今日は前回に引き続き、ニュージャージー州の町オーシャン・グローヴとフリーホールドについて写真と共に紹介したいと思います。アズベリー・パークを訪れた際、私が宿をとったのは実はオーシャン・グローヴというアズベリー・パークのすぐ南に位置する地域でした。というのもストーン・ポニーを中心にボードウォーク沿いの宿泊施設を探した際、オーシャン・グローヴのThe Shawmontという所が最も安価かつ清潔そうだったからです。(オフシーズンであれば平日ならば$65,週末のみ$80~部屋があります。)しかし、名目上は違う町とは言え、ボードウォークでアズベリーパークとはつながっており、ストーンポニーまでも歩いてすぐでした。ブルース・スプリングスティーンは2007年の11月に"Girls in their Summer Clothes"のビデオ撮影をここで行っています。あのビデオのように浜辺にハートでも書いてみようかなとも思ったのですが、私が訪れた日は天候も良く、日光浴、海水浴を楽しむ若者なども沢山いたのでやや侘しい気持ちで横目にしながらその思いは果たさぬままとなりました。


オーシャン・グローヴはメソジストの人々が19世紀末に拓いた町だそうで、歴史的な地域として売り出しています。すぐ傍に大きな公会堂(the Great Auditorium)があるのですが、そこは昔から人々が集まって野外礼拝などが行われてきたそうです。やがてその場所に建てられたのが公会堂だったという訳なのです。とても立派な建物で7000席を要するホールは今でもコンサートなどにも使われており、ビーチ・ボーイズが来るとパンフレットには書いてありました。

そして公会堂の周りにはテントがぐるりと張られていて、持ち主の人々は夏になると休暇をそのテントで過ごすそうです。テントが張られ始めると地元の人は夏の到来を感じるとのこと。私が行った5月末には既に結構人がいました。持ち主というのは割りと固定されているのか、小さい頃、夏にオーシャン・グローヴで知り合い、夏が来るたびに再会し、最後には結婚するロマンティックな夫婦も少なくないそうです。

私にこうした事を教えてくれたのはThe Shawmontの親切な従業員のスーという方でした。ブルース・スプリングスティーンが好きでここまでやって来たのだと言うと、やや驚きながら「随分熱心なファンなのね」と言われました。アズベリーパークを1人で歩き回っていても誰かと話をするという事は殆ど皆無だった中で彼女は私の短い滞在期間の中、素敵な話相手になってくれました。今回の記事は彼女へのオマージュだと思っています。アズベリーパークとはまた若干異なる歴史と雰囲気を持った温かな町でした。

次にフリーホールドです。フリーホールドはブルース・スプリングスティーンの本当の故郷と言える町でアズベリーパークからバスで40分くらいだったと思います。行く予定は無かったのですが、偶然アズベリーパークのバス停からバスが出ている事を知り、行ってみることにしたのです。しかし、彼の通った高校や実家が訪れる筈だったのですが、バスを降りるタイミングを早まり、まず町の中心に辿り着くまで結構歩かねばならなかった、そしてそれまでの旅の疲れと相まって、町の中心部に着いた頃にはもう1歩たりとも歩けない、という状況に陥ってしまいました。という訳であまりブルースにゆかりのあるものは見られず、何とも苦い思い出になってしまったのでした。しかし、アズベリーパークからフリーホールドまでの車窓がいかに味気なく閑散とした眠気を誘うようなものであったかは非常に印象的でした。ボードウォークがどれだけ素敵になっていたとしても、ニュージャージーという州の現実はこういう所にあるに違いないと思わされました。
フリーホールドは本当に中心部をのぞいた程度ですが、それでもいくつかブルースに関わりのあるものを見つけました。1つ目はブルースが寄付をしたという消防署です。ここには脇に「Born To Run」と記された消防車があるそうです。

そして、こちらのCVSはどこにでもあるドラッグストアですが、ブルースはここで自分のCDの値下げ広告か何かを見て"Local Hero"の着想を得たそうです。

そしてここは私がほぼ力尽きた場所ですが、Federici'sという名前のピザ屋さんです。偶然、昨年亡くなったEストリートバンドのオルガニスト、ダニーと同じ名前ですが関係はないそうです。しかし、ブルースは時々ライブの後の打ち上げなんかをここで行ったとか行わないとか。私はこの写真が何だか好きです。

