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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Jay-Z feat. Alicia Keys "Empire State of Mind"

2010-03-30 15:19:39 | In the U.S.A.
ブルックリンで育ち
今ではトライベッカに住んでいる
デ・ニーロと隣付き合い
だけど一生、ちんぴら
俺は新たなシナトラ
この地で成り上がったんだから
どこででもやっていける
どこでも愛されてるのさ 俺は
昔はハーレムでヤバイ仕事もやっていた
ドミニカ系の仲間達
ブロードウェイから
マクドナルドまで俺を連れ戻してたっけ
俺のヤクの隠し場所
ステイト通り 560番地
シモンズがパイでも作ってる所みたく
俺が台所にいるのを見つけるって訳さ
8番街をすっ飛ばす
オフ・ホワイトのレクサスで
とんでもなくのろい運転だけど
BKはテキサス生まれ
俺はベッド・スタイヴセント出身
ビギーの故郷
今じゃ俺のビルボードがそびえ
俺は仲間を連れている
Ty-tyに元気かって聞いてくれよ
今でもMai-taiを啜ってる
コートサイドに座っていれば ニックスやネッツの連中がハイ・ファイブをくれる
酔っ払って審判員を転ばす事だってできるぜ
俺の態度を見れば ほぼ一目瞭然 俺がどこから来たか

ニューヨーク
夢の生まれるコンクリートジャングル
できない事なんて何もない
今ニューヨークに身を置き
この街で真新しい気持ちを抱ける
巨大な光が希望の源となる
盛大な拍手をニューヨークに

俺のおかげでホットになっただろ
ヤンキースの試合で見つけてくれ OGと一緒にいるからな
俺がヤンキースができる以上にヤンキースの帽子を有名にしてやった
俺は正真正銘のヤンキースファン だけど廃人じゃないぜ
俺には一緒に渡り歩く仲間が大勢いる
坩堝へようこそ
街角ではrocksやアフリカ・バンバータの音楽
ヒップホップの故郷
イエロー・キャブに違法タクシー、1ドルタクシー
外国人に呼びかける
足し算の仕方を忘れたみたいに振舞うのはフェアじゃない
そこには800万もの物語があり どれもありのままのもの
大都会 惜しいが半分の連中は成功を手にする事がない
俺はSpecial Edの"I Got It Made"を聴いたぜ
JeezyがLeBronを買うって言うなら俺にはDwayne Wadeがいるぜ
路地裏の博打
レイバー・デイのパレード 安らかに眠れ ボブ・マーリー
自由の女神 WTCよ 永遠に
王よ 永遠に
俺はエンパイア・ステートの出身 それは・・・

まばゆい光の街へようこそ

光は目も眩むばかり
女の子には目隠しが必要
すぐに束縛から逃げ出せるよう
周りには駄目になった盲目の連中でいっぱい
名声の甘い汁に中毒になって
りんごを齧っちゃいけない イヴ
群集の中で目を覚ませ
流行のスタイル
冬には寒くなっても肌を出しているのが流行り
罪深い街は気の毒にも気まぐれ
良い子はお休みの時間
街はそんな子たちでいっぱい
マミはバスで旅に出て 逃げ出した
誰も彼もが彼女を バスルートかのように乗り回す
マリア様に敬礼 この街に
イエスには君を救う事はできない
教会が閉まり 人生は始まる
学校に通うためこの街を訪れ 卒業し上流社会に入っていく
野球選手、ラップ・スター、注目される事に心を奪われている
エクスタシーでチャンピオンのような気分
この街は決して眠らない 睡眠薬でも飲んだ方がいい

この大都市のために片手を空高く掲げて
街灯、大いなる夢 どれも素晴らしい
世界中のどんな街も比べものにならない
ライターを握った手を高く挙げて 叫んで
Yeah と

ENGLISH


(参) 歌詞のリンク先の回答を対訳の面でも参考にしています。ここでは対訳の中でアルファベット表記のままにしたものを取り上げていますが、その他にも字面通りではなく、意味をとって訳した部分があります。どうして、こういう訳になるのかという疑問や、ここは違うのでは、というご意見があればぜひお聞かせください。

