Live reality in a spiritual way

瞑想や祈りについて

瞑想やアフォメーションなどを通じて、自分の希望や願望を強くイメージしたり願う人が増えてきたようですね。

目に見えない世界に興味や関心を持つことは生き方の幅を広げて、ストレス軽減にも繋がり、人生に変化が与えられると思います。

しかし、瞑想やアフォメーション、祈りを実践する際には気をつけなければならないことあります。

希望や願いが強くなればなるほど、それが攻撃的な憎しみを伴うネガティブなものに傾くこともあるということです。

例えば

【自然環境を守りたい】と願い祈る気持ちが、
だんだんと地球環境を壊す会社や個人への怒りや憎悪に変わり、
攻撃的な怒りの願いや祈りに変化してしまうといったことです。

人間が活動を停止すれば自然は美しくなる
自然環境を壊し続ける会社が営業を停止すれば自然が汚されない

気持ちはとてもよくわかりますが、こういった感情に満たされた繰り返しの祈りや願いは【呪い】に近い状態になることもあります。

そうなりますと、自分が知らないうちに悪魔的な契約を交わしてしまっていたり、願いや祈りの先が悪魔的な存在になっていたりすることもあります。
悪魔的な存在は必ず代償を求めます。
知らなかったでは済まされず必ず代償を払うことになります。
ですから、物質的にも精神的にも、要するに何事においても【楽に簡単に短時間で願いや希望を叶えてくれるものや方法】には注意しなければなりません。

悪魔的な存在は手段を選びませんので過激で残酷な方法で願いや祈りを確実に実現させます。

願いや祈りが叶いそれが現実となっても
「こんなことを願った、頼んだわけではなかったのに・・」
と後悔の念に駆られることになりますが時すでに遅しです。

アフォメーションもポジティブなことに限定されるわけではなく、ネガティブなことも具現化しますのでよく考えなければいけません。

例えば

【彼と付き合えますように】と祈り願っていたことが
だんだんと、彼が好意を寄せている女性さえいなければ、奥さんさえいなければといった憎悪や嫉妬のアフォメーションに変化してしまい、それが恐ろしい形で実現してしまうこともあるということです。

集団瞑想や一斉瞑想それら自体を否定する気持ちは全くありません。
瞑想に対してしっかりとした理解があるニュートラルな感情の参加者の祈りやエネルギーが集まることで素晴らしい結果を生むことは事実です。

しかし、瞑想やエネルギーワークなどを全く知らずにネガティブな感情や私利私欲を叶えるために瞑想や祈りに参加することは危険な行為であると私は確信しています。

人間誰しもが持つ【念】とはポジティブにもネガティブにも計り知れないエネルギーや力を持つことがあります。

自分には霊感などないから大丈夫と思っている人がいればそれは違います。
誰しもが持っています。

私としましては、瞑想や祈りとは願い事や希望を叶えるものと位置づけるのではなく、自分の心をニュートラルにしたり平穏に保つため、無の心を得て安定した動じない心を得るためなど、自分自身にまず活用することが大切であると思っています。

人間は自分に問題があればあるほど、他人や周囲など自分ではない別の問題に意識が集中し、それを解決しようと躍起になる傾向があります。

まず、瞑想や祈りを通じて自分の問題や自分を改善することに集中することこそが必要な人は多いのではないかとも感じます。



最後まで読んでくださりありがとうございました。
私で何かお力になれることがありましたらお気軽に。
こちらこちらでご依頼を受け付けております。

Have a nice day!!















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