教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論⑪ 18世紀の英国のメソジスト運動における新しい歌 <7>

2005-05-07 20:30:33 | 講義
3. チャールズ・ウェスレーの讃美歌の特質

(2) 神学的内容

◆チャールズ・ウェスレーの讃美歌は最初から自分自身の信仰と体験を表わしたものであるが、それは何ら教理的な奇抜さをもってはいなかった。彼は新しい発見をしなかったし、新しい説を創案しなかった。彼の教説の独自性はその強調点(アクセント)にある。即ち古い真理を生きる魂の深みから語り出された、生ける声をもって宣言したのであった。
◆チャールズ・ウェスレーは一人のクリスチャンの経験が、多くの神学的な理論よりもっと価値のあることを知っていた。チャールズ・ウェスレーの偉大さは経験によって生命力を与えられた真理を、彼の讃美歌の中に単純な言葉で表現したことであったといえよう。
◆チャールズ・ウェスレーがその讃美歌の中で強調して歌っている内容を、サムエル・チャドウィックにならって、①キリストの福音の普遍性、②救いの確証、③キリスト者の完全、の3つに分けてみることにしたい。(脚注41)

①キリストの福音の普遍性

◆「キリストはすべての人のために死なれた」という教えは、18世紀の英国においては天啓ともいうべきものであった。チャールズは次のように歌った。

Come, sinners, to the gospel feast;
Let every soul be Jesus guest;
Ye need not one left behind,
For God hath bidden all mankind.

罪人よ、福音のうたげに来たれ
すべての魂はイエスのまろうどとなれ
ただひとり とり残されることなし
神 すべてのものを招きたまわん

Sent my Lord, or you I call;
The invitation is to all;
Come al the world ! Come, sinner thou !
All things in Christ are ready now

主に遣わされし我は 汝らに勧む
主の招きはすべてのものにあり
来たれ世人よ! 来たれ罪人よ!
すべてのものキリストに備えらるれば (脚注42)

◆チャールズ・ウェスレーは神学的にはアルミニアニズムの立場に立って、すべての人間が神の前に平等に救いに招かれていることを強調して歌っている。
◆ワインクープはウェスレーが登場した時代の神学的状況について次のように書いている。「ウェスレー兄弟‥が生活したのは、アルミニウスの死後およそ100年のことであった。彼らは英国の宗教にあった誤謬の2つの源泉に直面した。ひとつは自由主義的アルミニアニズム。(脚注43) 今ひとつは冷たい超カルヴィニズムから由来したものであった。(脚注44) 両者のいずれも飢え渇いた心の要求に答えず、また国力を侵食しつつあった大きな社会悪に立ち向かうことができなかった」と。(脚注45)
◆特に後者は、選びと予定の教理に拘束されていた。カルヴィニズムは神の絶対主権にして敬虔な敬意を払い、強力な生徒たちを作り出した。カルヴィニズムはその最も露骨な形においては独占と特権と階級制度を意味した。少数の者は選ばれ、あとの者は見放された。
◆ウェスレー兄弟、及びメソジストたちは全力をあげてこのカルヴィニズムと戦っただけでなく、それ以上に、どこでも普遍的な愛の福音を繰り返し強調し、歌ったのである。
◆社会的背景に目を留めると、この時代は産業的変革期であった。従来の貧弱でそまつな手工業に代わって様々な機械工業が至る所に取り入れられ、工業、商業の著しい振興を見はじめると共に、一般下層民衆には底なしの不安と焦燥とが増してゆく時代であった。経済は次第次第に資本主義的形態へと移行し、資本主義社会特有の貧富間の感情的対立も深刻化して行く産業革命の黎明期であったのである。(脚注46)
◆貧しい大衆が顧みられなかったこうした時代にあって、メソジストたちによって、大衆への霊的救済の手が伸ばされるようになったのである。
◆チャールズ・ウェスレーが回心した二日後に作られた讃美歌はこの教えを歌っている。

Outcasts of men, to you I call,
Harlots, and publicans and thieves !
He spread his arms to embrace you all !
Sinners alone His grace receive,
No need of Him the righteous have;
He came the lost to seek and save.

