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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Bruce Springsteen "Tenth Avenue Freeze-out"

2015-03-06 13:22:03 | Born to Run
涙が街の地を打つ
お楽しみを求めてうろつくバッド・スクーター
誰も彼もいかした様子で歩いているのに
俺は身動きもできない
みんな脇へどいた方がいいぜ
俺は嫌われ者で
すっかり追い詰められているんだ

10番街は俺を入れてくれない
10番街は俺なんてお断り

俺はワイルドな無法地帯で立ち往生
熱気を残らず吸い込もうとして
夜の闇が訪れ、歩道だけが明るく
立ち並ぶ活き活きとした生の明かりに照らされるまで
安普請のアパートからはトランジスタラジオが大音量で響く
でも角を曲がれば途端に静けさがやってくる
俺は締め出しをくらった10番街へ足を踏み入れた
凍てついた10番街に

俺はひとりきりさ、まったくのひとりきり
<キッド、状況をしっかり把握しろよ>
ひとりぼっちさ、誰もいない
そして家に帰ることも叶わない

アップタウンにあの変化が起き
ビッグ・マンがバンドに加わった
すると沿岸部から街までどこへ行っても
美人が手を振ってくれる
ゆったり座って笑ってやるさ
スクーターとビッグ・マンがこの街を真二つにする時には

10番街からの締め出し
俺が話しているのは
ほかでもない
凍てついた10番街のこと
俺を仲間に入れようとしない10番街
10番街は俺のことはお断りだって

ENGLISH


縁があって、アズベリー・パークに滞在しています。3月に入ったというのに、こちらの容赦のない冬はなかなか終わる気配がなく、今日は朝から夕方まで雪が降り続き、表に停まった黒いセダンがみるみる雪に埋もれていくのをキッチンの窓から眺めているような1日でした。することがない訳ではないけれど、久しぶりに文章を書いてみる気になり、静かな雪の夜にこうしてパソコンの前に座っています。それというのも、今日取り上げた "Tenth Avenue Freeze-out(凍てついた十番街)"について、なにか書かずにはいられないような素晴らしい出来事があったからです。

アズベリー・パークに着いた日、いつも通り(そしてたぶん、多くのブルース・スプリングスティーンのファンがそうするように)、海沿いまで出てひととおりコンヴェンション・ホールからカジノの廃墟まで歩きながら、巡礼の気分に浸っていた時のことです。ワンダー・バーやストーン・ポニーに特別な(神聖なと言ってもいい)気持ちで近づき、表に張り出してあるフライヤーをじっくりと見ていると、ストーン・ポニーの2月のスケジュールの終わりに、「サウスサイド・ジョニー&ジ・アズベリー・ジュークス」と書かれているのを見つけました。サウスサイド・ジョニーとジュークスと、そしてストーン・ポニー!私は決してハードコアなサウスサイド・ジョニーのファンではないし、どちらかというとブルースが大好きで、その縁で出会ったような彼にとっては理想的とはいえないリスナーだけれども、それでもこの3つの組み合わせは心躍らずにはいられないものでした。サウスサイド・ジョニーのことは、プア・フールズという別のバンドとの演奏をティム・マクルーンズ・サッパー・クラブというアズベリー・パークのなかでも割にファンシーな場所で観たことがあったけれど、それとこれとはまったく大違いです。いろいろな意味で歴史の深さがまるで違っている。ジュークスの演奏は、2月27日(金)と28日(土)の2日間。そして、2日目は、「Music of Bruce Springsteen」と題された、ブルースの曲を演奏する夜となっていました。

アズベリー・パークとサウスサイド・ジョニーという組み合わせは私でも観たことがあるくらいだから、決して珍しくはありません。今年の独立記念日の頃にもまたコンサートが予定されているし、この町とジョニー自身がお互いの存在を支え合っているような関係にもあるように思えます。けれども、そのジョニーがジュークスと共に、ストーン・ポニーでブルースの曲を演奏するとなるとこれは大事件です。ジョニー自身が語っているように、若い頃であれば彼だって決してやろうとはしなかった試みであること、そして、ブルース自身が現れるのでは、という期待が否応なく多くの人の胸に膨らんだからです。私が探した時には、金曜日のチケットはまだ手に入ったけれど、土曜日のチケットは500ドルから900ドルくらいまでの値段でオンラインの転売サイトに出ていました。

