独白

全くの独白

慌しい朝に、日本を振り回すミサイル等

2017-09-15 21:32:18 | 日記
今日も北朝鮮はミサイルを撃ち、安倍さんは憮然として官邸の玄関を入った。
TVに映るその姿は、今ではもう見飽きたものに成ってしまった。
先日などはあの菅さんが、これも首相官邸の車寄せ辺りであったと思うが、走って玄関に飛び込んで行った。
北朝鮮に振り回されての空騒ぎであり、気の毒千万である。胸中を察するに、無力感に打ち拉がれても居る事であろう。
而も彼らはエリート、打たれ弱いに違いない。
慣れていない挫折に負けて、引き籠りなどに陥ってしまわないように、彼ら自身と吾人国民の為に祈る事位しか私には出来ない。
「学校に爆弾を仕掛けた」等という脅迫と同じで、何も起こるまいとは思っても、万一何か在ったらと思えば、一応の対処はしなければならない訳である。
吾人も付き合いを余儀なくされ、Jアラートとやらに振り回されて、多忙な朝からあたふたさせられている訳である。
併しこの空騒ぎには、自繩自縛の面もある。
一見北朝鮮一国に振り回されている様でも、実は背後に核兵器を持っていたり、持って居なくとも他国のそれに依存していたりする凡ての国がある。
その一員である吾人にとっては挑発に見えても、又遣り方は非常識此の上なくとも、北朝鮮にとっては彼等自身の言うように、只自国の防衛力を淡々と整備する途上の一行程に過ぎないのかも知れない。
北朝鮮も一時は、どこの国も核兵器を持たないならば自国も持たないと言っていた事が在る様に覚えているし、同じく後発の、インド、パキスタンなどもそのような事を言って、非保有への説得を拒んだらしい。
矢張りこの騒動に終止符を打つには、誰も核兵器を持たず、誰もそれに頼らない、頼る事が出来ない状況を、出来させるしか無いのである。
ある評論家が、「どこも持っていない時には、只一発でも持てば世界最強になれる」と言っていた。
又「核兵器は、使う為ではなく、どこにもそれを使わせない為にある」と言う評論家も居た。
確かにこれらは、核兵器の魔力と魅力を、端的に言い表わしている。
併し現実には、他国が百持っている時に、百一発を持てばその時点では世界最強なのであればこそ、冷戦時代の東側と西側は、競って数を増やして来たのである。
又間違いや見込み違いは良くある事で、持って居れば使われる蓋然性は決して零では在り得ない。
核兵器の悪魔的脅威に打ち克つ為には、矢張り神的共感に基づく廃絶を、何が何でも実現するしか無い。
これだけ増えてしまった今となっては「逆戻りなど出来ない」と言うのは、その困難さを見通した上での怠慢をそう表現したくない下意識の持ち主の、半ば故意に因る言い間違いに過ぎない。
核兵器の解体や廃棄など、原発の廃炉に比べれば、遥かに容易であるように、素人目には見える。
遣り方も、互いに一部ずつ減らしていって、最後に一斉に廃棄すれば良かろう。
人力で少しずつ増やしてきた物を、少しずつ減らして行けない訳は無い。
今では宇宙からでも何でも、互いに監視できるのであり、銃や戦車等ほど容易く隠す事も出来まい。
何より「出来ない」の一言で片付けられるべき問題ではない筈である。
こんな事を繰り返させている内には、事故でであれ故意に因ってであれ、本当に落ちて来る日が来るに違いない。
因に私等も、核の傘に隠れたがる様な所も、そういう状態に甘んじて解脱の努力を怠りたがる様な所もある。
定年退職した時に、車を手放そうと考えてみた。理由の一つに、運転さえしなければ、車で人に害を及ぼす事は決して無いと言うのがあった。併し幾ら何でも地方では非現実的であるとの、家族の反対があったのを良い事に踏み止まって、偶にではあるが今も乗っている。
便利さと言う車の魅力に負けて、危険から目を逸らしているのである。
併し愈々衰えて、危険が現実的に成って来たら、改めて考えなければならないのは当然である。
核兵器と世界とに就いては、今がその時と言って良かろう。


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