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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Bruce Springsteen at Nowlan Park in Kilkenny (2013/7/28)

2013-08-04 13:07:27 | Bruce Springsteen Live
"This Hard Land"

やあミスター、教えてほしいんだ
俺の蒔いた種は一体どうなってしまったのか
理由が知りたいんだ なぜ決して芽が出ないのか
それは町から町へと飛ばされ
この地へ舞い戻ってくる
俺の手を離れたこの場所へ
この苛酷な土地の土埃の中へ

俺と妹は2人
ジャーマンタウンを出て
山腹の岩間に寝床を作った
町から町へと放浪し
身を落ち着けられる場所を探し求めていた
太陽が厚い雲を貫き円のような光を
この苛酷な土地に輝く炎の輪を投げかける場所を

今ではもう雨さえも降らない
この土地では
聞こえるてくるのは夜風が
裏手のポーチの扉を激しく叩く音ばかり
風はまるでお前をなぎ倒そうとするかのように吹きつけ
砂を巻き上げ
案山子はみなうつぶせに倒されてしまう
この苛酷な土地の砂埃の中で

丘の上の建物の
テープデッキから"Home on the Range"が聞こえてくる
バーエム牧場のヘリが
平野を低く横切っていく音が聞こえる
俺とフランク、俺たちははぐれた家畜を探している
俺たちの馬の蹄が砂を巻き上げる
俺たちは風雲に乗じて失われた宝を探し求めている
南部深く、リオ・グランデの川を月明かりに照らされながら渡り
この苛酷な土地の土手へと辿り着く

なあフランク、荷物をまとめないか
今夜リバティホールで会おう
兄弟であるお前からただ1度、キスを受けたら
俺たち2人で力尽きるまで走ろう
広野で眠ってもいい
川沿いで休んでも
そして朝になったら計画を立てるんだ
もしやって来ることができなかったら
挫けず、ハングリーに、生き続けろよ
そしてできることなら
この苛酷な土地の夢の中で会おう

ENGLISH


キルケニーでの2日目のブルース・スプリングスティーンのコンサートは、半年近くひっそりと心に抱いていた旅の終わりや、18か月に亘って続いた『Wrecking Ball』(2012)ツアーの殆ど実質的な終わり(残すは南米3公演です)と重なるということもあって、前日の高揚感よりは、切ない思いに終始、絡めとられるような夜でした。欧州公演の最後というからには、盛大な、打ち上げ花火のような派手なセットリストになるのかと思ったけれど、ブルースが選んだ曲目も決して華やかなものばかりではなく、ブルースには言わなければいけないことがあるのだ、ということをすごく感じたし、それを私はちゃんと受け留めなければならないと、背筋を正されるような思いにもなりました。そして、本当はそんな思いで家に帰って、現実を生きていかないといけないのだと思う。

2日目の待ち時間は前日よりも90分ほど短くて済んだけれど(ダブリンからキルケニーへの始発電車が90分遅いものしかなかったから)、1日目よりは随分、厳しい待ち時間でした。前日の疲れ、睡眠不足(3時半にダブリンのホステルへ戻り、7時には起きた)、降ったりやんだりする雨、そしてもう後がないから、とまだブルースが出てくる何時間も前から前へ詰めかけてくるお客さんたちの圧迫に耐える修行のような時間でした。でも、最初は前日よりも90分遅い電車ではピット入りはできないと、みんな言っていたけれど、結局前日と殆ど同じ場所に立つことができました。周りには何人か前日も見かけた人がいたのは嬉しかったけれど、同時に前日にはいたのにこの日いない人達の不在を寂しくも思いました。

前日と同じようにブルースたちがステージに現れると、"This Little Light of Mine"があっという間に広いノーラン・パークを包み込んでしまいます。この日は、電車にホステルを出てから乗っている間にかけて、『Live in NYC』(2001)を聴いていたので、2曲目が"My Love Will Not Let You Down"であったのは幸せな偶然でした。私が人生で初めて聴いたブルースのライブレコードはこの『Live in NYC』だったから、いくら当時の"My Love Will Not Let You Down"が『Tracks』(1998)に収められていたマイナーな曲だったとしても、私にとっては常に心の躍るような夢のような時間の始まりを意味する1曲だったのです。アルバムよりもコンサートの方が良いなんていうことの意味をまるで理解していなかった10代半ばの自分が初めて『Live in NYC』のCDを開けて、この曲に一瞬で心を奪われる瞬間とこうしてアイルランドの古い町でこの曲を歌っている現在がひとつながりに存在しているというのは、本当に信じられないようなことだった。

それから"Badlands"を挟んで、『Born to Run』(1975)のフル演奏に至るまでの10曲は、意外なことに前日に比べて重たさのあるものでした。"Badlands""We Take Care of Our Own"も演奏は力強く、きらきらしているけれど、内容は厳しい現実を歌っている。そして、"Adam Raised a Cain," "Death to My Hometown"が続き、その後に演奏された"American Skin(41 Shots)"は本当に辛いものでした。隣にいた女の子は、カラフルな大きなサインボードにこの曲のリクエストを描いて来ていたけれど、そんなふうな積極的に聴きたいと思えるような曲では私には全然なかった。ブルースは昨年4月に、私がマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを観たときにもこの曲を演奏していて、その時には直面せざるを得ない現実があってそうしたのであり、18か月経った今もまた、こうしてこの曲を歌わなければならない現実があるということが本当に悲しかった。昨年4月の時点では、2月末にフロリダで黒人のトレイヴォン・マーティン少年が自警団を自称するヒスパニック系の男性ジョージ・ジマーマンに殺害される事件の直後であったからであり、今回は、ジマーマンに対する無罪判決が2週間ほど前に出たばかりだったからでした。昨年の出来事も、人の命が奪われているのだから、もちろん悲惨な悲劇だったけれど、今回の判決はブルースが生きるアメリカが、結局のところ、肌の色によって恐怖や憎悪をかき立てられて人を殺すことを正当化してしまい得る社会なのだということを突きつけたという意味で、実にやりきれないものだったと思うのです。ジマーマンは特殊な個人ではない。こんなことが起きるのが、「アメリカの肌に生まれるだけで殺される」のがアメリカなのだという現実。ブルースがどれだけクラレンスとそうではないアメリカの夢を紡いできても、そうなのだということに、胸が潰れそうな思いがした。私はダブリンで出会ったヨーロッパで育ちの男性から、アメリカなんてとても好きにはなれない、一体何がそんなにいいのか説明してみてよ、と迫られて言葉に詰まったことがあったけれど、この日の"American Skin"の演奏には、私のアメリカについて知りたいと思うことが凝縮されているようにも感じました。そして、この曲の直後にブルースが"The Promised Land"を演奏してくれたことにも心を打たれずにはいられませんでした。「(それでも)約束の地を信じている」という言葉が、"American Skin"の後でいかに深い意味を持つことか。こうして現実を見据え、突きつけながらも、何とか希望を持たせてくれるブルースのことが私は本当に心から大好きなのだと思わないではいられなかったのです。

