教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論⑪ 18世紀の英国のメソジスト運動における新しい歌 <5>

2005-05-05 19:30:13 | 講義
3. チャールズ・ウェスレーの讃美歌の特質

(1) 特 徴

①個人の強調 ―讃美歌における主観性の問題―
◆チャールズ・ウェスレーの讃美歌の特質を考察するに当って、まずチャールズ・ウェスレーと彼以前に活躍した讃美歌作家の代表作の初行を見比べるところから始めたい。どちらもそれぞれ4つの讃美歌を取り上げてみよう。
〔チャールズ・ウェスレー以前の讃美歌〕
a.ウォッツ     Before Jehovah’s awful throne(現行『讃美歌』5)
b.アジソン     The spacious firmament on high(同74)
c.ブレンディ    While shepherds watched their flocks by might(同143)
d. サムエル・ウェスレー(チャールズの父)Behold the savior of mankind

〔チャールズ・ウェスレーの讃美歌〕
a.A Charge to keep I have(『聖歌』317)
b.Depth of Mercy! Can there be mercy still reserved for me(『讃美歌』246)
c.Arise, my soul, arise(『聖歌』177)
d.Jesus, Lover of my soul(『讃美歌』274) 

◆ここにあげた目的は、チャールズ・ウェスレーのものが他の者よりも良いことを示すためではなく、人称代名詞に注意するためである。チャールズ・ウェスレーの讃美歌をみるとき第一人称単数の使用はきわめて多く、しかも、そのことは彼の讃美歌において重要な事柄なのである。第二章で述べたように、福音の主観的個人的表現の先駆けをなしたのはアイザック・ウォッツであった。しかしその推進者となったのはチャールズ・ウェスレーである。
◆初期のメソジストたちは歌う人々であったゆえに、喜びに満ちているといわれてきた。なぜなら、彼らは福音を個人的な信仰により喜びに満ちて歌っていたからである。当時のカルヴィニズムの客観主義に対して、また、国教会の儀式化、固定化した宗教に対して、チャールズ・ウェスレーはメソジストの人々に福音を第一人称単数で歌うように始めさせた。このことがチャールズ・ウェスレーの讃美歌をして英国の歴史における大きな転換をもたらすことになったのである。(脚注22)
◆讃美歌学者R・G・MucCuthanは「すぐれた詩の特質は強烈な個人的経験によって得られることができるのであって、他のどんな源泉からでもない」と述べている。(脚注23) 言うまでもなく、チャールズ・ウェスレーの讃美歌における個人の強調は第一章でも考察したように、彼自身の神体験、福音体験ときわめて密接に関わっているのである。
◆ジャック・デラモッテ(Jack Delamotte)はチャールズ・ウェスレーについてこう語っている。「私たちがブレンドンで、特に最後を過した時、『わがために、わがために死なれたお方(Who for me, for me hath died)』と歌いながら、彼は自分の魂の中に沁み込むことばを見出した」と。(脚注24)
“Who for me, hath died”というフレーズは多少語句の順序が変化しながらも、チャールズ・ウェスレーの讃美歌の中にかなり多く用いられているフレーズである。 たとえば

I felt my Lord’s atoning blood
Close to my soul applied
Me, me. He lobed – the Son of God
For me, for me He died  (脚注25)

O Love divine, what hast Thou done !
Th’ incarnate God hath died for me !
The Father’s co-eternal Son
Bore all my sins upon the tree!
The Son of God for me hath died:
My Lord, my Love is crucified:  (脚注26)

◆キリストによる十字架の贖罪はチャールズ・ウェスレーの心の中にいつもあった。彼は「神が人を愛し給う」という福音の中核を主観的、個人的に表現しようとする。右にあげた例の一節を見ても分かるとおり、第一人称単数、I, my, meの数はおびただしい程である。一人称の世界にはある種の激しさがある。はつらつとした感覚の歓喜に近い響きがみられる。 

◆讃美歌における「主観性」ということは讃美歌研究上の大きな問題である。(脚注27) 

