教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論⑦ グレゴリオ聖歌と教会旋法 <1>

2005-04-21 16:51:32 | 講義
1. グレゴリオ聖歌について

 (1) カトリック教会の祈りの歌
◆グレゴリオ聖歌はカトリック教会に1500年にもわたって伝えられてきたラテン語によるもっとも大事な祈りの歌である。その源泉は古く、キリスト教誕生以前のユダヤ教の聖歌などから発展してきたと考えられている。もちろん作曲者の名前はひとつも残されておらず、そもそも特定の時に誰かの手によって作られたものなのか、長い歴史のなかで歌われるうちに発展してきたものなのか、それさえもはっきりとはわからない。
◆かつて教会での典礼はほとんどの部分が歌で成り立っていた。聖書朗読や単純な祈祷などは、同じ高さの音で朗唱されるが、賛美の歌は複雑で、芸術的にも高度に洗練されている。一般的な音楽の通念と異なるのは、グレゴリオ聖歌が楽器などの伴奏なしに歌われる単旋律の歌である。ふたつ以上の旋律を同時に奏でることによって和音が誕生したのはヨーロッパでもやっと12世紀頃になってからである。
◆なぜ「グレゴリオ聖歌」と呼ばれるのか、それは聖歌の成立に貢献したといわれる7世紀初頭の教皇グレゴリウス1世(590~604在位)にちなんで名付けられたからだと言われている。(脚注1)  
「グレゴリオ聖歌」というのは一種のニックネームであって、正確には「ローマ聖歌」というのが正しい名称である。つまり、グレゴリオ聖歌はローマ典礼に固有な歌として、キリスト教の伝統を2000年にわたって守ってきたカトリックの最高指導者であるローマ教皇が正式に認めた聖歌なのである。
◆ところで、グレゴリオ聖歌は「ネウマ譜(Neuma)」という独特の楽譜で記されているが、現在知られる一番古いネウマ譜でも8-9世紀と言われている。また、初期のネウマは旋律の上行、
下行は示しているが、音程やリズムまでは明示されていない。やがて11世紀までにグイード・ダレッツォの考案した4線譜によるネウマ(↑上記のネウマ譜参照)が記されるようになってもリズムは不明確なままである。したがってその歌い方も様々であるが、19世紀にグレゴリオ聖歌の正確な歌い方を研究してその復興に貢献したフランスのソレム修道院による「ソレム唱法」が最も有名である。その他にもいろいろな唱法が各地の教会に伝承されている。
                                       