  BK: 恋人のビヨンセ・ノウルズ。
  Ty-ty: 親友のあだ名らしいです。
  Mai-tai: カクテルの1つ。
  OG: Jay-Zの所有するレコード会社の社長であり、クラブ40/40の共同経営者でもあるフアン・ペレスの事みたいです。
  rocks: 調べてみたけれどよく分かりませんでした。
  アフリカ・バンバータが最初にヒップホップを始めた頃、ロックのレコードを使っていたから、という意見やドラッグの事だという意見がありました。
  私としては前者が文脈的に合っているかなと思ったのですが、そのままにしました。
  Special Ed, Jeezy: どちらもラッパー。
  LeBron, Dwayne Wade: どちらもNBAのバスケットボール選手。

  
</object>
今回ニューヨーク・シティにいる間、よくこの曲の事を思い浮かべました。2009年に発表され、瞬く間に昨年のヒットとなった楽曲でした。ニューヨーク賛歌である事は知っていたけれども、詳しく歌詞を見た事がなかったのでぜひ帰ったら訳してみようと思っていました。

訳してみた結果、ひしひしと感じられたのはニューヨークへのひたむきな愛というよりも、ニューヨークで鍛え上げた不屈の精神と自身と故郷に対するプライドでした。そしてニューヨークとは、確かにそんな強気な姿勢を感じさせ、それがよく似合う街でもあると思います。街中に溢れる「I Love NY」を掲げたお土産物はニューヨーカー自身の愛と自信があるからこそ説得力があるのであり、エンパイア・ステート・ビルディングや自由の女神、イエロー・キャブにブルックリン橋など、街の象徴となるものも彼らにとってそれが日常の中で深い意味を持つからこそ私達にも魅力的に見えてくるのだと思います。また、ニューヨークはアメリカ人全体にとっても、憧れを感じさせる大都会であり、郷愁を呼ぶ移民入国審査の土地であり、そしてアメリカそのものの活力を感じさせる自尊心の源ともなる場所であるように感じます。だからこそ、この”Empire State of Mind”が全国的なヒットになるのだろう、と。

私は世界有数の大都市などというものはあまり訪れた事がなく、今住んでいる東京と、ニューヨーク・シティがせいぜいといったところです。なので、ロンドンやパリのような他の大都会を訪れた時に一体どのように感じるものかは推して知るべしといったところですが、ニューヨークにいて感じたのはこの街の度量の広さのようなものでした。3週間の滞在のうち、1度目に1人でいた時はタイムズ・スクエア近くのホステルに、2度目にはソーホーの端っこの安いホテルに泊まっていました。さすがにタイムズ・スクエアの近くにいると写真を撮り歩いている観光客の人たちとぶつからずに歩くのが大変なほどで、そこに住んでいるという感じはしないけれど、朝、ニューヨークでこれから仕事をしようという男女と共にデリで朝食を頼み、コーヒーを片手に通りを歩いていると、そこにいる事が本当に自然に感じられるのです。セントラル・パークで日向ぼっこをしていても、ワシントン・スクエア・パークでボブ・ディランの影響を受けてそのまま歳をとったようなおじいさん達が輪になってフォーク・ソングを演奏している傍を通っても、巨大なホール・フーズ・マーケットの中を歩き回っていても、あたかも自分がこの街に暮らしているかのような、自由で気楽な空気を味わう事が私にはできました。私は高校を卒業してから東京に出てきてから長い間、この土地は仮住まいでしかない、という感覚から抜け出す事ができませんでした。そして、慣れのようなものは感じるようになったものの、今でも東京への愛着よりは、かつて退屈でたまらなくて飛び出した故郷の魅力を実感するようになった気持ちの方が強いのです。どんな土地であれ、そこに根を張って生きていこうと思うと、それなりの気概が必要とされるのは当然の事だと思います。私がニューヨーク・シティで感じる気ままな空気は自分がその場限りの訪問者に過ぎないからなのか、それともこの街には本当に何か懐の深さのような魅力があるのか確かめてみるためにも、1度この街に暮らしてみたいと思わないではいられません。ワシントン・スクエア・パークで出会ったジャズ・バンドのトランペッターの男性は「このちょっと先」に住んでいる、という日本人の方でした。きっと大好きなのであろう音楽をやりながら、ニューヨークで生きているこの男性が何だか羨ましく、こんなふうに生きる勇気があれば、きっと”Empire State of Mind”も憧れではなく、自分自身への賛歌として聴く事ができるのだろうと思ったのでした。



