"This Hard Land"
やあミスター、教えてほしいんだ
俺の蒔いた種は一体どうなってしまったのか
理由が知りたいんだ なぜ決して芽が出ないのか
それは町から町へと飛ばされ
この地へ舞い戻ってくる
俺の手を離れたこの場所へ
この苛酷な土地の土埃の中へ
俺と妹は2人
ジャーマンタウンを出て
山腹の岩間に寝床を作った
町から町へと放浪し
身を落ち着けられる場所を探し求めていた
太陽が厚い雲を貫き円のような光を
この苛酷な土地に輝く炎の輪を投げかける場所を
今ではもう雨さえも降らない
この土地では
聞こえるてくるのは夜風が
裏手のポーチの扉を激しく叩く音ばかり
風はまるでお前をなぎ倒そうとするかのように吹きつけ
砂を巻き上げ
案山子はみなうつぶせに倒されてしまう
この苛酷な土地の砂埃の中で
丘の上の建物の
テープデッキから"Home on the Range"が聞こえてくる
バーエム牧場のヘリが
平野を低く横切っていく音が聞こえる
俺とフランク、俺たちははぐれた家畜を探している
俺たちの馬の蹄が砂を巻き上げる
俺たちは風雲に乗じて失われた宝を探し求めている
南部深く、リオ・グランデの川を月明かりに照らされながら渡り
この苛酷な土地の土手へと辿り着く
なあフランク、荷物をまとめないか
今夜リバティホールで会おう
兄弟であるお前からただ1度、キスを受けたら
俺たち2人で力尽きるまで走ろう
広野で眠ってもいい
川沿いで休んでも
そして朝になったら計画を立てるんだ
もしやって来ることができなかったら
挫けず、ハングリーに、生き続けろよ
そしてできることなら
この苛酷な土地の夢の中で会おう
ENGLISH
キルケニーでの2日目のブルース・スプリングスティーンのコンサートは、半年近くひっそりと心に抱いていた旅の終わりや、18か月に亘って続いた『Wrecking Ball』(2012)ツアーの殆ど実質的な終わり(残すは南米3公演です)と重なるということもあって、前日の高揚感よりは、切ない思いに終始、絡めとられるような夜でした。欧州公演の最後というからには、盛大な、打ち上げ花火のような派手なセットリストになるのかと思ったけれど、ブルースが選んだ曲目も決して華やかなものばかりではなく、ブルースには言わなければいけないことがあるのだ、ということをすごく感じたし、それを私はちゃんと受け留めなければならないと、背筋を正されるような思いにもなりました。そして、本当はそんな思いで家に帰って、現実を生きていかないといけないのだと思う。
2日目の待ち時間は前日よりも90分ほど短くて済んだけれど(ダブリンからキルケニーへの始発電車が90分遅いものしかなかったから)、1日目よりは随分、厳しい待ち時間でした。前日の疲れ、睡眠不足(3時半にダブリンのホステルへ戻り、7時には起きた)、降ったりやんだりする雨、そしてもう後がないから、とまだブルースが出てくる何時間も前から前へ詰めかけてくるお客さんたちの圧迫に耐える修行のような時間でした。でも、最初は前日よりも90分遅い電車ではピット入りはできないと、みんな言っていたけれど、結局前日と殆ど同じ場所に立つことができました。周りには何人か前日も見かけた人がいたのは嬉しかったけれど、同時に前日にはいたのにこの日いない人達の不在を寂しくも思いました。
前日と同じようにブルースたちがステージに現れると、"This Little Light of Mine"があっという間に広いノーラン・パークを包み込んでしまいます。この日は、電車にホステルを出てから乗っている間にかけて、『Live in NYC』(2001)を聴いていたので、2曲目が"My Love Will Not Let You Down"であったのは幸せな偶然でした。私が人生で初めて聴いたブルースのライブレコードはこの『Live in NYC』だったから、いくら当時の"My Love Will Not Let You Down"が『Tracks』(1998)に収められていたマイナーな曲だったとしても、私にとっては常に心の躍るような夢のような時間の始まりを意味する1曲だったのです。アルバムよりもコンサートの方が良いなんていうことの意味をまるで理解していなかった10代半ばの自分が初めて『Live in NYC』のCDを開けて、この曲に一瞬で心を奪われる瞬間とこうしてアイルランドの古い町でこの曲を歌っている現在がひとつながりに存在しているというのは、本当に信じられないようなことだった。
