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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Greeting From Ocean Grove & Freehold, NJ

2009-09-25 21:15:27 | In the U.S.A.
今日は前回に引き続き、ニュージャージー州の町オーシャン・グローヴとフリーホールドについて写真と共に紹介したいと思います。アズベリー・パークを訪れた際、私が宿をとったのは実はオーシャン・グローヴというアズベリー・パークのすぐ南に位置する地域でした。というのもストーン・ポニーを中心にボードウォーク沿いの宿泊施設を探した際、オーシャン・グローヴのThe Shawmontという所が最も安価かつ清潔そうだったからです。(オフシーズンであれば平日ならば$65,週末のみ$80~部屋があります。)しかし、名目上は違う町とは言え、ボードウォークでアズベリーパークとはつながっており、ストーンポニーまでも歩いてすぐでした。ブルース・スプリングスティーンは2007年の11月に"Girls in their Summer Clothes"ビデオ撮影をここで行っています。あのビデオのように浜辺にハートでも書いてみようかなとも思ったのですが、私が訪れた日は天候も良く、日光浴、海水浴を楽しむ若者なども沢山いたのでやや侘しい気持ちで横目にしながらその思いは果たさぬままとなりました。



オーシャン・グローヴはメソジストの人々が19世紀末に拓いた町だそうで、歴史的な地域として売り出しています。すぐ傍に大きな公会堂(the Great Auditorium)があるのですが、そこは昔から人々が集まって野外礼拝などが行われてきたそうです。やがてその場所に建てられたのが公会堂だったという訳なのです。とても立派な建物で7000席を要するホールは今でもコンサートなどにも使われており、ビーチ・ボーイズが来るとパンフレットには書いてありました。


そして公会堂の周りにはテントがぐるりと張られていて、持ち主の人々は夏になると休暇をそのテントで過ごすそうです。テントが張られ始めると地元の人は夏の到来を感じるとのこと。私が行った5月末には既に結構人がいました。持ち主というのは割りと固定されているのか、小さい頃、夏にオーシャン・グローヴで知り合い、夏が来るたびに再会し、最後には結婚するロマンティックな夫婦も少なくないそうです。


私にこうした事を教えてくれたのはThe Shawmontの親切な従業員のスーという方でした。ブルース・スプリングスティーンが好きでここまでやって来たのだと言うと、やや驚きながら「随分熱心なファンなのね」と言われました。アズベリーパークを1人で歩き回っていても誰かと話をするという事は殆ど皆無だった中で彼女は私の短い滞在期間の中、素敵な話相手になってくれました。今回の記事は彼女へのオマージュだと思っています。アズベリーパークとはまた若干異なる歴史と雰囲気を持った温かな町でした。


次にフリーホールドです。フリーホールドはブルース・スプリングスティーンの本当の故郷と言える町でアズベリーパークからバスで40分くらいだったと思います。行く予定は無かったのですが、偶然アズベリーパークのバス停からバスが出ている事を知り、行ってみることにしたのです。しかし、彼の通った高校や実家が訪れる筈だったのですが、バスを降りるタイミングを早まり、まず町の中心に辿り着くまで結構歩かねばならなかった、そしてそれまでの旅の疲れと相まって、町の中心部に着いた頃にはもう1歩たりとも歩けない、という状況に陥ってしまいました。という訳であまりブルースにゆかりのあるものは見られず、何とも苦い思い出になってしまったのでした。しかし、アズベリーパークからフリーホールドまでの車窓がいかに味気なく閑散とした眠気を誘うようなものであったかは非常に印象的でした。ボードウォークがどれだけ素敵になっていたとしても、ニュージャージーという州の現実はこういう所にあるに違いないと思わされました。

フリーホールドは本当に中心部をのぞいた程度ですが、それでもいくつかブルースに関わりのあるものを見つけました。1つ目はブルースが寄付をしたという消防署です。ここには脇に「Born To Run」と記された消防車があるそうです。