John Lennon "Stand By Me" in Greenwich Village

2010-03-29 14:51:25 | In the U.S.A.
夜が訪れ
地上は暗く
月の光だけが見える
だけど僕は恐れない 恐がりはしない
君が傍にいてくれる限り

だからダーリン、傍にいてほしい 僕の傍に
いてほしい 僕の傍に

もしも僕らの見上げる空が
落ちてきたとしても
山々が海の中へと崩れ落ちても
僕は泣いたりしない 決して 涙はこぼさない
君が僕の傍にいる限り

苦しい時も どうか僕の傍にいてくれないか
今 君が傍にいてほしい
僕の傍にして欲しい 僕の傍に

ENGLISH

</object>
長い間が空いてしまってすみませんでした。3週間のニューヨーク・シティとオルバニー滞在から無事に戻ってきました。10ヶ月ぶりのアメリカ訪問でしたが、今回は短期滞在という事と自分が新しい生活の節目に立っているという事などから、また前回その場にいた時とは異なる思いで過ごす事ができました。4月に忙しくなる前に少しずつ書いていければと思っています。

長い間、聞き馴染み続けてきた大好きな音楽をある場面で偶然耳にする事で、その瞬間が完璧になり、永遠に心に焼き付けられるという事が私には時々あります。それは経験それだけをとっても、特別なもの、例えば遠く普段の生活から離れた所にいるだとか、何かの節目の行事の最中であるだとか、である事もあれば、日々の何でもない瞬間であったりします。私にとって音楽が手放せないほど大切なのは、それがこうして日々を彩っているからでもあります。

ニューヨーク・シティを訪問中、そんな忘れがたい瞬間を残してくれたのが、グリニッジ・ヴィレッジの路上で出会った4人組のドゥワップ・シンガーのおじさん達でした。日は殆ど暮れ、街灯や店舗の明かりがヴィレッジに日中とは異なる素敵な趣を与え始めた頃でした。向こうから聞こえてくる歌声に引き寄せられるように通りを渡り、すぐ傍まで行くと、細い通りにも関わらず小さな人だかりが彼らをぐるりと取り囲んでいます。そして、次に彼らが歌い始めたのがベン・E・キングのソウルの古典「スタンド・バイ・ミー」だったのです。この曲に初めて出会ったのがいつなのか、もう思い出す事もできないけれど、10代始めの頃から映画『スタンド・バイ・ミー』と共に大好きな1曲でした。けれども、あまりに馴染みの深い曲であるために、歌詞やこの曲の自分にとっての意味を問い直すという事はこの夜までなかったのでした。そして、今、「夜が訪れ、地上は暗く」、空には本当に月が浮かび、私の傍には、傍にいてほしい人が立っている。今夜は3週間のアメリカ滞在最後の夜で、夜が明ければ私は日本に帰らなければならず、傍にいてほしい人はアメリカに残らなければいけない。半年以上、実際に会うことができないというのは個人的にはとても辛く、もうやっていけないと思う事も何度かありました。それでも今回3週間近くを共に過ごして、この人が自分にとって唯一無二の存在である事を実感する事ができ、会えない間に感じた迷いを恥じる思いも、申し訳なく感じる思いもありました。けれども、これから再び半年の月日が立ちはだかると思うと、「決して涙はこぼさない」という訳にはなかなかいかないのでした。そもそも、歌詞の中では「君がいてくれれば」、泣きも恐れもしない、という内容です。それでも、私は不幸な気持ちでこの曲を聴いて泣いた訳ではありません。広いニューヨーク・シティで、あらゆる可能性が存在していた中、今回の滞在で最後の夜に、今いる人と一緒にこの曲をグリニッジ・ヴィレッジで聴けた、素敵な偶然に心をひどく動かされたのです。この曲に耳を傾けながら、この時間がこれから長い間、私にとって大学卒業間際のアメリカ訪問を象徴する思い出になるとはっきり分かりました。帰ったら1番にこの曲について書こうという事もこの時、決めました。