それから"Badlands"を挟んで、『Born to Run』(1975)のフル演奏に至るまでの10曲は、意外なことに前日に比べて重たさのあるものでした。"Badlands"も"We Take Care of Our Own"も演奏は力強く、きらきらしているけれど、内容は厳しい現実を歌っている。そして、"Adam Raised a Cain," "Death to My Hometown"が続き、その後に演奏された"American Skin(41 Shots)"は本当に辛いものでした。隣にいた女の子は、カラフルな大きなサインボードにこの曲のリクエストを描いて来ていたけれど、そんなふうな積極的に聴きたいと思えるような曲では私には全然なかった。ブルースは昨年4月に、私がマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを観たときにもこの曲を演奏していて、その時には直面せざるを得ない現実があってそうしたのであり、18か月経った今もまた、こうしてこの曲を歌わなければならない現実があるということが本当に悲しかった。昨年4月の時点では、2月末にフロリダで黒人のトレイヴォン・マーティン少年が自警団を自称するヒスパニック系の男性ジョージ・ジマーマンに殺害される事件の直後であったからであり、今回は、ジマーマンに対する無罪判決が2週間ほど前に出たばかりだったからでした。昨年の出来事も、人の命が奪われているのだから、もちろん悲惨な悲劇だったけれど、今回の判決はブルースが生きるアメリカが、結局のところ、肌の色によって恐怖や憎悪をかき立てられて人を殺すことを正当化してしまい得る社会なのだということを突きつけたという意味で、実にやりきれないものだったと思うのです。ジマーマンは特殊な個人ではない。こんなことが起きるのが、「アメリカの肌に生まれるだけで殺される」のがアメリカなのだという現実。ブルースがどれだけクラレンスとそうではないアメリカの夢を紡いできても、そうなのだということに、胸が潰れそうな思いがした。私はダブリンで出会ったヨーロッパで育ちの男性から、アメリカなんてとても好きにはなれない、一体何がそんなにいいのか説明してみてよ、と迫られて言葉に詰まったことがあったけれど、この日の"American Skin"の演奏には、私のアメリカについて知りたいと思うことが凝縮されているようにも感じました。そして、この曲の直後にブルースが"The Promised Land"を演奏してくれたことにも心を打たれずにはいられませんでした。「(それでも)約束の地を信じている」という言葉が、"American Skin"の後でいかに深い意味を持つことか。こうして現実を見据え、突きつけながらも、何とか希望を持たせてくれるブルースのことが私は本当に心から大好きなのだと思わないではいられなかったのです。
そして、"Wrecking Ball," "Spirit in the Night"(私はこの曲はそんなに強く聴きたいと思うものではないのだけれど、最近の演奏は映画『Springsteen & I』(2013)の冒頭にあったようなとてもドラマティックな導入部が付け加えられていて、これはとても格好良いと思う)、"The River"と続き、それからの3曲はお客さんからのリクエストを拾っての演奏でした。"Wild Billy's Circus Story"のサインは、とても綺麗なサーカステントの形のリクエストボードで、ブルースは、「このサイン、何回も受け取っているのに1回も演奏したことがないんだよ。それなのに、この人は毎回毎回、きっちり同じものを作って来てくれるんだ。実に心の広いことだと思うよ。だから、今夜はあなたのためにこの曲を演奏しよう」と言い、背後の大きなスクリーンには、そのサインを作った眼鏡の生真面目そうなおじさんが奥さんを後ろから抱きしめ、感に堪えないといったふうに、彼女の頭に強くキスする姿が映ったのがとても心に残っています。なんて素敵なんだろう。続く"Man at the Top"はしみじみと良い演奏でした。そして、年かさの女性たちのサインを目にしてカバーされたサーチャーズの"When You Walk in the Room"も、胸に染み入るように優しく、きらきらしていて夢のようだった。私が本当はいちばん聴きたかった"Girls in their Summer Clothes"の雰囲気にいちばん近かったのがこの曲だったかもしれない。
