昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

親日国トルコ11 日本人をトルコが救出6

2016-05-13 03:09:20 | 親日国
当時、東京銀行イラン駐在員としてテヘランにいた毛利悟さんは、こう回想する。
昼間チケットを求めてヨーロッパの航空会社の事務所を回り、チケットを入手しても自国民優先ということで座席の確保がなかなかできませんでした。そのうちに民間機撃墜の話があり、パニックのような状態になりました。
そこにトルコ航空機が救援に来るという知らせが大使館から入った。

当日のテヘランの飛行場は脱出しようとするイラン人、外国人が一杯でしたので、いっせいに何千人という人が飛行場に駆けつけ、トルコ航空のカウンターの前にも長蛇の列が出来ていました。急なことだったので、着の身着のままの人も多かったのです。

それまで、どこの航空会社も「自国民優先」ということで、日本人の搭乗を拒否していたので、トルコ航空のチェックイン・カウンターに並んだ人たちも、本当に搭乗できるのか疑心暗鬼であった。
最初に並んだ日本人が搭乗券を手にすると歓声があがった。懸念が安心に変わると、後に並ぶ日本人たちは逸る気持ちを抑えつつ順番が来るのを待った。

特に家族連れの日本人は実際に搭乗券を手にした時、「これで脱出できる」と妻子を護る夫として親としての責任を果たせたので、安堵の気持ちに包まれた。

救援機はDC10、当時のトルコ航空では最大の機種であった。緊急の救援要請にも関わらず、こんな大型機をやりくりしてくれたのである。
客室乗務員のキョプルルさんは、出発時の状況をこう語っている。

エンジニアが飛行機のドアを開けると、飛行機へ駆け込んでくる日本人を見ました。飛行機に駆け乗る乗客を見たのは初めてでした。
私たちもとても緊張していましたが、皆さんはもっと緊張しておられ、その時に早くお客さまを乗せ一刻も早く出発しなければならないということを強く意識しました。

乗客の方々は皆、恐怖を感じながらもテヘランを脱出できるという喜びに溢れていました。私たちもその感情を共有することができました。私たちは客室乗務員として、できる限りのサービスをしました。

飛行機がテヘランに到着してから、217名の乗客を乗せ、ドアを閉めるまで、わずか30分程度だった。

日本人乗客らは、緊急の救援機なので女性乗務員はいないだろうとか、食事やまして酒などなくとも仕方ないと思い込んでいた。
ところが、客室乗務員が全員女性、それも美しいトルコ女性がにこやかに普通の便と同じように出迎えてくれた事に驚いた。また食事も酒も出たのには、さらにびっくりした。

イスタンブルに着陸した時には、機内にお酒はまったく残っていなかったという。それだけ日本人乗客等は開放感に浸っていたのであろう。

飛行機へ駆け込んでくる日本人、これだけでどれほど恐怖に怯えていたのかが分かる。
イスタンブルに着陸した時には、機内にお酒はまったく残っていなかった・・・・・これだけで安堵の気持ちが分かる。
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