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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Bruce Springsteen, Born to Run: Foreword

2016-08-18 04:39:45 | Bruce Springsteen Miscellaneous
まえがき

 俺が育ったボードウォーク沿いの町ではどんなものもどこかしらインチキめいたところがある。俺自身もそう。俺はドラッグレースにはしる反逆児ではなかったけれど、20歳になる頃までに、アズベリーパークでギタープレーヤーになっていた。そして真実に尽くすために「嘘をつく」連中、すなわち「アーティスト」の仲間入りを果たしていた。俺たちはいわゆる芸術家なんかじゃなかった。好きなことを一生懸命やっているだけだった。だけど、俺には最高に素晴らしい切り札が4つ揃っていた。若さ、約10年にわたる筋金入りのバーバンドの経験、俺のパフォーマンススタイルとぴったり合うような音楽をやっていた地元の良いミュージシャンたち、そして語るべき物語。
 この本はその物語の続きを語り、起源を探るものだ。語るべき物語や俺の作品を形作ってきたと思う人生の様々な出来事を取り上げている。これまで道端で出会ったファンのみんなに繰り返し尋ねられてきた問いのひとつは、俺がどうやってこの暮らしや仕事をやっているのかということだ。この本ではその問いに少しだけ答え、そして、「どうやって」よりももっと大切な「なぜ」こういうことをやっているのかという問いにもなんとか答えたいと思う。

ロックンロールのサバイバルキット
 DNA、天賦の才能、優れた技術の研究、芸術的思想を発展させ、それに心を砕くこと、むき出しの欲望…その対象…は名声?…愛?…称賛?…注目?…女の子?…セックス?…そしてもちろん、お金だ。そして…、もしも夜の果てまでそれを携えていたいなら、決して燃え尽きることのない危険で荒々しい炎のようでいなくちゃならない。
 もし君が魔法のようななにかを見せてくれることを待ちわびて大声で叫んでいる8万人(または80人)のロックンロールファンの前に立つことがあるのなら、そうしたことはきっと役に立つと思う。彼らは君が何かを取り出して見せてくれるのを待っている。帽子から、薄い空気から、この世の中から、今日ここに信じる心を持つ者たちが集まる前には歌に駆り立てられた噂しかなかったところに何かを生じさせて見せてくれることを。
 俺はこの捉え難い、いつもどこかリアリティに欠ける「俺たち」が本当にいるってことを示すためにいる。それが俺のマジックなんだ。そしてあらゆる優れた手品がそうであるように、まずは舞台設定が肝心だ。さて、というわけで…。




ブルース・スプリングスティーンの来月出版される自伝『ボーン・トゥ・ラン』(早川書房・2016年)の序文が公開されています。すでにNMEに訳文が掲載されているのですが、どうしてもブルースの言葉を自分で日本語にしたくて訳をしました。とても難しかった…。ブルースの言っていることを理解したくて英語の勉強を熱心にするようになってもう13年くらいになるけれど、まだまだ修行が足りないなと思いました。

でも、ブルースの言葉は相変わらずとてもロマンティックで、想像をかき立てられ、最後には胸を鷲掴みにされるようでした。こういう気持ちになるのは、初めて"The Rising"を歌うブルースの姿をテレビで観た時からずっと変わらない。ブルースの歌うところを観たり、彼の声に耳を傾けたり、彼の言葉を読むとき、いつも同じような気持ちになる。

最初のアズベリーパークの描写もたまらないです。何もかもが少しインチキめいている海辺の町。もともとアズベリーパークは有閑階級のリゾート地として開拓されたところから歴史が始まるので、あまり地に足のついた生活と結びついた土地ではありませんでした。そのせいなのか、確かにずっとふわふわとした妙な現実離れしたような雰囲気があるような気がします。あるいは私のそうした印象はブルースの歌のせいなのかもしれないけれど。でも、昔あったという遊園地の奇妙なマスコットキャラクターのティリーの看板やカジノビルディングの廃墟、寂れたボードウォーク(今は特に夏の季節は全然寂れていないけれど)、がらんとしたコンヴェンションホールには不思議な感覚が宿っている。いかにもロックンロールの物語が潜んでいそうな、たくさんの物陰、たくさんの秘密、たくさんの野心の跡が見える。