それでも、サウスサイド・ジョニーとジュークスとストーン・ポニーという組み合わせは特別なので金曜日のチケットだってとても幸せな気持ちで買いました。土曜日に対して、金曜日のショウの位置づけは、ジュークスのレアな曲を演奏するというもので、私はジュークスはあまり詳しくないので、きっと知らない曲が多いだろうと思ったけれど、全然構わなかった。

ストーン・ポニーが1974年2月にオープンした時、経営は全然うまくいかず、大雪のせいで初日の売り上げは1ドルだったとも言われています。もう年が越えられるかどうかも分からないくらい、地を這うようにがんばっていた店でその年の12月に初めてのハウスバンドがストーン・ポニーでの演奏を始め、彼らのおかげでお店はいちどに集客を増やすようになった。その最初のハウスバンド、ブラックベリー・ブーズ・バンドのメンバーのひとりが、サウスサイド・ジョニーでした。彼はその後もずっとこのエリアに留まって、80年代に町が荒廃していくのも90年代に遂にストーン・ポニーがいちど閉鎖になるのも目にしてきた人です。私は2000年代に入ってアズベリー・パークが少しずつ活気を取り戻してきて暫くしてから初めて町を訪れたので、まるで昔からずっと変わらずにストーン・ポニーもサウスサイド・ジョニーもいるような気がしてしまいそうだけれど、変わらずにいるということはそんなにも容易ではない。そして、変わらないと思っているのは気楽な余所者だけで、たくさんのことが少しずつ、着実に変わっている。サウスサイド・ジョニーがブルースの曲ばかり演奏しても良いと思うようになるのと同じように。

だから、知らない曲ばかりでも、彼とジュークスがストーン・ポニーのステージに立っているのを観るのは本当に特別な経験でした。始まりの時間が9時だと知らずに、早々と7時に来ていた私はいちばん前の端っこに立っていたので、目の前にはトロンボーンとトランペットとサキソフォンのホーンセクションがいて、マイクを通さなくても音が聴こえそうなくらいでした。ジョニーはずっと横顔ばかりが見えていたけれど、笑った時の目じりの皴が本当に素敵で最高にチャーミングで、そして格好良かった。66歳だなんて、なかなか信じられないくらいに。"The Fever""Cover Me"やほんのちょっとだけの"Talk to Me," "Where the Bands Are"もあったけれど、ブルースの曲は期待していなかったから、嬉しい驚きでした。

でも、何よりも驚き、また胸を打たれたのがその日のアンコールの最後にまったく予想外に演奏された"Tenth Avenue Freeze-out"です。『Born to Run(明日なき暴走)』(1975)に収められたブルースとEストリート・バンドの自伝的作品とも言われる1曲ですが、きっとその歴史を目の当たりにしていたサウスサイド・ジョニーが、アズベリー・ジュークスとストーン・ポニーで演奏しているのを聴いていると、本当に心を動かされました。クラレンス・クレモンズダニー・フェデリシの精や今の私と同じくらいの頃のブルースやジョニーやスティーヴ・ヴァン・ザントの姿が見えそうな気がした。そして、この小さいけれど特別な町の熱気に満ちた歴史の最後に私もほんの一瞬でも属しているのだと思うと、この上もなく幸運な気がしたのです。ジョニーの歌う"Tenth Avenue Freeze-out"を聴いていると、想像するしかない過去が目の前に見えるようでした。そして、その頃のことがジョニーの胸のなかでどのように思い出されているかを思うと、胸がいっぱいになりました。




Bruce Springsteen "Jungleland" dedicated to Clarence Clemons

2011-06-26 02:53:32 | Born to Run
昨夜遅くレンジャー達がハーレムへ帰還
マジック・ラットは自慢のいかしたマシンを駆って
ニュージャージーの州境を越えた
ドッジのボンネットに裸足で腰かけ
夏の静かに降りそそぐ雨の中 ぬるいビールを口にしている若い女と
ロールアップした裾のパンツに身を包み 町にやって来るラット
2人はロマンスの可能性に賭けて
連れ立ってフラミンゴ・レーンに姿を消す

