教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論⑪ 18世紀の英国のメソジスト運動における新しい歌 <6>

2005-05-06 15:46:20 | 講義
3. チャールズ・ウェスレーの讃美歌の特質

(1) 特 徴

②感情の発露 ―歓喜の基調―
◆チャールズ・ウェスレーの讃美歌をとおして、全体的に「歓喜」を基調とした「驚き」、「怖れ」、「感謝」などの調子が鳴り響いている。特に、初期の作品はそうである。回心した二日後に作られた讃美歌をみよう。
Where shall my wounding soul begin?
How shall I all to Heaven aspire? (1739)

同じく、回心の年に作られたものである。

nd can it be that I should gain
An interest in the Savior’s blood?
Died He for me Who cause His pain?
For me Who Him to death pursued ?
Amazing love! How can it be
  That Thou, my Lord, shouldst die for me?
‘Tis mystery all! Th’ Immortal dies!
   Who can explore His strange design? (脚注33)
 
◆一般的に、例にあげた2つの讃美歌のように、疑問詞をもって始まっているものは多くはない。しかしここにみられるのは疑問の表現ではなく、驚き、怖れの表現である。前者の讃美歌はチャールズ・ウェスレーの魂のうちになされた奇蹟の驚きであり、後者のそれはキリストの死の秘義に対する驚きと怖れの表現である。疑問詞(how, where, what ?)や感嘆詞(!)によって表わされるこうした驚き、怖れはチャールズ・ウェスレーの讃美歌における特徴の1つである。
◆クリフ・バロウは「チャールズ・ウェスレーはアイザック・ウォッツの初期の作品のことを思っていたかも知れない」と述べている。(脚注34)

Alas and did my Savior blood ?
And did my Sovereign die?
Would He devote that sacred head
For such a worm as I ?
Was it for crimes that I have done
He groaned upon the tree ?
Amazing pity ! Grace unknown
And love beyond degree ! (脚注35)

◆チャールズ・ウェスレーにもアイザック・ウォッツにも同様にみられる「歓喜」を基調とした感情の爆発的発露は、当時の時代にはきわめてユニークで新しいことばであった。文学的見地から言うなら、これこそ「同時代の詩人より切り離し、また後に現われるロマン派詩人の先駆けとさせたものである。」(脚注36)
◆しかしながら、当時の「非国教徒集団はそのアルヴィニズムの知的影響から当然にも情意的、感性的な要素に反感の嫌悪さを示した」のであった。(脚注37) 他方、理神論も霊的確信や熱情を非難した。チャールズ・ウェスレーの讃美歌は当時の人々に強烈なショックを与えたのであり、その反発も大きかった。
◆チャールズ・ウェスレーにみられるロマン主義的要素はアルミニウス主義の見解が表明されているところに明瞭に見出される。兄ジョンと共に、彼は個々の魂の至高な価値と、神の視点からそのユニークな本質をそしてはかることのできない可能性を強調した。つまり、無謀な滅びの教えと、救いの制限された見解によるカルヴィニズムの狭い教理に反対して、ウェスレー兄弟は神がすべての人に関心をもたれ、すべての魂の中にある愛をたえず求められるというアルミニアンの教えを述べ伝えた。それは抒情的、情意的特質を伴って、メソジズムをいっそう生き生きとさせるのに役立ったのである。(脚注38)
◆ロマン的特徴は形容詞の用法にみることができる。その具体例をあげてみよう。
「計り知れない」(Immense, unfathomed)、「制限のない」(unconfined)、「不変の」(everlasting)、「あふれるばかりの」(infinity)「至高の」(sovereign, record)、「驚くべき」(wondering, amazing)、「不動の」(steadfast)、「喜びあふれる」(joyful)、「勝利にみちた」(victorious)、「輝かしき」(glorious)、「言い尽くすことのできない」(unspeakable)などを見ることができる。
◆園部治夫氏は上に掲げた形容詞だけでなく、「この上もなく多く、豊かに広く」、「益々高く掲げられ」、「祝宴にいい尽くせない喜びの灯をかかげて」、「喜びで有頂天になる程の勝利」、「目もくらむばかりの歓喜」等の語句にいたるまで、また数量を表わす語では「千」、「万」等がいたる所で見出され、そのほか「全ての」、「どれでも」、「全然」なども繰り返して使用されていると述べている。注39
◆以上のように、「大きさ」、「広さ」、「多量」という概念はチャールズ・ウェスレーの詩情をそそり、顕著な特異性を表わしているといえよう。一見、大げさともいえる表現がなされているにもかかわらず、その内容は他の詩人と比べて驚くほど単純である。園部氏は「詩人のウェスレーは作詞にあたり、明瞭、実在性、迫力―この三要素は特に魂を救うための讃美歌に不可欠なもの―を表明する用語をきわめて適切に使い分け、その言いたいことを最も簡明に、率直に実情に則して詩に託したので大衆の心を強く捕らえた」(脚注40)と述べていることは卓見といえよう。


(脚注33)
◆Hymns and Sacred Poems,1739「メソジスト讃美歌集」229番1、2節前半。現行『第二讃美歌』230番「わが主を十字架の」として翻訳されている。
(脚注34)
◆Cliff Barrows, Billy Graham and the Crusade Musicians; Crusader hymns and hymn stories.1967年。61頁。
(脚注35)
◆現行『讃美歌』138番、「ああ、主は誰がため」
(脚注36)
◆園部治夫著『チャールズ・ウェスレーの讃美歌』(「礼拝と音楽」1976年9月号、20頁)
(脚注37)
◆矢崎正徳著『18世紀宗教復興の研究』273~275頁参照。
(脚注38)
◆Frederick C.Gall; The Romantic Movement and Methodism,(A study of English Romanticism and The Evangelical Revival) Haskell House 1966.31頁。
(脚注39)
◆園部治夫著、前掲書。20頁。
(脚注40)
◆園部治夫著『チャールズ・ウェスレーの讃美歌』(「礼拝と音楽」1976年9月号、20頁)