この後、『Born to Run』がフル演奏されたのは、この日会場にこのアルバムを作るときに助けてくれたジミー・アイオヴィンが来てくれていたからだとブルースは言っていました。私は何曲か前からふと、今日"Jungleland"が聴けたらどんなにいいだろう…という思いに捉われていたので、『Born to Run』を演奏すると聞いて、これで"Jungleland"が聴けるんだ、と思えたことが何よりも嬉しかったです。『Born to Run』は、やっぱり何と言ってもブルースに心を奪われてからの10年の自分の人生の中で最も存在感の大きなアルバムだったから、"Thunder Road"から1曲ずつ、演奏されるのを聴きながら、いろんなことが断片的に思い出され、とても感慨深い気持ちになりました。故郷の町で学校の帰り道にMDウォークマンでこのアルバムを聴いていた自分の姿、東京へ来たこと、一緒に聴いた人のこと、オルバニーで初めてブルースを観た日のこと。そして、そんな日を経て、今アイルランドでこのアルバムが通して演奏されているのを聴いている瞬間が、これから10年後に、一体どんなふうに思い出されるだろうかと思いました。10年後の自分はどんなふうになっているんだろう、73歳のブルースはどうしているんだろう、とも。それは、とても想像することはできなかったけれど。そして、"Meeting Across the River"の静謐な演奏を聴いて、もうすぐ"Jungleland"が演奏されるのだ、と胸が焦がされるような思いになる。夜の魔法が一層強くかかるのが感じられる。"Jungleland"は、もう言葉にはとても尽くせないほど素晴らしかったです。流れるようなピアノの音、次第に高まる曲とブルースとお客さんの熱気、広がっていく物語。そして、私はかつて書いたことがある、これまでで最もロマンティックな瞬間のことを思い出し、リンゴのことが恋しくなった。オルバニーの薄暗く殺風景な学生寮の一部屋で回る『Born to Run』のレコードとクラレンスの魔法のようなサックス。「僕はこのクラレンスのサックスが好きだな」と告げるリンゴの声。ブルースが1音1音、指示を出したというクラレンスのサックスソロをジェイクがブルースのすぐ傍で魂を削るようにして吹く姿には胸が抉られるような気持ちにもなったけれど、ジェイクのことが私までとても誇らしく、また、クラレンスがそこにいるようにさえも感じられました。"Wrecking Ball"に歌われたことは嘘じゃないんだ、と思った。
その余韻が残る中、"The Rising," "Land of Hope & Dreams"という前日と同じ2曲でメインセットが終わります。"Born in the U.S.A."で幕を開けたアンコールは"Bobby Jean"がとても良かったです。もう本当にコンサートも旅も終わってしまうんだ、という胸を締め付けられるような切ない気持ちにぴったりと寄り添うような曲でした。旅で出会った人たちのことも思い出したりする。"Seven Nights to Rock"や"Dancing in the Dark," "American Land," "Shout"というような曲を聴いても、やっぱりここからはもう切なさを拭うことはできなかったです。最後の"This Little of Light of Mine"には、前の日の始まりの興奮からこの日の終わりの幸せともの悲しさに至るすべてが詰め込まれているみたいに感じられました。
