B17 紫式部日記 一条天皇不予(喜ばないこと=病気 予は喜び)
1011年やにわに都は慌ただしい空気に包まれました。一条天皇が御不予となり、譲位が決ま...
SDメモリの「アクセス拒否」などの不具合解消法の例
スマホやドラレコで良く使う「SDメモリ」ですが、時々「アクセス拒否」などのアラームが出て使用不可状態になることがあります。普通のUSBメモリではなかなか経験できない不具合現象で...
B18 紫式部日記 終章 到達―憂しと見つつも永らふるかな
賢后のもとで 紫式部の日常は続きました。中宮彰子のもとで宮仕えを続け、淡々と仕事をこなしました。 日常が続いたのは中宮彰子も同じです。伴侶を亡くしても、人生は終わらない。それ...
B19 紫式部日記 エピソード編 藤原道長の女房からかい
『源氏の物語』には光源氏の数々の恋の逸話が盛り込まれています。帝(桐壺)の愛妃藤壺(義母)...
C1 和泉式部の恋と歌 紫式部の厳しい評価を挽回
―参考図書のまえがき抜粋ー ハードルの高い本です 和泉式部の恋の歌の魅力は、心から心に伝えようとする言葉の力であろう。恋の歌もしだいに歌合の場で競われる題詠の歌が多くなり、...
C2 紫式部の恋・『源氏物語』の恋
紫式部と夫宣孝 『源氏物語』で、あれほど多彩な恋の場を演出し、恋の歌を創作した紫式部は、その現実の中ではどんな恋の歌を作っていたのであろう。『私家集大成』には二種類の『紫式部...
D1 彰子と息子たち、紫式部、人々のその後
(参考図書が変わったので、今までの内容と一部重複することをご容赦ください) 一条天皇の死から二年後の1013...
D2 彰子と息子たち、清少納言と人々のその後
清少納言は都にいた。 清少納言が月の輪にかへり住む頃― ありつつも雲間にすめる月のはを いくよながめて行き帰るなん ― 清少納言が月の輪の山荘に帰って夫と住みだした頃 ...
D3 彰子と息子たち、彰子は女院「上東門院」に
彰子のその後 彰子はどうしていただろう。彼女は平安時代には珍しい、実に八十七歳という長寿を生ききった。一条が死んだときはまだ二十四歳。名実ともに、その人生の本番は一条が死んで...
D4 彰子と息子たち、国の権威としての信条と生き方 最終回
一条が死んで五年後の1016年、彰子の息子敦成(あつひら)が即位した。後一条天皇である。秋の新嘗祭は一代一度の大嘗会...
- 色好みの代表 平中-平貞文(10)
- 元良親王の色好み(10)
- 殿上の優女 小野小町と伊勢(16)
- 清少納言の恋の歌(6)
- 和泉式部の恋と歌(11)
- 源氏物語の雑学(4)
- 色好みの女君たち(8)
- 源氏物語のトピック集(14)
- 本の書評など(10)
- 源氏物語の時代 一条天皇と後宮(4)
- 脳科学(6)
- 場面のある恋の歌(10)
- 伝統国家イギリス(21)
- 紫式部日記(19)
- 平安人の心で読む源氏物語簡略版(61)
- 紫式部(11)
- 紫式部ひとり語り(27)
- 紫式部日記を読む心構え(29)
- 枕草子(1)
- 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか(33)
- 3なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか(5)
- 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか(57)
- 周辺機器お試し情報(11)
- 簡略版「今ひとたびの」(9)
- 日記(39)
- 三浦按針 ウィリアム・アダムス(6)
- 不正アクセス被害とPC復旧(8)
- 投稿ミス(9)