on the Edge of Town""Racing in the Street"はそうでした。そのために、"The Promise"という曲にもなかなか心を寄せることがなかった。それが、ここ1年余りの間に、どういう訳か様子がぐんと変化して、"Darkness on the Edge of Town"が自分の心の中で"Thunder Road"以上に必要に思えてくる機会が増えました。そんな中で『18 Tracks』に収められた"The Promise"を聴いて、ハイウェイの上で「最後の一走に賭ける」こともできない「失意のヒーロー」となってしまった男のストーリーに心をかき乱されると同時に現実を見据えることを意識させられたりもしました。

そして、今回『The Promise: Darkness...』のリリースに際して、この曲について再度じっくりと考える機会を得たのでした。特にJoe Posnanskiさんという方のエッセイに出会い、彼が自身の具体的な回想を軸に、"The Promise"を語るのを見て、私には、どんな語りが可能なのかを考えずにはいられませんでした。私には、この曲について語るべき物語があるのだろうか。

曲の冒頭に出てくる3人の名前、ジョニー、ビリー、テリー。それまでのブルースの作品に馴染んでいると、はっとさせられる名前ばかりです。ジョニーはきっと"Incident on 57th Street"のちんぴらで、ビリーは"Wild Billy's Circus Story"でサーカスに誘われた少年、そしてテリーは"Backstreets"で夏の日に主人公と裏通りに隠れた親友でした。そんな彼らが歳を重ねてそれぞれの道を歩み、主人公も夜勤の仕事に就いている。「挑戦者」と名付けた分身のように大切だった車は手元を離れ、払った代価の重みに、日増しに耐えられなくなっていくのを感じとりながら。かつての夢、信じたもの、挑んだ闘いを忘れることもできず、約束が果たされなかった、その裏切りを許せないでいる。とりわけ自分自身に対して。そしてそれもやがて、冷えていく心に取って代わられ、死んだように生きることになるのかもしれない。

ブルースは『The Making of Darkness on the Edge of Town』の中で、この曲を『Darkness』に収録しなかったのは、当時の自分にあまりに距離が近すぎて客観的に判断するということができなかったからだ、と述べています。マネージャーだったマイク・アペルとの訴訟や、『Born to Run』の成功に向き合うことで生じる無力感や幻滅があったことは、ドキュメンタリーの中でも表現されていました。けれども、私はこの曲が『Darkness』から漏れたのには、それ以上の意味があったと思います。距離が近すぎて当時のブルースには分からなかったかもしれないけれど、彼もそれを感じて"The Promise"を外したのではないか、という理由です。前回の記事でも書いたのですが、ブルースは『Darkness』という作品が表しているのは、「限界と妥協」であると同時に、それを「跳ね返す力(resilience)」や「人生に積極的に関わっていくこと」だと話しています。確かに、"Badlands"にしても、"The Promised Land," "Prove it All Night"にしても、ある種の強靭さがあり、それが今でもコンサートで聴くことの喜びにつながっている。そして、"Racing in the Street"や"Darkness on the Edge of Town"でさえ、それでもなお歩みを止めない、海へ車を走らせ、丘を登ることが歌われています。けれども、"The Promise"にはその要素があまりにも希薄なのです。当時ブルースが向き合っていた「限界や妥協」の要素があまりにも強すぎる。奔放な気持ちで書いたスパニッシュ・ジョニーやワイルド・ビリーの空想を破り、解放と成功につながると信じ、本当に多くの聴き手の共感を呼んだサンダーロードさえ否定してしまうというのは。"The Promise"は心が痛むほどに現実的で、それこそ「限界」や「妥協」そのものの物語と言っていい、その意味では心を強く捉えられるものです。でも、『Darkness』の構成が最終的にあれだけ厳選された楽曲で固められたように、ブルースは心の赴くままに作った音楽を表に出す人ではなかった。特に、『Darkness』では自分が得た成功に対する説明責任を感じたとも話しているように、受け手のことをとても意識してもいます。だから、"The Promise"は本当にブルースと距離が近く、感情の点ではこれ以上ないくらい正直だったかもしれないけれど、作品としては当時の彼には何かが欠けているように思われたとしても私は不思議ではないと思います。それが今になってリリースできるのは、彼自身がその後の30年余りを現実に生き抜くことで、この"The Promise"の物語のその後、それも決して落胆的ではないその後を示すことができたから。それが、この曲に欠けていた「跳ね返す力」と「人生に積極的に関わっていく」姿勢を補ってくれるからです。