そしてバンドがステージを去ってから、ブルースが最後にひとりで演奏したのが今日、訳した"This Hard Land"です。最後に聴くにはあまりに切なく、あまりに相応しく、またしても涙が止まらなくなりました。2日間、一緒に電車に乗り、列に並び、傍でコンサートを観たスイス人のサンドラは、私がコンサートが終わってしまうのが悲しくて泣いているのだと思ったようだったけれど、そんなことじゃなかった。ぴったりと心の落ち着く場所が見出せず、遠くアイルランドまでさまよい来てしまうような自分の姿が歌詞と重なって見えたし、帰らなければいけない現実のことも考えました。でも、同時に今こうしてアイルランドで"This Hard Land"をブルースが歌うのに耳を傾けていられるなんていかに、いかに、夢のようなことだろう。ヨーロッパの屋外スタジアムでブルースを観るという一生ものだった夢を私は叶えた。夢はグレン・ハンザードが言ったように、ポール・マッカートニーと共演したブルースが言ったように、叶うもの。"Stay hungry, stay hard, stay alive if you can and meet me in a dream of this hard land"という歌詞が胸に突き刺さりました。そうだ、そんなふうにして、私はまた生きていかなければならないんだ、と。この日、ブルースは今回のツアーが近しい人を幾人も失いながらも、どれだけ素晴らしいものであってきたかを話してくれました。「歳を重ねるほどに、もっと意義深いものになっていく」と。そして「また会おう」、そう言って、"Take care of yourselves."(元気でいるんだよ)と最後に言ったのでした。歳を重ねながら生きていくということ、それは大切な人を失うこと、人と別れること、人が肌の色のために殺されるということ、それを正当化してしまうような国に住まうこと、正直な人が報われないような社会に生きること、そんな辛さ、悲しみ、怒りを含んでいる。だから、ここは苛酷な土地である。けれども、それを生きていくことには意味があり、約束の地も希望と夢の地も諦められてはいない。だから、挫けず、ハングリーに、生き続けていかなくちゃいけない。
やあミスター、教えてほしいんだ
俺の蒔いた種は一体どうなってしまったのか
理由が知りたいんだ なぜ決して芽が出ないのか
それは町から町へと飛ばされ
この地へ舞い戻ってくる
俺の手を離れたこの場所へ
この苛酷な土地の土埃の中へ
俺と妹は2人
ジャーマンタウンを出て
山腹の岩間に寝床を作った
町から町へと放浪し
身を落ち着けられる場所を探し求めていた
太陽が厚い雲を貫き円のような光を
この苛酷な土地に輝く炎の輪を投げかける場所を
今ではもう雨さえも降らない
この土地では
聞こえるてくるのは夜風が
裏手のポーチの扉を激しく叩く音ばかり
風はまるでお前をなぎ倒そうとするかのように吹きつけ
砂を巻き上げ
案山子はみなうつぶせに倒されてしまう
この苛酷な土地の砂埃の中で
丘の上の建物の
テープデッキから"Home on the Range"が聞こえてくる
バーエム牧場のヘリが
平野を低く横切っていく音が聞こえる
俺とフランク、俺たちははぐれた家畜を探している
俺たちの馬の蹄が砂を巻き上げる
俺たちは風雲に乗じて失われた宝を探し求めている
南部深く、リオ・グランデの川を月明かりに照らされながら渡り
この苛酷な土地の土手へと辿り着く
なあフランク、荷物をまとめないか
今夜リバティホールで会おう
兄弟であるお前からただ1度、キスを受けたら
俺たち2人で力尽きるまで走ろう
広野で眠ってもいい
川沿いで休んでも
そして朝になったら計画を立てるんだ
もしやって来ることができなかったら
挫けず、ハングリーに、生き続けろよ
そしてできることなら
この苛酷な土地の夢の中で会おう
ENGLISH
キルケニーでの2日目のブルース・スプリングスティーンのコンサートは、半年近くひっそりと心に抱いていた旅の終わりや、18か月に亘って続いた『Wrecking Ball』(2012)ツアーの殆ど実質的な終わり(残すは南米3公演です)と重なるということもあって、前日の高揚感よりは、切ない思いに終始、絡めとられるような夜でした。欧州公演の最後というからには、盛大な、打ち上げ花火のような派手なセットリストになるのかと思ったけれど、ブルースが選んだ曲目も決して華やかなものばかりではなく、ブルースには言わなければいけないことがあるのだ、ということをすごく感じたし、それを私はちゃんと受け留めなければならないと、背筋を正されるような思いにもなりました。そして、本当はそんな思いで家に帰って、現実を生きていかないといけないのだと思う。