デイヴ・マーシュの著作『グローリー・デイズ』の中でブルースはフリーホールドは「小さな町で心まで狭い、保守的な町だ。」と述べています。私はほんの少ししかそこにいなかったけれど、確かに世界一素敵な町とはとても言えません。きっと変化に乏しく、退屈で、10代なんかを過ごしていたら、まるで自分が蝕まれているような気持ちになるのだろうと思います。でも、ニューヨークシティでもフィラデルフィアでも、ましてやロサンジェルスでもなく、フリーホールドのこんな町だったからこそ"Thunder Road"も"Born To Run"も"Darkness on the Edge of Town"もブルースの中から生まれてきたに違いない。そう思うと皮肉ではあるかもしれないけれど、こんな町でもちょっとロマンティックに思えてくる気がしませんか。


オーシャン・グローヴはメソジストの人々が19世紀末に拓いた町だそうで、歴史的な地域として売り出しています。すぐ傍に大きな公会堂(the Great Auditorium)があるのですが、そこは昔から人々が集まって野外礼拝などが行われてきたそうです。やがてその場所に建てられたのが公会堂だったという訳なのです。とても立派な建物で7000席を要するホールは今でもコンサートなどにも使われており、ビーチ・ボーイズが来るとパンフレットには書いてありました。

そして公会堂の周りにはテントがぐるりと張られていて、持ち主の人々は夏になると休暇をそのテントで過ごすそうです。テントが張られ始めると地元の人は夏の到来を感じるとのこと。私が行った5月末には既に結構人がいました。持ち主というのは割りと固定されているのか、小さい頃、夏にオーシャン・グローヴで知り合い、夏が来るたびに再会し、最後には結婚するロマンティックな夫婦も少なくないそうです。

私にこうした事を教えてくれたのはThe Shawmontの親切な従業員のスーという方でした。ブルース・スプリングスティーンが好きでここまでやって来たのだと言うと、やや驚きながら「随分熱心なファンなのね」と言われました。アズベリーパークを1人で歩き回っていても誰かと話をするという事は殆ど皆無だった中で彼女は私の短い滞在期間の中、素敵な話相手になってくれました。今回の記事は彼女へのオマージュだと思っています。アズベリーパークとはまた若干異なる歴史と雰囲気を持った温かな町でした。

次にフリーホールドです。フリーホールドはブルース・スプリングスティーンの本当の故郷と言える町でアズベリーパークからバスで40分くらいだったと思います。行く予定は無かったのですが、偶然アズベリーパークのバス停からバスが出ている事を知り、行ってみることにしたのです。しかし、彼の通った高校や実家が訪れる筈だったのですが、バスを降りるタイミングを早まり、まず町の中心に辿り着くまで結構歩かねばならなかった、そしてそれまでの旅の疲れと相まって、町の中心部に着いた頃にはもう1歩たりとも歩けない、という状況に陥ってしまいました。という訳であまりブルースにゆかりのあるものは見られず、何とも苦い思い出になってしまったのでした。しかし、アズベリーパークからフリーホールドまでの車窓がいかに味気なく閑散とした眠気を誘うようなものであったかは非常に印象的でした。ボードウォークがどれだけ素敵になっていたとしても、ニュージャージーという州の現実はこういう所にあるに違いないと思わされました。
フリーホールドは本当に中心部をのぞいた程度ですが、それでもいくつかブルースに関わりのあるものを見つけました。1つ目はブルースが寄付をしたという消防署です。ここには脇に「Born To Run」と記された消防車があるそうです。

そして、こちらのCVSはどこにでもあるドラッグストアですが、ブルースはここで自分のCDの値下げ広告か何かを見て"Local Hero"の着想を得たそうです。

そしてここは私がほぼ力尽きた場所ですが、Federici'sという名前のピザ屋さんです。偶然、昨年亡くなったEストリートバンドのオルガニスト、ダニーと同じ名前ですが関係はないそうです。しかし、ブルースは時々ライブの後の打ち上げなんかをここで行ったとか行わないとか。私はこの写真が何だか好きです。

デイヴ・マーシュの著作『グローリー・デイズ』の中でブルースはフリーホールドは「小さな町で心まで狭い、保守的な町だ。」と述べています。私はほんの少ししかそこにいなかったけれど、確かに世界一素敵な町とはとても言えません。きっと変化に乏しく、退屈で、10代なんかを過ごしていたら、まるで自分が蝕まれているような気持ちになるのだろうと思います。でも、ニューヨークシティでもフィラデルフィアでも、ましてやロサンジェルスでもなく、フリーホールドのこんな町だったからこそ"Thunder Road"も"Born To Run"も"Darkness on the Edge of Town"もブルースの中から生まれてきたに違いない。そう思うと皮肉ではあるかもしれないけれど、こんな町でもちょっとロマンティックに思えてくる気がしませんか。