ブルースは自分のことも「インチキめいている」もののひとつに数え、ロックンロールに打ち込んだ仲間たちを「真実のために嘘をつく」と描写している。この表現はつい最近もも似たようなことを誰かがどこかで言っていた気がするけれど、どこだったでしょうか…。ロックンロールというのはあんまりにも良いもので、とても日常や現実とは信じることができないし、実際に日常ではないんだ、みたいな話で結構なるほどなと思ったのです。確かにロックンロールは、実際にそれで食べていったりしていたらともかくとして、日常や現実ではないのかもしれない。でも、その気持ちいい瞬間、昂ぶる瞬間、胸がいっぱいになる瞬間、何もかもどうでもよくなる瞬間、暴れている瞬間、叫んでいる瞬間、めちゃくちゃに悲しくなっている瞬間になにか本当のことに近づくことがある。あるいはそんなことを繰り返しているうちに、どこにもなかった現実が少しずつ立ち上がってきたりすることもある。嘘から出たまこと、というものなのかもしれません。

そして、その最たるものは「私たち」そのものです。ブルースを前にしたときの「私たち」とは一体何なのだろう?自分の真っ暗な部屋でひとりでブルースの声に耳を傾けている「私たち」。ブルースファンの「私たち」。そんな「私たち」なんて本当にいるのだろうか。コンサート会場に集まる「私たち」はなんらかの意味で本当にひとつの「私たち」なんだろうか。ブルースはそうだと言っている。本当にいるか分からない不確かな「私たち」を魔法のように、巧みなマジックのように、実体のある確固たる「私たち」として出現させてみせる。「私たち」自身に「私たち」のことがちゃんと感じられるようにしてみせる。何度も何度もいろんなときにいろんな歌のなかで、ブルースが言っていた通りだった。誰も糸の切れた凧のようでなんかない。たとえひとりだと思っても、信じる気持ちがあるなら、今夜俺の声に耳を傾ければきっと魔法を感じられるだろう、と。


FacebookとTwitter

2013-12-12 02:54:48 | Bruce Springsteen Miscellaneous
ブルース・スプリングスティーン関係のお知らせ(宣伝?)を2点。

1.Bruce Springsteen Japan (Facebook)
Facebookに、Bruce Springsteen Japanという日本のファンによる日本のファンのためのページ(グループ)が開設されました。運営してくださっているのは、80年代に日本のファンクラブの会長さんも務められていた方です。私は運営などには何も携わっていなくて、楽しく見ているだけですが、フェイスブックのアカウントをお持ちの方はぜひ遠慮なくご参加ください。アカウントがなくても、見るだけならどなたでもできるはずですので、ご興味をお持ちの方は上のリンクからどうぞ。日本のファンのための、と書きましたが、管理人さんのネットワークと積極的な姿勢のおかげで海外のファンの方もけっこう参加してくださっているようです。

2.Springsteen2JP (Twitter)
Twitterに、ブルースの来日を実現させるためのアカウントを作りました。管理・運営は私と「ほぼ週刊ブルヲ日記」(最近は休刊がち…)のブルヲさんと2人で行なっています。なんとかブルースかEストリート・バンドかマネジメントの誰かに日本でもブルースを待っている人がこんなにも沢山いるんだよ、ということを伝える方法はないものか、と考えて、現代の利器を活用するというアイディアに辿り着きました。まだまだ試行錯誤中ですが、こちらもアカウントをお持ちの方は、ぜひフォローして頂けたらと思います。数が見えやすいので、多くなるとそれなりにインパクトがあるのではないかな…と希望を持っています。でもこの前は、ブルースのことを話題にしている人がいたので、何の気なしにツイートをお気に入りにして、その方をフォローしたら、「ブルース・スプリングスティーンは大嫌いなのに、ファンのアカウントにツイートをお気に入りにされてフォローまでされて、余計スプリングスティーンが嫌いになった」と書かれてしまい、良いことをしているのだか、悪いことをしているのだか、なんだかたいそう申し訳ない気持ちになりました。その人がこのページをご覧になるとはとても思えないけれど、ちゃんと読んでいなくてすみませんでした…。と、こんな失敗もあるのですが、でも本当にブルースが来てくれたらいいのに…と書かれている方や新しいアルバム『High Hopes』(2014)を心待ちにする声などを見つけるとすごく嬉しい気持ちになります。そしてそうだとしたら、もしもそんな人たちと同じ会場でブルースを観られたら、どんなにいいだろうと思わずにはいられないのです。ぜひアカウントをお持ちの方はフォローを、そしてお持ちでない方は、初詣での来日祈願をご協力を頂けたら嬉しいです。そして、なにか更なる良案をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。