2日目の待ち時間は前日よりも90分ほど短くて済んだけれど(ダブリンからキルケニーへの始発電車が90分遅いものしかなかったから)、1日目よりは随分、厳しい待ち時間でした。前日の疲れ、睡眠不足(3時半にダブリンのホステルへ戻り、7時には起きた)、降ったりやんだりする雨、そしてもう後がないから、とまだブルースが出てくる何時間も前から前へ詰めかけてくるお客さんたちの圧迫に耐える修行のような時間でした。でも、最初は前日よりも90分遅い電車ではピット入りはできないと、みんな言っていたけれど、結局前日と殆ど同じ場所に立つことができました。周りには何人か前日も見かけた人がいたのは嬉しかったけれど、同時に前日にはいたのにこの日いない人達の不在を寂しくも思いました。
前日と同じようにブルースたちがステージに現れると、"This Little Light of Mine"があっという間に広いノーラン・パークを包み込んでしまいます。この日は、電車にホステルを出てから乗っている間にかけて、『Live in NYC』(2001)を聴いていたので、2曲目が"My Love Will Not Let You Down"であったのは幸せな偶然でした。私が人生で初めて聴いたブルースのライブレコードはこの『Live in NYC』だったから、いくら当時の"My Love Will Not Let You Down"が『Tracks』(1998)に収められていたマイナーな曲だったとしても、私にとっては常に心の躍るような夢のような時間の始まりを意味する1曲だったのです。アルバムよりもコンサートの方が良いなんていうことの意味をまるで理解していなかった10代半ばの自分が初めて『Live in NYC』のCDを開けて、この曲に一瞬で心を奪われる瞬間とこうしてアイルランドの古い町でこの曲を歌っている現在がひとつながりに存在しているというのは、本当に信じられないようなことだった。
それから"Badlands"を挟んで、『Born to Run』(1975)のフル演奏に至るまでの10曲は、意外なことに前日に比べて重たさのあるものでした。"Badlands"も"We Take Care of Our Own"も演奏は力強く、きらきらしているけれど、内容は厳しい現実を歌っている。そして、"Adam Raised a Cain," "Death to My Hometown"が続き、その後に演奏された"American Skin(41 Shots)"は本当に辛いものでした。隣にいた女の子は、カラフルな大きなサインボードにこの曲のリクエストを描いて来ていたけれど、そんなふうな積極的に聴きたいと思えるような曲では私には全然なかった。ブルースは昨年4月に、私がマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを観たときにもこの曲を演奏していて、その時には直面せざるを得ない現実があってそうしたのであり、18か月経った今もまた、こうしてこの曲を歌わなければならない現実があるということが本当に悲しかった。昨年4月の時点では、2月末にフロリダで黒人のトレイヴォン・マーティン少年が自警団を自称するヒスパニック系の男性ジョージ・ジマーマンに殺害される事件の直後であったからであり、今回は、ジマーマンに対する無罪判決が2週間ほど前に出たばかりだったからでした。昨年の出来事も、人の命が奪われているのだから、もちろん悲惨な悲劇だったけれど、今回の判決はブルースが生きるアメリカが、結局のところ、肌の色によって恐怖や憎悪をかき立てられて人を殺すことを正当化してしまい得る社会なのだということを突きつけたという意味で、実にやりきれないものだったと思うのです。ジマーマンは特殊な個人ではない。