そして、"Wrecking Ball," "Spirit in the Night"(私はこの曲はそんなに強く聴きたいと思うものではないのだけれど、最近の演奏は映画『Springsteen & I』(2013)の冒頭にあったようなとてもドラマティックな導入部が付け加えられていて、これはとても格好良いと思う)、"The River"と続き、それからの3曲はお客さんからのリクエストを拾っての演奏でした。"Wild Billy's Circus Story"のサインは、とても綺麗なサーカステントの形のリクエストボードで、ブルースは、「このサイン、何回も受け取っているのに1回も演奏したことがないんだよ。それなのに、この人は毎回毎回、きっちり同じものを作って来てくれるんだ。実に心の広いことだと思うよ。だから、今夜はあなたのためにこの曲を演奏しよう」と言い、背後の大きなスクリーンには、そのサインを作った眼鏡の生真面目そうなおじさんが奥さんを後ろから抱きしめ、感に堪えないといったふうに、彼女の頭に強くキスする姿が映ったのがとても心に残っています。なんて素敵なんだろう。続く"Man at the Top"はしみじみと良い演奏でした。そして、年かさの女性たちのサインを目にしてカバーされたサーチャーズの"When You Walk in the Room"も、胸に染み入るように優しく、きらきらしていて夢のようだった。私が本当はいちばん聴きたかった"Girls in their Summer Clothes"の雰囲気にいちばん近かったのがこの曲だったかもしれない。

この後、『Born to Run』がフル演奏されたのは、この日会場にこのアルバムを作るときに助けてくれたジミー・アイオヴィンが来てくれていたからだとブルースは言っていました。私は何曲か前からふと、今日"Jungleland"が聴けたらどんなにいいだろう…という思いに捉われていたので、『Born to Run』を演奏すると聞いて、これで"Jungleland"が聴けるんだ、と思えたことが何よりも嬉しかったです。『Born to Run』は、やっぱり何と言ってもブルースに心を奪われてからの10年の自分の人生の中で最も存在感の大きなアルバムだったから、"Thunder Road"から1曲ずつ、演奏されるのを聴きながら、いろんなことが断片的に思い出され、とても感慨深い気持ちになりました。故郷の町で学校の帰り道にMDウォークマンでこのアルバムを聴いていた自分の姿、東京へ来たこと、一緒に聴いた人のこと、オルバニーで初めてブルースを観た日のこと。そして、そんな日を経て、今アイルランドでこのアルバムが通して演奏されているのを聴いている瞬間が、これから10年後に、一体どんなふうに思い出されるだろうかと思いました。10年後の自分はどんなふうになっているんだろう、73歳のブルースはどうしているんだろう、とも。それは、とても想像することはできなかったけれど。そして、"Meeting Across the River"の静謐な演奏を聴いて、もうすぐ"Jungleland"が演奏されるのだ、と胸が焦がされるような思いになる。夜の魔法が一層強くかかるのが感じられる。"Jungleland"は、もう言葉にはとても尽くせないほど素晴らしかったです。流れるようなピアノの音、次第に高まる曲とブルースとお客さんの熱気、広がっていく物語。そして、私はかつて書いたことがある、これまでで最もロマンティックな瞬間のことを思い出し、リンゴのことが恋しくなった。オルバニーの薄暗く殺風景な学生寮の一部屋で回る『Born to Run』のレコードとクラレンスの魔法のようなサックス。「僕はこのクラレンスのサックスが好きだな」と告げるリンゴの声。ブルースが1音1音、指示を出したというクラレンスのサックスソロをジェイクがブルースのすぐ傍で魂を削るようにして吹く姿には胸が抉られるような気持ちにもなったけれど、ジェイクのことが私までとても誇らしく、また、クラレンスがそこにいるようにさえも感じられました。"Wrecking Ball"に歌われたことは嘘じゃないんだ、と思った。

その余韻が残る中、"The Rising," "Land of Hope & Dreams"という前日と同じ2曲でメインセットが終わります。"Born in the U.S.A."で幕を開けたアンコールは"Bobby Jean"がとても良かったです。もう本当にコンサートも旅も終わってしまうんだ、という胸を締め付けられるような切ない気持ちにぴったりと寄り添うような曲でした。旅で出会った人たちのことも思い出したりする。"Seven Nights to Rock"や"Dancing in the Dark," "American Land," "Shout"というような曲を聴いても、やっぱりここからはもう切なさを拭うことはできなかったです。最後の"This Little of Light of Mine"には、前の日の始まりの興奮からこの日の終わりの幸せともの悲しさに至るすべてが詰め込まれているみたいに感じられました。

そしてバンドがステージを去ってから、ブルースが最後にひとりで演奏したのが今日、訳した"This Hard Land"です。最後に聴くにはあまりに切なく、あまりに相応しく、またしても涙が止まらなくなりました。2日間、一緒に電車に乗り、列に並び、傍でコンサートを観たスイス人のサンドラは、私がコンサートが終わってしまうのが悲しくて泣いているのだと思ったようだったけれど、そんなことじゃなかった。ぴったりと心の落ち着く場所が見出せず、遠くアイルランドまでさまよい来てしまうような自分の姿が歌詞と重なって見えたし、帰らなければいけない現実のことも考えました。でも、同時に今こうしてアイルランドで"This Hard Land"をブルースが歌うのに耳を傾けていられるなんていかに、いかに、夢のようなことだろう。ヨーロッパの屋外スタジアムでブルースを観るという一生ものだった夢を私は叶えた。夢はグレン・ハンザードが言ったように、ポール・マッカートニーと共演したブルースが言ったように、叶うもの。"Stay hungry, stay hard, stay alive if you can and meet me in a dream of this hard land"という歌詞が胸に突き刺さりました。そうだ、そんなふうにして、私はまた生きていかなければならないんだ、と。この日、ブルースは今回のツアーが近しい人を幾人も失いながらも、どれだけ素晴らしいものであってきたかを話してくれました。「歳を重ねるほどに、もっと意義深いものになっていく」と。そして「また会おう」、そう言って、"Take care of yourselves."(元気でいるんだよ)と最後に言ったのでした。歳を重ねながら生きていくということ、それは大切な人を失うこと、人と別れること、人が肌の色のために殺されるということ、それを正当化してしまうような国に住まうこと、正直な人が報われないような社会に生きること、そんな辛さ、悲しみ、怒りを含んでいる。だから、ここは苛酷な土地である。けれども、それを生きていくことには意味があり、約束の地も希望と夢の地も諦められてはいない。だから、挫けず、ハングリーに、生き続けていかなくちゃいけない。


Bruce Springsteen at Nowlan Park in Kilkenny (2013/7/27)

