ダイアモンドや金
この世のものとは思えないほどの財産を得た
銀行に預けきれる限りの証券もあるし
東から西まで国中に家を持っている
みんな俺と友達になりたがっている
リッチな人間はみんな知り合い
でも唯一お前だけは手が届かない
家にはレンブラントや貴重なアートが溢れているし
女の子たちはみんな俺に夢中
通りを歩けばみんな立ち止まってこちらを見つめる
ぞくぞくするような気分を味わっていると思うかもしれないが
ベイビー 俺は別にどうだっていいんだよ
なぜって俺の幸運はファルーク王さえ凌ぐほどなのに
お前にはどうしたって手が届かないから
俺の腕にはでかいダイアモンドのついた時計
お前の気を引こうとするのに お前は抵抗してしまう
俺は確かに悪魔と契約したよ ベイブ
この腕にお前を抱くまでは決して心が満たされない
家には氷にのせたキャビアもたっぷりあるし
まるで天国にいるような乗り心地の外車も持っている
うちの玄関の戸を叩く美人も100人はいるんだよ
見たことも会ったこともない人が俺にキスをしたいと言う
世界中を周り、7つの海を渡ってきた
容易いことをして大金を得ている
それでも俺は世界で1番の愚か者
なぜって俺に唯一手の届かないのは ベイビー
お前だから
ENGLISH
今日も引き続き『New Yorker』に掲載された、"We Are Alive: Bruce Springsteen at Sixty-two"を取り上げます。今回の内容は、『Rolling Stone』も扱っていましたが、私はとても印象深く感じた内容でした。『Tunnel of Love』(1987)の1曲目に収録されている"Ain't Got You"の歌詞も今日は訳したのだけれど、この曲をめぐって、ブルース・スプリングスティーンとスティーヴ・ヴァン・ザントは非常に激しい争いをしたというのです。
"We Are Alive: Bruce Springsteen at Sixty-two"
by David Remnick
ブルース:「俺のヒーロー達は、ハンク・ウィリアムズから、フランク・シナトラ、ボブ・ディランに至るまでみんなポピュラーミュージシャンで、ヒット曲を持っていた。大勢のオーディエンスに届こうと努力することには価値があると思う」。
スプリングスティーンとヴァン・ザントは、若い頃には「ピンク・キャデラック」の夢を持っていた。富とロックンロールの栄光の空想。オースティンでの講演で、スプリングスティーンはこう話した。「俺はウディ・ガスリーみたいにはならないだろうと分かっていた。俺はエルヴィスが好きで、ピンク・キャデラックに惹かれすぎていた。ポップヒットの単純さとか束の間の盛り上がる感じが好きだったし、べらぼうにうるさい音楽が好きだったし、それに自分なりの意味で、贅沢とか快適さ、スターであることが好きだった」。
スプリングスティーンは、億万長者でありながら、演劇的な自己表現においては、疎外された人々の声であるという滑稽な矛盾を自覚していた。このことに関する苦悩が歌詞に表れることは非常に稀である。80年代後半に、スプリングスティーンは『トンネル・オブ・ラヴ』に収録された “Ain’t Got You”をスティーヴ・ヴァン・ザントに聞かせた。歌詞は、「容易くできることをして、王の身代金ほどの大金を得」て、「この世のものとは思えないほどの財産」と「レンブラントや貴重なアートでいっぱいの家」を持っていながら、最愛の人からの愛情を受けられずにいる男に関するものだ。ヴァン・ザントはブルースの自分に対する嘲笑が込められていることは分かったが、それが何だと思い、呆れ返った。
「あれは俺たちの人生でも最大の大喧嘩の1つだったな」とヴァン・ザントは回顧する。「俺は『このひどい曲は一体何なんだ?』と言い、ブルースの方は、『何故さ?真実だろ。俺がどういう人間かを歌ったまでだよ。これが俺の人生だ』って。それで俺は、『こんな曲、くそみたいだ。人はお前の人生を歌ってほしくなんかないんだよ。お前の人生なんかどうだっていいんだよ。人は自分達の人生のためにお前を必要としているんだろ。こんなのはお前の関心でしかないじゃないか。この冷たい崩壊した世の中に、理屈や分別や思いやりや情熱を与えられるのがお前の天資だろう。そういう人たちの人生をその人たちのために説明するっていうのが。彼らの人生であって、お前のじゃない。』そうしてひたすら争って争って争い続けた。お互いに「ファック・ユー」って罵り合って。でもたぶん、俺が言ったことの幾分かは今でも忘れられることなく、影響を持っていると思うよ」。(拙訳)
私は、このブルースとスティーヴの議論を読んで何だか考え込んでしまいました。音楽というのは、一体誰のための表現なのだろう?
