独白

全くの独白

正義の戦争と爽やかな強奪

2017-04-23 15:44:16 | 日記
三億八千万円強奪犯が、被害者の顔に噴射したのは、芥子の熊よけスプレーかも知れない。
周到な準備をしたらしいから、事前に名古屋で二人の女性に使ってみて、効果を確かめたのかも知れない。
黄色の液で、掛かった顔が熱く成ったというので思い浮かんだのである。
名古屋事件の後、類似の犯行が無いのも、そう解釈すれば得心が行く。
単なる興味本位での犯行なら、続けて遣りそうなものである。
私は熊よけスプレーを持っており、誤って噴射してしまったことが在るので、色や匂いが解る。
彼等はそういう経験が無いので、スプレー缶を壊して内容物に触れては見たものの今一つ効果を実感し得なかったので、他人の顔を借用したのかも知れない。
何せ相手は、熊を撃退しようというもの、なかなか犬猫や鳩、況して自身の顔を使う気には成れないものである。私が噴射したのも飽く迄誤ってであり、顔に掛かってもいない。
強奪犯も手口は荒っぽいが、銃や刃物を使っては居ない処にそこはかとない優しさが仄めいている処から、小動物に使ってみる事が憚られたのであろうと推察されるのである。
併し本番で使う相手は人間であり、予行の対象も人間である事は、必須として要請された訳である、已んぬる哉。
斯様な大強盗事件が多くの人の興味を惹くのは、多くの人に一攫千金への憧れがあるからであろう。
その上私のように不謹慎な一部の者には、それを然したる人的被害を出さずに実行した事に、小気味良さを感じてしまう処さえある。それで斯様に不要な穿鑿をあれこれしている訳である。
併し対象は飽く迄犯罪である。小気味良く思ってしまう点を反省してみた結果、以下のような結論を得た。
戦争して勝てば快かろうが、それは破壊や殺戮を不快に思わない者であり、私を含めて多くの者は心底からの快感を抱き得まい。
理不尽な破壊や殺戮が悪であるなら、正義の名の下の戦争は、悪を伴った正義という矛盾したものである。
一方強奪は、悪事という名の不正義であって謂わば純粋である。人間は一攫千金へのそれ同様に、純粋さへの憧れをも持っている。
従って正義の旗の下の戦争に於ける勝利への快哉が在るなら、殆ど無傷での強奪に感じる小気味良さもあって強ち不自然ではない。
数値化してみる。正義の戦争は+1-1=0、強奪という不正は-1-1=-2が基本にある。そして「戦」は0-1(矛盾という不純)=-1、「強」は-2+1(純粋性)=-1、更に「戦」は-1-1(好戦性)=-2、「強」も-1-1(一攫千金への浅ましい執着)=-2という事に成り、両者は同値である。
即ち比較的に穏やかな強奪を小気味良く思うのが芳しからぬ事であるならば、正義の傘の下の戦争での勝者への讃辞も同様に非難せらるべき事と言わざるを得ない。