2013-08-03 16:31:43 | Bruce Springsteen Live
アイルランドのキルケニーでブルース・スプリングスティーンを観る前、私は4度、ブルースのコンサートを観たことがあり、それぞれに印象深い経験、一生忘れることのできない経験ではあったものの、とりわけ特別だったのは、2009年4月に留学先だったオルバニーで観たものでした。それが夢にまで見たブルースの初めてのコンサートであったことに加えて、それ以上に長い間憧れていたアメリカでの短い暮らしが終わろうとしている頃だった感慨や、くじ引きのおかげで最前列でコンサートを観る幸運に恵まれたからでした。この組合せがある以上、これからこの日以上に幸せなブルースのコンサートを味わうことはもうないだろうというのが、キルケニーへ行くまでの私の考えでした。でも、そんなことはなかった。そして、それが覆された以上、これからそれよりももっともっと素晴らしいことが何回でも起こり得るということが、私の人生において確かになった。自分の限られた人生の経験によって導き出される予測なんてあてにならない。それなら好きなだけ夢を見ればいい。人生というのは、もちろん良いことばかりなんかじゃないし、華々しいことなんて、ほんの少ししかないかもしれない。その時間の大半は、辛い日々を乗り越えるために費やされるのかもしれない。荒地を生き抜くうちに過ぎていくのかもしれない。でも、その中で時には表通りに飛び出して、好きなように話し、好きなように歩けばいい。時には身体をシェイクして、甘いソウルミュージックに合わせてダンスをして楽しめばいい。幸せな瞬間はもちろんあるし、同じように悲しみや鬱屈、怒りがあり、人との出会いがあれば、別れがある。そして時は避けがたく流れ、人は確実に歳を重ね、残された時間は少なくなっていくけれど、その中で必ずしも若さが死んでいく訳じゃない。この日のブルースのコンサートには、生きていかなければいけない現実を見据えた容赦のなさと、その中で生きていくことを称えるような祝祭的な高揚感と優しさがありました。もちろん、底抜けに楽しい。でも、それだけではなかった。アルバム『Born in the U.S.A.』(1984)をフル演奏するというセットリストに最初はやや落胆したけれど、終わってみると、このアルバムがこの日の公演を本当によく表す作品だというふうに感じるようになりました。そして、今までの何倍も、何十倍も、このアルバムが好きになった。

キルケニーでは、27日、28日のいずれもブルースが登場する前に各3組の前座が演奏したことは救いだったけれど、27日は10時間の待ち時間の甲斐があって、前から6列目くらいに立つことができました。こんなに近くでブルースを観るのは、本当にオルバニー以来のことです。まだ昼間のように明るいキルケニーの野外ステージにブルースが現れたとき、その顔の表情があまりにもはっきりと見えること、笑ったときの目じりの皺や髪の質感まで感じられることに本当に驚いたけれど、それ以上に、ブルースの姿を見た自分が、まるで興奮するというよりは、懐かしさみたいなもので胸がいっぱいになったことがとても不思議な感じがしました。「遂にブルースを目前にしているなんて信じられない!」という気持ちよりも、あまりにも普段、聴き馴染んだ声、見知った表情のブルースがそのまま何のギャップもなく存在している、まるでこれまでも毎日会っていたみたいな感じがするのです。それは、とても不思議な、温かい感覚でした。ブルース以外の人には感じたことがない。アイルランドでは、バンドが登場した時と、コンサートの終わりに2度、『Live in Dublin』(2007)に収録されたゴスペル"This Little of Mine"を演奏するのが恒例になっていたのですが、これがすごく素敵だった。バンド全員とお客さんがあっという間に一体になれる演奏でした。ブルースの"Every day"というコールに、バンドとお客さんが"Every day!"とレスポンスする。もみくちゃになりながら、既に半日一緒に過ごした周りのお客さんたちと声を張り上げ、腕を伸ばし、ジャンプし、ダンスをする。なんて幸せなんだろうという気持ちになる。"Badlands," "Out in the Street," "Shake," "Sweet Soul Music"まではそんな勢いが続き、"Death to My Hometown"で少し落ち着くものの、この曲の演奏は今回のツアーを通して演奏され続け、アルバムとは比べものにならないくらい格好良いものになっています。続く"Johnny 99"との流れで歌詞の重たさを少し意識させられる。けれども、その後に『Tracks』(1998)のロックンロール"Stand on It"がまた勢いを強めてしまいます。

そして"Wrecking Ball"をはさみ、"Long Time Comin'""Jack of All Trades"が続きます。この日の演奏で何がいちばん良かったか、と後から何度か訊かれたけれど、私は"Long Time Comin'"が本当に良かったです。自分でも意外だったけれど、歌詞の美しさや優しさに胸がいっぱいになり、ブルースに出会ってから、10年という「長いとき」を経て、アイルランドで自分が彼のコンサートを観ていることや、ヨーロッパの開けた空の下でブルースを観るという夢を叶えたんだ、ということ、ブルースがこれほど歳を重ね、大切な人を失いながらもこうして歌っていることなんかを思うと、涙が止まらなくなりました。とても言葉にはできないけれど、いろんな思いがぐちゃぐちゃに胸の中にあった。これまでのこと、今のこと、これからのこと。自分自身のこと、ブルースのこと、日本にいる人のこと。"Jack of All Trades"は、昨年のマディソン・スクエア・ガーデンでの演奏がとても素晴らしかったので、セットリストに入って嬉しかったです。ぎりぎりのところにいる主人公の静かな強かさや歌いかける相手への優しさと最後のやりきれなさに堪らない思いになって、この曲でもまだ明るいピットの中で泣いていたら、隣の隣にいた知らない女性が腕を伸ばして私の右腕をぎゅっと握って微笑んでくれたこと、待ち時間の間に友達になった愉快なアイルランド人のブライアンが少し離れたところから親指を立てて「大丈夫」と言うように頷いてくれたこともすごく心に残っています。



初めてコンサートで耳にする"The River"は、胸が破れそうな悲痛さがありました。そして、ここから『Born in the U.S.A.』のフル演奏です。ブルースが言うには、彼が初めてアイルランドで演奏したのは、1985年のスレイン・キャッスルでのことで、このアルバムがあったからアイルランドに来られたというようなそういう思い出からフル演奏を決めたそうです。翌日になると、「それは分かるんだけどさ…」という文句をずいぶん聞きました。この時点でピットを去った人もいたし、イタリア語で文句を言う人たちもいました。私も冒頭の"Born in the U.S.A."では複雑な気持ちでした。ただ、今のブルースが84年、85年と同じスタイルで"Born in the U.S.A."を演奏するようになっている、ということは印象的ではありました。この曲が少なからず誤解を受けたせいで、「もうああいう歌い方はしない」とブルースは言っていたと思うし、2000年代になってからも抑えた演奏しかしていないのかと思っていたからです。改めて、レーガンの時代に日本の人たちも他の世界の人たちも聴いたのと同じスタイルでこの曲が演奏されるのを聴く、というのは心を揺さぶられるものがあったのは確かです。そして、大体気が変わって、『Born in the U.S.A.』でもいいや、と思えたのが"Cover Me"のときでした。私はもともとこの曲はあまり好きでなかったけれど、すごく格好良かった。どの曲も聴き親しんでいると思っていたけれど、新鮮だったし、強い重圧感とそれを跳ね返そうとする力(resilience)に引き裂かれるような思いは、1週間経った今このアルバムを聴いても鮮やかに思い出されるほどです。アルバムでもいちばん好きな流れである、"Bobby Jean"から"I'm Goin' Down"は本当に素敵で、聴くことができて嬉しかったです。"Dancing in the Dark"では隣にティーネイジャーにも見えるような男の子が本当に楽しそうに歌いながら踊っていて、気がついたら私は彼と友達のように踊っていました。アルバム最後の"My Hometown"のとき、その少年が私の方を向きながら、人差し指で上を指すので、何だろうと思って何度も上を見上げるけれど、何があるのか分からなかった。すると、彼が「上に乗りたい?」と訊いてくれた。びっくりして、思わず日本語で「いいの?」と尋ねると返事もしないで、少年は私の後ろにいた友達を呼んで、次の瞬間には2人で私を肩に乗せてくれていました。今回の旅の中でいちばん想像もしなかった幸せな出来事でした。ブルースは殆どずっと目を伏せながら歌っているようだったし、"My Hometown"のような曲で肩車をしてもらっていいものだろうか、とも思ったけれど、開演前に配られた「THANK YOU」と印刷された紙の裏に「WAITIN 4 U IN JAPAN」(日本で待っています)と書いたものを掲げることにしました。私にとっての故郷はやっぱり日本であることを思うと、この曲のときにこのサインを掲げられて良かったと感じられました。周りでは、知らない女の子が「良かったね!」と声をかけてくれたり、「サインに何て書いてあるの?」、「わあ、いいね!」と言ってくれたりする。こんなに周りの人たちが優しいだなんて思いもしなかったことでした。少年たちのことは名前も、どこから来た人たちなのかも何も分からないまま、コンサートの後、2度と会わなかったけれど、本当に心からありがとう。