この『ニューヨーカー』の記事でも、先日取り上げた箇所には、「若いスプリングスティーンにとって、音楽はほとんど純然たる個人的解放の源泉だった」と書かれていて、それはその通りだし、聴き手はブルースのそうした自由になりたいという衝動に自分を重ねていたのだと思います。なので、この時には表現するブルースと聴き手の生活や望みが重なっていたわけです。でも、だんだんブルースがいわゆる「成功者」になり、それ特有の悩みや生活スタイルというのが出てくるようになった。それをブルースが何らかの形で表現したいというのは自然だと思う。でもその一方で、スティーヴが音楽に対して、或いはブルースに対してとても純粋で高い理想と信頼を抱いていることも、心を揺さぶられるものでもありました。人々はブルースに自分達の人生について、ブルースが歌ってくれること、何かこの混沌とした世界を理解し、受け容れるためのヒントをブルースが与えてくれることを期待しているとスティーヴは考えていて、なぜかというと、ブルースにはそのための才能があると信じているからです。それはブルースに対しては苛酷な、あまりにも重たい要求ではあるだろうし、それに従うと、"Ain't Got You"が典型となるような種類の苦悩については彼は音楽を通じて表現することができなくなってしまう。でも、ブルース自身、自分が自由になるために、混沌とした世界を理解し、受け容れるためのヒントを得るために、ギターを手に取ったのではなかったのだろうか?これが、スティーヴの口から語られた逸話なので、ブルースがスティーヴの言葉をどう受け取ったのかもとても知りたいところです。でも、スティーヴが最後に言っていることは、きっと本当なのだろうなという気がします。ブルースはかなりの度合いで、スティーヴが言ったことを受け容れたような気がする。自分に与えられた機会と才能の活用について、どこかで覚悟を決めたように思えます。でも、結局"Ain't Got You"は、『Tunnel of Love』の冒頭に収められた、というところも興味深いです。スティーヴはそれについてどう思っているのか、とか。
この世のものとは思えないほどの財産を得た
銀行に預けきれる限りの証券もあるし
東から西まで国中に家を持っている
みんな俺と友達になりたがっている
リッチな人間はみんな知り合い
でも唯一お前だけは手が届かない
家にはレンブラントや貴重なアートが溢れているし
女の子たちはみんな俺に夢中
通りを歩けばみんな立ち止まってこちらを見つめる
ぞくぞくするような気分を味わっていると思うかもしれないが
ベイビー 俺は別にどうだっていいんだよ
なぜって俺の幸運はファルーク王さえ凌ぐほどなのに
お前にはどうしたって手が届かないから
俺の腕にはでかいダイアモンドのついた時計
お前の気を引こうとするのに お前は抵抗してしまう
俺は確かに悪魔と契約したよ ベイブ
この腕にお前を抱くまでは決して心が満たされない
家には氷にのせたキャビアもたっぷりあるし
まるで天国にいるような乗り心地の外車も持っている
うちの玄関の戸を叩く美人も100人はいるんだよ
見たことも会ったこともない人が俺にキスをしたいと言う
世界中を周り、7つの海を渡ってきた
容易いことをして大金を得ている
それでも俺は世界で1番の愚か者
なぜって俺に唯一手の届かないのは ベイビー
お前だから
ENGLISH
今日も引き続き『New Yorker』に掲載された、"We Are Alive: Bruce Springsteen at Sixty-two"を取り上げます。今回の内容は、『Rolling Stone』も扱っていましたが、私はとても印象深く感じた内容でした。『Tunnel of Love』(1987)の1曲目に収録されている"Ain't Got You"の歌詞も今日は訳したのだけれど、この曲をめぐって、ブルース・スプリングスティーンとスティーヴ・ヴァン・ザントは非常に激しい争いをしたというのです。
"We Are Alive: Bruce Springsteen at Sixty-two"
by David Remnick
ブルース:「俺のヒーロー達は、ハンク・ウィリアムズから、フランク・シナトラ、ボブ・ディランに至るまでみんなポピュラーミュージシャンで、ヒット曲を持っていた。大勢のオーディエンスに届こうと努力することには価値があると思う」。