ニューヨーク・シティは私にとって、心惹かれる土地になかなかなりませんでした。ある土地が自分にとって何か意味を持つようになるには、自分がそこで自分にしかない特別な経験をしなければならないけれど、その機会をこれまで欠いてきたからです。今回、自分の足で本当に見たい所、訪れたい所をのぞく事ができ、様々な感慨を感じながら、このように私にとって特別な経験を重ねた事で、ニューヨーク・シティにはアズベリー・パークにも負けないくらい深い親しみと愛情を覚えるようになりました。けれども、ここは私1人の思い出の場所ではなくなってしまった。次に訪れる時もこの曲を聴いた時、隣にいた人が隣にいてくれますように。ビデオはダコタ・アパートの傍、セントラル・パークの中に綺麗な碑があるジョン・レノンのカバーを載せました。






Rascals "Good Lovin'"

2010-03-09 00:51:04 | In the U.S.A.
すごく気分が悪かったんだ
それで家族で診てもらっている医者に一体どうなってるのか訊いてみた
言ったのさ 「ねえ 先生
ミスター医学博士
教えてくれませんか
どうして僕は気分が優れないんでしょうか」

医者は言ったよ そう そう
そうさ ずばり僕に本当に必要なのは
とっておきの愛
とっておきの素敵な愛を与えてくれ
僕に必要なのは
とっておきの愛だけ

ねえ どうか僕をきつく抱きしめて
君の愛しい人に元気でいてほしくないのかい
僕は言った ベイビー こいつは確かだよ
僕には熱がある 君が癒してくれなくちゃ

みんな そう そう そうなんだ
僕に必要なのはまさに
とっておきの愛
さあ 僕に愛を与えてくれ
とっておきの愛を
僕に必要なのは愛
とっておきの愛だけ

ENGLISH

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この曲を初めて聴いたのはアメリカに留学していた時に受けていたロックミュージック史の授業での事でした。ビートルズらによるブリティッシュ・インヴェイジョンの後、「アメリカの返答」という章の第2回目で、「アメリカのポップ、ガレージ・バンド」というくくりの中でした。ラスカルズはもともとヤング・ラスカルズという名前でデビューしたニューヨークのバンドで、1965年にはビートルズがニューヨークのシェイ・スタジアムで演奏した際には前座を務めました。この曲、"Good Lovin'"は1965年にオリンピックスというグループが発表したリズム&ブルーズ作品のカバーでしたが、1966年には全米1位を獲得する快挙となりました。

この曲が私の中で心に残っているのは、これを紹介した時の先生の様子がとても好きだったからです。「3分間のポップソングの真髄がここには詰まってるんだよ!」と言い放って曲をかけ、本当に楽しそうに音楽に身を任せているのを見ていたらこの曲を好きにならずにはいられませんでした。実際、先生の言う通りこの曲に凝縮されたポップネスやエネルギーは今でも全く衰える事なく聴く人を魅了するものだと思います。でも、その事をあれだけ嬉しそうに語る事ができる先生はやっぱり素敵だったと思います。最初は普通に受講して、2学期は聴講に行くほど好きだった授業でした。先生とは最後にその後日本で書かなければならなかった卒論についてのアドバイスを求めるためもあり、2度個人的にお話する時間を設けて頂きました。その時には、ブルース・スプリングスティーンの『The Rising』(2003)というアルバムについて見解の不一致をみてしまい、やや残念な思いになったけれど、もともとがミュージシャンである先生はもしかすると音楽を私のようには見ていなかったのかもしれないし、今でも何だかよく分かりません。もっと突っ込んで訊いてみるべきだったと今になると思うのですが、日本人でありながら9/11テロの関わる話について、ニューヨーク州で食い下がる事はその時の私にはできませんでした。私が9/11後の社会に対して音楽界、特にロック界が示した反応に関心がある、例えばブルース・スプリングスティーンの『The Rising』のように、と言うと、先生は「『The Rising』は確かに9/11をきっかけに作られたアルバムかもしれないけれど、それは表層的なテーマ、或いはきっかけに過ぎず、本当は都市の衰退といった問題が主題なんだ」と仰って、その意見を譲ろうとしませんでした。たぶん先生は"My City of Ruins"を念頭に置いてそう仰っていたと思います。でも、確かに『The Rising』にはそうした普遍性もみられる一方で、このアルバムは確実に9/11後のアメリカを生きるという事をも意味していたというのが私の見解です。卒業論文自体はそうしたテーマからはややずれたけれども今でもその見解は変わりません。そしてことブルースに関して言えば、先生自身も優れたアーティストだとは言っていたけれど、もしかしたら私は思い入れの面では負けていなかったかもしれないとも大胆にも思います。ともあれ、授業は本当に出席する度に新たな音楽との出会いや知っていた曲についての更なる知識の獲得がある素晴らしいものでした。今オルバニーに滞在している間にもう1度、授業に潜入してみようと思っています。