究極の法の守護者マキシマム・ローマンはラットと裸足の女を追ってフラミンゴ・レーンを駆ける
辺りの若い奴らはいつでも手を握り 影のように息をひそめている
教会から監獄に至るまで 今夜世界を覆うのはただ静けさだけ
俺達がジャングルランドを仕切ろうというとき

真夜中の仲間達は召集をかけられ その夜のたまり場を選ぶ
それはこの街に明かりをもたらす巨大なエクソンの看板の足下
ターンパイク沿いではオペラ
通りでは際どい駆け引きが進行中
地元の警察やパトカーがこの聖なる夜を奪ってしまうまでの間
通りは活気に満ち 秘密の負債が支払われ
密会が行なわれる
飛出しナイフのように鋭いギターさばきの少年達が録音機に挑みかかる
渇望し追詰められた者がロックンロールバンドへと大変貌を遂げるのだ
そして互いに鎬を削る このジャングルランドの通りで

駐車場では予言者では得たばかりの霊感に身を浸し
裏通りでは女たちがDJのかけるレコードに合わせて踊り
孤独な心を抱えた恋人たちは暗がりの隅で苦心する
夜が深まるほどに死にもの狂いになりながら
一瞥と囁きがあり 彼らは姿を消す

街の隠された場所で 鼓動する2つの心臓が
ゆかしい夜を走り抜ける魂のエンジンを駆り立てる 錠のおりたベッドルームで
優しく拒む囁きと降伏の中で アップタウンのトンネルの中で
夜の回廊に響く銃声と共にラットは自らの夢によって葬られる
誰も目を向ける者はなく 救急車は走り去り
女はベッドルームの明かりを消す

外では本物の死のワルツの中で 通りが火に包まれている
現実と空想の狭間で そしてこの辺りの詩人は
何ひとつ書き記さず ただ離れた場所にいて手出しもしない
夜の搦手から好機に迫り
正面から抵抗を試みるが 結局は傷を負うだけ 死ぬことさえない
今夜ジャングルランドでは

ENGLISH


最もロマンティックな記憶は何かと訊かれたら、私にはすぐに答えることができる。それは、ごくありきたりの晩に起きた、ごくありきたりの短い時間のことで、これが最もロマンティックな経験だと言うと、私がいかにロマンスの少ない生活を送っているのかと疑われてしまうかもしれない。でも、ロマンスというのは作り出すものではない。それは、何かと何かが出会う時、化学反応のように、或いは魔法のように、ただ生まれるのです。

レンジャー達が帰り着いたハーレム、マンハッタンから北へ3時間ほど車を走らせたところにある街の大学寮。レンジャー達がどれほどの間、ハーレムから離れていたのかは分からないけれど、私がその街に戻るのは、10か月ぶりくらいのことでした。ダウンタウンにある寮は古く、十分な明かりがないせいで、いつも夜の部屋は薄暗かった。私がその晩いたのは、偶然にも自分自身がかつて住んだ部屋の隣でした。ジミ・ヘンドリックスのポスターが剥がれ落ちたまま隅に横たわっている部屋。家具は備えつけの机と椅子、洋服棚にベッドがあるだけで、1人用にしては少し広すぎるくらいです。ダンスができるくらいに。私とリンゴはベッドの上から、部屋の反対側でレコードプレーヤーが『Born to Run』を演奏するのに耳を傾けていた。私達は活動的なタイプでもなかったし、それは退屈な街だったから、そんなふうに夜にレコードを聴くことは少なくありませんでした。私はレコードプレーヤーを持っていなかったけれど、『The Live 1975-85』(1986)を傍のお店で見つけてリンゴに預けてあったし、聴くものはいろいろあったのです。たぶん、『Born to Run』を聴くのも初めてではなかったと思う。だから、その夜について沢山のことを覚えている訳ではない。その薄暗い部屋と、"Jungleland"、そして曲の最中にレコードを止めようと立ち上がった私を引き留めたリンゴが「僕はこのクラレンスのソロが好きだな」と言った、というただそれだけなのです。それが私の最もロマンティックな記憶です。何故かは分からないけれど、それが「夜の魔法」というものだったのかもしれない。

