シュガークイン日録3

吉川宏志のブログです。おもに短歌について書いています。

講演「沖縄の短歌 その可能性」

2018年09月02日 | 日記

「現代短歌新聞」7月号に掲載された「沖縄の短歌 その可能性」の講演録を、現代短歌社の許諾をいただいたので、アップします。

テープ起こしでは、現代短歌社の濱松さんに大変お世話になりました。感謝申し上げます。

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講演「沖縄の短歌 その可能性」2018年6月18日  那覇市IT創造館

                             吉川宏志

 

 私のような県外の人間が、「沖縄の短歌」を語る資格があるのか、いつも悩みます。今日も、沖縄戦で激戦地だった、浦添市のハクソー・リッジ(前田高地)に行ってきたのですが、そこから見渡す現在の沖縄の街並みや海からは、戦争当時の悲惨な光景は全くと言っていいほど想像できません。

 それでも、当時の話を聞き、過去の情景を自分の中で再現しながら沖縄を歩きたい、と思っています。文学に触れる際にも、作品が書かれた状況をリアルに想像することが必要になりますが、沖縄の短歌を読むとき、自分はどれだけ想像できるのか、作品の内側に入っていけるのだろうかということを常に問われているように感じます。

 「沖縄の短歌」と言っても幅広いので、今日は、この数年に出た歌集四冊に絞って、話を進めていきたいと思います。

 まずは玉城寛子さんの『島からの祈り』から。


・自らの乳房で赤子の息止めし母は己れを殺されたのだ

 

 「母は己れを殺されたのだ」という直言に、心を揺さぶられる歌です。住民の避難したガマの中でこうした酷いことがしばしば起きたと聞きます。「強制される自由意志」の問題について深く考えさせられます。丸木位里・俊による「沖縄戦の図」(佐喜眞美術館蔵)には「集団自決とは手を下さない虐殺である」という文言が添えられています。「自決」と言いながらも軍による強制があったわけです。今の政府の文書改竄問題だって、官僚が忖度してやったと言いますが、実際には強制的にやらせている。みずから手を汚すことなく、自由意志に見せかけて私たちを強制してくる権力は、現代の日本にも存在しているわけです。私たちも、自分で自分を殺している状況にあるのかもしれない。


・荒あらと蟻潰すごと沖縄(うちなー)へのしかかる国よまこと母国か

 この歌はまさに絶唱で、「まこと母国か」が切実で痛ましく感じます。私たちは「母国」という言葉を疑いなしに使うことがありますが、沖縄や、福島もそうですが、「母国」の名の下に、基地や原発などの負担が押し付けられている。「母国」なんて、所詮は東京中心の概念なのかもしれない。「蟻潰すごと」という不気味な表現からは、基地に反対している人が、手荒く逮捕されている状況も思い出されます。


・島人の辺野古へ辺野古へ馳せゆく日臥せるわが身は鳥にもなりて
・島のわれらを「土人」と蔑す日本人芙蓉うつくしく咲く島に来て

 

 作者はご病気で、辺野古へ赴くことができませんが、それでも鳥になって行きたいと詠う。県外から派遣された機動隊の「土人」発言に対して、こんなに美しい島に来ても、醜い差別意識を丸出しにするのか、とむしろ悲しんでいるようです。汚されたくない、という願いが、ここにはあるのではないか。現在、権力に逆らうものを「反日」と呼び、排除する風潮が目に付きます。「母国」という言葉によって、排斥される存在も生まれてくるわけですね。それは忘れてはならないでしょう。「土人」発言もかなり問題になりましたが、マスコミでは既に忘れられた感があります。しかし、こうして歌にすることで、当時の感情は、ささやかだけれども残る。歌で記憶を残していく大切さを思うのです。


・ヘリパッドの強化を狙う返還をわれらは見抜く悲しきまでに

 