そして、最後にこの記事の最初に投げかけた問いに戻ろうと思います。私には、この曲について語るべき物語があるのだろうか。ブルースに出会ってから長い間、私は『Born to Run』の中に自分を見出していたと書きましたが、『The Promise: Darkness』を手にして、この記事を書くまでの間、私は今の自分は一体どの段階にいるのかということをもう1度考えました。そして、『Darkness』に限りなく近くはあるけれど、今の私はまだ『Born to Run』から抜け出していないと結論したのです。"Factory"の記事の終わりにも書いたのだけど、私にはまだ、するべき挑戦があり、本当の「限界と妥協」にさえ直面していない。どれだけ夢を見ても、その先に恐らく寒々しい現実が立ちはだかっていることは、私にも分かっている。その時が来たら、私には耳を傾けるべき曲があり、心を開くべき物語があるのです。でも、それは今ではない。今の私は、それがかつてほど容易ではないとは知りながら、まだ走るために生まれたと信じる放浪者の気持ちでいたいからです。

"Someday girl, I don't know when,
we're gonna get to that place
 Where we really want to go"
("Born to Run")



Bruce Springsteen "Ain't Good Enough for You"

2010-12-15 02:37:41 | The Promise
歩き方が気に入らない
話し方も駄目
お前は尽きることなく俺を批判する
だったらどうして俺といるのか理屈に合わない
俺の着るものにも文句を言い
他にいい相手だって見つかるんだからと言う
クルマはうるさすぎるし
男友達と出歩いてばかりだと言っては泣く

もうお手上げだ ダーリン
何をしたって これが事実だ
お前にとっては俺は至らない男

俺の夜の愛し方も不満だし
俺がいかにお前の好みじゃないかをあげつらう
出かければ 俺といてもつまらないと言い
家にいれば 一体何のために生きているのかと言う
分からないよ 俺にはどうしようもない
どうしたってお前を満足させられない
夜も明けようという頃 俺はキスをしようと身を屈める
投手投げる、バッター振る、空振り

もうやめだ リトルダーリン
何をしたって これが事実
お前にとっては俺はいまひとつ

変わろうと思って 販売の仕事にも就いた
アップタウンのブルーミングデールでシャツも買った
最新流行に乗ろうとしたんだよ
クールにさ ジミー・アイオヴィンみたいに
最新のグルーヴのあるレコードを買って
最新のやり方が乗ってるセックスガイドも買ったんだ
花を買って 戸口で待っていたら
お前が出てきて もう俺には会いたくないだって

もう付き合いきれない リトルダーリン
俺が何をしようと これが事実
お前にとって俺は至らない男
何をしたって 本当に
お前は俺には満足しない
何をしようと そうだろ
俺はお前にとっては至らない男

ENGLISH


(参)アップタウンブルーミングデール:ここで言うアップタウンはニューヨーク市のアップタウンのことかもしれません。
  ブルーミングデールは格調の高い高級百貨店です。
  ジミー・アイオヴィン:『The Making of Darkness on the Edge of Town』にも登場するレコーディングエンジニア。

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ブルース・スプリングスティーン『The Promise: Darkness on the Edge of Town』(2010)のリリースから1週間が経ちます。私はCDをすべて聴いて、DVDは昨年アズベリー・パークのパラマウント・シアターで行なわれた『Darkness on the Edge of Town』(1978)のライブ演奏以外は観終わりました。本当は全部終わってから、と思ったのですが、いろいろ書きたいことが積もってきたので、少しずつ書いていくことにします。今月、そして今年の残る更新はこの作品に関することで終わりそうです。

今日取り上げた、"Ain't Good Enough for You"は『The Promise』(2010)という、『Darkness on the Edge of Town』のアウトテイク集2枚組に収められた1曲です。日本盤のボックスセットがリリースされる、確か前日には、"Save My Love"に続いてこの曲のミュージックビデオが公開されました。この映像や、曲そのものから受ける何よりも強い印象は、これがいかに楽しい曲かということです。歌詞を見てもレコーディングエンジニアのジミー・アイオヴィンの名前をそのまま使ったり、セックスガイドまで買ってガールフレンドを喜ばそうとがんばったという話があったり、コミカルで遊び心に満ちています。そして、結局この曲は全然深刻さを備えていなくて、「もうお手上げだ」と言いながらも、それを大して気にしたふうもない。何故なら、ブルースは20代で、ロックミュージックに夢中で、本当は自分がやりたいようにしかやれない若者だから。その突き抜けた様子が曲の雰囲気とあいまって何とも小気味良く感じられます。