U2 "City of Blinding Lights"

2010-02-28 02:13:10 | In the U.S.A.
見るほどに 分からなくなる
歩みを進めるほどに 見つかるものは減っていく
あの頃の僕は今よりもずっと多くを知っていた

ネオンが光り 日光に煌めく中心街
蛍に照らされたような街
空高い所で宣伝をしている
僕らのような人々に向けて

そして君が傍にいない時 僕は君を恋しく思っている
もうすぐ僕は飛び立つ準備ができる

君は本当に綺麗だ 今夜
目も眩むような光の街の中で

笑う前に見るんじゃない
写真の中では醜い
フラッシュバルブで目が紫色になってしまっているから
カメラには見えないのさ

君が恐れる事なく歩き
手製の服を着ているのを僕は見た
君には僕の内面の美が見えるだろうか
僕が内に持っていた美しさは一体どうなってしまったんだろう

時は
僕をこのままでいさせてはくれない
だけど時は大人の僕の中にいる少年を奪う事はない

君は本当に綺麗だ 今夜
この目も眩むような光の街で

知るほどに感じる心は失われてしまう
祈る者もいれば 盗みを働く者もいる
恩恵は跪く者だけのものじゃない 幸いにもね

ENGLISH

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ブルックリン・ブリッジのすぐ傍でのパフォーマンスだそうです。
始まる前にボノがアメリカに着いて橋を渡ってマンハッタンに入って行く時の感動について述べていますが、私もいつも同じように感じます。
遠く摩天楼群が見える時、何故あんなにも心を動かされるのは不思議なくらいです。

いつもご訪問くださっている皆さま、どうもありがとうございます。お知らせなのですが、今日から3週間ほど家を空ける事になります。できればたまには更新したいと思っていますが、たぶん殆ど機会が無いと思います。出かける前に2,3の記事は保存して、予約公開の設定をしていくつもりですが、時々この設定が機能しないのでどうなるかよく分からないです。この2ヶ月は偶然、人生で稀に見るほど自由な時間が多く、いろいろな記事を書く事ができ、皆さまに目を通して頂いたり、コメントを頂いたりする事ができて幸せでした。また来月末からはペースダウンが見込まれますが、地道に更新していきたいと思っています。よろしければお立ち寄りください。

3週間の外出の主な目的は人を訪ねる事で、昨年5月まで滞在していたニューヨーク州都の街オルバニーに2週間ほど泊まります。あとの1週間はニューヨーク(・シティ)で過ごす予定です。半分は私1人で、後の半分は人と一緒に。ニューヨークは昔からアメリカを訪れた移民の人々がエリス島で入国審査を受けた後、最初に土を踏む場所であった事や、世界有数の大都会であり続けてきた事などがあって、理想や夢や希望、可能性の街としてロマンティックに描かれる事が本当に多い場所だと思います。今日取り上げた楽曲"City of Blinding Lights"もアイルランドのバンドであるU2の作品ですが、この街に対する昔からの憧憬が伝わってくるように思います。また2001年以降はそれだけではない、深い悲しみを背負った街にもなってしまったけれど、やはりこの街にかけられた期待や希望がその悲しみを克服し、再生する強靭さを世界に見せたいという思いの原動力にもなったのではないかと思います。それからU2はテロ後、大きなコンサートをニューヨークで敢行した最初のバンドでした。その時の経験もこの曲の中には反映されているという事ですが、かつて若い自分を受け容れてくれたこの街に対する彼らの愛情とこの街が持つ再生の希望への信頼があったからこそ、あの時U2はあの場で演奏する事ができたのではないかと思います。