(2) 現代人にとっての癒しの響きとしてのグレゴリオ聖歌
◆このように、カトリック教会の典礼の中核をなしていたグレゴリオ聖歌も、1960年代に開催された第2ヴァチカン公会議(1962~1965)による、教会を現代社会の要請に適合させようとした改革の影響を受けて、次第に各国語による新しい聖歌にその地位を奪われるようになった。今では日曜日ごとのミサでグレゴリオ聖歌が聴かれる教会は欧州でも少数派となり、聖務日課を含むすべての典礼をラテン語で歌っている修道院は数えるほどしかなくなってしまった。(脚注2)
◆フランス人の内科医であり、耳の専門家として国際的に知られているアルフレッド・トマティス博士は、1960年代、第二バチカン公会議があった直後にフランスのベネディクト派修道院を訪ねた。公会議では、日々の礼拝でラテン語を使い続けるべきか、その土地の言葉であるフランス語などを採用するべきかで議論が行なわれていた。これは最終的に後者に決まった。また、聖歌の歌唱を続行すべきか、それともより実質的と思われる活動を優先させ、聖歌を廃止するべきか、も討議の対象となっていた。これらは、聖歌を聖務日課からはずすことで決着がついた。
◆ところが、決定からほどなくして修道院に変化が起き始めた。それまで一日、3~4時間の睡眠時間でも元気に生活していた修道士たちが非常に疲れ、病気にかかりやすくなった。修道院長は寝不足が彼らの身体の不調の原因だと考え、睡眠時間を増やした。しかし事態は改善されなかった。それまで700年間続いてきた菜食の掟を破り、肉とジャガイモを中心にした食事に変えてみたが、望ましい効果はなかった。状況は悪化するばかり。そして1967年の2月に、トマティス博士はこの問題の解決を依頼され、再び、修道院に呼ばれたのである。
◆彼が修道院に着いてみると「90人の修道士のうち、70人までもが、独居房の中で濡れ布巾のように落ち込んでいた。検査してみると、彼らはただ疲れているだけではなく、聴力が落ちていることが分かった。彼はこの問題を解決するために、ある装置を考案し、それを何か月かの間、使用することによって修道士たちの聴力を回復させようと考えた。また、もう一つ別の処置も行なった。それは毎日聖歌を歌うことを修道士たちにただちに再開させたのである。
◆その後、9か月の内に、修道士たちは聴力においても身体の健康全般においても、著しい回復を見せたのである。彼らのほとんどは、長時間の祈りと、短い睡眠、計画に従った労働という、何百年も修道院内で普通に行なわれていた生活に戻ることができたのである。いったい何が起きたのか?
◆トマティス博士は次のように言っている。「耳は、脳の活動を刺激するのに重要な役割を果たしている。特に、大脳皮質の電位を高めるのに効果的である。したがって、音がよく聞こえないと、耳から脳に向かうエネルギーを十分に得られなくなってしまう。」と。
◆トマティス博士は、「グレゴリオ聖歌の音をオシロスコープにかけると、それが声の音響スペクトルが持つおよそ70~9000Hzの周波数をすべて含んでおり、普通の会話などとは非常に異なった包絡線を示す」と言っている。修道士たちは中音域、つまりバリトンの音域で歌うが、音の調和と共鳴によって、その声がより高い周波数の上音をたくさん生み出す。脳を活性化するのは、これらの高音の、主に2000~4000Hzの範囲である。前に引き合いに出した修道士たちは、聖歌を歌わなくなったときに、毎日のエネルギー補給ができなくなっていたわけである。彼らの感じた疲労感は容易に理解できるのである。
◆聞く側の視点からもう一つ特筆すべきことがある。私たちは聖歌を聞くことでエネルギーを得るが、それと同時に、落ち着きや平穏さも感じるのである。これは私たちが、修道士や修道女がグレコリオ聖歌の長いメリスマの楽句を歌うときの、深くやすらかな息づかいに同調するからである。

(脚注1)
◆ 4世紀以降、キリスト教の強化と急速な普及により、各地の大司教区や修道院は、ローマから比較的独立していた。その典礼音楽は土地固有の音楽の影響を受けて、スペインのモサラベ聖歌、ミラノのアンブロジオ聖歌、南フランスのガリア聖歌、アイルランドのケルト聖歌、エジプトのコプト聖歌などといった独自の聖歌が生まれていく。これに対してローマ教皇グレゴリウス一世(在位590-604)は、中央の権威を強めるため、行政と教会法、次いで典礼と聖歌の統一を目指した。その作業が何時どのようにして行われたかははっきりしていないが、8,9世紀には完成したと思われる。その出来上がった聖歌をグレゴリウス一世の権威と結びつけてグレゴリオ聖歌と呼ぶ。
(脚注2)
◆そのような教会側の消極的な態度とは対照的に、近年グレゴリオ聖歌に対する関心は欧州各国で次第に高まりつつある。本来は教会の典礼のなかでしか歌われなかったグレゴリオ聖歌がコンサートホールでも聴かれるようになってきた。また、いわゆるクラシック音楽の作曲家のみならず、いろいろなジャンルの音楽家がグレゴリオ聖歌を自分たちの音楽に取り入れるようにもなっている。そのような流れもあってか、数年前にはスペインのシロス修道院の修道士が80年代に録音したCDが全米ヒットチャートにランクインした。このCDはその後世界各国でベストセラーとなった。魂の渇きを潤す癒しの音楽として歓迎されているのである。

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