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(三分割の三) 恋は身勝手のいろいろ (場面のある恋の歌)

2024-03-04 11:45:43 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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(三分割の三) 恋は身勝手のいろいろ (場面のある恋の歌)

    男のまで(訪で)来て、すき事をのみしければ、人やいかが見る
    らんとて

   くることは常ならずとも玉葛(たまかづら)たのみは絶えじと思ふ心あり
   「後撰集」恋六 よみ人しらず(女)

    返し

   玉鬘(たまかづら)たのめくる日の数はあれどたえだえにてはかひなかりけり
   男

  詞書をみると、男が「まで(訪で)来て」何か色っぽく言い寄る。それがしょっちゅうとなると、同僚がどうみるか、きっと自分を好きものの女と思われるにちがいない、心配だと思っている。
  男がたやすく訪問できて、同僚の女たちがいるのだから、どこかの邸に女房として出仕している女かもしれない、馴れ馴れしく色好みっぽく、言い寄って甘い言葉をささやくのであろう。そういう無遠慮な男の接し方を女の方は好いてはいない。

  しかし、累々と邸を訪れるということは、この邸の関係者かもしれない。とすれば、女も適切な対応をしておかなければならないだろう。そこでこの歌「あなたが御訪問くださるのは、そんなに頻繁でなくても、草の蔓(つる)を繰るように、長く変わらぬお心が絶えませんようにと思っておりますわ」と言ってやった。

  女の真意は「常ならずとも(頻繁でなくとも)」にあるのだが、男は女の歌を色よい返事とみていっそう熱くなってしまい、私の情熱のほどをお見せしましょうとばかりの返歌を送ってきた。「あなたとの絆を頼みとして蔓草を手繰(たぐ)るようにやってくるのですが、絶え絶えはいけませんね。毎日、できるかぎりあなたに手繰り寄るようにまいりますよ」という。困ったものである。やはり恋は状況判断ができなくなるものか。こんな時、女はどうしたらいいのだろう。

  もう一つ凄まじい場面を紹介しよう。ある男、愛人がどうも他の男と深い仲になっているらしいのを恨んで、「あなたは今、新しい恋人がいるんでしょう。それでは私はもう行けそうもないね」と言ってやると、ちょうど女のもとに来ていた新しい男が、女に代わって詠んでよこした歌だ。

   思はむとたのめし事もあるものをなき名を立てでただに忘れね
   「後撰集」恋二 よみ人しらず

   (愛は変わらないと私を頼みに思わせた時もありましたね。けれど今はもうおしまいです。私のことを浮気な女などといわず、今はただ忘れてください)

  女を占有した男が、女に代わって前の男にあいそづかしの歌を詠む。恋とはまことに凄い世界である。

  現代短歌の中の「恋」と比べてみると、昔の方がずっと激しい情と涙に彩られた現場に富んでいて、そこに歌があるということがまさに劇的である。しかも、その一首の歌、あるいは歌の贈答によって、その人生の途次の劇的な場に一つのとじめがつく。歌の力とはそういうものだったのである。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」

(三分割の二) 恋は身勝手のいろいろ (場面のある恋の歌)

2024-03-03 11:11:18 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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(三分割の二) 恋は身勝手のいろいろ (場面のある恋の歌)

  次は男の方の身勝手。

    雨にもさはらずまで来て、そら物語などしける男の、門
    よりわたるとて「雨のいたく降ればなん、まかり過ぎぬ
    る」と言ひたれば

   濡れつつもくると見えしは夏引の手引きにたえぬ糸にやありけん
   「後撰集」恋五 よみ人しらず

   (あなたは昔、雨が降る日も濡れるのもいとわずおいでになったが、いまは何というのでしょう。夏引きの糸を引く手にも耐えぬ脆い関係の糸だったのですね)

  抒情のやさしい歌で、恨むというより、新鮮味がなくなったわが身をいているようだ。詞書によれば、交際のはじめには、雨が降るのもいとわず通いつめて、愛情の深さを印象づけるさまざまな言葉を残していった男、それも今にして思えば、「空物語」(でまかせな適当な愛の言葉)だったと思い当たる。

  今はもう平凡な交際になってしまったとはいえ、男が雨の降る日に、事もあろうに女の家の前を平然と通ってゆく。さすがに下人に言い含めて、「寄って行きたいのですが、この大雨では困難です。今はこのまま寄らずに行きます」などと言わせる。女はその下人を呼び止めてこの歌を詠み送ったのである。男はさて、反省しただろうか。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」

(三分割の一) 恋は身勝手のいろいろ (場面のある恋の歌)

2024-03-01 10:42:09 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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(三分割の一) 恋は身勝手のいろいろ (場面のある恋の歌)

  愛の仲だちはやはり言葉なのである。ちょうどの折を捉えてちょうどの言葉を贈るわざはやはり人生経験が豊かで人間関係が深い人でないとなかなか成功しない。次のような場合もある。

    朝顔の朝臣、年頃消息通はしける女のもとより、「用な
し、今は思ひ忘れぬ」とばかり申して、久しうなりにけ
れば、異女(ことおんな. 妻以外の情人である女)に言ひつきて(言い寄って親しい間柄になり)、消息もせずになりにければ

   忘れねと言ひしにかなふ君なれどとはぬはつらきものにぞありける
   「後撰集」恋五 本院(上皇や法皇が二人以上いるとき、第一の人)のくら

   (私のことはわすれてください。もうああたはいらないから、と言ってやったあなただけど、全く手紙もよこさないというのは、あんまりです。さびしいわ)