私は結局マンハッタンは5回ほど訪れたけれども、うち2回は有名どころの観光、1回は買い物、といった感じだったのでまだまだ街が本当に活々としている場所に踏み込んでいったという感じが全然しません。1人で巡ったボストンなんかの方が今はまだ魅力的に感じているけれど、恐らくそれは5番街みたいな商業的な通りやタイムズスクエアのような誰が本当のニューヨーカーか分からないような所ばかり見ているせいなんだと思います(それでもタイムズスクエアの活気はどこかやはり圧倒されるものがあるように感じます)。今回の滞在ではもっとじっくりと地元の人々の生活が感じられる場所をのぞければいいなと思っています。これまで訪れた中で最も心が躍ったのは今では閉館になってしまったRock 'n' Roll Hall of Fame Museum(ロックンロールの殿堂博物館)の分館(Annex)があった辺りだったと思います。この殿堂博物館は見つかりにくいし、入場料もやや高めではあったけれど、ブルース・スプリングスティーンをフィーチャーした1角があり、私はとても好きな場所でした。ブルースが初めて買ったという大きなアメリカ車や手書きの歌詞やなんかが置いてありました。この分館の面白い仕組みは入った所で手渡されるイヤホンガイドです。つけて歩いていると見ているものに合った音楽が自然と流れてくるのです。ブルースのコーナーに足を踏み入れて"Thunder Road"が流れて来た時には思わず立ちすくんでしまいました。今では分館にあったブルースの車などもクリーヴランドの本館に移ったようです。

今更気負うほどの事もないようにも思うけれど、やはり出かける前の今は楽しみな思いだけではなくちょっとした緊張も感じています。まだまだニューヨークは異世界だという思いが新たな何かに出会う期待感を抱かせると同時に、世界中から人が集まってくる街の中で、やはり自分もそれなりにタフでいなければならないと感じさせられもするのです。けれどもタフであればこの街は人を拒まない。いい旅ができるよう気合いをいれて行ってきます。



Bruce Springsteen "Streets of Philadelphia"

2009-12-19 00:03:03 | In the U.S.A.
俺はあざだらけでぶちのめされていた
自分の気持ちも分からず
自分でも自分の事が分からなかった
窓に映る自分を見て
自分自身の顔が分からなかった
兄弟よ 弱っていくばかりの俺を
見捨てていくのか
フィラデルフィアの通りに

足が石のように思えてくるまで往来を歩いた
姿を消していなくなった友人達の声を聞いた
夜には血管を流れる自分の血の音を聞く事ができた
黒く 密やかに
フィラデルフィアの通りに降る 雨のようだ

俺を迎えてくれる天使はいない
俺とお前だけさ 友よ
俺の服はもう俺の身には合わない
何千マイルも歩いた
ただただこの身から逃れようと

夜の帳が下り、俺は目を覚ましたまま横たわっている
自分が死に向かっているのが分かる
だから俺を受け入れてくれ 兄弟よ その信義なき口づけで
それとも俺達はこんなふうに互いを独りぼっちに置き去りにしていくのか
フィラデルフィアの通りに

ENGLISH


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大学のゼミでこの曲を使う事があり(何て素敵なゼミなんでしょう!)、訳をしたのでこちらでも活用しようと思います。
この曲はジョナサン・デミ監督の映画『フィラデルフィア』の主題歌として、ブルース・スプリングスティーンがデミの依頼を受けて書き下ろしたものです。
映画の内容は、私自身、観たのが遠い昔の事なので詳細は覚えていないのですが、トム・ハンクス演じるゲイのエイズ患者がその立場故に自分を解雇に追いやった会社の差別に対峙する、というものです。そのトム・ハンクスの訴訟に手を貸すのがデンゼル・ワシントン演じる弁護士です。ブルースはこの曲でグラミー賞とアカデミー賞をダブル受賞し、当時は話題になったという事です。