クラレンス・クレモンズ
が亡くなってからの1週間、私が最もよく思い出したのはこの夜のことでした。だから、クラレンスについて思いを馳せると、自然にリンゴのことも思わずにはいられなかった。そして、だんだんと悲しみが落ち着いてくるとロマンティシズムについても。

『Born to Run』(1975)というアルバムはまるでロマンティシズムそのもののような作品です。そして、ロマンスは1人でいては生まれないということをとても雄弁に物語ってもいる。ロマンスというと、一般的には男女の恋愛(や同性同士の恋愛)を指すことが多いかもしれないけれど、私はそうではないと思う。或いは、男女の恋愛と何か2つのものや人が出会った時に閃光のように生じる特別な感情や出来事に、どれくらいの違いがあると言えるのだろう?その出会いによって、夢があっという間に広がって、何か素晴らしい光景をありありと思い描けるようになる、進むべき道を見出したり、自分の望みを知ったり、希望を持つようになるなら、それはロマンスの始まりです。『Born to Run』の魔法は、その伝説的なアルバムジャケットから始まります。黒いレザージャケットに身を包み、使い込んだギターを携えた若い男に肩を貸す逞しいサキソフォンプレーヤーのモノクロ写真。ブルース・スプリングスティーンもクラレンスの回想録Big Man(2009)の序文で書いているように、それは多くの物語を喚起するイメージです。「この男達は誰なんだろう?どこからやって来たんだろう?2人はどんなジョークを共有しているんだろうか」
そして、音楽を聴き始めると、その中にもたくさんの出会いや誘惑や懇願、友情がロマンスの物語を展開していることに気づきます。「サンダーロード」を走り抜けようとする主人公とメアリ、「凍てついた10番街」で出会うスクーターとビッグマン、「夜」を疾走する主人公とバイク、「裏通り」に身を潜める主人公とテリー、「走るために生まれてきた」主人公とウェンディ…。彼らは冒険に出ようとし、夢を見、恋に落ち、失われた日を嘆き、フラストレーションを抱き、命を落とし、その日を生き抜く。何かに出会うということは、多くの場合、それを後には失う可能性を持っていて、だから彼らは限られた時間にその街を出ようと説得したり、失われたものを抱えて生きなければならなかったりする。でもその中には深い深い物語が息づいているのです。たとえ、2人はもう共にいなくても。
更にブルースと彼が織りなすそうした8つの物語を支えるEストリートバンドのメンバー(そしてプロデューサーやエンジニアや写真家たち)もまた、ロマンスの大いなる担い手です。『Born to Run』の構想はブルースの頭の中で生まれたものだけれど、空想と現実を橋渡しするためには、作品が今ある形で存在するには、彼1人ではどうしようもなかった。毎日毎日、長時間スタジオに缶詰になり、何度もやり直しをさせられて、やったことをボツにされ、それでもなおブルースを理解しようとし、信じてついていったメンバーなしには。"Jungleland"におけるクラレンスのソロパートはその1つの象徴的な部分です。『Born to Run』の制作を追ったドキュメンタリ『Wings for Wheels』(2005)の中に、あのソロには16時間もの時が費やされ、ブルースは1音1音、クラレンスにこうするようにと注文を出したという話が出てきます。クラレンスもあれは実にタフな経験だったと述べているし、ブルース自身もいちいち人に指図されるというのは、快いものではないだろうと認めているけれど、でも、その後に続くブルースの、「クラレンスの集中力や忍耐がなければ、何時間も苛立つこともなく挑戦し続けたりはできなかった」という言葉からは、クラレンスとブルースの間の深い信頼と尊敬の感情を感じ取ることができます。あのサックスのパートは2人が初めて嵐の夜に出会った時以来、分かち合ってきたロマンスの1つの極点、閃きのようなものだったのです。
その結果、"Jungleland"の中でも最もドラマティックで心に残る箇所となったクラレンスのソロは、私に欠けていた最後のロマンスを与えてくれたのでした。私は15歳の頃に『Born to Run』に出会って、本格的に夢を見ることを始め、それが最初のロマンスの始まりでした。私が持っていた夢というのは、ブルース達が追い求めたものに比べたら、どれもささやかなものに過ぎなかったけれど、それでもひとりで"Thunder Road"を聴き、クラレンスのアウトロのソロを壮行の音楽のように受け取りながら、ひとつひとつ求めたものを実現していくというのは、とても心が躍ることでした。そういうことが手がいっぱいだったということもあったし、余計な面倒事を背負いたくもなく、恐れもあって、私はひとりでいることが多く、それで大概は満足してしまっていた。でも、"Jungleland"のクラレンスのパートにまつわるあのロマンティックな記憶は、スクーターが1人きりだと叫んでいるうちには何もできなかったように、彼がビッグマンとの出会いを必要としていたように、私1人だけではなくて、どうしてもリンゴの存在が必要だった。そして、ブルースにはどんなサックスプレーヤーでもなく、クラレンスが必要だったように、あのソロを背景に魔法を感じさせてくれる人は、私にはリンゴしかいなかったと思うのです。彼は私にとってはテリーのような存在でした。一緒に観た映画のヒーロー達の歩き方を一方が真似ようとした時、呆れるのでも、笑うのでもなく、「そうじゃなくて、もっと肩を張らなきゃだめだね」と真剣に相手にしてくれるような人。共に裏通りに身を隠すような相手。