映画『Springsteen & I』: A Man in a Car

2013-11-18 23:51:37 | Bruce Springsteen Miscellaneous
「ブルースの歌詞を聴くと、いつだって誰かの家族のアルバムを眺めているような気持ちにさせられる。その人たちの思いを感じたり、その家のコーヒーの匂いを感じたり、彼らの悲しみや為し遂げてきたことに対する誇らしさを感じるんだ」-A man in a car


先月から3週間半ほど、アメリカに滞在していました。最初の5日間はひょんなことからシアトルにいたのだけれど、残りの期間はアズベリー・パークやロング・ブランチにいました。ちょうど、日本では映画『スプリングスティーン&アイ(Springsteen & I)』(2013)のDVDのリリースがあった頃でしたが、その時期、アメリカではどこかのチャンネルでこの映画を何度か放送していました。私は、しっかり初回の日時を確認して、金曜日の夜、宿にこもってひとりでこの映画を観ていました。夏にも2回観ているので、3度目だったけれど、ブルース・スプリングスティーンがいたアズベリー・パークで、ひとりでこの映画を観ていると、私は正しい道を、自分の進むべき道をちゃんと進めているんだ、というような気持ちに不思議となりました。いるべき場所でやるべきことをやっているんだ、というような気分。

初めて映画館で観たときから、最も深く印象に残っていた語り手のひとりに、サングラスをかけて車を運転する中年の白人男性がいました。彼は最初は、ブルースとEストリート・バンドがソウルバンドのようだ、とかいうことを雄弁に語っているのだけれど、後半では冒頭で引用した台詞を、一言ひとことを胸の奥からたぐり寄せるように切れ切れに口にします。そして、最後に口を噤んだあと、泣き出してしまう。集中しないで観た回も合わせると、全部で6回くらい『スプリングスティーン&アイ』を観たけれど、私がこの映画を観ながら感じることは、この男の人がブルースの歌詞について言っていることと、すごく近いように思うのです。ある家族の日常の温かさであったり、忘れられない特別の出来事であったり、喪失の悲しみ、自負、現実や自分との対峙、大事な人に対する愛情、懐かしい思い出や苦い思い出が詰まっている。そういう語るべき物語は生きていれば、誰にでもひとつやふたつはあるのだろうけれど、多くの場合は、それを語る術を得ることが実はとても難しいと思うのです。ブルースは、それをロックンロールとギターによって得て、私はたぶん、この映画に出てくる人たちと同じように、ブルースによって得ることができた。そういう意味で、個別の経験や思いは私のものとは違っていても、出てくるいろいろな人をとても近しく感じたし、その内容にも本当にコーヒーの匂いや胸の痛みや喜びが感じられるような気がしたのです。そして、ブルースを15歳のときからずっと好きでいて本当に良かったと思ったし、未来に対する明白かつ明るい見立てというのはそうそうあるものではないけれど、自分がおばあさんになってもブルースを好きでいて幸せでいるところを思い浮かべることができた。

