狐狸庵先生こと遠藤周作のエッセイ集。
酒と肴、食べることに関する文章を集められている。
著者は「食通」というものを嫌っていたとのことで「食道楽」。
意外や、食をテーマにした本は今までなかったそうで、没後10年での編・出版ということらしい。

狐狸庵食道楽
著者:遠藤周作
発行:河出書房新社
Amazonで書評を読む
装画は村田善子さんとおっしゃる方。
似てますね。
嫁いびり礼賛から始まって、茶の一期一会などまで、話題は多岐にわたり、最初のほうでは池波正太郎の食に関する文章についても触れている。(まったく、池波正太郎の食べ物の文章は罪作り。)
だが、やはり多いのは酒をやりながら、昔のことごと、人々を思うというような文章。
「この歳になると…」という言葉がとてもよく馴染む雰囲気だが、そこは狐狸庵先生なので、ユーモアで照れ隠しするのも忘れない。
とても正統派、オーソドックスな印象のエッセイだ。
一度にまとめて読むより、ぽつぽつと時間をおいて読み進めていくのがよいような気がする。
なぜなら、若輩者には、ちくりちくりとくるところも少なくないから。
この本の中で、著者は昔の食べ物は今よりもおいしかったと書いている。いろいろなもの、例えばお米や納豆や油揚げなど普段の食材がだ。
これは年長の方の多くがおっしゃること。
本当にそうなのかもしれないし、そんなことはないのかもしれない。
こればかりは確かめようがない。同じものなど食べられはしないのだから。
加えて、狐狸庵先生は、若者たちがいずれ懐かしく思うだろう食べ物や飲み物に情緒がないのではと気にかけている。
『コーラ?ハンバーグ?なんだか情緒がなくて哀しい気がするのだが…。』
著者にとってはコーラが味気なくても、私にとってはそうではない。
カストリが私にとってはただひどく不味そうなだけものに思えても、著者にとっては不味いけれど懐かしく趣きのあるものであることと同じ。
どんなものをよすがにしても思い出すことには違いがないだろう。
どういう気持ちで食べたのか、一緒だったのは誰だったのか。
そういう浮かび上がってくるものが持つ、その人にとっての価値は、食べ物の知名度や形状に関わるものではないだろう。
そうとは思うものの…ちょっと想像してみる。
すべての食べ物が薬のような形状に、カプセルや糖衣錠などのようになってしまったらどうだろう。
もちろん、私はそれを味気ないと思う。
でも、それに慣れ親しんだ世代であれば、色の違いや、形の微妙な違いを懐かしいものとして記憶していくかもしれない。
これは、永遠に続く「今時の若いもんは…」と同じ類?
「今時の若いもんは…」
つい思ってしまう、これ。
図書館の本に書き込みをしてはいけないということは、いつから常識じゃなくなったのだろう。
自分の物ではないけれど、まあ、いいか、なのか。
まあ、いいか、自分のものじゃないし、なのか。
どちらにしても、それ以外であるにしても、到底わからない。
一番恐ろしい可能性は、何も考えていなかった、だろう。
そこには、道徳に照らし合わせた善悪の判断の匂いすらしない。
酒と肴、食べることに関する文章を集められている。
著者は「食通」というものを嫌っていたとのことで「食道楽」。
意外や、食をテーマにした本は今までなかったそうで、没後10年での編・出版ということらしい。

狐狸庵食道楽
著者:遠藤周作
発行:河出書房新社
Amazonで書評を読む
装画は村田善子さんとおっしゃる方。
似てますね。
嫁いびり礼賛から始まって、茶の一期一会などまで、話題は多岐にわたり、最初のほうでは池波正太郎の食に関する文章についても触れている。(まったく、池波正太郎の食べ物の文章は罪作り。)
だが、やはり多いのは酒をやりながら、昔のことごと、人々を思うというような文章。
「この歳になると…」という言葉がとてもよく馴染む雰囲気だが、そこは狐狸庵先生なので、ユーモアで照れ隠しするのも忘れない。
とても正統派、オーソドックスな印象のエッセイだ。
一度にまとめて読むより、ぽつぽつと時間をおいて読み進めていくのがよいような気がする。