クラレンス・クレモンズという、ブルースにとって最も近しい親友のひとりの死と共に強く思い出されるのが、私にとってとても稀有な存在であるリンゴという人だというのは不思議なものです。でも、このことによって私が確信したのは2つのことです。1つには冒頭にも書いたように、ロマンスとは何かと何か、誰かと誰かとの間に生まれる魔法だということ、自分ひとりきりでは生まれないということ。そしてもう1つは、ロマンスは連鎖するということです。1つの冒険や夢や愛情や希望が次のそれを導き、世の中を生きるに値するものにし、語るに値する物語をもたらすのです。クラレンスは去ってしまったけれど、幸い私達には数えきれないほどのロマンスが残されている。それは、今夜どこか誰も想像しないような冴えない街のある部屋で、"Jungleland"と共に忘れ難いロマンスが新たに生まれている可能性を意味するのです。
彼の死を悼む2人がかける"Jungleland"の中からでさえ。



Bruce Springsteen "Night"

2010-09-20 02:29:21 | Born to Run
毎朝ベルの音で目を覚まし
仕事には遅れて 上司に1日中ひどいめに遭わされる
深夜 外へ走りに出る時間が来るまで
美しいものに心を奪われ 走りに出る時間
完璧だと思える 家に鍵をかけ
明かりを消して 夜の中へ足を踏み出すと

世界は今にも綻びそうで
お前は自分の夢の囚われ人となっている
1日中働いて 自分の生活にしがみついて
夜中にはそれを吹っ飛ばす

ネズミ捕りにかかった大勢の十字軍兵士
クロームめっきをはいた侵略者でいっぱいのサーキット
そのあまりに素敵な姿に星空で道を見失ってしまう
他の車の間をすり抜け
信号が青に変わるのを待っている間に
自分の車を信じて 声高に夜の中へ飛び出していく

そしてその驚くような経験と恋に落ちる
ハイウェイの熱気が高まる度に全身の筋肉が歌うかのよう
9時から5時まで働いて 何とか夜まで生き延びる
地獄のような1日 奴らは外でお前を叩きのめしてしまう
だけど今夜 お前は内へとその身を解き放つ
それで良くなる 完璧に そしてそれは今夜

外では彼女が待っていて
どうにか見つけると誓う
今夜どこかでお前は走る 悲しくそして自由に
夜の他には何も見えなくなってしまうまで

ENGLISH

</object>
私は夜が好きで、いつまでも起きていることがよくあります。故郷の町に帰って、夜の闇に耳を澄ませていると、ある金曜日の深夜、遠くから改造バイクのエンジン音や、それを追いかけるパトカーのサイレンの音やスピーカーを通した警察官の声が聞こえてくることに気がつきました。考えてみると、それは今私が東京で住んでいる場所では聞いたことのない音でした。そして、この故郷の町にいたらそれはとても自然なこと、バイクで夜を切り裂くくらいしか、ここではすることがないものな、と思わないではいられなかったのです。もちろん、東京にだって夜をバイクで駆けてしか日中の埋め合わせをすることができない人もいる筈だけれど、同時に東京には夜の過ごし方の選択肢が私の故郷よりはずっと多くある。この町は、バイクを走らせる音が何に邪魔されることもなく、ずっと遠くまで届くところ。