そして、こちらのCVSはどこにでもあるドラッグストアですが、ブルースはここで自分のCDの値下げ広告か何かを見て"Local Hero"の着想を得たそうです。


そしてここは私がほぼ力尽きた場所ですが、Federici'sという名前のピザ屋さんです。偶然、昨年亡くなったEストリートバンドのオルガニスト、ダニーと同じ名前ですが関係はないそうです。しかし、ブルースは時々ライブの後の打ち上げなんかをここで行ったとか行わないとか。私はこの写真が何だか好きです。


デイヴ・マーシュの著作『グローリー・デイズ』の中でブルースはフリーホールドは「小さな町で心まで狭い、保守的な町だ。」と述べています。私はほんの少ししかそこにいなかったけれど、確かに世界一素敵な町とはとても言えません。きっと変化に乏しく、退屈で、10代なんかを過ごしていたら、まるで自分が蝕まれているような気持ちになるのだろうと思います。でも、ニューヨークシティでもフィラデルフィアでも、ましてやロサンジェルスでもなく、フリーホールドのこんな町だったからこそ"Thunder Road""Born To Run""Darkness on the Edge of Town"もブルースの中から生まれてきたに違いない。そう思うと皮肉ではあるかもしれないけれど、こんな町でもちょっとロマンティックに思えてくる気がしませんか。



Greeting from Asbury Park, NJ

2009-09-21 00:09:41 | In the U.S.A.
今日は私のアメリカ滞在中の1人旅、最後の訪問地となったニュージャージーの海岸沿いの町アズベリー・パークについて写真を交えながら紹介したいと思います。15歳の時にブルース・スプリングスティーンに魅了されて以来、アズベリー・パークはずっと私の憧れの土地でした。いくら"My City of Ruins""My Hometown"で寂れた小さな町のイメージを与えられても、"Thunder Road"で歌われるような(「燃え尽きたシボレーが埃っぽい海岸通に打ち捨てられている」)どこかミステリアスで可能性を孕んだ土地、或いは"4th of July, Asbury Park"で歌われるロマンティックな印象が拭えなかったのです。ただ、これまで様々な人に止められて来たのも事実で(理由は危ない、何も無い、車が無ければ何もできない等々)、ブルースさえ黒人男性に「こんな所で何してるんだ」と脅された経験があるというので全然怖くなかったというと嘘になります。10ヶ月の留学生活の終わりでもあり、精神的にもかなり疲弊していたので諦めそうになりましたが、何とか行くことができました。


結果から述べると、行ってみて本当に良かったと思います。どうやらいつかを境にアズベリー・パークは町興しを行ったようで、カジノ跡からコンベンション・ホール間のボードウォーク沿いにはヒップでこ洒落たカフェやレストラン、お菓子屋さんや服飾店が並び(マダム・マリーの占いはその並びにある)、日中のビーチは人で溢れていました。町の荒廃の象徴のように感じていたカジノの廃墟でさえ、コンベンション・ホール側から見るとランドマークか何かのようにも感じられるほどでした。また、ビーチから離れた方へ行ってみてもそんなお店やちょっとアート系の雑貨屋さんやパンクっぽい古着屋さんなどがあり、1人で歩いていて見飽きません。町の雰囲気としても私のような旅行者には慣れているという感触を受けました。多くのお店でアズベリーパークグッズ(Tシャツ、スティッカー、壁掛け等々)を扱っており、町のプライドも感じさせます。



その一方で、まだまだ発展途上である事を感じさせる面も所々にありました。例えばパラマウント・シアターとコンベンション・ホールがある建物の中のアーケイドはいつ行っても人が少なく、寒々しく、がらんとしていました。また、ブルースと縁の深いクラブ、ストーン・ポニーもある日、"Summer Kick Off"イベントを正午から行っていましたが、2時頃に行ってみると関係者以外誰もいないような状況で、勇気を振り絞って入ってはみたものの、ぐるりと周ってすぐに逃げるようにして出てきてしまったのです。