そのまま殆ど間を置かずに、"Waitin' on a Sunny Day"(会場でもこの曲は毎回演奏される必要はない、と主張する人に出会ったけれど、私はやっぱり好き)、"The Rising," "Land of Hope & Dreams"と続いてメインセットはお終いです。私は"The Rising"がなければ、その日そこにいることもなかったかもしれないので、演奏されて嬉しかったし、"Land of Hope & Dreams"は本当にいつ聴いても文句なく素晴らしいです。

アンコールでは、1曲目の"Drive All Night"で、3組の前座の1人だったグレン・ハンザードが登場して、ブルースと共演しました。彼は前座の演奏も迫力があってみんなを圧倒していたし、3組の中で誰よりもブルースの前座であることを嬉しそうに語ってくれた人でした。ブルースのコンサートに初めて友達と行こうと決めたとき、海賊版のTシャツを作って、それを売ったお金でチケットを買おうと思っていたのに、できあがってきたTシャツを見たら、「Bruse Springsteen」とプリントされていた。それでまるでお金にならず、結局グレンと友人はスタジアムの外から漏れてくるコンサートの音を聴くことしかできなかったのだけれど、「それさえも素晴らしかったよ」。その友人に、先日電話をして、「今度ブルースの前座をするんだ」と告げると、そのTシャツの話になり、それが何十年も経って前座をすることになるなんて、本当に信じられないね、と話したという逸話がとても良かったです。「夢っていうのは今でも叶うものなんだよ。ここにいる人達にもいつかそういうことは起こり得るんだ」。そしてそれだけではなく、彼はブルースと一緒に"Drive All Night"を歌ったのでした。先に彼の言葉を聞いていただけに、彼がブルースの横で歌う姿にも胸を打たれたし、演奏はあまりにも美しかった。そして、この曲は、クラレンス・クレモンズが亡くなったばかりの頃、グレンやジェイク・クレモンズが一緒に哀悼の意を表して演奏したと聞いていたので、ジェイクのソロにも切ない思いでいっぱいになりました。私は昨年4月と今回と2度、今回のツアーを観られたけれど、ジェイクの演奏がどれだけ伸びやかに力強く、エモーショナルなものになったかに、本当に心を動かされました。この"Drive All Night"や、翌日の"Jungleland"などでは、まるでクラレンスが乗り移ったみたいに感じられることもあったし、ブルースが言っていたように、彼がいることで、バンド全体に若く、活き活きとした空気が注ぎこまれているようにも感じられました。ジェイクの成長ぶりを、クラレンスも、最後の決定を下したブルースも、いかに誇らしく思っていることだろう、と思わずにはいられないです。この曲の後は、"Born to Run," "Tenth Avenue Freeze Out," "Shout," "This Little of Mine"と続き、バンドがはけた後にブルースがひとりきりでアコースティックの"Thunder Road"を演奏し、この夜はお終いでした。




Bruce Springsteen at Madison Square Garden Night 2 (2012/04/09)

2012-05-07 13:35:18 | Bruce Springsteen Live
今日は、ブルース・スプリングスティーンの4月9日にマディソン・スクエア・ガーデンで行なわれたコンサートについて書こうと思います。前回の記事でも少しふれたのだけれど、9日のブルースはとてものびのびとして、自由で、吹っ切れて、力強い印象がありました。6日のブルースがどこか抑制的であった、というのはフェアではないかもしれないけれど、9日の演奏には何かもっと胸に直接飛び込んでくるような気合いに満ちていて、聴き手である私もそれを躊躇いなく抱きしめることができるような気がしました。でもそのせいで、自分との距離がうまく掴めず文章にするのはとても難しかったです。今日の記事は何だかコンサートレビューというよりも、とてもパーソナルな感想のようだし、全然まとまっていなくて本当に歯がゆいです。

2日目の公演も最初はずっと1日目と同じ構成だったのだけれど、"Badlands," "We Take Care of Our Own," "Wrecking Ball," "Out in the Street"で、自分でもびっくりするくらいエモーショナルになってしまいました。最初は、旅の終わりが近づいているからかな、と思ったのだけれど、でも"We Take Care of Our Own"の切れの良さははっきりと感じられたし、"Wrecking Ball"の最後にEストリート・バンドのメンバー達と速いピッチで「オー、オー、オ、オー」と歌いながら頂点に上り詰めていく時の凄みは何とも言えないものでした。

この日のブルースののびやかさがとてもはっきりと現れていたのが、6日と同じに、1,2を争うほど素晴らしかった"My City of Ruins"の時のことです。曲の半ばか後半になって、3日前と同じように、そしてたぶん今回のツアーのすべての公演と同じように、ブルースはメンバー紹介をします。でも、6日には「点呼!」とブルースが叫んで、マックス・ワインバーグが激しくドラムを1度叩きつけるところから始まったのに対して、9日は「ちょっと点呼をしようか、マックス」という和らいだ表現で始まります。何より印象的だったのは、「俺たちは誰かを恋しく思っているだろうか(Are we missing anybody?)」という胸が詰まる問いを、ブルースが歌っていたことでした。確かアポロ・シアターでも6日の演奏でも、この問いはまるで口にすることでブルース自身も胸がかき乱されてしまうのに、それでも言わないわけにはいかないのだ、という辛さや苦みを感じさせ、聴く人にぐいと突きつけるような印象が私にはありました。それが9日には昔のブルースにはなかった優しくて柔らかい声で、歌われていたことに、とても救われたし、ブルースがそういう形でこの問いを口にできるようになったのだということも嬉しかったです。そして、もう1つこの曲で強く胸を揺さぶられるのは、お客さんたちの様子です。6日もこれは同じだったけれど、"Come on rise up, come on rise up"というフレーズが歌われる時、会場中がそれに加わります。それが本当にまるで祈りのように聴こえる。きっと2万人の人たちはみんな何か個人的なことにそれぞれに立ち向かわなくてはいけなくて、自分を懸命に鼓舞しようと歌っているのだと思う。でも、それが重なり合って、別々でありながら別々でないというのは、とても特別で胸を打たれる光景でした。