  これは何ともあからさまな男女関係だ。むしろ、よほど仲がよかったのかと想像したくなる。熱烈な恋愛ではないが、ほどほどに長続きしてきた関係。それが、女の方に新しい恋人が出来て、朝頼(あさより:藤原北家勧修寺流、官位は従四位上・勘解由長官)とのマンネリの恋がつづくのが面倒になって、つい馴れ馴れしい甘えから、「用なし、今は思ひ忘れね」などと凄まじいことを言ってやった女、それが本院のくらだ。本院というので左大臣時平家の女房であろうと考えられている。

  朝頼は定方の次男。こんなことを言われては当然女から遠ざかる。ほかにも女は沢山いる。といわんばかりの遠ざかり方で、こちらも新しい女性との交際を楽しんでいるところに、この歌が届いた。はたして昔の契りは戻っただろうか。恋は本当にわがままで客観性がなくなってしまうものなのだろう。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」

離婚したのにまた再婚 (場面のある恋の歌)

2024-02-26 13:31:19 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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離婚したのにまた再婚 (場面のある恋の歌)

  離婚をしたけれど、「あれは本心からではなかった」とか、「周囲の事情があって仕方なかったのだ」というようなことで、しばらくしてから「もう一度、元の妻と再婚する」ーーそんなことが、昔もよくあったらしい。そういう時の橋渡しはやはり歌が一番効果的だったと思われる。

    あひすみける人、心にもあらで別れにけるが、「年月を
    へても逢い見む」と書きて侍りける文を見出でてつかは
    しける

   いにしへの野中の清水見るからにさしぐむものは涙なりけり
   「後撰集」恋四 よみ人しらず

   (野中の清水は温(ぬる)いけれど、元の心を知る人はなつかしみ汲み上げるという歌がありますが、お手紙の趣を拝見するにつけて、まずは温かな涙が野中の清水のように湧いてきましたよ)

  こんな消息を交換しあった後、二人は再婚したのかどうか。たぶん成功したような感じである。
  「野中の清水」は「いにしへの野中の清水ぬるけれど元の心を知る人ぞ汲む」という「古今集」の「雑上」の古歌の内容を取り入れている。二人は何かのはずみで離婚したが、だいぶ長い時を経て、やはり一番似合わしい伴侶であったことに気づき再婚しようと手紙を出し、互いに本当に理解し合えた喜びの涙を流し合ったのである。

  「大和物語」には、貧困のゆえに離婚した夫婦が再会し再婚する話がある。男は難波津(なにわづ)の葦苅り男にまで零落していたが、女の方は成功して貴人の家の乳母(めのと)となり、夫の安否を尋ねてようやくめぐり合い身分を回復するめでたい話だが、当時はこのように、愛情は残しながらしかたなく離婚するケースもあったようだ。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」

一条摂政(一条天皇の摂政)の恋の虚実 (場面のある恋の歌)

2024-02-12 10:28:11 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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一条摂政(一条天皇の摂政)の恋の虚実 (場面のある恋の歌)

  「後撰集」の編纂に和歌所の長官として参画したのは一条摂政伊尹(これまさ・これただ)である。その家集は「一条摂政御集」というが、自身を大蔵史生倉橋豊蔭(おおくらししょうくらはしとよかげ)という無位の下級官吏に擬しさまざまの女との恋の場を物語風に演じている。「後撰集」には二首しか採られていないが後世の選集には合わせて二十二首の入集がみられる。

    女のもとに衣を脱ぎ置きて、取りにつかはすとて

   鈴鹿山伊勢を海人の捨て衣しほなれたてと人や見るらん
   藤原伊尹

   (鈴鹿山の彼方の伊勢の浜辺に住む海女が脱ぎ捨てておく衣を、どうにも潮じみた情けないものとごらんなさるでしょうね)

  今日からみると女の部屋に衣を脱いだまま帰るという場面が独特だが、この時代にはよくある詞書である。
  どうしてこんなことが起こるのかふしぎに思えるが、寝すごして、明け白む頃に急いで人目を逃れようとしてのことだろうか。いずれにしても失敗をカバーする歌だが、それもまた色好みの笑いふくみの風流とされたのであろう。
  伊尹の歌は「新古今集」や「新勅選集」などに多く採られているがすべて恋の歌で、「百人一首」には次の歌が選ばれている。

   あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
   「拾遺集」恋五 謙徳公

   (もし私が、あなたに思いを残したまま焦がれ死にをしたとしても、「あはれ」と身にしみて悲しんでくれる人があるとはとても思えないので、この身は何の価値もないままに、徒らな死者となるほかないのですよねえ)

  謙徳公という名は伊尹の人徳への贈り名である。この歌は「一条摂政御集」の巻頭歌で、「年月を経て返りごとをせざりければ、まけじと思ひていひける」と、例によって返事を寄こさない女への怨みの挑発だが、伊尹が好んだ恋のスタイルはあくまで弱者の立場からの訴えめいている。

  伊尹は藤原氏の氏の長者となるべき家の祖、右大臣師輔(もろすけ)の長男である。「大鏡」は「帝(円融)の御をぢ、東宮(花山)のおほぢにて、摂政せさせたまへば、世の中は我が御心にかなはぬことなく、過差ことのほかに好ませたまひてーー」と記している。

  そういう派手な人が、なぜ卑官の大蔵史生(ししょう)などに身をやつして恋の歌ばかり作ったのかを考えるのは魅力的だ。

  「恋」とはたぶん伊尹が考えていたとおり、相手の心を請うものであり、身分の高さや立場などがあっては面白味がないはずのものなのだ。伊尹は惜しくも四十九歳で亡くなったが、「大鏡」は、政治的手腕はもとより、あまりに才能がありすぎたのだと言っている。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」