スプリングスティーンとヴァン・ザントは、若い頃には「ピンク・キャデラック」の夢を持っていた。富とロックンロールの栄光の空想。オースティンでの講演で、スプリングスティーンはこう話した。「俺はウディ・ガスリーみたいにはならないだろうと分かっていた。俺はエルヴィスが好きで、ピンク・キャデラックに惹かれすぎていた。ポップヒットの単純さとか束の間の盛り上がる感じが好きだったし、べらぼうにうるさい音楽が好きだったし、それに自分なりの意味で、贅沢とか快適さ、スターであることが好きだった」。
スプリングスティーンは、億万長者でありながら、演劇的な自己表現においては、疎外された人々の声であるという滑稽な矛盾を自覚していた。このことに関する苦悩が歌詞に表れることは非常に稀である。80年代後半に、スプリングスティーンは『トンネル・オブ・ラヴ』に収録された “Ain’t Got You”をスティーヴ・ヴァン・ザントに聞かせた。歌詞は、「容易くできることをして、王の身代金ほどの大金を得」て、「この世のものとは思えないほどの財産」と「レンブラントや貴重なアートでいっぱいの家」を持っていながら、最愛の人からの愛情を受けられずにいる男に関するものだ。ヴァン・ザントはブルースの自分に対する嘲笑が込められていることは分かったが、それが何だと思い、呆れ返った。
「あれは俺たちの人生でも最大の大喧嘩の1つだったな」とヴァン・ザントは回顧する。「俺は『このひどい曲は一体何なんだ?』と言い、ブルースの方は、『何故さ?真実だろ。俺がどういう人間かを歌ったまでだよ。これが俺の人生だ』って。それで俺は、『こんな曲、くそみたいだ。人はお前の人生を歌ってほしくなんかないんだよ。お前の人生なんかどうだっていいんだよ。人は自分達の人生のためにお前を必要としているんだろ。こんなのはお前の関心でしかないじゃないか。この冷たい崩壊した世の中に、理屈や分別や思いやりや情熱を与えられるのがお前の天資だろう。そういう人たちの人生をその人たちのために説明するっていうのが。彼らの人生であって、お前のじゃない。』そうしてひたすら争って争って争い続けた。お互いに「ファック・ユー」って罵り合って。でもたぶん、俺が言ったことの幾分かは今でも忘れられることなく、影響を持っていると思うよ」。(拙訳)
私は、このブルースとスティーヴの議論を読んで何だか考え込んでしまいました。音楽というのは、一体誰のための表現なのだろう?
この『ニューヨーカー』の記事でも、先日取り上げた箇所には、「若いスプリングスティーンにとって、音楽はほとんど純然たる個人的解放の源泉だった」と書かれていて、それはその通りだし、聴き手はブルースのそうした自由になりたいという衝動に自分を重ねていたのだと思います。なので、この時には表現するブルースと聴き手の生活や望みが重なっていたわけです。でも、だんだんブルースがいわゆる「成功者」になり、それ特有の悩みや生活スタイルというのが出てくるようになった。それをブルースが何らかの形で表現したいというのは自然だと思う。でもその一方で、スティーヴが音楽に対して、或いはブルースに対してとても純粋で高い理想と信頼を抱いていることも、心を揺さぶられるものでもありました。人々はブルースに自分達の人生について、ブルースが歌ってくれること、何かこの混沌とした世界を理解し、受け容れるためのヒントをブルースが与えてくれることを期待しているとスティーヴは考えていて、なぜかというと、ブルースにはそのための才能があると信じているからです。それはブルースに対しては苛酷な、あまりにも重たい要求ではあるだろうし、それに従うと、"Ain't Got You"が典型となるような種類の苦悩については彼は音楽を通じて表現することができなくなってしまう。でも、ブルース自身、自分が自由になるために、混沌とした世界を理解し、受け容れるためのヒントを得るために、ギターを手に取ったのではなかったのだろうか?これが、スティーヴの口から語られた逸話なので、ブルースがスティーヴの言葉をどう受け取ったのかもとても知りたいところです。でも、スティーヴが最後に言っていることは、きっと本当なのだろうなという気がします。ブルースはかなりの度合いで、スティーヴが言ったことを受け容れたような気がする。自分に与えられた機会と才能の活用について、どこかで覚悟を決めたように思えます。でも、結局"Ain't Got You"は、『Tunnel of Love』の冒頭に収められた、というところも興味深いです。スティーヴはそれについてどう思っているのか、とか。