"Spirit in the Night""Thundercrack"で昔からのファンや楽しみを求めてやって来た人たちの心をしっかり掴んだ後で演奏された"Jack of All Trades"と"Trapped"の流れに私はとても心を惹かれました。"Trapped"は、これまでブルースの持ち歌の中で特別好きという訳ではなかったのだけれど、今回の演奏は本当にとても良かった。この日は全体的にとても前向きな雰囲気に満ちていたから、"Trapped"のような曲でも、「いつか俺はここから、この足で歩いて出て行くんだ」という部分にはっきりと光が当たっていて、とても力強く、解放的で勇気づけられるものでした。ジェイク・クレモンズのソロも、完璧とは言えないかもしれないけれど、それがもっと自由になりたいという思いを感じさせてかえって心を揺さぶるようでした。そして留保のない"She's The One"で一気にトンネルを抜けたみたいな気分になる。3年前にもこの曲は聴くことができたけれど、今回の方がずっとずっと魅力的だった。それから、これは6日にも思ったのだけれど、"Easy Money"のコンサートでの格好の良さは本当に痺れました。格好良さで言えば最も印象的な曲の1つだったと思います。出だしの部分でエフェクターを使って(?)、ブルースが吠えるように歌ったり、ギターの弦をかきならすような声で歌うところといい、ホーンセクション全体が打楽器を打ち鳴らして心臓にずんずん響くようなリズムを作っているところといい、アレンジもとても良かったのだけれど、ヴィジュアルも心に残っています。ジェイクがこの曲の鍵になっている「ズンズン、チャ」というリズムを叩き出す姿がとても様になっていてクールなのと、中盤からブルースとパティ・スキャルファが2人で1本のマイクを分け合って歌う姿が、これから"easy money"を探しに出かけて行く歌の主人公たちと重なるようになっているのです。

"Because The Night"も私はそれほど好きな曲ではなかったけれど、この日のニルス・ロフグレンのギターソロはめまいがするほどすごかった。ニルスは3年前のツアーでも毎晩、"The Ghost of Tom Joad"などで、圧倒的なギターソロを聴かせていたけれど、今回の方がもっと何か胸に迫るただならない迫力がありました。彼は腰か背中を痛めていて、バックステージは自転車で移動しているというようなことが、クラレンス・クレモンズ『Big Man』には書かれていたけれど、そんなふうには全然見えなかった。『Big Man』には確か、クラレンスとニルスはオフの時にも付き合いがあるくらい親しかったと書かれていたことも思い出し、何かを振り払うみたいにぐるぐる回っているニルスを見ていたら胸がいっぱいになってしまいました。

でもやっぱり、9日の演奏の中で、たぶん私にとって1番特別だったのは、"Backstreets"だったと思います。というよりも、この曲によって9日の夜全体がどこか特別なところへもう一段引き上げられたのかもしれない。最初の鍵盤の音がこぼれてきた時から、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなりそうだった。実家のベッドルーム?アズベリーパークのビーチ?東京で初めて1人で暮らしたアパート?静かで寂しい夏の夕方の空気や好きだった人に借りた本の匂い。私は本当に24歳になって、マディソン・スクエア・ガーデンでこの曲を聴いているのだろうか。こんな夢はこれまできっと何度も見たことがあると思う、起きている時も、眠っている時も。
ブルースは、"My City of Ruins"の中で、今夜自分たちはあるストーリーを語る、と話しました。それは「出会いと別れ(helloes and goodbyes)」についての物語なのだ、と。人生の中で、人のもとを去ってしまうものと、永遠に残り続けるものについて。やって来ては去って行った夏と、残された思い出について。出会い、裏切りがあり、様々な形での別れを経ながら、今でも共に裏通りで身を隠すテリーについて。過ぎ去った10代と、それが形作った自己について。やがて終わる旅と2度と同じ気持ちでは会うことのできない人達について。今回の旅は、コンサートに至るまでに思いがけない出来事がずいぶん沢山起こったけれど、それでもやっぱり私はこのためにここまで来たのだという気持ちに強く駆られ、まただからこそ何が起こったにしても、今回の旅で起きたことや出会った人や自分がしたことを、私はすべて肯定できると思えた。或いは最終的にはそれは今回の旅に限らないのだと思う。ブルースに出会ってから、もしくは出会う前から、自分がやってきたいいことや失敗や、考えたこと、夢見たことも含まれている気がする。"Backstreets"は、うまく言えないけれど、「今」にフォーカスが当たっている今回のコンサートの中で、過去と未来の私を結んでくれる曲のように感じられました。私はかつては今のようではなかったし、きっと、歳を経るにつれてもっと変わっていくだろうけれど、その中には連続性がある。まるで、「希望と夢の地」に向かって走る汽車がひとつながりの線路の上を辿っていくみたいに。未来に目を向けるとか、夢を見る、ということは時に白々しいけれど、それが今とつながりを持っているとそうでもないような気がする。今よりもっと自由になりたい、今よりもっと高いところに届きたい、今よりもっとはっきりと物事を見たい、と思えば。"Land of Hope & Dreams"でメインセットが終わるという構成は本当に完璧でした。



もちろんこの後のアンコールも"Rocky Ground"の高揚感と余韻は群を抜いていたし、赤いスーツを着たクラレンスのことを思い出しながらも笑顔で"Rosalita"を聴けたことはとても嬉しかったです。そして"Born to Run"でのブルースはとても幸せそうに見えたし、一体これは何なんだ!というくらい圧倒的なパワーがありました。"Tenth Avenue Freeze Out"も前の晩ほど見ていて悲しくならなかった。本来の歌詞ではないけれど、ブルースたちは最後にみんなに向かってこう歌います。「大丈夫だよ(It's alright)」。何に対してであるにせよ、きっと、そうなんだと思う。


Bruce Springsteen at Madison Square Garden Night 1 (2012/04/06)

