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昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

親日国トルコ6 日本人をトルコが救出

2016-05-08 04:00:18 | 親日国
さて、第一回の動画でご覧いただいた様にこのエルトゥールル事故の百年後に日本はトルコから思いをかけぬ恩返しを受けた。
それがイランに取り残された日本人を自衛隊機は憲法9条の壁で、民間機は左翼系労組の反対で救出できないという絶体絶命の危機をトルコが救ってくれた一件である。
まず全体経緯をなぞってみよう。

 昭和60年(1985年)3月17日、イラン・イラク戦争で、イラクのフセイン大統領は48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると突然通告した。
世界中がパニックになり、どの国もイランに取り残された国民の救出に全力を注いだ。日本はこの頃、戦争をうけてテヘランへの直行便はなかったが、日本航空が救援機を飛ばすことになった。ところが、組合がこれに待ったをかけ、飛ばすことができなくなった。
 


テヘランでソ連のエアロフロート機は自国民を優先し、日本人の搭乗はすべて拒否。オーストリア航空2機とエールフランス機、フルトハンザ機で40余名の日本人が脱出したが、なお200人以上日本人が取り残されたのだった。この時に取り残された邦人の恐怖感、絶望感は私達日本国にいて平穏に過ごしていた者には多分理解できないと思います。

しかし、タイムリミット直前に、ついに救援機が。でもそれは、日本の航空機ではなく、トルコ航空だった。215名の日本人を乗せ、危機一髪のところでイランを脱出したのです。
 
でも、なぜトルコの航空機が日本人を救ってくれたのでしょう?
元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏が、次のように語っています。
「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で 学びました。トルコでは、子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それでテヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空が飛んだのです」

95年後のトルコの恩返しでした。
この2つの出来事は、100年近くも時を隔てていますが、人々の善意や感謝の心によって、しっかりと結びついているのです。
それでは、この一件で活躍した日本人、救われた日本人の記録を次回以降で辿ってゆきましょう。
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