ブルース・スプリングスティーン
の”Night”(「夜に叫ぶ」)という曲は、故郷の町にいた頃は、私にとってやや距離を感じるけれど、それ故に不思議な魅力を湛えた1曲でした。音楽のたたみ掛けるような勢いと、夜の魅惑的な描写が、9時から5時まで働いて耐え忍んだ1日の後に待つ自由な時間を、これ以上ないくらいにロマンティックに見せるのです。当時は今よりももっと9時5時の仕事も縁遠いものだったし、あらゆるイメージがとても素敵に思えました。そして今よりもシンプルに、夜があるからこのバイカー達はきっと救われているのだと信じていられたように思います。

けれど今になってみると、受ける印象はかつてよりも複雑です。確かにバイカー達は夜があるから救われているとも言えるし、夜にしか救われないとも言えるからです。日中を生き延びれば、夜には自由になれるし、すべてが完璧に思える。でも同時に彼らには夜しかなくて、私みたいに好きで夜を過ごしている訳ではないのかもしれない。そして忘れ難いのは曲の最後の部分、「今夜どこかでお前は走る 悲しくそして自由に/夜の他には何も見えなくなってしまうまで」というところです。夜は必ずまた訪れるけれど、朝が来ることからも逃げることはできない。だから、すべてを忘れたくて「夜の他には何も見えなくなってしまうまで」ひたすらに走り続ける様はやっぱりもの悲しい。ただ、歌詞はそうだけれど、曲は必ずしもそういった荒涼とした雰囲気を持っていなくて、勝気な走りを思わせるところがとてつもなく魅力的でもあります。夜の町をバイクで走り抜けることもまた、この町に対する1つの挑戦であり、束の間だけれど華々しい勝利であると思わせるかのようです。

東の空が白み始めるよりも早く、バイクの音は聞こえなくなり、夜と朝の丁度、間のような時間はとても静かでした。まるで最初からこうだったような気がしてしまうくらいです。でも、バイカー達は1人か2人の警官と半分夢に浸かった町の人しか、自分達のことは知らず、気にも留めていないだろうと思っているかもしれないけれど、案外そうでもないんじゃないかという気がします。



Bruce Springsteen "Backstreets"

2010-04-02 14:53:14 | Born to Run
穏やかで多くの連中が群れていたある夏俺とテリーは友達になった
俺達が生れ落ちた炎を吸い込もうとしつつも叶わず
街外れに行くための足を探しながら そっと信義を交し合った
打ち捨てられた海辺の小屋で暑さにうだりながら眠り
そして裏通りに身を潜めていた 裏通りに
激しい愛と敗北感でいっぱいになりながら
夜には生きがいを求めて裏通りを駆けていた 

暗がりの中 スローなダンスを踊った浜辺のストックトンズ・ウィング
望みの無い恋人達が車を停める場所 
俺達は最後に残ったデューク・ストリートの王者達と一緒に腰掛けた
車の中で抱き合い 鐘が鳴るのを待っていた
夜が深まり 何もかもから自由になれるのを
裏通りに出て駆けるのを 裏通りで駆けるのを
俺達は誓い合った 永遠に生きるのだと この裏通りで 共にそう信じた

止むことのないジュークボックスと
バレンティノのパーティで涙を拭う踊り手達
通りの先 ぼろぼろになった服で暗闇の中へと走っていく
ひどく傷つき 夜には息絶えそうになる者までいるようだった
街全体が叫んでいるのが聞こえたろう それは俺達を殺した嘘のせいだ
俺達をくたびれさせた真実のせい すべて俺のせいにしてもいい テリー
もう俺にはどうでもいい事だ 
深夜には全てが挫かれてしまう今となっては
言うべき事など何も無かった けれどあいつが憎かった 
そしてお前の事も お前が去って行った時には