I felt my Lord’s atoning blood
Close to my soul applied

◆贖罪の出来事は決定的に客観的事実である。即ち、AD28~30年頃、エルサレムの町の外、ゴルゴダと呼ばれる丘の上で、イエスといわれた人の身に一度限り起こった歴史的事実である。繰り返し得ないこと、事実、繰り返す必要のない何事かが歴史の中に生起したのである。それは普遍的な意義を持つただ一回限りの歴史的事実である。しかしそれが私にとっての救いの意義を持つには、客観的出来事が「わがために(for me)」として主観的に個人的に受けとめられなければならない。罪の出来事が私個人にとって経験の事柄となることが神の目的である。(脚注28) チャールズ・ウェスレーはこの経験の事柄がただ聖霊の御業によってのみ、生かされ、適応されるものであるとしている。

Then with my heart I first believed,
Believed with faith Divine,
Power with the Holy Ghost received
To call the Savior mine. (脚注29)

◆聖霊は、人をして個人的な信仰の経験によってのみ受けることができる真理の領域へと導くのである。しかしこれだけでは前にあげたチャールズ・ウェスレーの讃美歌の一節の中にみられる5つも7つも、異常なほどの第一人称単数の多用の意図は説明されない。一人称で表わされる個人をチャールズは如何なる脈絡の中で用いているであろうか。
◆それはマルチン・ブーバーの言う「我と汝」という関わりの中で説明されるであろう。それは生ける神との人格的関係であり、その関係の成立根拠は神の愛(アガペー)である。そうした脈絡の中で用いられている第一人称の個人的な表現は、かつてチャールズが『神聖クラブ』ジョージア伝道時代の楽観的人間観にもとづくものでは最早なかった。それは罪人としての「われ」である。
◆「あまつましみづ」の改訂詩のように、三人称的世界への一般化はたとえ共有された信仰告白であろうとも、この罪人を忘れさせ、神との人格的関係をも薄れさす危険性がないとも限らないのである。(事実、「きみのめぐみは われにこそ」という原詩の二人称が避けられている。)しかし、「チャールズ・ウェスレーは決して罪人を忘れなかった。」(脚注30)
◆「自分の魂の中に沁みこむことばを見出した」といわれる、「わがために、わがために死なれたお方(Who for me, for me hath died)」というフレーズは第一章でも述べたように、ルターのガラテヤ書の註解によって出会ったのであった。ガラテヤ書の二章の終結の部分はチャールズ・ウェスレーにとって、福音的回心の体験をもたらした一つの契機であったばかりでなく、讃美歌創作の霊感の源泉となっていると思われる。少し、その箇所の意味する所に目を留めてみよう。
◆ガラテヤ書の終わりの部分(特に2章19節~21節)はパウロの福音体験を要約している所であり、ガラテヤ書におけるパウロの主張する論点を全体的に支える支点となっている。パウロは2章19節で「わたしは律法により律法に死にました」と書いているが、そもそもパウロにとって「律法」とは何を意味したであろうか。(脚注31) 「律法は」パウロにとっては価値あるすべてであり、彼の誇りであり、生きがいのすべてであった。またそれは同時に、イスラエル民族の伝統でもあり、彼の属していた共同体の価値観の総体と存在根拠そのものであった。パウロはその「律法」の中に生まれ「律法」を拠り所として生きてきたエリートであった。従って、パウロにとって「律法」は実にその血肉の一部であったというよりも、彼自身そのものであったと言えるのである。
◆それではなぜパウロの存在根拠であった「律法」に対して激しく「否」と言わなければならなかったのであろうか。それは彼がこの「律法」によって神の前に義とされようとする試みの中に、人間の最大の罪を見せられたからであった。「律法」それ自体は聖なるものであるが、「律法」を追求し、それによって生きることの中に、それが神に対して自己を主張する媒介となってしまっていたのである。「律法」をも自己正当化の道具としてしまう自らの内なる罪にパウロは目が開かれたといえよう。と同時に、罪人である自分のために、自分の罪責を担い、自分の行くべき死の現実を自分に代わって身に引き受けていて下さっているお方を十字架のキリストにおいて見出したのである。そのことによって初めてパウロは「律法」に死ぬことができ、「私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によって」贖われた新しい自分を受け取ることができたのである。パウロはこの体験を「御霊によって」(ガラテヤ書3章2節)と言っている。
◆この福音体験はルターにとっても、またチャールズ・ウェスレーにとっても然りであったといえよう。 ⇒第一章を参照。
◆罪の責めに苦しめられ、悩まされた者ほどイエス・キリストの十字架の血による贖いを御霊により、信仰によって、主観的に、個人的に把握される時、そこには一種の強烈な救いの体験がある。罪の自覚が増し加えられる時、それとは反比例して神の恵みもまたさらに増し加えられるのである。
◆チャールズ・ウェスレーにとって、その讃美歌における第一人称単数によって表わされる個人の強調は、罪人である私。その私のために死なれたイエス・キリストとの生ける人格関係の中で考えられなければならないのである。しかもその強調点は、人間の必要の大きさとキリスト・イエスにある神の恵みの十分さを指し示そうとしているのである。