そうしたバリバリのブルースファンである、ということについては私は憚ることなく誰にでも言って、理解されなかったり、好奇の目で見られたり、ときには魅力的に感じてもらえたり、いろんなレスポンスを受ける訳ですが、自分ではそういう自分を一方では誇らしく思ったり、幸せに思ったりしています。先にも書いたように、ブルースのおかげで私は語る術を得られたし、進むべき道やあるべき自分の姿というのもブルースに出会ったことではっきりしていったと感じています。そしてブルースの音楽から世の中のことを教わったり、胸の内を言い当てられたり、人との出会いを与えられたりしてきました。だから、ブルースとブルースの音楽は本当にどれだけ口にしても足りないくらい、とてもとても私にとって特別な存在だけれど、それを真剣に言えば言うほど、そういう自分を他方で滑稽に感じたりもするのです。それは決して悪い意味ではなく。なぜなら、ブルースも引用しているように、それは「たかがロックンロール」だし、人によっては、そんなもので人生が左右されるなんて、そんなものをあてにして生きていくなんて、殆ど信じられないようなことだというのも分かるからです。高校生の頃にブルースに出会ってから、家のテレビでブルースの演奏を観ながら泣いている私を見て不思議そうな顔をしている家族や、ブルースについて一生懸命話している私に対して戸惑ったような顔を見せた親しい友達や、ブルースの歌詞について発表したときに「意味が分からない」と言って関心の欠片も見せてくれなかった国語の先生や、どうして今やっていることをすることになったのか、と訊かれて「ブルースが好きだから」という私の答えを(悪気なく、冗談だと思って)笑ったたくさんの人と接してきて、そういう人たちの気持ちも今ではよく分かる気がするのです。そういう人たちは、私がイヤホンをしていて急に泣き出したり、ブルースについて話していて、その運転していたおじさんのように何の前触れもなく泣き出したりしたら、きっとぎょっとするだろうし、「嘘でしょ!」と思うだろうし、びっくりしておかしみを感じるだろうと思う。だから、ロンドンの小さな映画館で私の右後ろにいたどちらかというと若い男性の2人組が、スクリーン上でおじさんが泣き出したのを見て、「エッ!?」という感じで笑ったのは、すごく印象的でした。私自身も、彼がそこで泣き出すとは思わなかったから、一瞬驚きを覚えたけれど、そんなおじさんのことを他人とは思えないような気持ちになって、一緒になってさめざめと泣いていたのでなおさらそう感じたのかもしれません。あんなサングラスをかけた大の大人の男の人が「たかがロックンロール」について話していて泣き出す、ということの滑稽さと、それが胸を打つ度合いというのは結構、拮抗しているのかもしれない。他の劇場でも、この場面で笑いが起こるということはあったみたいで、それについて「失礼だ!」と怒りを示す人もいるのだけれど、ブルースが昨年のSXSWのスピーチで言っていたように、自分のことを死そのもののように真剣に捉えつつ、真剣に捉え過ぎないでいるのがいいような気がする。ブルースファンの私は最高にクールだけど、その一方で最高におかしい。このおじさんには、そうしたブルースファンとしての自分のあり方みたいなものも考えさせれもしたのでした。(続く、かもしれない)。


Bruce Springsteen's Keynote Speech at SXSW in 2012 (5)

2013-10-05 00:00:06 | Bruce Springsteen Miscellaneous
ブルース・スプリングスティーンが2012年3月にテキサス州オースティンで開催されたサウス・バイ・サウスウェストで行なった基調講演(キーノート・スピーチ)の訳。今日でお終いになります。



最終回:ウディ・ガスリー、エピローグ(ビデオ:42分34秒~終わりまで)

それで20代後半のいつ頃か、ジョー・クラインの著作『Woody Guthrie: A Life』を手に取った。読み進めていくと、ディラン以前の可能性の世界、後にディランを触発し、彼が最高傑作を生み出す助けとなった世界が目の前に開けていった。ウディは、現在の苦境を見据えていた。だけど同時に、地平線の向こうにはなにか別なものもある。ウディの描く世界とは、現実的な理想主義によって宿命論が和らげられた世界だった。そこでは、権力を持つ者に対して真実を語ることは、無益なことではなかった。その結果がどうであろうと。

なぜ俺たちはこんなにも長い時を経て、未だにウディについて語り続けるんだろうか。ヒット曲があるでもなく、プラチナレコードになった作品がある訳でもないし、アリーナでコンサートをやったことも、『ローリング・ストーン』の表紙を飾ったこともないのに。だけど、彼は機械のなかの幽霊だったんだ。機械のなかのとても大きな幽霊だった。なぜなら、それはウディの歌が、彼の一連の作品が、ハンク・ウィリアムズの問い、「なぜ僕のバケツには穴が空いているのか」に答えようとするものだったからだと思う。それは長い間、俺を悩ませていた問いでもあった。

