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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Bruce Springsteen "Ain't Got You"

2012-08-09 01:48:21 | Tunnel of Love
ダイアモンドや金
この世のものとは思えないほどの財産を得た
銀行に預けきれる限りの証券もあるし
東から西まで国中に家を持っている
みんな俺と友達になりたがっている
リッチな人間はみんな知り合い
でも唯一お前だけは手が届かない

家にはレンブラントや貴重なアートが溢れているし
女の子たちはみんな俺に夢中
通りを歩けばみんな立ち止まってこちらを見つめる
ぞくぞくするような気分を味わっていると思うかもしれないが
ベイビー 俺は別にどうだっていいんだよ
なぜって俺の幸運はファルーク王さえ凌ぐほどなのに
お前にはどうしたって手が届かないから

俺の腕にはでかいダイアモンドのついた時計
お前の気を引こうとするのに お前は抵抗してしまう
俺は確かに悪魔と契約したよ ベイブ
この腕にお前を抱くまでは決して心が満たされない

家には氷にのせたキャビアもたっぷりあるし
まるで天国にいるような乗り心地の外車も持っている
うちの玄関の戸を叩く美人も100人はいるんだよ
見たことも会ったこともない人が俺にキスをしたいと言う
世界中を周り、7つの海を渡ってきた
容易いことをして大金を得ている
それでも俺は世界で1番の愚か者
なぜって俺に唯一手の届かないのは ベイビー
お前だから

ENGLISH


今日も引き続き『New Yorker』に掲載された、"We Are Alive: Bruce Springsteen at Sixty-two"を取り上げます。今回の内容は、『Rolling Stone』も扱っていましたが、私はとても印象深く感じた内容でした。『Tunnel of Love』(1987)の1曲目に収録されている"Ain't Got You"の歌詞も今日は訳したのだけれど、この曲をめぐって、ブルース・スプリングスティーンスティーヴ・ヴァン・ザントは非常に激しい争いをしたというのです。

"We Are Alive: Bruce Springsteen at Sixty-two"
by David Remnick
 ブルース:「俺のヒーロー達は、ハンク・ウィリアムズから、フランク・シナトラ、ボブ・ディランに至るまでみんなポピュラーミュージシャンで、ヒット曲を持っていた。大勢のオーディエンスに届こうと努力することには価値があると思う」。

スプリングスティーンとヴァン・ザントは、若い頃には「ピンク・キャデラック」の夢を持っていた。富とロックンロールの栄光の空想。オースティンでの講演で、スプリングスティーンはこう話した。「俺はウディ・ガスリーみたいにはならないだろうと分かっていた。俺はエルヴィスが好きで、ピンク・キャデラックに惹かれすぎていた。ポップヒットの単純さとか束の間の盛り上がる感じが好きだったし、べらぼうにうるさい音楽が好きだったし、それに自分なりの意味で、贅沢とか快適さ、スターであることが好きだった」。

 スプリングスティーンは、億万長者でありながら、演劇的な自己表現においては、疎外された人々の声であるという滑稽な矛盾を自覚していた。このことに関する苦悩が歌詞に表れることは非常に稀である。80年代後半に、スプリングスティーンは『トンネル・オブ・ラヴ』に収録された “Ain’t Got You”をスティーヴ・ヴァン・ザントに聞かせた。歌詞は、「容易くできることをして、王の身代金ほどの大金を得」て、「この世のものとは思えないほどの財産」と「レンブラントや貴重なアートでいっぱいの家」を持っていながら、最愛の人からの愛情を受けられずにいる男に関するものだ。ヴァン・ザントはブルースの自分に対する嘲笑が込められていることは分かったが、それが何だと思い、呆れ返った。
 「あれは俺たちの人生でも最大の大喧嘩の1つだったな」とヴァン・ザントは回顧する。「俺は『このひどい曲は一体何なんだ?』と言い、ブルースの方は、『何故さ?真実だろ。俺がどういう人間かを歌ったまでだよ。これが俺の人生だ』って。それで俺は、『こんな曲、くそみたいだ。人はお前の人生を歌ってほしくなんかないんだよ。お前の人生なんかどうだっていいんだよ。人は自分達の人生のためにお前を必要としているんだろ。こんなのはお前の関心でしかないじゃないか。この冷たい崩壊した世の中に、理屈や分別や思いやりや情熱を与えられるのがお前の天資だろう。そういう人たちの人生をその人たちのために説明するっていうのが。彼らの人生であって、お前のじゃない。』そうしてひたすら争って争って争い続けた。お互いに「ファック・ユー」って罵り合って。でもたぶん、俺が言ったことの幾分かは今でも忘れられることなく、影響を持っていると思うよ」。
(拙訳)