What shall I say Thy grace to move ? 
Lord, I am sin, but Thou art love.
I give up every plea beside Lord
I am lost, but Thou hast died. (脚注32)


(脚注22)
◆Halford. E. Luccock and Paul Hutchinson ;The Story of Methodism,1926.110~111頁。
(脚注23)
◆R.G.. MucCuthan ; Singing Church. W.K. Anderson 編“Methodism”153頁。
(脚注24)
◆.G. MucCuthan ; 前掲書 152頁。
(脚注25)
◆“Hymns and Sacred poems”1739.‘O for a thousand tongues to sing’として知られる詩の原詩の第五節。「メソジスト讃美歌」(1935)162番(現行『讃美歌』62番、『聖歌』91番にはいずれも原詩の第七節~第十二節までが載せられている。
(脚注26)
◆Hymns and Sacred Poems, 1742.第一節。
(脚注27)
◆ここに「主観性」の問題を考えさせるにふさわしいひとつの例がある。それは、 戸田義雄、永藤武編著『日本人と讃美歌』(桜楓社、135~143頁参照)にある、永藤武の「讃美歌『天つ真清水』と月―永井ゑい子の伝統的抒情世界―」と題する論文である。彼はその論文の中で、永井ゑい子の「あまつましみづ」(1884年作)を別所梅之助が改変した時の諸問題について述べている。まず永井ゑい子の原作の第一節を掲げる。「あまつましみづ ながれきて よにもわれにも あふれけり ながくかわける わがためよのみずいかで たりぬべき」。次に別所梅之助が改変した第一節を掲げる。これは現行「讃美歌」の217番にある。「あまつましみず ながれきて あまねく世をぞ うるおせる ながくかわきし わがたましいも くみていのちに かえりけり」。原詩全文と改訂の双方を比較検討してみると「われ」、「わが」という言い方が原詩には5回も出てくる。全般として発想が一人称である点が原詩の特徴である。それに対して改訂詩では「わが」は1回しか出てこない(しかも付加的である)。永藤氏は「改訂にあたって、彼(別所のこと)には創作であれ、翻訳であれ、歌集には一切、個人を表立って出したくないとの確固たる編集方針があった。‥‥信仰の歌たる讃美歌の共有性を達成しようとしたのであると考えられる」と述べている。
(脚注28)
◆R・H・カルペッパー、中村和夫訳『贖罪論の理解』、189頁以降参照。
(脚注29)
◆Hymn and sacred poems, 1739.‛ O for a tongues to sing‚と知られる詩の原詩の第4節。
(脚注30)
◆R・G・MucCuthan; 前掲書 153頁。
(脚注31)
◆以下の論述は、渡辺英俊著『愛への解放』ガラテヤ書、現代聖書講解説教4(新教出版社、1980年、40~144頁参照。
(脚注32)
◆Hymns and Sacred Poems,1739「メソジスト讃美歌集」201番4節(原詩12節)。