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B18 紫式部日記 終章 到達―憂しと見つつも永らふるかな

 賢后のもとで
  紫式部の日常は続きました。中宮彰子のもとで宮仕えを続け、淡々と仕事をこなしました。
  日常が続いたのは中宮彰子も同じです。伴侶を亡くしても、人生は終わらない。それは紫式部がいちばんよく知っていることでした。一条院が崩御されてから葬儀までの間は、御座所の調度などは今までのままに保たれましたが、葬送の後は、そこが御供養のための場となりました。仏像が置かれ、僧たちが勤行する姿を最初は珍しく感じましたが、やがて目が慣れてしまうというのも、悲しいことです。でも十月には中宮彰子は一条院から琵琶殿に移られました。

  すでに御世は遷り、一条院の主は新帝にとって代わられて、中宮彰子が住み続けることはできません。限りのあることとはいえ、御心の内はいかばかりだったでしょうか。紫式部は中宮彰子の気持ちに成り代わって詠みました。

― ありし世は 夢に見なして 涙さへ とまらぬ宿ぞ 悲しかりける ―
[現代語訳
 院ご在世の頃の御世は、今となれば儚い夢だったのですね。そう思うことにして、今日はこの御所を後にしなければなりません。もうここにとどまることはできません。そう思えば、涙までがとどまることなく流れます。悲しいこと。]

  やがてその二月には、新帝の女御で中宮彰子の妹君である姸子(けんし)が立后して中宮となられ、慣れ親しんだ「中宮」という称号も「皇太后」と変わりました。
  故一条院の一周忌を前に、皇太后彰子は故院のために、五日間にわたって法華八講の法会を営まれました。道長はもちろん数多くの公卿たちが参会しました。中に、藤原実資(さねすけ)の姿もあり、政界の御意見番と呼ぶにふさわしい、気骨のあるうるさ型で、道長とも一線を画した方です。その実資が、忙しい中律儀に足を運んでくれたことを、皇太后彰子はしっかりご覧になっていました。「以前からあちこちにへつらいもせず、しかしこうした折に日々参会下さるとは、本当に喜ばしいことです」。皇太后彰子はふとそんな一言を口にされました。
  こんなお褒めの言葉を、意図もなく口にされる皇太后彰子ではありません。紫式部たち女房がこれを御簾の外の貴族に口伝えしたことはいうまでもありません。人から人へと伝えられて、お言葉は実資の耳に達しました。後日、自らやってきた実資は、御簾近く皇太后彰子の言葉を賜り、紫式部たち女房の目も憚らず涙を流しました。故院の御世を懐かしむ思いが抑えられなかったのだといいます。皇太后彰子はこうして、人心に故院の時代を髣髴とさせる象徴のような存在になってゆきます。

  翌1013年には、道長が皇太后彰子の御殿を借りて開催を予定していた宴会を、皇太后彰子はその当日になってとりやめにしました。理由をきく貴族に皇太后彰子の言葉を伝えたのはやはり紫式部たち皇太后彰子付き女房です。「この頃、妹の中宮が頻りに宴会を開いています。諸卿はその都度参らねばならず、困っているのではないでしょうか」。確かに新中宮の姸子は派手好きで、連日のように饗宴を開いています。その度に持参しなくてはならない捧げ物や持ち寄りの料理の出費のため、公卿たちには不満がたまっていると皇太后彰子はおっしゃる。「皆の望まぬ宴を開いたところで、無益です」。実資はこの言葉を伝え聞き、皇太后彰子を「賢后と申すべし。感有り感有り」と称えられたといいます。
  宴会の突然の中止で、道長は顔に泥を塗られました。いっぽう皇太后彰子は、権力者である父に楯突いてでも理を通す、貴族たちの味方と見られるようになっていきます。
  実資は皇太后彰子のもとに度々挨拶に来るようになりました。すっかり皇太后彰子の味方です。紫式部は実資の取り次ぎ係となり、応対の仕事をなし続けました。

  時が過ぎて、紫式部は里に下がりました。ですが皇太后彰子を思う気持ちが変わったわけではありません。
  紫式部は人生を振り返ります。出会いと別れの人生。愁いばかりの人生でした。だが長く生きてみてやっと分かりました。それが「世」というものであり、「身」というものなのです。これが紫式部の人生だったし、これからもそうなのです。

― いづくとも 身をやる方の 知られねば 憂しと見つつも 永らふるかな ―
[現代語訳
 いったいどこに、憂さの晴れる世界があるというのでしょう。そんな世界などありはしません。いったいどこに、この身を遣ればいいのでしょう。そんな所も知りません。この世は憂い。そう思いながら、私は随分長く生きてきましたし、これからも生きてゆきます。心配してくれてありがとう。大丈夫、ちゃんと生きているから。]

  そう、この身が消えるまで、それでも紫式部は生き続けます。

参考 山本淳子著 紫式部ひとり語り
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