こんなことが起きるのが、「アメリカの肌に生まれるだけで殺される」のがアメリカなのだという現実。ブルースがどれだけクラレンスとそうではないアメリカの夢を紡いできても、そうなのだということに、胸が潰れそうな思いがした。私はダブリンで出会ったヨーロッパで育ちの男性から、アメリカなんてとても好きにはなれない、一体何がそんなにいいのか説明してみてよ、と迫られて言葉に詰まったことがあったけれど、この日の"American Skin"の演奏には、私のアメリカについて知りたいと思うことが凝縮されているようにも感じました。そして、この曲の直後にブルースが"The Promised Land"を演奏してくれたことにも心を打たれずにはいられませんでした。「(それでも)約束の地を信じている」という言葉が、"American Skin"の後でいかに深い意味を持つことか。こうして現実を見据え、突きつけながらも、何とか希望を持たせてくれるブルースのことが私は本当に心から大好きなのだと思わないではいられなかったのです。
そして、"Wrecking Ball," "Spirit in the Night"(私はこの曲はそんなに強く聴きたいと思うものではないのだけれど、最近の演奏は映画『Springsteen & I』(2013)の冒頭にあったようなとてもドラマティックな導入部が付け加えられていて、これはとても格好良いと思う)、"The River"と続き、それからの3曲はお客さんからのリクエストを拾っての演奏でした。"Wild Billy's Circus Story"のサインは、とても綺麗なサーカステントの形のリクエストボードで、ブルースは、「このサイン、何回も受け取っているのに1回も演奏したことがないんだよ。それなのに、この人は毎回毎回、きっちり同じものを作って来てくれるんだ。実に心の広いことだと思うよ。だから、今夜はあなたのためにこの曲を演奏しよう」と言い、背後の大きなスクリーンには、そのサインを作った眼鏡の生真面目そうなおじさんが奥さんを後ろから抱きしめ、感に堪えないといったふうに、彼女の頭に強くキスする姿が映ったのがとても心に残っています。なんて素敵なんだろう。続く"Man at the Top"はしみじみと良い演奏でした。そして、年かさの女性たちのサインを目にしてカバーされたサーチャーズの"When You Walk in the Room"も、胸に染み入るように優しく、きらきらしていて夢のようだった。私が本当はいちばん聴きたかった"Girls in their Summer Clothes"の雰囲気にいちばん近かったのがこの曲だったかもしれない。
この後、『Born to Run』がフル演奏されたのは、この日会場にこのアルバムを作るときに助けてくれたジミー・アイオヴィンが来てくれていたからだとブルースは言っていました。私は何曲か前からふと、今日"Jungleland"が聴けたらどんなにいいだろう…という思いに捉われていたので、『Born to Run』を演奏すると聞いて、これで"Jungleland"が聴けるんだ、と思えたことが何よりも嬉しかったです。『Born to Run』は、やっぱり何と言ってもブルースに心を奪われてからの10年の自分の人生の中で最も存在感の大きなアルバムだったから、"Thunder Road"から1曲ずつ、演奏されるのを聴きながら、いろんなことが断片的に思い出され、とても感慨深い気持ちになりました。故郷の町で学校の帰り道にMDウォークマンでこのアルバムを聴いていた自分の姿、東京へ来たこと、一緒に聴いた人のこと、オルバニーで初めてブルースを観た日のこと。そして、そんな日を経て、今アイルランドでこのアルバムが通して演奏されているのを聴いている瞬間が、これから10年後に、一体どんなふうに思い出されるだろうかと思いました。10年後の自分はどんなふうになっているんだろう、73歳のブルースはどうしているんだろう、とも。それは、とても想像することはできなかったけれど。そして、"Meeting Across the River"の静謐な演奏を聴いて、もうすぐ"Jungleland"が演奏されるのだ、と胸が焦がされるような思いになる。