だから、30代前半の俺にウディの声は本当に心の奥深くにまで語りかけてきた。そして俺たちはコンサートで“This Land is Your Land (我が祖国)”を演奏するようになった。俺は自分が決してウディ・ガスリーのようにはならないだろうと分かっていたよ。俺はエルヴィスが好きだったし、ピンク・キャデラックに魅せられすぎていた。俺はポップなヒット曲が持つシンプルさと瞬間的な舞い上がるような感覚が好きだし、めちゃくちゃな騒音にも目が無かった。そして、自分なりの意味で、スターでいることで享受できる贅沢さや快適さを好んでもいる。俺はもうウディとは、あまりに異なる道を遠くまで来すぎていた。

4年前、俺はめったとないような状況に身を置いていた。寒い冬の日で、俺はピート・シーガーと並んでマイナス4度の気温のなか立っていた。ピートはワシントンにやって来て、どこへ行くにも、地下鉄だろうとバスだろうと、バンジョーを持ち歩いていた。彼はなんとシャツ姿で現れたので、俺は「ピート、上着を着てくださいよ、凍えちゃいますよ」と言った。90歳の彼は、ウディの遺産を体現したような人だ。そして、俺たちの前には何十万人というアメリカ市民の姿があった。俺たちの背後には、リンカン・メモリアムがそびえ、右手には新たに選出されたばかりの大統領がいた。そして、俺たちはそうして集ったアメリカ人みんなの前で“This Land Is Your Land”を歌おうとしていたんだ。ピートはこう言って譲らなかった。「僕たちはすべての歌詞を歌わなくちゃだめだ。いいか、全部の歌詞だぞ。歌い残しは絶対にあっちゃいけない」。それで俺は「どうなんだろう、ピート、だって、6歳くらいのこども達が後ろで歌うんですよ」と言ったんだけど、彼は「いいや、全部残らず歌う。全部だ。やるぞ」と言ったよ。

<ギターを弾きながら、“This Land Is Your Land”を歌う>
歩いていると看板があり
「立ち入り禁止」と書かれていた
だけど裏には何も書いていなかった
そちら側は君と僕のためにつくられたもの
この地は君の土地 この地は僕の土地

この曲はみんなで歌うようにと書かれたものだよ。<聴衆も一緒に歌い始める>

カリフォルニアからニューヨークの島まで
セコイアの森からメキシコ湾まで
この地は君と僕のために築かれたもの

そういう訳で、その日、ピートと俺と人種や宗教的信条によって限定されることのないいろいろな世代のアメリカ人たちがそこに集っていて、俺はふと気がついたんだ。時には、外からやってくるなにかが内側へと入り込んで、国家の力強い脈動の一部となることがあるんじゃないかって。あの日、あの曲を歌って、アメリカ人たちは老いも若きも、黒人も白人も、どんな宗教的、政治的信条を持つ人もほんの短いあいだ、ひとつになることができた。ウディの詩によって。

だから、もしかするとレスター・バングスは完全に正しいという訳ではなかったのかもしれない。ここでも今夜俺たちはみんなこの街に集って、若いミュージシャンも、歳を重ねたミュージシャンもみんなが恐らくそれぞれのやり方で、ウディの遺してくれた自由の感覚というものを称えようとしているんだ。だから、若いミュージシャンのみんなは、しっかり前へ進んで行くことだ。耳を澄まし、心を開くこと。自分のことをあまり真剣に考えすぎず、でも死そのものと同じくらい真剣に捉えるんだ。心配するな。必死で気を揉め。まっすぐな自信を持ち、なおかつ疑うこと。そうすれば油断せず、機敏でいられる。自分が町で最高にクールな奴だと信じるんだ。そして、自分は最低だ!とも。そうすれば正直でいられる。誠実でいられる。自分の胸と頭の中に、いつでも2つのまったく正反対の理想を持っていられるようにすること。それで頭がおかしくならなければ、きっと強くなれる。挫けず、ハングリーであり続けろ、生と向き合い続けろ(註:“Stay hard, stay hungry and stay alive.” –“This Hard Land”の引用)。そして今夜ステージに立ち、さあやるぞという時になったら、それが自分のすべてだというつもりでやるんだ。そして覚えておいてほしい。イッツ・オンリー・ロックンロール、ということを。それじゃあ、俺はちょっとブラック・デス・メタルでも聴きに行こうかな。ご清聴ありがとう。