2012-04-27 02:01:11 | Bruce Springsteen Live
今回、次回の2回で4月6日、9日にマディソン・スクエア・ガーデンで行なわれたブルース・スプリングスティーンのコンサートについて書きたいと思います。その日から早くも3週間近い日が経とうとしているのだけれど、今になって漸く、そこに自分なりの意味を見出していくことができてきたように感じています。アメリカに渡っても、チケットが手元に来るまではとても観られるなんて信じられない、何が起こって観られなくなっても挫けないようにしよう、というふうに思い、でも実際にチケットが手に入っても、やはり信じられず、結局コンサートが終わっても、「私は本当にマディソン・スクエア・ガーデンでブルースを観たのだろうか‥、夢だったのかもしれない」というような気持ちがずっと続いていました。だからもちろん、コンサートの最中は、いろいろ考えはするのだけれど、全然まとまった意味を持ったりなんかしない。驚きや衝撃や歓喜や悲哀やダンスが渾然一体となって襲いかかって来るのをひたすらに受け留めていくだけです。だから、私がこれから書くことの多くは、後から「今になってみればこういうことだったのだと思うこと」ではないかと思います。でも、当日のブートレグを何度も何度も聴きながら、今なお自分がその場にいたことを半ば疑いながら、ブルースが伝えようとしていたことや、自分が具体的にそこから何を感じ取ることができるのかを考える作業というのは、実は、コンサート会場にいる時と同じくらい心を満たしてくれるものでもあります。そもそもコンサート経験というのは、どこからどこまでを含めるものなのか。家を出てから家に帰るまでなのか、それとも、コンサートが始まった瞬間から、最後の一音の余韻が消えるまで…?私にとっては、始まりというのは定かではないけれど(たぶん、チケットが手に入ると約束された頃?)、その終わりは永遠に来ないような気がする。後ろ向きにも聞こえるのかもしれないけれど、考えてみれば、私はずっと2009年にオルバニーとピッツバーグで観たブルースのコンサートの余韻に浸り、その経験を携えてこの3年間を生きてきたように感じられるし、今回のマディソン・スクエア・ガーデンの公演も、これからずっと私の生活を何らかの形で左右するものになったと思います。

アメリカでのファースト・レグの多くは、各会場で1公演というものですが、フィラデルフィア、ニュージャージー、ニューヨーク、ロサンゼルスの4つが例外です。複数回やるということは、もちろんセットリストが違ってくるということなのだけれど、私は2度MSGでの公演を観て、ブルースが込めた意味、或いはどういうショーにするかというゴールが2つの公演では少し異なっていたように感じています。4月6日の方が9日に比べると、ヘヴィだった。最初はそれはバンドのコンディションと演奏のせいなのかなと思っていたのだけれど、改めて両日の演奏を聴いて、セットリストを比較すると、それは込められたメッセージそのもののせいでもあったように思います。9日は演奏も本当に切れがあったけれど、それはそうすることに躊躇いを感じない、純粋に楽しさや優しさや喜びの要素が強かったからではないかと思うのです。ただ、両日共に言えることであり、私はアポロ・シアター以来ずっと今回のツアーの特徴でもあると感じているのだけれど、今のブルースの公演はどれも、緩急がすごくしっかりとついている。アップダウンが激しいというか、しっとりした曲やしんみりしてしまう演奏の後に、間髪を入れずにとても盛り上がる曲を持って来ることで、その沈んだ気持ち(悪い意味ではなくて)を一気に高揚させるということを1つの公演の中で何度もやっているように思います。私はこの潔さに大胆さと勇気を感じて、アポロ・シアターの頃から心を惹かれています。だから、6日の公演は確かに相対的に重たいものではあったけれど、重たさはその都度、ブルースが『The Promise:The Darkness On The Edge Of Town Story』(2010)のDVDの中で述べていたように、「跳ね返す力(resilience)」によって取り払われていきます。

6日の公演はオープニングから驚きがあって、フランク・シナトラ"New York, New York"が流れる中、ステージに登場したブルースとEストリート・バンドが客電がすっかりついたまま勢いよく演奏し始めたのは、"We Take Care of Our Own"ではなくて、"Badlands"でした。私は9日の分も含めて4回ブルースのコンサートを観たことになるのだけれど、そのすべての公演で"Badlands"が最初の1曲でした。これは何だか不思議な縁みたいなものを感じます。今ではまた"We Take Care of Our Own"がオープナーに戻ったりもしているけれど、私はこの日の演奏を聴いて、ここへ来てこの曲が1曲目に据えられるようになったのは、ジェイク・クレモンズの演奏に1つの大きな理由があるのではないかと思いました。私はアポロ・シアターの他には、今回のツアーブートレグは聴いていなくて、ビデオも観ていなかったので、ジェイクの演奏がどう変わってきたのか知らないけれど、4月6日にはびっくりするくらい良くなっていました。アポロ・シアターの時は、たとえば"The Promised Land"を聴いて、心をすっかり奪われていても、サックスソロになると、はっと現実に引き戻されるような、クラレンスの不在を強く感じさせてしまう不安定さみたいなものを覚えたのだけれど、"Badlands"でのジェイクのソロは、堂々としていてそれこそクラレンスの不在ではなく存在を、彼を通して感じるような気がして、それだけで思わず胸が熱くなりました。コンサート全体を通じて、サックスソロの大半はエディ・マニオンではなく、ジェイクが務めたので幾度もそんな思いになりました。続く"We Take Care of Our Own," "Wrecking Ball"は古い曲と同じくらいの熱狂を呼びながら、最新のブルースとEストリート・バンドをはっきりと打ち出すものでした。私は今回のコンサートの中で、『レッキング・ボール』(2012)からの楽曲がとにかくどれもものすごく格好良く、昔の曲から浮くどころか、むしろ昔の曲を『レッキング・ボール』に合わせてアップデートさせてしまうくらいの力を持っていたのが何よりも嬉しかったです。私は『ワーキング・オン・ア・ドリーム』(2009)を悪し様に言うつもりは全然ないけれど、前回のツアーではやっぱりこういうふうには感じられなかった。

でもそう言っておきながら、前半で私が最も胸を打たれて、今に至るまで深い余韻を残しているのは"My City of Ruins"だったと思います。この曲の中には、先に書いた今回のツアーの特徴のような緩急の付け方が凝縮されています。曲そのものも、かつてブルースが語ったように、ブルーズの悲哀とゴスペルの高揚感を併せ持ったものであり、はさみ込まれるブルースの語りも前半は「ニューヨーク対ニュージャージー」という笑いに満ちた内容から、次第にEストリート・バンドの使命に言及し、更に後半ではメンバー紹介から「俺たちは誰かを恋しく思っているだろうか(Are we missing anybody?)」と、「俺たちがここにいて、君たちがここにいるのなら、彼らもまた共にここにいる」という胸が破れそうな言葉に移っていくのです。ブルースの歌い方は本当にソウルフルで、私は「胸がいっぱいになる」という表現はよく使うけれど、これほど、なみなみと何かが胸に注ぎ込まれていっぱいになっていくような感覚はそうそう味わったことがない。



だから、そこからハードな"Murder Incorporated"へという流れは本当に驚きでした。でも今から思うと、この日の公演はここから"The Rising"に至るまでの楽曲の中で、かなり困難な今の時代に語りかけていたし、現実的な問題を突きつける内容になっていたようです。ほとんど耳を疑わずにはいられなかった"Lion's Den"やお定まりになって来た"Waitin' on a Sunny Day"(そろそろ子供をステージに上げるのはやめてもいいと思う)などによって、ぐさっと突き刺さるような直接さは控えられていたし、音楽的にもしっかり緩急がついているけれど、"Murder Incorporated," "Johnny 99," "Jack of All Trades," "Shackled & Drawn," "Easy Money," "41 Shots"には暴力という1つの一貫したキーワードがあり、社会の歪みみたいなものに切り込んでいく問題提起的な要素が強くあると思います。ただ、私が忘れられず、強い衝撃を受けたのは、"Jack of All Trades"の終わりにある「もしも銃があれば、あの卑怯者どもを俺は即座に撃ち殺すのに」というフレーズの後にオーディエンスからわあっと歓声が上がったことでした。私はこのフレーズには自暴自棄を感じるし、これが本当になってしまったのが、"Johnny 99"でもあると思っているので、どこかショッキングでした。でも、この曲の演奏も本当に良かったです。レコードではトム・モレロが弾いているギターソロをコンサートではニルス・ロフグレンが担当していますが、彼の演奏は、トム・モレロにはない穏やかさや慈愛みたいなものを感じさせます。そして、その間、ブルースが大きな太鼓(?)を無言でゆっくりと打ち鳴らし続けるのだけれど、声でもなく、ギターのメロディなどでもない、言葉のない表現がとても印象的でした。