そして、私がこの曲の楽しさに益々心を惹かれることになった1番の理由は、DVD『The Making of Darkness on the Edge of Town』の中でブルースが語ったことにとても胸を打たれたからでした。

「ポップとロックが共に約束したことというのは、
終わることのない現在の感覚だと思う。
それはいつもこう言っている。
"外でもない今。今この瞬間を生き抜かねばならない"と。
3分間の曲で、突然人生の高みに至り、高揚感を覚える。
そこでは心を奪われるような永遠の現在が存在しているんだ。」


これは『The Making of Darkness on the Edge of Town』の中でも最も私の心を捉えた言葉の1つでした。ブルースにとって、そして私にとってロックミュージックというのは語る術であり、『Darkness』がそうであったように怒りの表現であり、人生と向き合う方法であり、夢を見る方法であり、逃避の手段でもある。けれども、その根本にある最も大切な要素、今挙げたロックミュージックの役割のすべてを下支えするのが、それが持つ楽しさでもあると私は思っています。3分間のポップソングによって高揚し、すべてを束の間忘れて楽しむことができる。そこには「今」しか無いからこそ、過去の悲しみや未来への不安に囚われることなく「今を生き抜く」ことができる。ブルースは「豊かになるよりも、有名になるよりも、幸せになるよりも、俺は偉大なアーティストになりたかった」と述べているようにアーティストとして『Darkness』という作品には厳しすぎるほど一貫した怒りと挫折と責任のテーマを与えました。そして、それはアートである以上、必ずしも彼の生活をそっくりそのまま反映したものではなく、だからこそ、『Darkness』の制作の過程には沢山の"Ain't Good Enough for You"のような楽しい曲、ポップな曲が書かれていた。そうした曲と『Darkness』に収められた曲を合わせて初めて、現実のブルースの姿、物事の本当の姿に私は近づくことができるのではないかと思うのです。
そして、楽しいことをただ楽しいからやるというのではなくて、自分が心血を注ぎ、携わり続ける対象として、そこにはどんな含意があるのか、その本質を見抜こうとしながら向き合うブルースの真摯さにも改めて強く心を動かされました。



Joe Posnanski "The Promise" from Joe Blogs (2/2)

2010-11-22 02:07:51 | The Promise
Joe Posnanski “The Promise”
from Joe Blogs on 11/10/2010 (2/2)


***
約束が果たされなくなっても 人生は続いていく
だが魂の奥深くから何かが盗み取られ
まるで真実が告げられても 何の意味の為さないように
心の中で何かが冷たくなってしまった


***

結局、ブルース・スプリングスティーンは『闇に吠える街』からすべてをそぎ落とし、最も容赦のない曲だけを残した。
「バッドランズ」 は典型的なブルース・スプリングスティーンの曲と言えるのではないだろうか。日常生活における逆風に立ち向かうという曲だ。
「アダムとカイン」 は「一生、苦しむためだけに働く」父親と衝突する息子の歌。
「サムシング・イン・ザ・ナイト」は夜のうちに逃避を試みるが、州境で捕まってしまう2人について。
「キャンディーズ・ルーム」は悲しみに捉えられた美しい売春婦に恋をする青年に関する非情なラブストーリー。
「レーシング・イン・ザ・ストリート」。たぶんこのアルバムの中で私が1番好きな1曲だ。夢を失って(だがすべてではない)、自分に残された自由な精神の最後の欠片を見出し、夜に396馬力のターボジェットエンジンを積んだ‘69年型のシボレーでレースに出たいと思っている男の話。男がカマロとレースをして勝ち得たものの、今では「生まれてきたことを厭う者の目で夜の闇を見つめる」女とのラブストーリーもある。
「プロミスト・ランド」はもう1つのアンセム。B面の“Badlands”と言えるものだ。「毎朝起きて欠かさず仕事に行く/だが次第に何も見えず、血は冷たくなっていく/時々とても頼りなく思えて、爆発したくなる」。
「ファクトリー」は―、雨の中、工場の仕事に行くスプリングスティーンの父親について。
「ストリーツ・オブ・ファイア」も失われた夜についての歌。「俺は行き場のない天使たちと共に歩く」。
「暗闇へ走れ(Prove it all Night)」。このアルバムは変わり映えのしない日々へと続く終わりのない夜を歌っていた。数多のカントリーソングや短編小説や素晴らしい絵画、そして殆どすべてのフランク・シナトラの悲しい歌のインスピレーションとなったいつでも変わらない永遠に続く夜。
「闇に吠える街」は“Racing in the Street”と同じ男の話だと思う。ただ今では女は去って、男は秘密を保とうとしている。彼に残されているのは「街外れの闇でだけ見出すことのできるもの」だけだ。