Bruce Springsteen's Keynote Speech at SXSW in 2012 (4)

2013-10-04 01:02:26 | Bruce Springsteen Miscellaneous
ブルース・スプリングスティーンが2012年3月にテキサス州オースティンで開催されたサウス・バイ・サウスウェストで行なった基調講演(キーノート・スピーチ)の訳。全部で5回に分けてお届けする予定です。今回は第4回目です。

第4回:ソウルミュージック、ボブ・ディラン、カントリーミュージック(ビデオ:30分15秒~42分34秒まで)



それからもちろん、俺にとっては映画も大きなインスピレーションだった。でも、それはまた別の話だから、次のソウルミュージックの話をしよう。これは本当にすごく大切な話。ソウルミュージックにおけるブルーカラーの気概。

サム&デイヴ “Soul Man”を歌う>
俺は裏通りの育ち
ものを食べられるようになるより早く愛することを学んだ

まあ、個人的にはものを食べられるようになる方が愛することを学ぶよりずっと先だったんだけど、言いたいことは伝わったよ。それは根性のある決意を歌っていると同時に、ブルーズでもあり、教会音楽でもあり、世俗の土くさい音楽でもあり、セックスで満ち満ちた天国の音楽でもあったのさ。それは快楽と敬意を要求する汗にまみれた音楽だった。10代のアイドルじゃなしに、ソウル・マンとソウル・ウーマンが歌う大人の音楽だったんだ。

それから、シルクとスパンコールをまとい、成功を夢見るモータウンが登場した。モータウンの音楽はスタックスに比べて洗練されてはいたものの、力強さの点ではまるで負けていなかった。カーティス・メイフィールドインプレッションズの社会的意識に満ちた美しいソウル“We’re a Winner”があった。進み続けるんだ(註:“Keep on pushin’”。 “We’re a Winner”に出てくるフレーズ)というメッセージ。ただただ素晴らしいレコードで、まさに必要とされたときにラジオから流れてきたものだった。まさに必要とされたぴったりのタイミングで。

“A Woman’s Got Soul”。これも女性に捧げられた実に素晴らしいレコードだよ。それから“It’s All Right”は、公民権運動のサウンドトラックだった。そして俺は自分の技術をこうした作品を生み出した優れたアフリカ系アメリカ人のアーティストたちから学んだ。曲の書き方やアレンジの方法、何が重要で何が重要でないのか、良いプロダクションを施すとどんな音がするか、どうやってバンドを率い、フロントマンとなるべきか、といったことを。こうした男女は俺にとっての師であったし、今でもそうであり続けている。

20代になる頃までには、俺は彼らから学んだことを地元のクラブやバーで千夜は実践し、自分自身のスキルに磨きをかけていた。俺は、アコースティックのシンガーソングライターとして、コロンビア・レコードのジョン・ハモンドから契約を得た訳だけれども、俺は羊の皮をかぶった狼だったんだ。同時期にやはり契約を得たエリオット・マーフィジョン・プラインラウドン・ウェインライト IIIや俺はみんな新たなディランとされた。

ところが古いディランは当時たったの30歳だった。だからなんでわざわざ新たなディランなんてもんが必要だったのかさっぱり分からないけれど、そういう時代だったんだな。30歳というのはね…。ともかく俺はバーで毎夜毎夜、演奏し、自分の曲をものにしようとした。若いミュージシャンのみんなは、自分の曲をいかにライブで演奏するかをしっかり学ぶことだ。そして、毎晩毎晩毎晩それを演るんだよ。そうすれば、聴衆は君のことを覚えてくれる。コンサートチケットは信頼の握手に等しいんだよ。