私は、このブルースとスティーヴの議論を読んで何だか考え込んでしまいました。音楽というのは、一体誰のための表現なのだろう?
この『ニューヨーカー』の記事でも、先日取り上げた箇所には、「若いスプリングスティーンにとって、音楽はほとんど純然たる個人的解放の源泉だった」と書かれていて、それはその通りだし、聴き手はブルースのそうした自由になりたいという衝動に自分を重ねていたのだと思います。なので、この時には表現するブルースと聴き手の生活や望みが重なっていたわけです。でも、だんだんブルースがいわゆる「成功者」になり、それ特有の悩みや生活スタイルというのが出てくるようになった。それをブルースが何らかの形で表現したいというのは自然だと思う。でもその一方で、スティーヴが音楽に対して、或いはブルースに対してとても純粋で高い理想と信頼を抱いていることも、心を揺さぶられるものでもありました。人々はブルースに自分達の人生について、ブルースが歌ってくれること、何かこの混沌とした世界を理解し、受け容れるためのヒントをブルースが与えてくれることを期待しているとスティーヴは考えていて、なぜかというと、ブルースにはそのための才能があると信じているからです。それはブルースに対しては苛酷な、あまりにも重たい要求ではあるだろうし、それに従うと、"Ain't Got You"が典型となるような種類の苦悩については彼は音楽を通じて表現することができなくなってしまう。でも、ブルース自身、自分が自由になるために、混沌とした世界を理解し、受け容れるためのヒントを得るために、ギターを手に取ったのではなかったのだろうか?これが、スティーヴの口から語られた逸話なので、ブルースがスティーヴの言葉をどう受け取ったのかもとても知りたいところです。でも、スティーヴが最後に言っていることは、きっと本当なのだろうなという気がします。ブルースはかなりの度合いで、スティーヴが言ったことを受け容れたような気がする。自分に与えられた機会と才能の活用について、どこかで覚悟を決めたように思えます。でも、結局"Ain't Got You"は、『Tunnel of Love』の冒頭に収められた、というところも興味深いです。スティーヴはそれについてどう思っているのか、とか。


Bruce Springsteen "Valentine's Day" from a movie: No Looking Back

2010-08-02 00:46:59 | Tunnel of Love
暗闇の中 ハイウェイをでかいのろまな車を急いで走らせている
片手でハンドルを握りながら もう一方で震える心臓を押さえて
飛び出しそうなほど 激しい動悸
お前ともう1度2人きりになるまで止まないだろう

昨夜 友達が父親になった
奴の声には星のような光が感じられた
川や松の木々の合間にいる狼
そしてルート39号沿いのいかしたジュークボックスの音も
一人旅が1番早いと人は言うけれど
今夜の俺は彼女が恋しい 家に帰りたい

あの音は
道の端に残された木の葉だろうか
そのせいで俺は今夜こうしておっかないハイウェイに出てきた
むせび泣くようにせせらぐ川に
月の光が射しているのか
そんなの俺は恐ろしくない
俺が何よりも怖いのはお前を失うことだ

夢の中で死んだ時にはベッドの中でも現実に死んでいるという
だけど昨夜の俺の夢では 目玉が頭の裏側まで引っくり返ったんだよ
そして神の光が射した
真っ暗な中 目覚めた俺は 怯えて息をつき そして生まれ変わっていた
俺の中を駆け巡っていたのは 川底の冷たさでも
破れた夢の苦味でも
この腕の中を吹き抜ける 灰色の広野の風でもなかった
あれはお前だったんだ
だから俺を抱きしめて ずっと俺のものだと言ってくれ
俺のひとりぼっちの恋人でいてくれると  