更に海沿いから町中へと歩みを進めるとAsbury Park Transitという駅より更に北の方は栄えてもいなければ、死に絶えてもいない、ごく普通の田舎町の風景が見られます。コインランドリーや理髪店、軽食店など、それこそ勝手の分かっていない私のような人間が足を踏み入れるのは躊躇われるような所です。(通りを歩く分には問題ないです)。ブルースがかつて住んでいたという家がある辺り(Webb St.と8th Ave.が交わる所らしい)も行ってみましたが、ごく普通の住宅街でした。最底辺とは程遠いそれなりにいい所です。



私が1番好きだったのは、夕暮れ時のボードウォークです。初めて海岸沿いに辿り着いたのは夕方6時頃で、初夏の海辺はまだ肌寒く、人気もなく、静かでした。今まで1度も来た事がないはずなのに、不思議に親しみ深く感じられ、また遂に15歳からの夢を叶えたのだと思うと何だか報われなかった10代の自分に対する責任を果たしたような思いになり、感慨深さもひとしおでした。自分と歳の変わらないブルースが1人だったり、Eストリート・バンドの仲間やガールフレンドと歩いたんだろうな、とか世界中のブルースファンがこうして私のように夢を見て歩いたし、これからもそんな人が次々に訪れるんだろうなぁと思うと海岸沿いに走るこのボードウォークからは無数の夢が生まれ、破れ、また生まれていく場所のように感じました。



きっと今はリゾート地として売り込んでいるからこそ、ボードウォークは旅行者にも居心地が良かったのだと思います。でも、これからも機会があれば何度も何度も行ってみたい、そしていつかちょっとした絆みたいなものを本当にこの土地に持つ事ができればいいなと思っています。観光地として盛衰を繰り返してきた浜辺の町アズベリーパークはどことなく、私の故郷の町とも通じるところがあるようにも感じました。どちらも今は私の住む場所ではないけれど、戻っていくことで2つの町と10代の頃の自分の夢に忘れていないんだよと声をかけてあげたいです。

To be continued...





Homecoming

2009-06-11 23:59:35 | In the U.S.A.
本当に長い間を空けてしまってすみませんでした。
オルバニーでの後期は授業も勉強以外でもあまりにもいろいろな事があり、ブログを更新する余裕をすっかり失ってしまいました。しかし、10か月弱の留学生活も5月末に終了しました。次回からはオルバニーでの出来事や5月にオルバニーとピッツバーグで経験する事ができたBruce Springsteenのライブ、そして6年越しの夢の最後の1つであったアズベリーパークへの訪問など、また遅いペースになるとは思いますが、書いていきたいと思っています。




最後の2ヶ月間、住んでいた大学寮です。


"What a Wonderful World" in San Francisco

2009-01-19 09:29:17 | In the U.S.A.
緑色の木々、赤い薔薇
僕と君のために花開いている
そして僕はそっと思う、なんと素晴らしい世界だろう、と

青い空と白い雲
明るく幸せな昼間、暗く神聖な夜
そして僕は思う なんと素晴らしい世界なのだろう

虹の色が空に美しく映える
行き交う人々の目にも映っている
友人同士手を握り合い、「はじめまして」と言っているけれど
本当は「愛している」という意味なのさ

赤ん坊の泣き声が聞こえ、彼らが育ってゆくのを僕は見ている
きっと僕よりもずっと多くを学ぶだろう
そして僕はそっと思う なんと素晴らしい世界なんだろう、と

そう そっと思うんだ なんと素晴らしい世界なんだろう、と

ENGLISH


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サンフランシスコで過ごした3日間の中で最高の瞬間は2日目の夕方でした。フィッシャーマンズワーフからやや西に進んだ先に、丘のある公園があります。ギラデリ・スクエアの灯りを目にしながら小さな丘を登る中でふと右手を振返ると、ゴールデン・ゲート・ブリッジが霧に包まれながら夕日にほんのりと照らされて、それはそれは美しく見えたのです。橋自体は午前中、アルカトラズ島に行く際にも見たのですが、お天気が悪くて霧も濃く、赤い色さえ判然としないほどでした。その日は1日1人で歩き回って過ごし、かなりくたびれていた頃でしたが、夕方その一瞬の光景は心を洗われるようなものでした。そして、背後の路面電車の駅のすぐ傍で1人の男の人がギターを爪弾きながら、ルイ・アームストロングの歌で有名な"What a Wonderful World"を歌っていたのです。この時、これほどぴったりな曲があるだろうかと驚いたほどでした。すべてが完璧なタイミングの中、素晴らしい世界を作り出していたのです。

