教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論⑪ 18世紀の英国のメソジスト運動における新しい歌 <3>

2005-05-03 12:36:16 | 講義
(2) チャールズの信仰経験

③自己確立時代

◆体も精神も疲れ切っていたチャールズ・ウェスレーは、しばらくしてロンドンに住む真鍮細工を職業とするジョン・ブレイの家で寝起きするようになった。ブレイは貧しく無学な細工人で、知るといえばキリストの他は何も知らなかった。しかしキリストを知ることのゆえにすべてをわきまえているといった人物であった。チャールズは1738年5月11日の『日記』の中で、「神は私のところにブレイを送ってくださった。・・・彼は今やベーラ-の代理である」と記している。(脚注10)
◆真鍮細工人の家はチャールズのように霊的な確証と平安を捜し求める者たちを招く港であった。5月17日、そこへアメリカから帰ったウィリアム・ホーランドがルターのガラテヤ書の注解書を持ってきたのである。何が起こったのか。チャールズの『日記』に目を留めてみよう。
「・・今日、はじめてルターのガラテヤ書を見た。それはホーランド氏が偶然見つけたものであった。私たちは読み始めた。・・ルターのことを聞いて私の友人はため息をつき、言いようもないうめき声を出すほど、ひどく心動かされた。私たちをもうひとつ別の福音の方へ、キリストの恵みの中へと招いているルターと私たちが、あまりにもかけ離れているということに私自身、驚いた。私たちの教会が信仰によってのみ義とされるこの重要な事柄に根拠をおいているということを誰が信じているであろうか。私はこの新しい教理を絶えず思うべきであることに驚いている。特に私たちの信仰箇条や訓戒が廃止されずにいる間は、知識の鍵は依然として取り去られない。この根本的真理、すなわち信仰のみによる救いは、一つの思想ではなく、また死んだ信仰でもなく、愛によって働く信仰である。この信仰に入った多くの友人たちと同じように、このときから私もまた、ここに基礎を置くことに努めようと思った。これは、すべての善きわざ、すべてのきよさを生み出すに必要なものなのである」。
◆このように、チャールズは高教会的教理の上に立って、神の恵みに支えられたところの人間の善きわざによって救われると確信していた。ところが今は、明確に、善きわざによっては救われないということ、徹底的に神の恵みのみによって人は義とされることを理解した。つまり、福音的回心の体験以前に、チャールズは論理的に、信仰による救いの教理を正しいものと確信している。『日記』はさらに続いている。「今晩、私は数時間一人でルターとともに過ごした。非常に恵まれた。ことにその2章の結論が良かった。『私を愛し、私のためにご自身をお捨てになったお方はいったい誰なのか』」(脚注11) を知ろうと努め、待ち望み、そして祈った」。
◆チャールズに大きな影響を与えることになったルターのガラテヤ書注解書、第2章の結論には、キリストが私のため、またあなたのために生き、死に、再びよみがえったというルターの熱心なあかしがしるされている。以下それを引用しよう。
「キリストはペテロやパウロだけを愛し、彼らのためにご自身を与えたのではなく、その同じ恵みが彼らと同様に、この<私>のうちにも把握されるのである。私たちがすべて罪人であること、アダムの罪によってすべて失われた者であり、神の怒りとさばきのもとに服していることは否定できないように、キリストが私たちを義とすることも否定できないのである。キリストが死んだのは義人のためではなく、不義なる者を無罪とするためである。それゆえ、私がアダムの違反によって罪人であることを私自身が感じ、告白するとき、理由は分からないが、私はキリストの義によって義とされるのである。とりわけ、キリストが私を愛し、私のためにご自身をお捨てになったと聞く時はなおさらである。『私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった方』、この言葉は偉大で力ある慰めに満ちている。それゆえ、それは私たちのうちに信仰を呼び起こす力である」。(脚注12)
◆ルターの声はいかに力強くチャールズに語りかけたであろうかは、先の『日記』に記されているとおりである。ルターのあかしはチャールズにとって、救いのための唯一のキリストに対する信仰を燃え上がらせることに大きな影響を与えたのであった。「私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった」というガラテヤ書2章20節のフレーズは、チャールズの讃美歌の中でも特に重要な表現であり、讃美歌創作の生命的源泉となっている。どんなに確固たる客観的根拠があろうが、それが依然として、いつまでも単なる客観にとどまるならば、そこには何らの生命的な宗教運動も活動も期待することはできない。比類のない客観的事実が信仰によって主観的、個人的に把握され、それが人格と生涯とを改変していくことこそ、福音の体験である。それは聖霊による恵みの体験の信仰的事実である。
◆ところで、チャールズ・ウェスレーがパウロやルターと同じ恵みの確かな経験の中に入るまで、さらに4日を要したのである。5月21日、ペンテコステの日であった。午前中、「・・あなたは偽ることのできないお方です。私はあなたの最も重要な約束に信頼します。あなたの時と方法によって実現してください」と祈りながら眠りについた。そのとき、真鍮細工人ブレイの妹は聖霊により、チャールズに語るように導かれた。「ナザレのイエスの名によって、起き上がって信じなさい。そうすればあなたの病はいやされます」と言うと、逃げるようにしてそこを立ち去った。その後、すぐにブレイがやってきて、「幸いなことよ、そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ、主が咎をお認めにならない人。心に欺きのないその人は。」と聖書を読んだ。チャールズはこれを聞くと、信ずることに対する激しい反発と抵抗を感じながらも、単純な信仰をもって救いを握ることができたのである。『日記』にはその内的な戦いと救いの確信とが次のように記されている。
◆「しかし依然として、なおも神の霊が私の不信仰の暗闇を追い払うまで、私自身と悪霊に戦った。私は自分が確信させられたのがわかった。どのようにしてかということはわからなかったが、瞬間的に、とりなしに陥落した」。そこで聖書を開くと、以下の聖句があった。「『主よ、今私は何を望みましょう。私の望みはあなたにあります』。さらに、『主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげる賛美の歌を私の口に授けられた・・』であった。その後、私はイザヤ書40章1節のみことばを聞いた。『あなたがたの神は言われる。慰めよ、わが民を慰めよ、ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ。その服役の期は終わり、その咎はすでに赦され、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた』。今や、私は自らの神に対して平和を得ていることを思い出し、キリストを愛することを思って喜んだ。」
◆このようにして、チャールズ・ウェスレーは福音的回心を体験し、ここに新しい歌の霊感を見出したのである。この体験はチャールズの讃美歌作家としての生涯に決定的な重要性を持っていたと言わなければならない。この体験によって彼の詩の賜物は最高度に発揮されることになるのである。
◆二日後の『日記』には、「私はキリストの保護のもとに目覚め、自己放棄して魂も体も主にささげた。・・九時に私は自分の回心に関する一つの讃美歌を作り始めた」と記されている。その讃美歌とは、主がチャールズ・ウェスレーの魂になされたことの最良の注解であり、縮図である。おそらくこの讃美歌は、5月24日にジョンが救われた夜、チャールズとジョンと数人の友人たちが声を合わせて歌ったものと思われる。