俺が身に着けたこうしたスキルは自分にとってとっておきの切り札になった。そして遂にツアーに出たとき、俺たちはその切り札を使って、それはもう徹底的に演奏し尽くしたのさ。それこそ俺がサム・ムーアジェームズ・ブラウンから学んだことだったから。T.A.M.I.ショウでローリング・ストーンズをぴりぴりさせたジェームズ・ブラウンのパフォーマンスほど素晴らしいものはないな。悪いね、みんな。俺はストーンズだってすごく好きだよ。でもジェームズ・ブラウンが相手じゃね…若者も成人した男も立つ瀬がないと言うものだよ。うん、そうだな、俺はジェームズ・ブラウンの後に出よう、どこかジェームズ・ブラウンの後にパフォーマンスの予定を入れてくれる?なんて絶対だめ。話にならない。家に帰りな。無駄なことすんな、ってなもんだよ。

俺にはジェームズ・ブラウンとのすごくいい思い出があるんだ。ある晩、ジェームズ・ブラウンを観に行って、そしたら彼は俺のことをなんとなく知っていたみたいだった。観客席の中にいたら、突然「レディース・アンド・ジェントルメン、マジック・ジョンソンの登場!」という紹介があって、そしたらマジック・ジョンソンがステージに上がった。それから、「レディース・アンド・ジェントルメン、ウディ・ハレルソンだ」という紹介があり、彼もステージに上がった。俺は席に座ってそれを眺めていたんだ。そしたら、聞こえたんだ「レディース・アンド・ジェントマン、ミスター…、ミスター…、ミスター “Born in the U.S.A.”」って。それで彼は俺の名前を知らないんだなって分かったけど、できるだけ速くステージまで駆けて行ったよ。ステージ上でジェームズ・ブラウンの横に立っているのがどんなことか、とても言葉にできないな…。「ファック、俺は一体ここで何やってんだ?」という感じだった。彼の影響というのは今日に至ってもあまりに過小評価されているよ。彼は…エルヴィスであり、ディランだった。

ディランを聴いて、俺は初めて自分の生きる場所のことが嘘偽りなく、リアルに歌われていると感じられた。60年代や50年代の若者にとって、世の中どちらを向いても何もかもが嘘っぱちのように思えた。でも、それをどう表現していいか分からなかった。当時は、そのためのことばがなかった。めちゃくちゃだ、というのは感じられても、それをことばにすることができなかったんだ。ボブはそうしたことばを俺たちに与えてくれた。そして歌を。そして彼が最初に尋ねたのは、「どんな気がする?」という問いだった(註:“Like a Rolling Stone”の“How does it feel?”というフレーズ)。ひとりぼっちだというのは、どんな気がする?と。1965年の若者はひとりぼっちだった。なぜなら、親たちは…彼らに神の恵みがありますよう…そのとき起きつつあった驚くべき変化を理解することができなかったから。若者は帰る家もなく、ひとりだった。ボブは、俺たちが自分の心を理解するためのことばをくれた。

彼は俺たちを子供扱いせず、大人のように扱ってくれた。彼は1歩下がったところから、俺たちの闘っていた賭けを理解し、俺たちの目の前でそれがどういうことなのかを明らかにしてくれたんだ。そのことを俺は決して忘れない。ボブは俺の音楽的な故郷の父のような存在だ。今もこれからもずっと。そのことで彼には感謝している。

俺がボブから学んだ素晴らしい妙技は、彼は今でもやっているけれど、他に誰ひとりとしてできないことだ。それは、次から次へと歌詞を歌い続けても、決して退屈にならないということだ。これは殆ど不可能なことだよ。彼は何かについて書いたりはせず、意味のあるすべてのことについてどの曲でも書いているみたいだった。彼はそれをやり遂げた。だから俺も「いいな、俺もやってみよう」と思った。

そして、俺は20代後半になり、やはり歳をとっていくことが気がかりになってきた。もっと歳をとってからの、たぶん40歳くらいなんかの自分がステージで歌っているのを想像できるような音楽を書きたかった。成長したかったんだ。自分が愛してきた音楽のスタイルに手を加えて、自分の大人としての関心を表現できるようなものにしたかった。それでカントリー音楽に辿り着いた。