これが私が聴いて感じたことだ。不透明で暗く、無慈悲なアルバムで逃げ場がない。バーソングも無ければ、ビーチの歌もない。楽しい歌も1曲たりとない。(但し、スプリングスティーンとスティーヴィー・ヴァン・ザントはある日ふざけていて、“Sherry Darling”というとても楽しい曲を書きはした。)希望を感じさせる曲すらなかった。それでもこのアルバムには希望があった。音楽が希望だった。それは高く舞い上がり、急降下して襲いかかり、ぎりぎりと力を加え、沈黙に限りなく近く密やかになる。音楽こそが、心の奥深くにある、生きていることは罪ではないという考えを訴えるのだ。このアルバムの中枢を為す歌詞だし、結局のところアルバムが言わんとしているのもこのことだったと思う。
そして、ご存じの通り“The Promise”は『闇に吠える街』に収録されなかった。バンドは演奏し、それが素晴らしい演奏で、もしかするとブルース・スプリングスティーンがこれまで書いた中でも最高の1曲かもしれないと思った。あらゆる点でスプリングスティーンが言おうとしていたことのすべてがそこにあったから、アルバムにも合っていた。スプリングスティーンだけがリリースする気になれず、自分にあまりに近すぎると言う以上にうまく説明することもできなかった。この曲は自分の楽曲を管理する権利をめぐるマイク・アペルとの争いの歌だと考える人もいれば、成功の中で自分自身、自分自身の最良と思われた部分を失うことの恐怖を歌ったものだと考える人もいた。彼のもとを去った友人についての歌だという解釈もあった。
けれどももちろん、最終的にはブルース・スプリングスティーンにとって“The Promise”がどういう歌であるかは些細な知識であるに過ぎず、重要ではない。優れた音楽やアートが須くそうであるように、問題は受け手にとってそれが何を意味するかということだけだ。スプリングスティーンはこの曲を『闇に吠える街』には入れなかったが、暫くの間はライブで演奏していた。しかしやがてそれもやめてしまう。そして1999年に『18 トラックス』の1曲(私が初めて聴いたもの)としてリリースされる頃には、まるで別の曲になっていた。憂いは増し、苦みは減じ、より悲しいが、反抗の色は少なくなって、ピアノだけでの演奏になっていた。そして、30年以上も経った今、ブルース・スプリングスティーンは『闇に吠える街』の製作中に録音し、道端に置いてきてしまった曲の数々を1つのアルバムとしてリリースする。そこには、「ランデヴー」のようなバーソング、スプリングスティーン自身のひりひりするような「ビコーズ・ザ・ナイト」、アップビート(で騒々しい)「ファイア」、そして『明日なき暴走』の1曲のような耳を奪われるロックバージョンの「レーシング・イン・ザ・ストリート」(ここでは車は383馬力のフォード車で、たぶん50年代終わりのマーキュリーマラウンダーエンジンだろう)などが含まれている。
そしてもちろん、「ザ・プロミス」もここには収められていて、アルバム自体が『ザ・プロミス』というタイトルになっている。ここでの演奏は、よりパーソナルで、普遍性は減退し、当時ブルース・スプリングスティーンが切り抜けようとしていたことについての歌だという感じがする。チャレンジャーは殆どまさにブルースの音楽で、秘密とはまさしく彼が音楽に対して抱いていた感情の深さであり、彼はそれを売ってしまい、口にしてしまい、それによって彼は命運が尽きかけた。これは美しい演奏だが、私が最初に聴いたのがこのバージョンでなくて良かったと思う。私が聴いたのはブルース・スプリングスティーンとマイク・アペルのアートをめぐる争いについてではなく、車で工場に向かう道のりのことだったから。

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サンダーロードは
失われた恋人たちと八百長試合のために開かれている
サンダーロード
雨の中を走り抜けてゆくタイヤを待っている