この日、本編を締めたのは"Thunder Road"で、その時にはやっぱりこの曲は欠かせないものなと単純に思ったのだけれど、後から9日には演奏されなかったことと合わせて考えた時に、この曲が欠かせなかったのは、単に人気の曲だからではなくて、これだけの重いメッセージを受け留めた後で、聴く人には救いが必要だったからだと気が付きました。次回の内容を先取りしてしまいますが、9日は"Backstreets"が本編の最後から2曲目に演奏されて、これはこれで本当に特別だったし、胸を打たれたけれど、6日に"Backstreets"ではやはり救われなかったと思うのです。「もう遅いけど、走れば間に合う」と告げられたかったし、夢を見られる必要があった。これだけの辛い現実から救われるのに"Thunder Road"ほどぴったりの曲はなかったと思います。

アンコールの1曲目の"Rocky Ground"は、ブルースにとって大切な曲の1つになったのだろうな、と感じさせるものでした。この日は、「今日は家族がみんな来てくれているんだよ」と言って、母のアデルさんや妹さんの家族たちに言及し、良い手本となってくれたアデルさんにこの曲を捧げていました。レコードと同じようにミシェル・ムーアを迎えて演奏されるのだけれど、私がこの曲のライヴ演奏で何よりも好きなのは、レコードではサンプリングされている"I'm a soldier"というフレーズを終盤で、ブルースが自分で歌うところです。ここも感情的に本当に押し流されそうになってしまう。コーラスでは「俺たちは岩だらけの道を旅してきた」と言われるのに、それかぶさる声は「俺は(1人の)兵士」と訴え、旅が同時に個人のものであることや、その過程で自分が切り抜けなければいけない闘いを思い起こさせるからです。それから、今回の2度の公演で私が学んだのは、特別好きであるか否かにかかわらず、縁のある曲が存在する、ということです。私はオルバニー公演で"Kitty's Back"を聴いたのだけれど、大量の曲が存在する中でこの曲を今回また聴くとは思ってもみませんでした(9日には"She's the One"を聴いたことでこの発見は確信に至りました)。最後の"Born to Run," "Dancing in the Dark," "Tenth Avenue Freeze-Out"は割りと固定された流れになっていて、9日も同じだったけれど、最後の2曲は私が3年前に聴きたくて叶わなかったものだったので、とても嬉しかった。"Dancing in the Dark"は何故だか分からないけれど、今回ブルースが観られるなら1度は聴きたいと年初めくらいから考えていたものでした。そして"Tenth Avenue Freeze-Out"でショーが終わらなければならないのには、しっかり理由があって、ブルースが既に"Apollo Medley"の時にもGAエリアに潜っていって、ビールを飲み(2杯!)、クラウドサーフィンでステージに戻るということまでやってのけているのに、再びGAエリアに戻らなければならないのにも理由があります。私はこの曲の演奏でスクリーンを使ってクラレンス・クレモンズを追悼しているということを知らなかったので、特に1日目には胸が詰まりました。ブルースは決して口にしないけれど、彼がいかにクラレンスの不在を恋しく思っているかを改めて突きつけられ、本当に胸が張り裂けそうでした。毎晩毎晩、客席からこうしてブルースはクラレンスの写真を見上げているのだと思うと。でもこの曲とブルース達自身のすごいところは、そうした瞬間をはさみながら、再びマックスが激しい一打を聴かせた瞬間からショーが終わるまでの短い間に、これ以上ないくらいの興奮に会場全体を巻き込み、清々しい感激をもたらしてしまうということです。家路につく時には、悲しさや寂しさは感じさせない。何が何だか分からず言葉にならないけれど、とにかく圧倒され、他に何も入り込む隙間がないくらい満たされ、目や耳がギンギンするだけです。

1つだけ悲しかったことがあるとすれば、"Land of Hope & Dreams"が演奏されなかったことで、これがセットリストに一層重たい印象を与えています。でも、意図的にこの曲を外すことで、ブルースはこのマディソン・スクエア・ガーデン1日目を、オーディエンスに対するかなり厳しい挑戦としていたのではないかなと今は考えています。

Setlist:
1. Badlands
2. We Take Care of Our Own
3. Wrecking Ball
4. Out in the Street
5. Death to My Hometown
6. My City of Ruins
7. Murder Incorporated
8. Johnny 99
9. Jack of All Trades
10. Shackled & Drawn
11. Lion's Den
12. Easy Money
13. Waitin' on a Sunny Day
14. The Promised Land
15. Apollo Medley
16. 41 Shots
17. Lonesome Day
18. The Rising
19. We Are Alive
20. Thunder Road

21. Rocky Ground
22. Kitty's Back
23. Born to Run
24. Dancin' in the Dark
25. Tenth Avenue Freeze-Out


Bruce Springsteen "That's good" narrative from 1985/09/30 in L.A. Coliseum

2011-01-31 03:12:24 | Bruce Springsteen Live
みんな今夜の気分はどうだ?
[オーディエンスの歓声]
良かった、嬉しいよ。
この話は… そうだな
俺がまだ大人になる前
俺は父親とやり合ってばかりだった。
殆どありとあらゆることについて。 だけど‥
俺は昔はすごい長髪だったんだよ。
肩よりも長いくらい。17か18歳頃のことかな。
父親はそれが嫌で嫌でしようがなかった。
俺達はあんまりひどく衝突し合うばかりだったから
俺は長い時間を家の外で過ごしていた。
夏の間はそれも悪くない。
外は暖かいし、友達も外で遊んでいたから。
でも冬になると 今でも思い出すけれど
ダウンタウンで突っ立っていると本当に寒かった。
風が吹く日にはお決まりの電話ボックスから
ガールフレンドにずっと電話をしていた。
何時間もひたすら、一晩中話していた。
そしてとうとう意を決して家に帰るんだ。
俺は家の前の車道に立っていて
父親はキッチンで俺を待っている。
俺は襟に髪をたくしこんで家の中に入ると
父親は俺を呼び止めて一緒に座れと言う。
そしていつでも同じことを最初に訊いた。
「一体お前は何をしているつもりなんだ」って。
最悪だったのは俺自身
それを父親に向かって説明することができなかったことだ。