ENGLISH

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今日は本当なら"Youngstown"の訳をする筈だったのですが、予定を変更してしまってすみません。随分前に、勧めて頂いた映画『ノー・ルッキング・バック』(1998)を観てしまったら、それについて書かずにはいられなくなってしまいました。映画の内容に関して、以下ではまたふれています。まだ観ていなくて、内容や結末を知りたくない方はご注意ください。

勧めてくださったのは「マフスのはてな」のぴかおさんでしたが、その時に、この映画の監督、脚本、そして登場人物の1人を演じているエドワード・バーンズはブルース・スプリングスティーンが大好きで、この映画は「僕がスプリングスティーンを聴いて学んだことを映画にした。」と述べていると教えていただきました

まずは舞台からして、ニューヨーク州ロングアイランドのロッカウェイという町になっていますが、まるでアズベリー・パークです。海辺のボードウォーク沿いの町。そこで生まれ育ったクローディアという女性が主人公になっています。彼女は、幼馴染の男性と同棲していて、結婚しようとさえ言われているのだけど、昔々に見た夢の消えかかった最後の光を捨てきれずに、このままこの町で、生まれてきた時からずっと繰り返されてきた「この町の暮らし」という型通り(にしかなりようのない)の人生を送る決心がつかないでいます。ブルースの子ども時代や故郷フリーホールドの話を聞いているうちに、思い浮かぶようになってくる息のつまるような、天井の低い町の閉塞感の描き方が、この映画は目を瞠るほど巧みでした。本当に冴えない町で、おんぼろの車がきしきしとがたがたのアスファルトの上を走り、その脇にはやはりぱっとしない家が並んでいて、ちょっとした楽しみが得られる所はバーしかなくて、お互いに生まれた時から知っているみんながその1つっきりのバーに週末になると集まってくる。仕事はうだつが上がらなくて、毎日毎日同じことの繰り返し。火曜日と水曜日の区別もつかないような暮らし。かつては「勝つためにここを出て行く/ I'm pulling out here to win.」("Thunder Road")と思って見た夢はとっくに失われそうになっている。でも、その最後の明かりは、きっと別な何かがあると訴えてやまないし、この町に留まった10年後の自分なんて、道を歩いている10歳上の人を見れば一目瞭然なくらい道がない。

そんな中で現れたチャーリーをクローディアが救世主のように感じてしまう気持ちはとてもよく分かるし、実際に彼が救世主であればどんなにいいことか。本当にブルースを聴いて学んだことを映画にした、というだけあって、クローディアのマイケルとチャーリーの間で揺れる思いも、"One Step Up"や今回取り上げた"Valentine's Day"、"I'm on Fire"をバックにとてもリアルに描かれていました。リアル、ということはとても複雑で、出口がなくて、美しくもなんともない、私は途中で何度も頭を抱えたり、溜息をついたり、泣いたりせずにはいられませんでした。