②救いの確証

◆すべての人が救われるという普遍性という教理だけでなく、自分がキリストにあって受け入れられているということを自覚する「確証の教理」は福音の主観的、個人的体験を支える重要な点である。これは単なる体験理解内の教理としてではなく、「聖霊の証し」の教理と結合させられるものである。(脚注47)
◆聖霊による「確証」について、ジョン・ウェスレーは彼の「霊のあかし」という説教の中で、「御霊の証しとは、魂における内的な印象であるが、それによって神の霊は直接に私の霊に、私が神の子であるということ、イエス・キリストが私を愛し、ご自身を私のためにお与え下さったということ、私のすべての罪が抹消し、私、この私が神と和解しているということを証しするのである」と定義している。(脚注48)
◆救いの確かさの「確証」はまず、チャールズ・ウェスレーの体験の中にその根拠をもっている。チャールズ・ウェスレーの1738年2月24日、4月28日の『日記』にはペーター・ベーラーとの会話が記されている。第一章で引用したように、如何に救いの信仰と信仰の確証が得られるのかという点に集中していた。幾度の内的格闘を経ながら遂に、5月21日にその体験に到達したと思われる。
◆当時の『日記』には「私はブレイ氏を呼びにやった。そして自分が信じたかどうか彼に尋ねた。彼は答えた。私がそれを疑うべきでないことを、それとはキリストが私に語ったことである。彼はそれを知ってともに祈ろうとした。『しかし、まず。』といって、『私が偶然開いた所を読みましょう。』といった。『幸いなことよ、そのそむきを赦され罪をおおわれた人は‥‥。』なおも私は信じることに対する激しい反発と抵抗を感じた。しかし依然として、なおも神の霊が私の不信仰の暗やみを追い払うまで私自身の霊と戦った。私は自分が確信させられたのがわかった。どのようにしてか、またいつということは分からなかったが、瞬間的にとりなしに陥落した。」と記している。

Arise my soul arise
Shake off thy guilty tears
The blooding Sacrifice
In my behalf appears
Before the throne my surety stands
My name is written on His hands

わが魂 怖れを去れ
救い主は み座の前に
この身の名前を御手に書きとめて
あかしを 立てたもう

My God is reconciled
His pardoning voice I hear
He owns me for His child
I can no larger fear
With confidence I now draw nigh
And “Father Abba Father” cry

我は聞けり 赦しの声
子とせられて 怖れはなし
はばからず今は御前に進みて
「父よ」と呼ぶなり  (脚注49) (訳)『聖歌』177番

◆チャールズ・ウェスレーはこの讃美歌の中で、子とさられたことの神の御霊の「確証」について歌っている。「御霊の証は今や子たる者の特権であるとして、すべての福音的な教会で認められているが、それを人々にもたらしたのはウェスレー兄弟たちであった。」(脚注50) Arise, my soul, ariseは多くのまじめな求道者たちを回心へ導く決定的な媒体であった。


(脚注41)
◆サムエル・チャドウィック著『キリスト者の完全への招き』1~19頁参照。
(脚注42)
◆Hymns for those that seek and those that have Redemption in the Blood of Jesus Christ,1747.ルカ福音書14章16節~24節にもとづく。原詩の第二節を引用。
(脚注43)
◆アルミニウスの教えを逆用して、人間を高揚して救い主の必要性を否定する神学的自由主義。人は救い主に信頼し続けなければならないほどに罪に束縛されているとは考えず、したがって教育し、また社会的不平等を是正することによって、人々をその窮状から「救い出す」ことが可能となる、とする立場。
(脚注44)
◆ドルト会議の5ヶ条によって定義され、ウェストミンスター信仰告白に詳しく述べられたもの。ある者は救いが予定され、その他の者は滅びへ予定されている。救いにおいて人間は何もすることができない、とする立場。
(脚注45)
◆ワインクープ著『ウェスレアン=アルミニアン神学の基礎』98~99頁。
(脚注46)
◆蔦田二雄著『18世紀英国の危機とウェスレーの宗教運動』1973年。6頁。
(脚注47)
◆この点に関して、小林和夫教授の小論参照。「ホーリネスの友」11号。
(脚注48)
◆野呂芳雄訳『説教 上』(ウェスレー著作集3)新教出版社、270頁。
(脚注49)
◆Hymns and Sacred Poems 1742「メソジスト讃美歌」211番。原詩第一節、第五節を引用。
(脚注50)
◆サムエル・チャドウィック著 前掲書。8頁。