夢を見たよ 俺たちは永遠に愛し合うという夢
昨夜夢を見たんだ 彼女も見たって
今夜はあの娘が待っていてくれるはず
俺が塞いでいてもそんな気分は吹き飛ばしてくれる
Ooh ランデヴー
お前のことがどんなに好きか言わなかったかい
感じるんだよ お前もきっと俺が好きなんじゃないかって
お前がぎゅっと抱きしめてくれさえすれば
俺たち2人、夜に乗ってどこへでも行けるよ
Ooh ランデヴー
こんな状況に甘んじているなんてもったいない
俺はお前の最後のキスに力を得て
その約束にすがって生きているんだ
なぜって俺たちは永遠に愛し合うという夢を見たから
昨夜夢を見たんだ 彼女もそう
だからほら きつく抱きしめてくれよ
俺たち2人で夜に乗ってどこへでも行こう
2人で待ち合わせて 出かけたいんだよ
ランデヴーにさ
ENGLISH
先日も少しふれた、1978年にデイヴ・マーシュが『Rolling Stone』に書いたブルース・スプリングスティーンの記事"Bruce Springsteen Raises Cain"の中で、印象的だった話に、"Rendezvous"という曲に関するものがありました。前にこのマーシュの文章を取り上げた時にも述べたことですが、ここに書かれているのは、まさに28歳くらいの頃のブルースの姿で、誰もこの後、彼が『Born in the U.S.A.』(1985)なんていうアルバムを作ることも、やがてEストリート・バンドを1度は解散することも、そして50歳を過ぎてから、精力的な活動をして、音楽の世界の中では、アメリカの代名詞のようにも扱われる人物になるなんてことも、何ひとつ知られていなかった頃のことです。記事の中でマーシュは、「ブルース・スプリングスティーンが結婚して、身を落ち着け、家族を作り、子供を持つなんて想像することもできない。そんなのはあまりにもいんちきくさいことだろう」と書いています。でも、現実には彼は結婚して、家族を作り、3人の子供がいる。誰も30年以上も後で、ブルースがどんなふうになっているだろうとか、まだ音楽を作っているだろうとか、考えもしなかった頃。何故なら、彼の活動は、3年前の『Born to Run(明日なき暴走)』(1975)で、大分、広範囲の注目を集め出してはいたものの、本当にしっかりとした基盤は北東部と南西部にしかまだなかったし、3年間を法廷闘争で失った後に出された『Darkness on the Edge of Town(闇に吠える街)』(1978)がどんな意味を持つものなのか、まだ誰も本当には知らなかったし、それを掴み得るほどには時が経っていなかった(この記事が書かれたのは、アルバムが発表されてからちょうどひと月後)。だから、今から思えばあたかも当然にも思えるような選択や決断も、このときのブルースにとっては大きなチャレンジであり、リスクでした。私はブルースに出会ったとき、彼はすでにもうあまりにも大きな存在になってしまっていたから、このことをつい忘れてしまいそうになるけれど、ひとたびそうした当時の状況に思い至ると、今の自分とそう歳の変わらない彼が、どれほど真面目に、強い意志を持って、『Born to Run』以降の自分や音楽について考えてきたかということが感じられて、殆ど畏怖の念さえ感じそうになる。
今日取り上げた"Rendezvous"は、正式に発表されたのは2回で、いちどは『Tracks』(1998)で、このときは1980年12月31日にニューヨークで行なわれたコンサートの音源が使われています。2度目は2010年にリリースされた『The Promise』という『Darkness』の頃に沢山撮られていながらお蔵入りとなった曲を集めたアルバムに収められました。いちばん最初は1977年にスタジオでレコーディングされたということですが、こちらは歌詞が『Tracks』のものと同じで、『The Promise』の方はちょっと違っている。今日取り上げたのは、『The Promise』の方の歌詞です。私が本当にびっくりしたのは、マーシュが78年に書いた記事の中で、ブルースが以下のように述べていたからです。
「1枚のアルバムになるくらいポップな曲を書いたよ。"Rendezvous"とか、初期のイギリスっぽいやつを。アルバム1枚作れるくらいの数が今まさにあるんだ。どうにかしてリリースはするつもり。そんな曲ばかり10曲か11曲くらいは言ったアルバムを作りたいね。でも、今はそのときじゃないと感じたんだ。"Rendevous"を放り込むことによって、アルバムの張りつめた緊張感を損なうのは絶対に嫌だった。あの曲は、コンサートでやっていて人気があるというのは分かっていたけれど」。