なぜなら、若輩者には、ちくりちくりとくるところも少なくないから。
この本の中で、著者は昔の食べ物は今よりもおいしかったと書いている。いろいろなもの、例えばお米や納豆や油揚げなど普段の食材がだ。
これは年長の方の多くがおっしゃること。
本当にそうなのかもしれないし、そんなことはないのかもしれない。
こればかりは確かめようがない。同じものなど食べられはしないのだから。
加えて、狐狸庵先生は、若者たちがいずれ懐かしく思うだろう食べ物や飲み物に情緒がないのではと気にかけている。
『コーラ?ハンバーグ?なんだか情緒がなくて哀しい気がするのだが…。』
著者にとってはコーラが味気なくても、私にとってはそうではない。
カストリが私にとってはただひどく不味そうなだけものに思えても、著者にとっては不味いけれど懐かしく趣きのあるものであることと同じ。
どんなものをよすがにしても思い出すことには違いがないだろう。
どういう気持ちで食べたのか、一緒だったのは誰だったのか。
そういう浮かび上がってくるものが持つ、その人にとっての価値は、食べ物の知名度や形状に関わるものではないだろう。
そうとは思うものの…ちょっと想像してみる。
すべての食べ物が薬のような形状に、カプセルや糖衣錠などのようになってしまったらどうだろう。
もちろん、私はそれを味気ないと思う。
でも、それに慣れ親しんだ世代であれば、色の違いや、形の微妙な違いを懐かしいものとして記憶していくかもしれない。
これは、永遠に続く「今時の若いもんは…」と同じ類?
「今時の若いもんは…」
つい思ってしまう、これ。
図書館の本に書き込みをしてはいけないということは、いつから常識じゃなくなったのだろう。
自分の物ではないけれど、まあ、いいか、なのか。
まあ、いいか、自分のものじゃないし、なのか。
どちらにしても、それ以外であるにしても、到底わからない。
一番恐ろしい可能性は、何も考えていなかった、だろう。
そこには、道徳に照らし合わせた善悪の判断の匂いすらしない。
先日、同じような理由で、『昔の歌のほうが素晴らしい』と主張する同居人と諍いになりかけました。彼はフォークを愛する世代。私は、それらの曲を音楽の授業や合唱発表会やエレクトーンの教則本で知った世代・・・復活『つま恋』コンサートのビデオを休みのたびに延々と流されて、『いまの歌は・・・』と酔っ払い状態で演説されて、私の忍耐も限界に・・・。
図書館の本、書いたり切ったりしないで欲しい・・・
うちの地元図書館の本・・先日、あまりにひどいので注意喚起のためどかで、破損本の展示やってました。
料理のレシピ本とか、一番読みたかったページに限って切られていたりします。
それはきつそ~。歌も思い出込み、のところありますもんね。
koharuさん、エレクトーン弾かれるんですね。多才!
>料理のレシピ本
…ということは「若いもん」じゃなくて、同年代以上もありってことでしょうか。
う~ん。「若いもん」の皆さん、ごめんなさい。
ひとりで、思い出に浸っていてくれる分には構わないんですけどね(笑)。
自分好きなもの以外を認めないという姿勢は、どうかと・・・
エレクトーン・・・昔々の話なので。『才』は、ないです。
>>料理のレシピ本
>…ということは「若いもん」じゃなくて、同年代以上もありってことでしょうか。
法律関係の本、新しく変わったところだけ切り取っていく人もいるようです。
私が当たった破損本・・・小説の余白に某宗教団体の悪口が赤のボールペンで、延々としたためてあったです(その小説は、ただの推理小説で宗教は関係なしです)書いた人の怨念がこもっているようで、怖くて読めなかったです。
レシピ本のページがごっそり抜けてたやつには、『本を切るのはやめてくれ』と、借りた人のメッセージが付箋で貼ってありました。付箋の余白には、『そうだそうだ!!』的な、別の人が追加で書いたものも沢山・・・私も書き足したかったけど、余白がなかったので断念。
図書館もあれだけ本があると、返却時の確認なんて無理なのでしょうねぇ。
は~。再度ため息です。
法律に料理本…借りる人を単純に想像するとなおさらため息。