けれど、私にとってこの映画が特別になったのは、やはり最後に自分をこの町から救い出すのは自分しかいないとクローディアが知るからでした。そして、彼女が町を去る場面で、一瞬だけ映る夕日に照らされたボードウォークとビーチを目にした途端、涙が止まらなくなりました。それは自分自身が去年の5月に初めて長い長い間、夢に見たアズベリー・パークのボードウォークに降り立った瞬間をありありと思い出したからでした。あの時も、今にも日が沈みそうな夕暮れ時で、人気のないビーチと真っ直ぐに続くボードウォークを目にした時の気持ちを言葉にするのはとても難しいけれど、感慨と少しの寂しさ(私は1人だったから)と、自信というか、自分に対する信頼のようなもの(これも私は1人だったから)だと思います。私は自分の手で夢は掴み取れるし、それだけのガッツが自分にはある、自分1人でチャレンジできると言い聞かせるために、1人でカリフォルニアに行って、ティファナまで足を踏み入れ、氷点下15度のクリーヴランドを道に迷ってインフルエンザに罹り、ブルースのライブを観るためにピッツバーグに行って、また道に迷い、18歳の女の子に恋をした50代のおじさんの話を聞かされながらフィラデルフィアまでバスに乗り、とうとうアズベリー・パークまで足を運んだのでした。途中で1人きりであることが辛くて辛くて、もう1人旅なんてたくさんだと思い、旅先を全く楽しめないこともありました。けれど、アズベリー・パークの潮風を感じながら、立っていた時の気持ちは格別でした。『ノー・ルッキング・バック』のそのシーンは、否応でも現実が差し迫り、「だから君は怯え、もう自分達もそんなに若くはないんじゃないかと思っている/So you're scared and thinking that we ain't that young anymore.」("Thunder Road")というフレーズが頭の中をぐるぐると巡る今の私に、あの時の前向きな探求心を思い起こさせてくれたのでした。焦りばかりが先行して、心にもない妥協に身を委ねる気になったり、自分の幸せはこんなものだろうと決め付けそうになってしまうけれど、もっともっと「the place we really wanna go」("Born to Run")を私は探さなければ。さもないと、"Racing in the Street"や"The River"の彼女のようになってしまう。探求の道のりは果てしないかもしれないし、時には「いつまで経っても同じことの繰り返し、1歩進んでは2歩後退している/I'm the same old story, same old act, One step up two steps back.」と感じてしまうかもしれません。だけど、「失うものは何もない、傷ついた心があるだけのこと 札は誰かに切られてしまっている だからダーリン、足を地につけて振り返るな/ There's nothing to lose, it's a heartbreak The deck's stacked So put your foot to the floor and darling don't look back」。("Don't Look Back"



Bruce Springsteen "One Step Up"

2010-02-26 00:07:37 | Tunnel of Love
今朝目覚めてみると 家は冷え込んでいた
彼女がつけなかった暖房を見に行き
外へ出て 俺の古いフォードに乗り込んだ
エンジンをかけようとするが かからない
俺達は近頃お互いに辛い教訓を与え合っているようなのに
何も学んでいない
俺達は共に悲しい身の上なのさ そういう事だ
1歩進んでは2歩後戻りという

モーテルの部屋の外で鳥が電線にとまっている
けれどさえずりはしない
6月 教会の外には白い衣装に身を包んだ女
けれど教会の鐘はなりはしない
俺は今夜このバーで腰掛けている
だが俺の頭を占めるのは
俺が相も変らず 同じような事をしているという事だけ
1歩進んでも2歩戻ってしまう

毎夜同じ事が繰り返される
誰の過ちなのか 誰が正しいのか
また俺達は争い 俺はドアを叩きつける
不愉快で取るに足りない俺達の争いがまた闘われる
自分自身を見ても 俺は見出す事ができない
俺がなりたいと望んでいたような男の姿を
どこかで俺は道から外れてしまった
1歩進んでは2歩引き戻される事から逃れられずにいる

バーの向こうに女がいる
俺は彼女の送るメッセージを受け取る
彼女は結婚していそうにない
だけど俺はふりをしているんだよ
昨夜お前を抱いている夢を見た
音楽は止むことがなく
俺達は夕方の空が闇に変わる中踊っていた
1歩進んでは2歩後戻りさ

ENGLISH

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One step up - bruce springsteen
by runawaydream

私はイギリスのニック・ホーンビィという作家が好きです。特に『アバウト・ア・ボーイ』という作品は映画化もされましたが、映画と合わせてお気に入りの物語です。今日はホーンビィが昨年発表した『Juliet, Naked』という作品を読み終えました。タイトルはビートルズの『Let it Be, Naked』(2003)をもじってとったもので、相変わらずホーンビィの音楽好きがよく表れた作品です。登場人物の1人タッカー・クロウは20年前に突然音楽活動を辞めて隠遁生活を送っているアメリカ人ミュージシャンで、彼の最高傑作と言われる『Juliet』というアルバムはボブ・ディランの『血の轍』(1975)やブルース・スプリングスティーンの『トンネル・オブ・ラブ』(1987)と並ぶ辛い愛についての優れた音楽作品である、という設定でした。そんな訳で久しぶりに『Tunnel of Love』を聴いてみたら、この曲"One Step Up"を初めて聴いた頃の事を思い出しました。