驚く部分はいろいろあるのですが、1つには、この頃に書いたポップな曲をいずれは何らかの形でリリースしたい、と彼が言っていて、それが『Darknes』期に限って言うならば、32年後に実現したということです。10曲か11曲というような控え目な形ではなかったけれど、結局、『The Promise』という作品は基本的にこの78年時点でブルースがいつかやる、と言ったものとほぼ同じものと言ってもいい。一体、誰が2010年なんていう時代に、それが実現すると想像することができただろう、と思うと眩暈のするような心持ちがします。そしてもう1つには、ブルースの『Darkness』に対する真剣さでした。ここで彼が言っているのとやはり同じようなことは、2010年に出たこの作品のドキュメンタリなどの中でも大いに語られていたのだけれど、それを今のブルースが言うと、もちろんその時はそれなりに胸を打たれたのですが、やっぱりブルースはそういう人なんだ、という再確認のようにどうしても私は感じてしまっていた部分があったことに気づかされました。今から考えれば、このときのブルースの判断はとてつもなく誠実であり、正しかったし、だからこそ何となく当然のようにも、他の選択はないようにも考えられるけれど、当時の人達はブルースがそんな人だなんて(多くの場合)知らないし、今みたいに、どんなものでも彼が真面目に作ったものなら、かなりそれなりに売れる、というのとは状況がずいぶん違ったわけです。その中で、人が好んでくれている"Rendezvous"を敢えて出さない、というのは、本当に勇気のいることだと思う。
マーシュはあるとき、不思議に思って、なぜ『Darkness』にはコンサートにあるような浮き立つようなユーモアが無いのか、と尋ねます。ブルースは真面目な話をするとき、たどたどしくなる癖があり、このときもそうだったと言います。「ショウは、すべてのアルバムのコンピレーションなんだ。『The Wild, the Innocent and the E Street Shuffle(青春の叫び)』(1974)に戻ってみれば、"Rosalita"とかそういう曲がいろいろある。でも、このアルバムを作っていたときには、俺は特定のことだけを考えていた。中でもとりわけ重要だったのは、この作品は容赦なく、諦めることを知らないものでなくてはならない、ということだった…特定のことの集中砲撃とでもいうような」。また、『Darkness』は真面目くさっていて暗く、憂鬱なアルバムだ、という評価も多くあったようですが、ブルースはこう言われることがすごく嫌だった。「"Badlands"が始まって数秒で、「愛や希望、信念を信じている」というフレーズを入れたのに。アルバムの四隅すべて("Badlands," "Racing in the Street," "The Promised Land," "Darkness on the Edge of Town")でそういうことを歌っているのに」と。
(ブルースのコアなファンという枠を超えた)広い世間から見て、『Darkness』というアルバムがどれくらい評価されているか私にはいまいちよく分からないのだけれど(もちろん、『Born to Run』や『Born in the U.S.A.』ほど知られていないし、デビューアルバムや『The River』(1980)ほどよく取り上げられたりもしていない気がする)、やっぱり重たい、暗いというイメージはあるのかもしれない(マーシュはタイトルのせいだとも言っている)。私はこのアルバムは、いちばん最後に聴き始めたスタジオアルバムの1枚でもあったのだけれど、ここ数年間はときに『Born to Run』以上に救われる作品になっています。夢見るばかりの時代が終わったときに、いかに強かに、容赦なく、諦めることを知らない姿勢で物事に臨んでいくかを、この作品から掴みとろうとしていると思う。でもそれは、本当にそれ一辺倒の精神的鍛練のようにやらなくちゃいけないか、といったら、もちろん本当に大切な部分ではそうだけれど、ブルースだって同じ時期に"Rendevous"を書いたり演奏したりしていた、ということを知っておくこともまた、大事なような気がする。
