何であったか忘れたが、ある職に就いている時に、この仕事は卑しいと思った事がある。
其の時私は、他の幾つかの職業を、少なくとも自身の職業より尊いと思っていた訳である。
詰まり私の考えでは職業に貴賤はある。
又あまりに圧倒的で否定しようにも仕様が無く、尊敬させられてしまうような人が、世の中には居る。
詰まり少なくとも何らかの点で、自身はその人より卑小であると、その時私は自認している。
即ち私の考えでは人間にも貴賤がある。
すると私の考えでは、
「職業に貴賤は無く、其れに就いている人間に貴賤があるのである」とも
「人間に貴賤は無く、其の人の就いている職業に貴賤があるのである」とも又、
「職業に貴賤は在っても、其れに就いている人間に貴賤は無い」とも
「人間に貴賤は在っても、其の人の就いている職業に貴賤は無い」とも
言えないという事に成る。
併し当然、他の人にはその人なりの考え方がある。
更にそもそも、私の解釈も他の人の解釈も、如何様の見地に立つかに依って、変わる。
詰まり職業でも人間でも、其れに就いての貴賤などと言うものは極めて相対的な概念であるに過ぎず、
天上から見ている何者かが在るとすれば、そのものにとっては嘸無意味な事であろう。
吾人が女王蟻を見て、他の蟻より大きいとは見て取っても、尊いとは思わないようなものである。
すると即ち「職業に貴賤は無い」と言った人も「天は人の上に人を造らず云々」と言った人も、
天上的な見地に立つ事が出来ていたのであるという事に成ろうか。(続く)
其の時私は、他の幾つかの職業を、少なくとも自身の職業より尊いと思っていた訳である。
詰まり私の考えでは職業に貴賤はある。
又あまりに圧倒的で否定しようにも仕様が無く、尊敬させられてしまうような人が、世の中には居る。
詰まり少なくとも何らかの点で、自身はその人より卑小であると、その時私は自認している。
即ち私の考えでは人間にも貴賤がある。
すると私の考えでは、
「職業に貴賤は無く、其れに就いている人間に貴賤があるのである」とも
「人間に貴賤は無く、其の人の就いている職業に貴賤があるのである」とも又、
「職業に貴賤は在っても、其れに就いている人間に貴賤は無い」とも
「人間に貴賤は在っても、其の人の就いている職業に貴賤は無い」とも
言えないという事に成る。
併し当然、他の人にはその人なりの考え方がある。
更にそもそも、私の解釈も他の人の解釈も、如何様の見地に立つかに依って、変わる。
詰まり職業でも人間でも、其れに就いての貴賤などと言うものは極めて相対的な概念であるに過ぎず、
天上から見ている何者かが在るとすれば、そのものにとっては嘸無意味な事であろう。
吾人が女王蟻を見て、他の蟻より大きいとは見て取っても、尊いとは思わないようなものである。
すると即ち「職業に貴賤は無い」と言った人も「天は人の上に人を造らず云々」と言った人も、
天上的な見地に立つ事が出来ていたのであるという事に成ろうか。(続く)
「貴賤」というよりは「格」という意味で。
「人格」ですね。
一人の人の中にも優れているところと、劣っているところがあります。なので、「人格」と聞いてほとんどの方が縦方向「優→劣」の一直線の語義は感じないと思います。
でもやっぱり「格」なので、上下はある。・・・と思います。
天上界から見ると一目瞭然なのかもしれないけれど、その中でどっぷりつかって生きている私たちは、死んでから閻魔大王のお裁きを受けるまで、きっちりした序列はわかりませんね。
何せあのマザー・テレサにさえ、悪い噂があるんですからね。
それでなくても、回教徒から見れば彼女は、敬虔なクリスチャンと言うだけで悪党、その上聖者なんですから極悪人でしょう。
人物の評価だけではなく、何につけても真実は斯くも摑み難い上に、
人間に生まれ付いてしまった私達は否応無しにそれを目指すように出来上がっているようです。
真実は遥か彼方にあって見えてさえ居ない孤島、私達は大海にあり波に揉まれて
表を見せたかと思えば裏返り乍ら、何の因果か闇雲にそこを目指す一枚の木の葉のようです。
脳裡には常に雑念が犇めき、無理矢理にでも解決しなければなりません。
人間なんてつまらないものですね。では又(^o^)丿。