ブルース・スプリングスティーンに出会う前は私は今とはかなり違う音楽嗜好を持っていて、ライブパフォーマンスの力をあまり知りませんでした。そのため私が最初に買う事にしたブルースのDVDはビデオクリップ集(Video Anthology 1978-2000)でした。ライブDVDを買っていたらその後何か違っていたかもしれないな、とは思うけれどこれはこれでいいDVDでした。完全に信頼に足るかといえば疑問は残るけれどもとにかく歌詞の日本語訳が字幕でついていて、音楽を聴きながら歌詞を把握し、ライブ映像だったり、ある種の曲に結びついたイメージを目にする事が同時にできたからです。またブルースのディスコグラフィーを制覇するのには随分時間がかかったので、アルバムを聴くより先にこのDVDで知った曲も幾つかありました。"One Step Up"はそうした1曲でした。

この曲の物悲しさは16、17歳くらいの私にとっては殆ど衝撃的と言ってもいいものだったように思います。どうしてこんなに辛い歌を歌わなくてはならないのだろう、作り物のビデオの筈なのにブルースの表情が寂しすぎて見るに耐えない、と聴いている方が苦しい思いになったのを覚えています。必死に歩みを進めるのにいつもいつも元いた場所よりも後退してしまっている。何かが間違っているのは分かっているのにそれを修復する術が分からない。その状況の孤独とそこから抜け出せない事の苦悩が、池に投げ込まれた石のように自分の中に沈んでいくのを感じました。けれども同時に『トンネル・オブ・ラブ』からの他の楽曲同様に、私にとってこのような愛を自明のものとはせずに内省的に歌われる内容は当時とても新鮮でした。そういった視点から愛とは何かを考える事の方が闇雲に愛を信じるよりも辛く、もしかしたら不幸せなのかもしれないけれど、音楽を通じてそれに敢えて対峙していこうとするブルースに共感と信頼を覚えたのでした。ブルースが常に愛に対して不安を覚えているという点(『Working On A Dream』(2009)ではこの類の不安は払拭されたようですが)や楽し気なラブソングでもどこか不器用さがにじみ出てしまうようなところは、私にとってブルースの音楽に惹かれる大きな理由の1つであってきたように思います。

この曲のミュージックビデオはアズベリーパークにあるWonder Bar(ワンダー・バー)というところで撮影されました。2009年5月に訪れた時のワンダー・バー(中には入りませんでした。。後悔!)は開業しているのかどうなのか傍目にはよく分からないくらいペンキがはげたぼろぼろの建物でした。でもライトブルーに塗った壁とアズベリーパークのシンボル、ティリー君の顔をあしらった建物は何だか風情があってボードウォーク沿いの風景にぴったりでした。



Bruce Springsteen "Tunnel of Love"

2009-10-09 19:53:46 | Tunnel of Love
スツールに腰掛けた太った男は
お前を上から下までながめまわしながら
俺から金を受け取り
チケットを手渡すと幸運を、と囁く
天使よ、俺の小さな白鳩よ しっかり身を寄せて
俺たちはこの愛のトンネルに乗り込むんだから

お前のブラウスの柔らかな絹が感じられる
そしてこのちょっとしたびっくりハウスで軽くスリルをかき立てる
明かりが消えるとそこには俺達3人だけ
俺とお前、そして俺達の心から恐れるすべてのもの
俺達、この愛のトンネルを潜り抜けなければ