自分の小さなアパートの部屋で腰を下ろして、繰り返し『ハンク・ウィリアムズ・グレイテスト・ヒッツ』を聴いていたのを覚えている。最初は良いと思えなくて、偏屈で古くさく感じたから、なんとかそこに隠されているものを理解しようとがんばっていたんだ。だけど、硬いカントリーの声と極めて簡素な伴奏があるだけだった。それでも次第にほんの少しずつ俺の耳は馴染んでいった。その美しいまでの簡潔さとその闇と深みに。そしてこの目の前で、ハンク・ウィリアムズは俺にとって、過去の記録から活き活きとしたものへと変化した。

70年代の終わり頃、俺は暫くの間、カントリーをずいぶん聴いていた。カントリーの中には探し求めていた歳を重ねた者のブルーズが、働く男女の物語が、勝ち目のない賭けを突きつけられていることへの認識があった。“My Bucket’s Got A Hole In It”“I’ll Never Get Out Of This World Alive,” “Lost Highway,” そしてチャーリー・リッチの素晴らしい曲…。

“Life Has It’s Little Ups & Downs”を歌う>
メリーゴーラウンドの仔馬のように
そして誰もいつも芝を緑にしていてくれる人なんていない
だけど彼女は気にしない
彼女の手もとの金の指輪は
俺の贈ったものなんだ

たまらないな。涙が出そうだよ。胸がいっぱいになる。まさに労働者のブルーズ(註:“Working Man’s Blues”)だった。日々の現実のストイックな認識ともう1歩だけ前に進み、なんとか切り抜けていくことを可能にしてくれる大小の様々な事柄。俺はカントリーの持つ諦念に魅せられていた。それは内省的で、滑稽で、深い悲しみに満ちていた。でもそれはとても宿命論的だったんだ。明日の見通しは暗い。この音楽は、政治的な怒りを表明したり、政治的批判を行なうということがめったになかった。そして俺は気づいたんだ。その諦念、宿命論には中毒性があると。ロックンロールを毎日が週末、というようなものだとするなら、カントリーは土曜の夜の一悶着とそれに続く暗い日曜日(註:“Sunday Morning Coming Down”)だ。罪悪感にさいなまれる。やっちまった、なんてこった。だけど、曲にもあるように「俺にもういちど賭けてくれるかい?」(註:“Would You Take Another Chance On Me?”)それがカントリーだった。

カントリーは、なぜかを問うものではないようだった。それはなにかの行為について、死ぬことや、性的関係を持つこと、泣いたり、大酒を飲んだり、努力したりすることに関するもののようだった。そしてロックとカントリーそのものみたいな存在だったジェリー・リールイスが言ったように、「俺は底まで落ちたが、なんとか這い出そうとがんばっている」(註:“Fallen to the Bottom”の歌詞)というふうだった。

それが筋金入りの労働者のブルーズというものだったんだ、筋金入りの。それが大好きだったよ。そして、ハンク・ウィリアムズの問い、「なぜ僕のバケツには穴が空いているのか」、その「なぜ」に答えること、それが楽しさいっぱいの賑やかなバー・バンドでありつつ、アイデンティティを模索していたEストリート・バンドの、俺の音楽の中心的な部分となった。カントリーの本質に俺は心を惹かれていた。カントリーは田舎のものだったし、俺も田舎者で、ダウンタウン育ちではなかったから。俺はボヘミアンとかヒップスターという訳では別になかったんだ。ヒッピーが登場した頃の状況から言ったら俺もヒッピーだったかもしれない。でも、自分のことは並よりは少しだけ才能に恵まれているだけの平凡なやつだと思っていた。もしめちゃくちゃに努力すればきっと何とかなるはずだと思っていた。カントリーというのは人の汗だとか、地元のバー、通りの角にある店なんかから立ち現れてくる真実について歌ったものだった。過去の憂鬱や今夜の楽しみ、そして恐らく日曜日、来世をじっと見据えるものだったんだ。俺はカントリーをずいぶん幅広く聴いたけれど、それでも見つからない、欠けているなにかがあった。<続く>