ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

松本清張【岡倉天心 ― その内なる敵】

2012-11-17 | 河出書房新社
 
あ、松本清張だ、と、ふらふらと手にしてしまいました。
松本清張と岡倉天心という組み合わせがなんだかおもしろそうだったからです。
しかも「松本清張」だぞ、といわんばかりの文字の大きさが何とも言えず…。

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 岡倉天心 ---その内なる敵

 著者:松本清張
 発行:河出書房新社
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始まりは東京府巣鴨病院長あてに出された入院の申請書の内容の全文。
その読みにくさの威力は出端を挫くに余りありますが、これは九鬼隆一男爵の元妻・波津子を精神病院に再入院させるため親族から提出されたもので、この顛末の中に名を伏せられて岡倉天心は登場します。
多少取り繕っていえば、波津子は道ならぬ恋に狂わんばかりに心身を焦がした女性です。
そして、九鬼男爵は妻を寝取られた男であり、岡倉天心は間男です。下世話に言えば。

ここから、ゆっくりと九鬼隆一と岡倉天心の関係が述べられていき、おもむろに岡倉天心を中心としたものへと話題は移っていきますが、資料の引用が非常に多く、読み始めたはいいものの、これがなかなか大変。
はて、もともとはどこに発表されたものなのかと思ってみてみると『藝術新潮』での連載とありました。
なるほど。そもそもが一般的な評伝とはちょっと違うわけです。
「岡倉天心は秘仏を暴くような人だから」と偏見を持っているような私が読んで楽しいものではなかったかと思いつつ読み進めることになりました。
では、面白くなかったかといえば、それがそうでもないのです。
天心礼賛の内容ではなく、むしろ偏見を持っているくらいでちょうどよかったようです。
天心の息子・一雄氏や、九鬼隆一と波津子夫婦の子・周造氏が書いた文章などを資料に書かれたこれまでの評伝等による岡倉天心像とは異なる見方が示されていました。

岡倉天心といって思い浮かぶのはなんでしょう。
私の場合、岡倉天心といえば、フェノロサと一緒になって夢殿を暴いた人間、ということ。
わりあいこれは一般的なのではないかと思います。
東洋の美術の魅力を世に知らしめた人。
英語での著作「茶の心」がある人。
東京美術学校の立ち上げに尽力し、校長となった人。
ボストン美術館に席のあった人。
こういったところでしょうか。
この評伝では、岡倉天心がいかにして出世をしていったかをまずたどり、やがて、その興味の中心は勢いが翳る発端となった東京美術学校校長辞任に至る事件の経緯に移っていきます。
後ろ盾であった九鬼の保身、腹心の裏切り、日本画と洋画の勢力争いなど、当時の新聞記事など(ここで取り上げられる幸田露伴の文章がいかにも幸田露伴という印象の正しさです。)をもとに探られるその背景と心中。
著者は、岡倉天心の本質が芸術家ではなく官僚であることを見誤ってはならないと語り、最後の章では「内なる敵」として東京芸術学校から追われた後の没落の原因を彼の移り気な気質にみてとります。
責任をとらない英雄、岡倉天心。
けれども、そのカリスマ性は本物であり、心酔してどこまでもついてゆくと決め、実行した横山大観などの弟子たちもあったのです。
人妻・波津子との恋から書き始められた評伝は、最後、また、天心の波津子への思いについてを語ることで閉じられます。
情熱的な天心は女性たちにも愛されたようですが、若干とってつけたような印象。
弱みを握られた天心と弱みを握る剣崎との関係が仄見える、東京美術学校校長辞任事件の顛末のほうがやはり興味深い部分でした。

ところで、天心出世の糸口であり、師でもあったフェノロサはハーバード大学を「各科平均九十九点で」卒業としたと言われるのだとか。
それって本当でしょうか。


[読了:2012-11-15]






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