1.  
Where shall my wondering soul begin ?
How shall I all to heaven aspire ?
A slave redeemed from death and sin,
A brand plucked from eternal fire,
How shall I equal triumphs raise,
Or sing my great Deliverer’s praise ?

いかに歌うべしや 驚きに満てるわが魂は
いかにわがすべては御国を慕うべしや
死と罪より贖いだされし奴隷
永遠の火より取り出されし燃えさし
いかにわれ 勝ち歌をうたい
わが大いなる救い主をたたうべしや

2.  
O how shall I the goodness tell?
Father, which Thou to me hast showed?
That I, a child of wrath and hell,
I should be called a child of God
Should know, should feel my sins forgiven,
Blest with this ante past of heaven!

おお父よ、ながわれに示したまいし
我その慈しみをいかに告ぐるべしや
怒りと地獄の子たりしわれさえも
神の子と呼びたもうとは
わが罪、赦されたるを覚え
御国の幸を今、味わうとは

3.  
And shall I slight my Father’s love?
Or basely fear His gifts to own?
On mindful of His favors prove?
Shall I, the hallowed cross to shun,
Refuse His righteousness to impart,
By handing it within my heart?

さるをわが父の愛をみなし
愚かにも賜物を受くるを恐れ
み恵みを心に留めずしてあるべきか
聖なる十字架を避け
神の義を心に秘して
これを分かち与うるを拒みうるか

4.  
Outcasts of men, to you I call,
Harlots, and publicans, and thieves!
He spreads his arms to embrace you all!
Sinners alone His grace receives,
No need of Him the righteous have;
He came the lost to seek and save

世人に見放されし者 われ汝らに呼ばわん
娼婦、居酒屋、そして盗人よ
主は御手を広げて 汝らを受け入れたまう
罪人 主の恵みを受くるのみ
正しき者 主を必要とはせじ
主は失われし者を探し救わんとて来たり給わん

 (1738.5.23ペンテコステ)

(脚注10)
◆チャールズがロンドンに来たのは、単純に「魂の安らぎ」を見出した一人の男(J・ブレイ)と接触するためであったと思われる。
(脚注11)
◆下線の部分は、実際の『日記』ではイタリック体になっている。
(脚注12)
◆Henry Cater 前掲書。34~35頁。