昨夜夢を見たんだ 彼女も見たって
今夜はあの娘が待っていてくれるはず
俺が塞いでいてもそんな気分は吹き飛ばしてくれる
Ooh ランデヴー
お前のことがどんなに好きか言わなかったかい
感じるんだよ お前もきっと俺が好きなんじゃないかって
お前がぎゅっと抱きしめてくれさえすれば
俺たち2人、夜に乗ってどこへでも行けるよ
Ooh ランデヴー
こんな状況に甘んじているなんてもったいない
俺はお前の最後のキスに力を得て
その約束にすがって生きているんだ
なぜって俺たちは永遠に愛し合うという夢を見たから
昨夜夢を見たんだ 彼女もそう
だからほら きつく抱きしめてくれよ
俺たち2人で夜に乗ってどこへでも行こう
2人で待ち合わせて 出かけたいんだよ
ランデヴーにさ
ENGLISH
先日も少しふれた、1978年にデイヴ・マーシュが『Rolling Stone』に書いたブルース・スプリングスティーンの記事"Bruce Springsteen Raises Cain"の中で、印象的だった話に、"Rendezvous"という曲に関するものがありました。前にこのマーシュの文章を取り上げた時にも述べたことですが、ここに書かれているのは、まさに28歳くらいの頃のブルースの姿で、誰もこの後、彼が『Born in the U.S.A.』(1985)なんていうアルバムを作ることも、やがてEストリート・バンドを1度は解散することも、そして50歳を過ぎてから、精力的な活動をして、音楽の世界の中では、アメリカの代名詞のようにも扱われる人物になるなんてことも、何ひとつ知られていなかった頃のことです。記事の中でマーシュは、「ブルース・スプリングスティーンが結婚して、身を落ち着け、家族を作り、子供を持つなんて想像することもできない。そんなのはあまりにもいんちきくさいことだろう」と書いています。でも、現実には彼は結婚して、家族を作り、3人の子供がいる。誰も30年以上も後で、ブルースがどんなふうになっているだろうとか、まだ音楽を作っているだろうとか、考えもしなかった頃。何故なら、彼の活動は、3年前の『Born to Run(明日なき暴走)』(1975)で、大分、広範囲の注目を集め出してはいたものの、本当にしっかりとした基盤は北東部と南西部にしかまだなかったし、3年間を法廷闘争で失った後に出された『Darkness on the Edge of Town(闇に吠える街)』(1978)がどんな意味を持つものなのか、まだ誰も本当には知らなかったし、それを掴み得るほどには時が経っていなかった(この記事が書かれたのは、アルバムが発表されてからちょうどひと月後)。だから、今から思えばあたかも当然にも思えるような選択や決断も、このときのブルースにとっては大きなチャレンジであり、リスクでした。私はブルースに出会ったとき、彼はすでにもうあまりにも大きな存在になってしまっていたから、このことをつい忘れてしまいそうになるけれど、ひとたびそうした当時の状況に思い至ると、今の自分とそう歳の変わらない彼が、どれほど真面目に、強い意志を持って、『Born to Run』以降の自分や音楽について考えてきたかということが感じられて、殆ど畏怖の念さえ感じそうになる。
今日取り上げた"Rendezvous"は、正式に発表されたのは2回で、いちどは『Tracks』(1998)で、このときは1980年12月31日にニューヨークで行なわれたコンサートの音源が使われています。2度目は2010年にリリースされた『The Promise』という『Darkness』の頃に沢山撮られていながらお蔵入りとなった曲を集めたアルバムに収められました。いちばん最初は1977年にスタジオでレコーディングされたということですが、こちらは歌詞が『Tracks』のものと同じで、『The Promise』の方はちょっと違っている。今日取り上げたのは、『The Promise』の方の歌詞です。私が本当にびっくりしたのは、マーシュが78年に書いた記事の中で、ブルースが以下のように述べていたからです。
「1枚のアルバムになるくらいポップな曲を書いたよ。"Rendezvous"とか、初期のイギリスっぽいやつを。アルバム1枚作れるくらいの数が今まさにあるんだ。どうにかしてリリースはするつもり。そんな曲ばかり10曲か11曲くらいは言ったアルバムを作りたいね。でも、今はそのときじゃないと感じたんだ。"Rendevous"を放り込むことによって、アルバムの張りつめた緊張感を損なうのは絶対に嫌だった。あの曲は、コンサートでやっていて人気があるというのは分かっていたけれど」。
