独白

全くの独白

矛盾を抱えた答弁書

2017-04-06 15:52:10 | 日記
地方紙の4/4付けの夕刊の記事に面白いものを見付けた。
「政府は四日の閣議で『森学』への土地払い下げ問題を巡り、前理事長の問い合わせを受けて財務省に照会した首相夫人付きの政府職員の行為は、公務に当たらないとする答弁書を決定した。『公務員として丁寧に対応したものだが、職務として行なったものでは無い』とした」と言うものである。
面白過ぎる答弁書である。「公務員として対応する」と「(公務員が)職務として行なう」と言う同じ事を、矛盾と強弁しているようで、言葉遊びをして居るとしか思われない。
憲法九条と、武力を保持してそれを使った訓練もして居る自衛隊の保持との関係を連想させる、前半後半両者の関係である。
確かに例えば、丁寧で熱意ある公務員なら休日でも勤務時間外でも公務に関する行動や考察をする事があろう。そういう時に「照会」もするかも知れない。
併し財務省であれ村役場であれ苟も役所たるものが、職務を離れた一個人としての某からの問い掛けに、国有地の払い下げの事に就いて親切に答えてくれようとは思われない。
そこで職分を明らかにすればその時点で、その行為は公務である事になろう。
例えば非番の警官が偶然の成り行きで、現行犯逮捕をする事に成ったとする。手帳を見せる等して職業を明かした方が何かと好都合であろう。するとその時からその人は、一民間人ではなく警官と見做される事に成ろう。換言すればその行為は其の時から、(警官と言う)公務員の公務と言う事に成ろう。
ところで人間は誰でも幾つもの顔を持っているが、ここで問題にしているのは公務員の、公務員としての顔と、そうでない者としての顔の二つだけである。
公務員も又民間人の一人という、公務員で無い人でもある。詰まり公務員を、公務員でも公務員で無い者でもある人と称する事は出来よう。併し公務員でも、公務員で無い者でも無い人とは称し得まい。それでは幽霊に成ってしまう。
即ち民間人としてした照会で無いならば、公務員が(職務として行なった)紹介であるに決まっている。
因に駄洒落やもっと複雑な言葉遊びを好むのは万国共通、詰まり人間の本質的性向の様ではあるが、この答弁書と、自衛隊と言う存在を有した上での憲法九条の出来は、誰が見ても上出来とは言えまい。
説得力に欠け居り、見聞きする者を唸らせたり笑わせたりする力が無い。
ま、嘲笑う者は居るかも知れない。