夜の魔法が一層強くかかるのが感じられる。"Jungleland"は、もう言葉にはとても尽くせないほど素晴らしかったです。流れるようなピアノの音、次第に高まる曲とブルースとお客さんの熱気、広がっていく物語。そして、私はかつて書いたことがある、これまでで最もロマンティックな瞬間のことを思い出し、リンゴのことが恋しくなった。オルバニーの薄暗く殺風景な学生寮の一部屋で回る『Born to Run』のレコードとクラレンスの魔法のようなサックス。「僕はこのクラレンスのサックスが好きだな」と告げるリンゴの声。ブルースが1音1音、指示を出したというクラレンスのサックスソロをジェイクがブルースのすぐ傍で魂を削るようにして吹く姿には胸が抉られるような気持ちにもなったけれど、ジェイクのことが私までとても誇らしく、また、クラレンスがそこにいるようにさえも感じられました。"Wrecking Ball"に歌われたことは嘘じゃないんだ、と思った。
その余韻が残る中、"The Rising," "Land of Hope & Dreams"という前日と同じ2曲でメインセットが終わります。"Born in the U.S.A."で幕を開けたアンコールは"Bobby Jean"がとても良かったです。もう本当にコンサートも旅も終わってしまうんだ、という胸を締め付けられるような切ない気持ちにぴったりと寄り添うような曲でした。旅で出会った人たちのことも思い出したりする。"Seven Nights to Rock"や"Dancing in the Dark," "American Land," "Shout"というような曲を聴いても、やっぱりここからはもう切なさを拭うことはできなかったです。最後の"This Little of Light of Mine"には、前の日の始まりの興奮からこの日の終わりの幸せともの悲しさに至るすべてが詰め込まれているみたいに感じられました。
そしてバンドがステージを去ってから、ブルースが最後にひとりで演奏したのが今日、訳した"This Hard Land"です。最後に聴くにはあまりに切なく、あまりに相応しく、またしても涙が止まらなくなりました。2日間、一緒に電車に乗り、列に並び、傍でコンサートを観たスイス人のサンドラは、私がコンサートが終わってしまうのが悲しくて泣いているのだと思ったようだったけれど、そんなことじゃなかった。ぴったりと心の落ち着く場所が見出せず、遠くアイルランドまでさまよい来てしまうような自分の姿が歌詞と重なって見えたし、帰らなければいけない現実のことも考えました。でも、同時に今こうしてアイルランドで"This Hard Land"をブルースが歌うのに耳を傾けていられるなんていかに、いかに、夢のようなことだろう。ヨーロッパの屋外スタジアムでブルースを観るという一生ものだった夢を私は叶えた。夢はグレン・ハンザードが言ったように、ポール・マッカートニーと共演したブルースが言ったように、叶うもの。"Stay hungry, stay hard, stay alive if you can and meet me in a dream of this hard land"という歌詞が胸に突き刺さりました。そうだ、そんなふうにして、私はまた生きていかなければならないんだ、と。この日、ブルースは今回のツアーが近しい人を幾人も失いながらも、どれだけ素晴らしいものであってきたかを話してくれました。「歳を重ねるほどに、もっと意義深いものになっていく」と。そして「また会おう」、そう言って、"Take care of yourselves."(元気でいるんだよ)と最後に言ったのでした。歳を重ねながら生きていくということ、それは大切な人を失うこと、人と別れること、人が肌の色のために殺されるということ、それを正当化してしまうような国に住まうこと、正直な人が報われないような社会に生きること、そんな辛さ、悲しみ、怒りを含んでいる。だから、ここは苛酷な土地である。けれども、それを生きていくことには意味があり、約束の地も希望と夢の地も諦められてはいない。だから、挫けず、ハングリーに、生き続けていかなくちゃいけない。