5次元に見えるいかれた鏡
俺はお前を笑い、お前は俺に向かって笑う
闇の部屋では中は真っ暗
この愛のトンネルの中 2人が互いを見失うのは容易なこと

こんなこと、難しくもなく、簡単であるべきじゃないか
男が女に出会い、2人が恋に落ちるだけのこと
だがこの建物はとり憑かれているしライドは激しさを増すばかり
乗り越えられない障害に耐えていくことを学ばなければいけない
この愛のトンネルに挑戦してみたいのなら

ENGLISH



今日ご紹介する"トンネル・オブ・ラブ"はブルース・スプリングスティーンの1987年の作品『Tunnel of Love』に収録されています。スタジオアルバムとしては1984年にリリースされ、モンスターアルバムとなった『Born in the U.S.A.』の次作になります。サウンドといい、アートワークといい、何という違いでしょうか。
以前にも少しふれたかもしれませんが、私はブルースの恋愛観というものにとても共感を覚えます。恋に落ちた時の高揚感や、失恋した時の落胆ぶりばかりを取り上げる、世間に溢れるラブソングと異なり、ブルースが歌うのは人を愛している時でさえ、感じずにはいられない不安感です。それは自分自身の思いへの疑いや、相手の真意を読み取れない苦悩から生じます。この「トンネル・オブ・ラブ」で扱われるのも、そうした痛ましい思いです。

歌詞の中では、タイトル「愛のトンネル」は出口の見えない恋の喩えでもあり、遊園地の乗り物の名前としても使われています。この比喩がPVやTunnel of Love Express Tourでの遊園地のモチーフの本になっています。何が起こるか分からないびっくりハウスの中で常に心の底に不吉な思いを抱きながら翻弄される様子が描き出されています。

この歌詞を見ると人を愛するというのはこんなにも恐ろしく、覚悟の入るものなのだろうかと気が滅入りそうになります。こうした思いを抱かずにいられないという事は、もちろん本人にとっても辛い事であるばかりでなく、愛される人にとっても悲しい事だと思います。だけど、暗いトンネルの中では相手の姿が見えないように相手の心の中は見通す事ができない。そうした克服できないもの=不安に耐える事を学ばなければ、愛のトンネルは潜り抜けられない、何だか身につまされる内容です。



Bruce Springsteen "Brilliant Disguise"

2008-02-28 22:56:02 | Tunnel of Love
すごく頑張ってみたが分からない
お前のような女が未だに俺と一緒にいて 何をしているのか
だから教えてくれ その瞳をのぞきこむ時
俺が目にしているのはお前なのか それとも輝くような仮面にすぎないのか

俺はただの孤独な巡礼者 豊かな世界を歩いて行く
俺が信じていないのはお前なのだろうか
だって俺は自分自身を信じていないのだから

だから お前が俺を見る時には よくよく繰り返し見た方がいい
それが俺なのか 優れた仮面に過ぎないのか


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私がブルースに共感する部分というのは本当にいろいろあるのですが、彼の恋愛観もその1つです。
私は基本的にラブソングが好きじゃありません。
あまりにも巷に氾濫しすぎているし、安易なものが多すぎるように思うからです。
別にそれはそれでいいのですが、私にとって音楽は楽しみ以上のものなので
何でも恋愛だけで片付けられたり、好きだとか、成就しなくて辛いだとかの1点張りだと
人生それだけじゃない、と思ってしまう訳なのです。

でも、ブルースの恋愛観には共感できるところがあって
それは多分、自分への自信の無さからくる、自分や相手への疑いの心、みたいなものだと思います。

自分が本当にその人を好きなのか分からない
相手に本当に愛されているのか自信がない

心配性なのかもしれないけれど、私にはそういうブルースのラブソングに誠実さを感じます。
闇雲に自分に暗示をかけて誰かを好きだと思い込むことの方が時には楽なんだと思います。
そうはしない誠実さ、自分に向き合おうとする努力は認めたいと思うのです。
でも、それは私の自分に対する正当化なのかもしれません。
この曲"Brilliant Disguise"の収録されたアルバム『Tunnel of Love』は私と同い年です。
今ではブルースはもうこの曲を歌う必要もないんだと思います。
彼が幸せになって私も嬉しいです。