1度バイクで事故に遭ったことがあって
俺が病院のベッドに寝ている間に
父親が散髪屋を呼んできて俺の髪を切ってしまった。
父親に向かって、大嫌いだと言ったこと
絶対に忘れるもんかと言ったことをはっきり覚えている。
父親はよく言っていた。
「軍隊がお前を連れて行くのが待ち遠しいよ、
そうすれば男らしくもなるだろう。
髪もさっぱり刈り上げて 男らしくなる。」
たぶん1968年頃のことだったと思う。
俺の周りにもヴェトナムに行った人が大勢いた。
俺の最初のバンドにいたドラマーがある日、
海軍の制服を来て家に訪ねてきたんだ。
戦地に行くと言って。ヴェトナムがどこにあるかも知らなかったのに。
大勢が行ってしまい、多くが2度と戻らなかった。
戻ってきても、すっかり様子が変わってしまった人もまた限りなくいた。
俺自身が召集令状を受け取った日のことも記憶に残っている。
俺は家から抜け出して
身体検査の3日前から友達と出かけてずっと徹夜をして
それから朝バスに乗って行った。
俺達はみんな本当にこわかった。
そして俺はとにかく行って、検査に落ちて 家に帰った。
[オーディエンスの歓声]
何も誉められたことじゃないよ。
3日間姿をくらませた後で家に帰り キッチンに足を踏み入れると
両親が座っていた。父親が「どこへ行っていた」と訊くから
「徴兵の身体検査に行ってた」と答えると
「どうなった」と言うから 「落ちたよ」と答えた。
すると父親は言ったんだ。「それは良かった」って。

ENGLISH

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今日は、ブルース・スプリングスティーンのライブアルバム『The Live 1975-85』(1986)の"The River"の演奏の前に収録された語りを取り上げました。『The Live』はCDにして3枚組、40曲を収録した大作で、素晴らしい演奏が沢山入っているけれど、初めて聴いた時から最も強く私の印象に残っているのがこの"The River"の演奏でした。1985年9月30日、LAコロシウムでの公演を録音したものです。

私にとって"The River"という曲は長い間、距離を感じる曲でした。ブルース・スプリングスティーンに強く心を惹かれるようになって、どんな作品が有名だとか、そんな情報を少しずつ得ながら『Born to Run』(1975)を手にした時には自分をその中に投げ込むようにして聴き、『Born in the U.S.A.』(1985)はそれなりに公共性を重んじるブルースの思いを汲み取ろうとしたり、曲によってはそれなりに思いを重ねられるものが結構ありました。けれども、"The River"は、私にはどうしても身近に感じることができなかった。そこで描かれる風景も、物語も、自分とは遠くかけ離れていて、当時の自分の想像力に限界があることを感じさせるばかりでした。ここに表れる寂寥感とは一体どういった類のものなのか突き止めることができずに、自分の底の浅さのようなものに恥じ入る気持ちもありました。今ではそうした感情を思い出すことの方が難しくなりつつあるというのに。

その越え難い壁を突き破るきっかけとなったのが、『The Live』での演奏です。この演奏の前に話される内容には、本当に示唆的な部分が幾つも幾つもあって、一体何から書けばいいのか分からないほどだけれど、もしも、1つだけすべてを貫く何かを挙げるとすれば、ここにはブルース自身の来し方、自分がどのような歴史を辿ってきたか、それが大きな社会の中にいかに位置づけられるかが語られているということです。これを聴くと、直接は関係のない話のように思われても、"The River"に至る細く曲がりくねった道がぼんやりと見えてくるような気がする。大事なのは物語のディテールではなくて、自分にとって大切なものを見極めるということ、その理由を自分で見失わないことなのかもしれない、というように。この短いけれど、呆然とするほど強い印象を残すストーリーの後に聴かれる鋭いハーモニカの音は、私にとってとても特別なものでした。まだはっきりと言葉にすることができないけれど、この中には、何か私にとっても知るに値する、重要なことが歌われているという不思議な確信めいたものがあり、その感覚にいつでも強く心を揺さぶられました。

私が10代半ばにして、このストーリーテリングの中で最も心を捉われたのは、ブルースの2つの恐怖に関する言葉でした。1つ目の恐怖は、父親に「一体お前は何をしているのか」と問われても、いつも何と答えていいか分からなかったこと。ブルースはそのことを明確に恐れとは言っていないけれど、私自身が15、16歳でいて、その心持ちがいかに心もとない思いにさせられるかとてもリアルに思い描くことができました。当時の私は、現実の圧倒的な大部分を逃げ出したい、望まない生活だと感じてしまっていたけれど、夢を見ることで何とか生き延びることができる毎日でした。自分は何をしているつもりなのか。私はまだ手にできない夢を生きていたけれど、それでも何もないよりはましだった。明確にいつ、どこで何をしたいかという計画が自分の中にあったから、逃げ出さないでするべきことをすることができた。もう1つのブルースの恐怖は、徴兵カードを受け取った後、身体検査を受けに行く日の朝に感じたものです。「we were all so scared.」という彼の言い方は、まるで17歳か18歳の彼が話しているかのように、頼りなげで恐怖が伝染するようでした。同時に今でもそれほど鮮明に思い出される恐れについて彼が語ることの意味も、強く意識しないままに自分の中に沁み入ってきたようにも思います。自分がそうした恐怖と隣合わせに生きているかもしれないということ、自分は一体どういう世界に住んでいるのかを知ること。眠って過ごしている訳にはいかない。2000年代前半にあっても、こうしてブルースの声に耳を傾けていると、それはあまり遠い話とは思えなかった。私がアメリカにいた2008年頃にも、1人のアメリカ人の男の子がこの時のブルースと殆ど同じ口調で、同じ恐れを口にするのを耳にしたことがありました。イラク戦争のニュースがまだ毎日流れる時期にあって、アメリカが再び徴兵制を採用する可能性に怯えて、「僕は本当にこわい」と言う彼の言葉はブルースのそれと同じくらい、忘れ難く記憶に残っています。どうして、同じことを20年以上も経ってもまだ繰り返しているのか。眩暈がするほど腹立たしく、悲しかった。

今でも、明かりを消した暗く静かな部屋の中で、眠りにつく前に、1つ1つ言葉を選びながら話すブルースの声に耳を澄ませていた夜のことを鮮やかに思い出すことができる。そしてその瞬間には気付かなかったことだけれど、ここから、私は幾つもの決意を獲得していたように思うのです。この物語の中には私が知りたいと思うことが本当に沢山ありました。それが私をこのストーリーに強く惹きつけた1番の理由だったと思います。68年や85年のアメリカの風景や、どうしてブルースは1晩中電話をするガールフレンドがいたのに孤独だったのだろうとかいうことです(彼が孤独を感じていたということは、どこか他のところで聞き知ったことだったけれど)。そして、それほどまでに自分と異なる土地、異なる時代、異なる境遇にある誰かの話にこうして耳を傾けることが自分にとって一体何を意味するのか、反対に、自分はどんな物語をどんな表現で語る人になり得るのかということも。その問いを追求することが、私自身の来し方を語る術になるかもしれないことを、既に漠然と感じ取っていたようにも思います。そして、その先には、"The River"の中にある「知るに値する、重要なこと」が見つかるというふうにも。その過程には『Darkness on the Edge of Town』(1978)への避けがたい心酔があり、今はまだ道半ばではあるけれど、1つだけ良かったこととしては、私はあの時の「幾つもの決意」に今でも背を向けていないということです。