17音の記録 やぶにらみ

気が向いた時の記録

 俳句・無季の句 川柳と 関連記事

震災忌

2018-03-11 07:27:11 | 日記
震災忌

廃校は村の避難所震災忌    名高栄美子
教え子のその後は如何に震災忌    拙

名高句のでの季語は関東大震災かもしれない。拙句は東日本大震災七年後のことを詠んだ。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございました。 (阿部)
2018-03-11 13:46:18
願船さん
うれしいコメントを有難うございました。
早いもので東日本大震災の日から
七年になります。海岸部ではないので津波の被害はありませんでしたが、句友の皆さんより励ましのメールやお電話を戴いたことを思い出しています。

今回は沢山の秀句のご提供をいただきましたので、当時を思い出しながら鑑賞いたします。
返信する
震災忌 (願船)
2018-03-11 12:27:20
  廃校は村の避難所震災忌  名高栄美子

 廃校になるぐらいだから過疎の村であろう。廃校になった小学校が災害時の避難所になっているのだ。避難訓練などでそこへ避難することもあろうが、年配者は皆そこで学んだ人ばかりで、懐かしい昔話に花が咲くこともあるに違いない。震災忌という季語を用いているから、「廃校は村の避難所」の表現から震災忌の日に村人が避難練習でそこに集まっているのではないかと思う。

   教え子のその後は如何に震災忌

 阿部句では「東日本大震災七年後のこと」と述べているように3月11日のことを詠った。昔教えた生徒たちが成人して県内大平洋岸の町々に住んでいたのであろう。津波で亡くなった者も多くいるのであろうが、家や職場が奪われた者は作者が知っていた場所からそれぞれの移転先ね移っている者も多いのではなかろうか。「その後は如何に」というのは、七年が過ぎた現在、災害にあった教え子たちはどのようにしているのであろうかと思いめぐらせているのである。阿部さんの体験から生まれた一句と拝します。
 個人的な話になりますが、今日の早朝NHK深夜放送で東北特集を聞いていて次の俳句が生まれましたので、この欄を借りて書かせてください。
 いかなごの背に三陸の海の色
 北へ向き許し乞うのみ震災忌
 春暁や北上夜曲ラジオから
 西国の良すぎる天気震災忌
 這うてでも奥の細道草おぼろ
 わが老いし胸もて歌え青葉城  願船

  
返信する

コメントを投稿