私は今年の5月に2日半ほどフィラデルフィアの街に滞在しました。行く前の街のイメージはこの「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」のビデオの印象が強く、ブルースが歩き回っているような殺伐とした通りとグラフィティで彩られた建物でした(フィラデルフィアはグラフィティの発祥地です)。最初に着いた日は、地元の大学(ペンシルヴァニア大学だったかもしれません)の卒業式と何やら大規模なコンベンションらしい「微生物学会」の開かれる週末にあたってしまい(何度もいろいろな人から「あなたも微生物学会で来たの?」と尋ねられたのは何だかおかしかったです)、市街の中心部に宿をとることができず、街外れのホステルに泊まりました。空港からインデペンデンスホール付近の中心地を越えて、更にどんどん遠くに行った所です。その中心地からホステルまでの風景はまさしくこのビデオのようなものでした。寂れていて、1人で歩き回るのがやや気後れするような所でした。そうした地区と中心街の落差は本当に驚きでした。車で少し行けば、そうした何の変哲もない、というよりもうら寂しい都市が広がっているのに、中心街は自由の鐘や独立記念館など、アメリカ合衆国の輝ける独立の歴史を誇るアトラクション的建造物が立ち並び、商業施設、宿泊施設、観光客で溢れているのです。私は一応、アメリカ史を大学で専攻していますが、フィラデルフィアの中心街にはあまり心を惹かれませんでした。何だかまがいものじみて思えて思いきり楽しめない部分があったのです。初日に泊まったホステルを出る時に、中心街に行くために車に乗せてくれたメイドさんの言葉も心に突き刺さりました。「この街では昨日も幾つも発砲事件があったのよ。この街はいかれてる。本当に早く出て生きたい」。

もちろん、アメリカ有数の都市として誇りがある街なんだとは思います。中心街からフィラデルフィア美術館(映画『ロッキー』で有名な階段がある所)に至るまでの通りなどは美しいものでした。歴史的なスポットの中にはベッツィ・ロス(星条旗をデザインした女性)の家や、エルフレス小径(アメリカ最古の住宅街)のように興味深いものもありました。この時、やや疲れていた事もあるので、いつかもう1度行ってこの街の魅力を存分に確かめたいです。私が見られて1番嬉しかったのは、この9月に閉鎖となったワコヴィア・スペクトラムです。9月で無くなる事、ブルース・スプリングスティーンとゆかりのある会場である事は知っていました。しかし、それがあるのは、フィラデルフィアに行く前にさんざん人から注意され、決して行くなと言われたサウス・フィリーです。内心怯えながら、初めてニューヨーク市で地下鉄に乗った時のようにタフぶりながら、地下鉄に乗りました。




行ったのは確か月曜日の真昼頃だったと思います。地下鉄を降りて外に出てみると、通りを歩いている人は誰もいず、ひっそりとしています。でも、通りはきれいに舗装され、晴れ渡った空が気持ち良く、遠くに先ほどまでいた中心街の高層ビルが見えています。スペクトラムは歩いてすぐでした。そこも周辺と同様、やはり静かで、ぐるりと周っても1人、清掃員のおじいさんに出会っただけでした。夜には興行があるのか、裏の駐車場にはリングリングブラザーズ(サーカス)のトラックが止まっていました。私は『Born To Run』(1975)をiPodでかけながら、暫くそこで中の様子を想像していました。数日前にオルバニーで初めて観たブルースのライブを思い出しながら。ただの建物には違いないけれど、9月にブルースがそこで最後の公演をした時、あのひっそりとしていた通りが、興奮した人々で活気づき、あの中で私が外で聴いていた『Born To Run』の全曲も演奏されたのだと思うと素敵でした。最後のチャンスにスペクトラムを見られた事が私のフィラデルフィアでの1番の収穫です。