サンフランシスコでは、60年代サイケデリック・ロックとヒッピーの聖地ハイト・アシュベリー、ゴールデンゲート・パーク(ほんの一部)、アルカトラズ島、フィッシャーマンズワーフ、ギラデリ・スクエア、ユニオン・スクエア、チャイナ・タウン、ジャパン・タウンに行きました。リージョン・オブ・オナー美術館に行けなかったのが残念です。サンフランシスコに出かける前日、『ザ・ロック』というアルカトラズ島を舞台にしたアクション映画を40分ほど観ていましたが、ショーン・コネリーの演じる人物がFBIの元から逃げ出して娘に会いに行くのがリージョン・オブ・オナーだったのです。とても素敵な所のように見えました。




The Eagles "Please Come Home for Christmas"

2008-12-22 13:41:59 | In the U.S.A.
哀しみに満ちた新年に
ベルの音が聞こえるだろう
クリスマスに塞ぎこむなんて
愛しい人は去ってしまい
もう1度メリークリスマスと言ってくれる 友もない
「きよしこの夜」を涙声で歌う
キャンドルライトの傍で聴くクリスマスキャロル
クリスマスにどうか家へ帰ってきてほしい
クリスマスにどうか家へ帰ってきてほしい
もしクリスマスが駄目ならば 新年の夜までには
友人や親戚達が祝いの言葉を送り合う
頭上に輝く星のように確かなこと
だけど 今はクリスマス、クリスマスなんだよ
1年の中でも愛する人と共に過ごす時じゃないか
だから頼むよ もうほっつき歩くのはやめてくれないか
クリスマスと新年には家にいると、
もう悲しみも嘆きも苦しみもないと言ってくれ
そうすれば僕はもう1度幸せになれる
悲しみも嘆きも苦しみもない
そうして僕は再び幸せなクリスマスを過ごせる

ENGLISH


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多くの人がそうであるように、特に小さい頃はクリスマスは大好きなシーズンでした。誕生日もすぐ近くなので、良い事尽くしだったのです。でも、心のどこかでいつももの寂しさのようなものを感じていたのは、年の瀬だったせいなのか、いつかは味わえなくなる気持ちだという思いがどこかにあったのか、一体何だったのだろう、と思います。

今年のクリスマスは私は家から遠く離れた所で過ごします。この曲を歌うイーグルスの出身地、カリフォルニアで高校時代の父を1年間受け入れ、今の私と同い年の両親を28年前に泊めてくださった事のある家庭です。家への道のりは確かに遠いけれど、家族とのつながりや不思議な縁を感じさせられます。
サクラメントに暫く滞在しながら、サンフランシスコを3日ほど訪れて、その後はロサンゼルス、サンディエゴと南下してから、クリーヴランドのロックンロールの殿堂に寄って帰ってきます。3週間の1人旅なのでどうなることかと思っていますが、アメリカという国と自分自身に向き合ういい時間になると良いです。

秋学期についての記事ももっと書きたかったのですが、もう出発なのでこの記事が今年最後になります。この1年間、このブログを訪れてくださったみなさん、本当にありがとうございました。また、コメントをくださったみなさん、毎回たくさんの事を教えて頂き、得がたい知識や刺激を受ける事ができました。とても感謝しています。みなさんが素敵なクリスマスと年末年始を過ごされますように。

この曲は今学期限りでオルバニーを1度去ってしまう人のお別れパーティの帰りにカーステレオから流れてきて印象的に残ったものでした。とても独立した人でありながら、周囲の人に対して温かく、アーティスティックで素敵な人だったので残念です。きっと毎年この曲を聴くと、その人を思い出すんじゃないかと思います。私にはそういう曲が沢山あります。