暗闇の中でこうして横たわっていると 俺の胸の上のお前は天使のよう
不実を嘆きながら再び歩いていく
俺達がよく観に行った映画を テリー どれも覚えているか
こんなふうにならなければと思った英雄達の歩き方を真似ようとしたっけ
そして結局最後には思い知るんだ 俺達も他の連中と変わらないと
広場に立ち尽くし 無理にも打ち明けざるを得なくなる
裏通りに身を隠していた事を 裏通りに身を隠していた事を
俺達は誓った この裏通りで変わらず仲間でいようと 最後の時まで 
裏通りに身を隠しながら 

ENGLISH

</object>
今日はアメリカ訪問の話題はお休みです。4月になり、新しい季節が始まったので、その事について少し書きたいと思います。

先日、これまで4年間の生活に終止符を打つ事になった日の前日、私は普段は離れて暮らしている家族と共に、現在1人で住んでいる場所から少し離れた祖父母の家に身を寄せていました。この家は丁度、4年前の2月にも大学受験の前の夜に泊めてもらった所でした。1人で暗がりの中、畳の部屋で布団の上に横たわり、当時はMDウォークマンをしながら、まだ未確定の4年間の未来を思い描いたのを覚えています。そして、今ではもうそれは全て現実となり、過去となってしまった。時差ぼけのせいで、卒業式の前の晩は深夜3時頃に目が覚めてしまい、枕元のiPodを引き寄せて今1番聴きたいアルバムを思い浮かべると、それはブルース・スプリングスティーン『Born To Run (明日なき暴走)』(1975)でした。それは少し意外でもあり、じっくり考えるとやっぱりそうか、と思えるものでもありました。

私は長い間、大学に行くという事をとても楽しみにしていました。中高の窮屈さが嫌で嫌で、故郷の風景には飽き飽きで、自由な空気が吸いたくてたまらなかった。家から遠く離れた場所にある行きたかった大学はその自由な空気の象徴のようなものでした。そして毎日、学校やクラスメートやその他自分を含めてあらゆるものに腹を立て、また夢ばかり見ていた頃、何よりも私の拠り所となったのは『Born To Run』と『American Idiot』(2004)でした。だから、きっと入試の日には祖父母の家を出て、今では母校となった大学に向かいながら、『Born To Run』を聴いていたんじゃないかと思います。もうその朝、何を聴いていたかなんて本当は覚えていないけれど。そして結局、卒業の日の朝、同じ通りを歩きながら私が聴いたのも『Born To Run』だったのです。4年前と同じように。或いは5年前、6年前、7年前と同じように。そしてこの4年間のあらゆる場面でそうしたように。ずっと憧れていた大学4年間で私はしたかった事を大体実現する事ができました。大した事ではないけれど、長い間の夢や目標だった事だったので私としては満足しています。けれど、そうして長年大切に持っていた持ち札を使いきり、かつてのような愚直さも失い、近頃、「大人になるという事」("Growin' Up")や自分にとっての「街外れの暗闇の中でのみ見つかるという何か」("Darkness on the Edge of Town”)とは何なのかという事を考えて、出口が見つからないような気分になる事が時々ありました。夢を見る事も以前ほど容易ではなく、無鉄砲な自信も消え失せてしまった。成長するという事に付随する苦みや「自分達も他の連中と変わらないと気づく」("Backstreets”)事はこの歳になるまで殆ど経験した事の無かった類のものでした。自分が成長し、本当はある程度、人並みに生きられるようだと知る事は必ずしも否定すべき事ではなくて、それを嬉しく思う部分もあるのです。けれども、本当に若い間の特権だった何かを失ってしまったようなこの感覚はやはり何か辛い気分にさせられたのでした。

けれども、あの日の朝、『Born To Run』を聴き、そして4月に入って聴きたくなったアルバムもやっぱり『Born To Run』だったという事に気づいてから、それまで感じていた苦みが少し和らいだような気がしました。結局のところ、大学生活はそれまでの生活よりも格段に心地良かったけれど、何かが劇的に変化した訳ではなくて、いつでも私には良い意味でも悪い意味でも自分自身しか立ち返っていく場所はなかった。そして、そんな私を形成する根本にある幾つかの大切な事柄は『Born To Run』というアルバムのように決して私から離れていく事がなかった。裏通りに身を隠していた夏が思い出になってしまっても、この後に控えているのは、”Born To Run”です。

