昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

トルコによって救出された日本人の手記4

2016-05-19 03:33:27 | 親日国
第5話 『WELCOME TO TURKEY』 

テヘラン・メヘラバード空港を飛び立ちホッとしました。
しかし、何時イラクが空爆をして来るか判らないのです。空軍が勝手に航空機撃墜をするかも知れないし、イラク・フセインの気が変わって攻撃して来ないとも限りません。何しろイラクにはアメリカもソ連も後ろ盾になっているのだから怖いものは無いのです。

機内はシーンと静まり返って話声もしない。何時撃墜されるか判らない、そんな恐怖で身体を強ばらせて身動きもしませんでした。どれ位の時間が経ったのだろう、私にはとてつもなく長く感じられました。
その時、機長の機内アナウンスが響き渡りました。
「WELCOME TO TURKEY」
次の瞬間、機内に「わあっ」という歓喜の叫びと、大きな拍手とが起こりました。
この時ほど生きている事の喜びを感じた事は有りませんでした。「ああ、これで助かった」これ迄凍りついていた血が身体中を駆けめぐりました。そして涙が止めどなく溢れて来ました。周りの人達も皆泣いています。一緒に脱出して来た仲間も皆おそらく泣いていたでしょう。
今、私達はトルコ航空機の中にいるそして、まぎれも無く生きているのです。 こうして、仲間は誰一人戦争の犠牲に成らずに無事日本に帰れるのです、良かった、本当に良かった。言葉では言い表せない安堵の気持ちがこみ上げて来てホッとしている自分がそこにいました。

イスタンブール・アタチュルク空港に到着し、ここでもまた、タラップをどうやって降りたのか、到着ロビーまでどうやっていたのか覚えていません。
到着ロビーの荷物受け取り場に降りる階段の上に立った時、ものすごい閃光が走り、その光の多さに驚き一瞬足がすくみました。その光の方を良く見ると、大勢の人がカメラで私達の方を撮っていたのでした。涙でかすむ 階段を一歩一歩降り乍ら、「ああ、私達はこの国の人達に助けられたんだ」「私達の無事を喜んでくれているんだ」有難う、本当に有難うと心の中で繰り返しながら荷物受け取り場に降りて行きました。

荷物を受け取り、ロビーに出ると日本の商社の皆さんや大勢の関係者の方が我々の乗るバスに案内してくれました。バスに乗っても今自分がどうなっているのか判らないでいるとホテルの玄関前に停まってくれました。ホテルに着いたので直ぐにチェックインし、部屋に荷物を置いたらレストランに集合するよう確認し、夫々の部屋に行きました。荷物の重さは全く感じませんでした。

第6話 『イラン戦友会の結成』 

イスタンブール・エタップホテル、そこは私達にとっては天国でした。つい半日前迄の地獄から救い出してもらい、今は天国にいるのです。
私は部屋に荷物を放り投げる様に置き、そそくさと皆のいるストランに向かいました。テーブルを囲むどの顔も喜びと安堵感で晴れ渡っていました。さあ乾杯「イラン戦友会」の結成です。

ここからは、誰も彼もが浴びる様に飲みました。
皆生きている事の喜びを噛締めながら。私も後にも先にもこんなに沢山のアルコールを飲んだ事は有りません。先ずはビールで乾杯、そしてトルコのワイン、その他手当たり次第でした。
朝気が付いたらベッドに寝ていました。どうやって部屋に帰って来たのか、どうやってベッドに寝たのか全く記憶が有ません。しかしここはまぎれも無く、トルコ・イスタンブール。

ゆったりと朝食を済ませイスタンブール観光に出かけます。見るもの聞くものみな平和で楽しい、この私達の命の恩人の国、でも良く知らない土地だけど思う存分羽根を伸ばそう。皆と一緒に近くを歩きまわりました。
気がついたら川の様な所の近くに来ていて橋が掛っています。何か大型トラックが渡ると壊れそうな橋です。
そんな橋を見ても唯もう嬉しいんです。今日はもう何の心配もしないで思いっきり喜びをかみしめよう。そして明日はパリ経由で日本へ帰れるのです。

暫くイスタンブールの街の中をぶらぶらしていて気が付いたのは、トルコの人達は皆私達に笑顔を向けてすれ違う。
トルコの人達はどうしてこんなにも私達に優しいのでしょうか。(この疑問を23年後の2008年10月17日に知る事となりました)
イラン人もまた優しい人が多かった。私達がテヘランに取り残された事を本当に心配してくれたし、一生懸命私達が被害に合わない様に気を使ってくれました。 でも、イラン政府は日本人をイラン国外への救出はしてくれませんでした。
トルコもイランも同じイスラム圏では有るが政府が全くと言って良いほど違う。トルコは政教分離なのに対して、イランはイスラム教政府なのでイスラム教の トップが最高指導者となっているのです。然もこの人が言う事は絶対で誰も異を唱える者はいないのです。私にとってのイランは友達も多いし思い出の多い国ですが、トルコは私の命の恩人です。

海(ボラポラス海峡?)が見えて来た、沢山の船が行き駆っている、何と平和なんだろう。ここ、イスタンブールは自然が多く木々は生い茂り、直ぐ近くには海が見られました。という事は、さっき川の様な所と思ったのは海峡なのだろうか。 ああ、私達はこの国に助けられたんだ、何と幸運なんだろう。この事は一生忘れてはいけない、そう深く心に刻み込みました。
このトルコに命を助けられ、「イラン戦友会」を結成する事になったのはこの上ない幸せな事に思いました。

「WELCOME TO TURKEY」の案内にあがる歓声、こぼれてくる涙。乗客の安心感が激しく伝わってきます。
ホテルでの食事、浴びるように呑んだ酒。森永さんのページにもありましたね「生牡蠣をぺろっと平らげていた」と。
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