昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

トルコによって救出された日本人の手記2

2016-05-17 02:31:40 | 親日国
第1話 『早春のテヘランに赴く』以下執筆 沼田隼一氏  

1985年、この年はイラン市場の技術指導を担当してから7年目、5回目の技術指導でした。
この時は、日産自動車のイランでのKD工場サイパ社の増産と品質向上が目的で、日産の工場から増産指導技術者2名と品質向上技術指導者2名と、私が総合技術指導兼コーディネーターで5名のチームで臨みました。期間は3ヶ月で2月22日、日本を発ちドイツ・フランクフルト経由でイランに入りました。

イラン・テヘランに着いたのは2月25日早朝で、皆張り切ってやろうという気持ちが高まっていました。
私は1983年11月からこのプロジェクトの地盤固めをして来ていましたので、いよいよ本番という気持ちで燃えていました。私の気持ちを他の4名も受け止めてくれてチームとしての意気は盛り上がっていました。

早速現状把握そして具体的な実行計画を策定し、3月に入り具体的な技術指導をスタートしました。
ところが、3月6日突然イラクがイランの地方都市アフワズを爆撃したのです。3月9日出社しましたら工場は大騒ぎになっていました。初めのうちは何を言っているのか判りませんでしたが、よくよく聞いてみましたら、3月6日にイラクがイランの都市を爆撃したのでイランはきっと報復するだろうと言う事でした。
そして、3月9日彼らが言っていた通りイランはイラクのバスラを爆撃したのです。

でもこの時は、あんな短期間であれ程までの報復合戦になるとは夢にも思いませんでした。イラン・イラク戦争は1980年から始まっていましたが、これ迄は国境での地上戦だったので、まさかたったの22日で逃げ帰ることになる等とは思いもしませんでした。

第2話 『ミサイル飛来 混乱のるつぼと化したテヘラン』  

1985年のイランはイスラム革命後の混乱も落ち着きを見せ始め、市場として大きな期待を持たれ始めていました。
そこで、世界各国の多くの企業がイランに調査団や新事業獲得の為に協力関係商社、会社・営業部門、市場サービス部門などを送り込んでいました。 勿論日本からも、我々の様な現地KD工場技術指導技術者などをはじめ、多くの日本人も行っていたので、テヘランには日本人だけでも500人以上いて、日本人学校も有りました。
そんな中、イラン・イラク戦争が報復都市爆撃に拡大したのですからパニックになったのは当然だったのです。

3月6日イランのアフワズの受爆を境に段々大都市への報復爆撃に発展し、3月10日にはイランの第2の都市イスファハン等に爆撃が有り、何時テヘランに来てもおかしくないところまでエスカレートしていました。
日本大使館からは不要不急の人は国外に出る様にという通告が出されましたので、ヨーロッパ便に席が取れた人は次々国外に脱出して行きました。 地方に疎開する人もいました。

我々の協力商社のN商社も我々の為にテヘランに乗りいれているヨーロッパなどの航空会社のオープンチケットを3通から4通準備し、空席を捜して駆けずり回っていました。
しかし、どこの航空会社も自国民優先で空席がなかなか出ません。 数人分の空席が出ても、当然子供や女性を優先に割り当てるので我々にはなかなか回って来ません。

そうこうしている内に、3月12日とうとうテヘランに空爆が有ったのです。
然も一発は日本人が最も多く居住している、日本人学校の直ぐそばに着弾したのです。N商社の社宅もこの地区に有りました。
この時の模様を工場から来ていた技術者の一人は「ベッドに寝ていたら、ものすごい音がして気が付いたら床にいたが、何だかよく判らずにきょろきょろ辺りを見ましたが何も有りませんでした。何が何だか訳が判らず暫くボーッとしていたら、周りが大騒ぎになって来て、 やっと爆撃を受けた事が判った。自分はベッドからはじき飛ばされていたんです」と言っています。

ですからこの時は恐怖心も湧いて来なかったみたいですが、 時間が経つにつれて恐怖心がどんどん大きくなっていったのだと思います。 人間、想像を絶する事が起こった時は恐怖心も、悲しみも、喜びも直ぐには出て来ないと言う事だと思うんです。

今も世界各地で紛争があるのだが、そこには必ず日本人がいる。
永住している人もいるだろうし、多くはビジネスかもしれない。
例えばそこが”いつ自爆テロがおきるか分からない国”や”空襲がある国”である可能性も勿論ある。
戦後に生まれ育った私には正直そうした世界は実感が湧かない。しかし、この沼田さんの語る状況は当にそれだ。
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