いつになるか分からないけれど、いつか本当に行きたい場所で陽の光の中を歩んでみせる。
でも、それまでは 俺達みたいな旅人は生まれながらに走る定めなんだ。



Bruce Springsteen "Born To Run"

2009-01-18 07:34:57 | Born to Run
日中はストリートでどうにもならないアメリカン・ドリームを待ちわびて気を揉み
夜には自殺的な車に乗って荘厳な豪邸の間を走り抜ける
檻からハイウェイ9へ飛び出す
車輪にはクロムめっきが施され、ガソリンは満タンで車道に出る
ベイビー、この街はお前を骨抜きにしてしまう
これは死の罠、自殺行為だ
まだ若いうちに逃げ出さなくては
俺達みたいな根なし草は生まれながらに走る運命なんだから

ウェンディ、入れてくれ お前の友達になりたいんだ
お前の夢や理想を守りたい
滑らかなリムに足をかけ、エンジンに手を添えるだけさ
2人一緒ならこの罠を切り抜けられるかもしれない
倒れるまで走り続けるんだ 決して後戻りはしない
俺と一緒に危ない橋を渡ってくれるか
俺は怯えた孤独なライダーに過ぎないから
でもそれがどんなふうに感じるものか知らなくちゃならない
愛がワイルドなものなのか ベイビー
愛がリアルなものなのか知りたいんだ

パレスの向こう側ではヘミパワーの低音が通りを駆け抜けて行く
女の子達はバックミラーで髪を整え
少年達はクールに見せようと必死だ
殺風景な中に遊園地がくっきりと浮かび上がり
子ども達は霧のかかる浜辺で群れている
ウェンディ お前と共に死んでしまいたい
この街で 今夜 永遠に続くキスのうちに

ハイウェイは最後の一駆けに掛ける夢破れたヒーロー達で溢れている
今夜は誰もが走ろうと通りに出ているが 隠れる場所は残っていない
ウェンディ 2人一緒なら 悲しみも生き抜いていけるだろう
心の底から狂おしいほどお前を愛すよ
いつか いつとははっきり分からないけれど
きっと俺達は辿り着く
俺達が本当に行きたい場所へ そして2人して日の光の中を歩くんだ
だけどそれまでは俺達みたいな根なし草は生まれながらに走る運命なのさ

ENGLISH


</object>

3週間半の西海岸の1人旅をしている中で、私が1番今の自分を見出したのが「明日なき暴走」の歌詞でした。
アメリカに来る前は、きっとこれが最初で最後のアメリカ暮らしになるだろうと思っていました。アメリカは学ぶには本当に興味深い国ではあるけれど、そこで長く暮らしたいほど私にとって魅力的な国には思えなかったのです。ただただ、ブルース・スプリングスティーンの生まれ育った土地の空気を味わいたくて、一生に1度と思って日本を離れました。
けれど今回3週間、大学を離れ、本当の意味で日本人のコミュニティからも離れ(大学の寮には日本人の方が大勢います)、アメリカの土地と向き合い、思っていたよりもずっとこの国の温かさや自由のあり方に気づかされたように思います。そして、後4ヶ月限りでもうこの国に戻って来ないという事はないんじゃないかという気がしてきました。5ヶ月前に日本を去ってから1度も日本に帰っていないので比べる事はできないのですが、もしかすると私には日本よりもアメリカの風土の方が合っているのかもしれないと漠然と感じるようになりました。留学すると「もうアメリカはいいや」と思う人とアメリカに居心地の良さを見出す人とがいるという話を聞いた事があります。まさか自分が後者に入るかもしれないとは全く想像もしていなかったです。自分の事ながら不思議でなりません。

私には本当の意味でホームタウンというものがありません。両親も共に転勤族で故郷の町がなく、私自身アメリカを含めるとこれまでに6箇所で暮らした事がある事になります。愛着があって故郷だと思っている土地はあるけれど、本当は私も「tramp」なのかなぁと誰もいないハリウッド・ボウルで『The Live』"Born To Run"を聴いていて思わされました。いつかは分からないし、どこかもまだ分からないけれど、私も「本当に行きたい場所」をまだ探して走っている最中のような気がします。