驚く部分はいろいろあるのですが、1つには、この頃に書いたポップな曲をいずれは何らかの形でリリースしたい、と彼が言っていて、それが『Darknes』期に限って言うならば、32年後に実現したということです。10曲か11曲というような控え目な形ではなかったけれど、結局、『The Promise』という作品は基本的にこの78年時点でブルースがいつかやる、と言ったものとほぼ同じものと言ってもいい。一体、誰が2010年なんていう時代に、それが実現すると想像することができただろう、と思うと眩暈のするような心持ちがします。そしてもう1つには、ブルースの『Darkness』に対する真剣さでした。ここで彼が言っているのとやはり同じようなことは、2010年に出たこの作品のドキュメンタリなどの中でも大いに語られていたのだけれど、それを今のブルースが言うと、もちろんその時はそれなりに胸を打たれたのですが、やっぱりブルースはそういう人なんだ、という再確認のようにどうしても私は感じてしまっていた部分があったことに気づかされました。今から考えれば、このときのブルースの判断はとてつもなく誠実であり、正しかったし、だからこそ何となく当然のようにも、他の選択はないようにも考えられるけれど、当時の人達はブルースがそんな人だなんて(多くの場合)知らないし、今みたいに、どんなものでも彼が真面目に作ったものなら、かなりそれなりに売れる、というのとは状況がずいぶん違ったわけです。その中で、人が好んでくれている"Rendezvous"を敢えて出さない、というのは、本当に勇気のいることだと思う。
マーシュはあるとき、不思議に思って、なぜ『Darkness』にはコンサートにあるような浮き立つようなユーモアが無いのか、と尋ねます。ブルースは真面目な話をするとき、たどたどしくなる癖があり、このときもそうだったと言います。「ショウは、すべてのアルバムのコンピレーションなんだ。『The Wild, the Innocent and the E Street Shuffle(青春の叫び)』(1974)に戻ってみれば、"Rosalita"とかそういう曲がいろいろある。でも、このアルバムを作っていたときには、俺は特定のことだけを考えていた。中でもとりわけ重要だったのは、この作品は容赦なく、諦めることを知らないものでなくてはならない、ということだった…特定のことの集中砲撃とでもいうような」。また、『Darkness』は真面目くさっていて暗く、憂鬱なアルバムだ、という評価も多くあったようですが、ブルースはこう言われることがすごく嫌だった。「"Badlands"が始まって数秒で、「愛や希望、信念を信じている」というフレーズを入れたのに。アルバムの四隅すべて("Badlands," "Racing in the Street," "The Promised Land," "Darkness on the Edge of Town")でそういうことを歌っているのに」と。
(ブルースのコアなファンという枠を超えた)広い世間から見て、『Darkness』というアルバムがどれくらい評価されているか私にはいまいちよく分からないのだけれど(もちろん、『Born to Run』や『Born in the U.S.A.』ほど知られていないし、デビューアルバムや『The River』(1980)ほどよく取り上げられたりもしていない気がする)、やっぱり重たい、暗いというイメージはあるのかもしれない(マーシュはタイトルのせいだとも言っている)。私はこのアルバムは、いちばん最後に聴き始めたスタジオアルバムの1枚でもあったのだけれど、ここ数年間はときに『Born to Run』以上に救われる作品になっています。夢見るばかりの時代が終わったときに、いかに強かに、容赦なく、諦めることを知らない姿勢で物事に臨んでいくかを、この作品から掴みとろうとしていると思う。でもそれは、本当にそれ一辺倒の精神的鍛練のようにやらなくちゃいけないか、といったら、もちろん本当に大切な部分ではそうだけれど、ブルースだって同じ時期に"Rendevous"を書いたり演奏したりしていた、ということを知っておくこともまた、大事なような気がする。