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私の心に残っている記憶は、工場でのことや仕事や同僚のことでもなく(彼らの名前も思い出せない)、1日の終わりに感じる絶望や一生このままで終わるのではないかという恐怖でもない。私が覚えているのは、ノース・キャロライナでのあの雨の日のこと。父親が車を運転し、私は窓の外をじっと見ている。2人は私の初めての車となるものに座っている。ポンティアックは396馬力もなかったから、丘を越えるのは一苦労だった。
そして、恐らく初めて、父親のしていたことを私は心から理解することができた。フラストレーションや恐怖や落胆を家に持ち帰る父親たちが世間にいることは知っていたけれど、私はそれを理解することがなかった。私の父は飲酒もしなかったし、激しい怒りを示すこともなかった。通りでレースに出ることもなかった。1日にケントの煙草を2箱吸い、日曜日にはボーリングをし、週に1晩はクラブでチェスをした。私のリトル・リーグのチームではコーチを務め、独立記念日には花火が見られるようにと私たちみんなを車に乗せて連れ出してくれた。そして大晦日には必ずシャンパンとキャビアを買ってきた。ズボンには油の染みをつけ、息にはサラミのにおいをまじらせながら、家に帰った。そしてテレビの前で眠りに落ちた。
車の中で父親とどんな話をしたかは思い出せない。スポーツやテレビのことだったかもしれない。工場の経営に関することもあったかもしれない。覚えているのは雨のこと、雨の中を走り抜けていくタイヤ、フロントガラスで甲高い音を立てるワイパーの様子。そしてこれが父親の人生なのだということに自分がいかに思い至ったか。私にはまだ自分を守る時間と約束があった。とうとう私は自分はそれなりに頭が切れて、何とかやっていけると思えた。もちろん父は私よりも賢かったし、今でもそうだ。彼の世代の男がおしなべてそうであるように(私には見える)、父は何でも修理できたし、何でも解決でき、何でも持ち上げることができた。チェスの名プレーヤーを相手にすることもでき、ライフルでどんな獲物も仕留めることができた(でも父は銃を嫌っていた。狙撃は軍で学んだものだった)。サッカーボールは永遠にドリブルできるようだったし、野球ボールのフライは想像もできないくらい高く上がった。そして、50年代の曲は殆ど何でも引用できた。これが父親の人生だった。朝、工場へ向けて車を走らせる。毎朝、太陽の光も届かない編機の轟音の中へ向かって。
2週間ほど前、奇妙な経験をした。私は飛行機に乗っていて、『インヴィンシブル』(2006)を観ていた。フィラデルフィアのバーテンダーからイーグルスの選手になったヴィンス・パパーリの1970年代の話だ。前にも観たことがあったし、そもそも、こんなもう何年か前の映画が何故かかっているのかも分からなかった。けれども、とにかく私はそれを観ていて、それなりに楽しんでいた。その中で、ヴィンスの父親が彼にスティーヴ・ヴァン・ビューレンのタッチダウンについて話す場面がある。1948年にシカゴ・カーディナルズを破ってイーグルスを優勝に導いたタッチダウンが、父親にとって辛い日々をやり過ごす支えになっているのだ、と。
それは次の仕事が待つ次の街へ向かう飛行機の中で観る陳腐な映画の感傷的な台詞だったのに、なんということか、涙が目に浮かんでくるのを感じた。「ザ・プロミス」を聴いた時と同じ涙だった。父親の支えは何だったのか?こんなことは映画や歌の中でしか話されない。あの日、車の中で私は遂に理解したのだ。父が長く退屈で、苦痛に満ちた工場での日々をどうやって切り抜けているのか。父はそのことを口にしなかったし、私も黙っていた。雨は降り続いていたが、穏やかだった。そして私たちは朝食に立ち寄り、丁度、闇が少しずつ明るさを増してゆく中を、工場に向かって走った。(終)

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Joe Posnanskiさんのこの文章は、まさにブルース・スプリングスティーンの『Darkness on the Edge of Town』(1978)と”The Promise”が描く世界の1つの具体的な物語です。ブルースの音楽から読み取れる不安や感情はもしかすると、Posnanskiさんがここで書いたものよりは、曖昧かもしれない。けれども、音楽と限られた言葉を通じて、大きな夢を見た後に待つ闇、即ち見通しのきかない未来と共にある現実に突き当たる恐怖を肌で感じ取れるように表現していたということが、Posnanskiさんの個人的な経験を通してとてもよく伝わるように思います。そして、反対にPosnanskiさんの文章からは彼がいかに丁寧にブルースの音楽に向き合い、それを通じて若き日の自分が日々を生き抜くためのある真理を見出した日のことをきちんと自分の中に位置づけていることが感じ取れるのです。そのことによって、私は若さの終わりは誰にも訪れるものであることを意識すると同時に、その闇を最終的に潜り抜ける瞬間は自分だけのものであるとも認める。
“The Promise”については、日本盤『Darkness on the Edge of Town』のボックスセットに入っているDVDなんかを少し観てから改めて記事にしたいと思っています。