 数年前の、嘉手納以南の施設の返還に関する合意のニュースでしょう。県外に住んでいると、簡単に「良かったね」と思ってしまうわけですが、現地では決して単純には喜べない。何を狙っているのか、別の目的があるのではないかと疑い、「悲しきまでに」政府や米軍の意図を見抜いてしまうのです。短歌ではよく、「悲しい」とは詠わずに省略しろと言われますね。でも、省略という方法は、お互いに共通認識があり、分かり合えている安心感があって初めて成立するものなのです。しかし、沖縄と沖縄以外では、共通認識が成立していないことも多い。だから、省略せずにむしろ強く訴えなければならない場合が多いのではないか。それは「言い過ぎ」になる場合もあるでしょう。しかし、言い切ることが、かけがえのない価値を生み出すこともあるかもしれません。
 国吉茂子さんの『あやめもわかぬ』から。


・「犯罪現場(クライムシーン)」米軍も認めたヘリ墜落、普天間基地そのものが罪
・米軍基地があるゆゑ安全といふ神話神風信じたやうに信ぜよ

 強い表現が印象的な作品です。一首目、強烈な言い切りですが、実際その通りですよね。また、米軍基地があるから日本は安全なのだ、とか、原発があるから電気が賄えているのだ、という論調はよく耳にしますが、そうした先入観や思い込みは結局、「神風」を信じた戦中の日本と変わらないわけです。最近の朝鮮半島の情勢を見ても、基地の必要性は大きく変化しており、政府の言うことを安易に信じないこと、思考停止しないことはすごく大切ですね。


・琉歌は詠めずヤマト語にて歌作る沖縄語(ウチナーグチ)遠く措きて来たれば
・落鷹(ウティダカ)の鋭き声の刺さりつつわが裡の秋深まるばかり

 

 時折、沖縄には琉歌があるのだから琉歌を作れば良いじゃないか、と簡単に言う人がいます。しかし、「ヤマト語」が自己の根拠の言葉になっていて、「沖縄語」のほうにむしろ距離がある。そんな状況に対する痛みや迷いがあるわけです。一方、「落鷹(ウティダカ)」という沖縄語が効果的に用いられ、深みを与えている歌もあります。沖縄語とどう向き合うのか。これも重要な問題ですね。
 新城貞夫さんの『Café de Colmarで』の歌を見てみましょう。


・いま死者の花盛る季、寄ってたかって嬲って声明を出す文化人
・いちにんのアメリカ兵も殺しえずやはりあなたは弱かった 父よ

 

 とてもシニカルな歌集で、一首目では軽薄なマスコミや文化人に対する批判が込められています。二首目は軍歌「父よあなたは強かった」のパロディですが、米軍に対して何もできない歯痒さや無力感が、屈折した形で表現されています。


・常なりき右翼より危機は知らされてしばらくのちに吠えたてる莫迦
・反抗の一かけらもなき男くる琉球魂とポロシャツに書き

 

 例えば北朝鮮の問題でも、右翼の煽りに乗ってしまって、言葉や態度が攻撃的になっていくようなことがあるんですね。それを「常なりき」と詠うことで、「また同じことが繰り返されるのか」という絶望感をにじませている。次の歌は、土産物屋でよく見かける文字入りのプリントシャツへの皮肉でしょう。新城さんの歌には、反抗できない自分自身への嫌悪感や忸怩たる思いが、ねじれた形で表現されていて、読者にも毒が回ってきます。
 次は佐藤モニカさんの『夏の領域』から。結婚後に沖縄に移住した若い作者です。

・痛みを分かち合ひたし合へず合へざれば錫色の月浮かぶ沖縄

 

 この歌は、今の私の感覚にとても近いです。沖縄出身ではなく、痛みを分かち合える立場にもいない。痛みが分からない自分に何ができるのか、という問いは、私の中にもあって、共感するのです。せめて同じ月を見上げていたい、という願いでしょうか。


・酔ひ深き夫がそこのみ繰り返す沖縄を返せ沖縄を返せ
・子を抱き逃げまどふ夢覚めし後瞼にふかく戦火刻まる

 

 この「夫」は、普段は「沖縄を返せ」とは口にしない人なのでしょう。でも酔っぱらうと、内部に鬱屈したものが噴出する。痛ましいですね。妻はそれを眺めているしかない。その次は、自分が幼い子供を持つことで、戦火の中で子供を抱いていた若い母親たちに思いを巡らせている歌です。自分自身は平和な時代に生まれたけれど、あの時代を自分ならどう生きただろうかと想像し、当時の母親たちとつながろうとしている。この歌には、どのようにして痛みを分かち合うのかという問いに対するひとつの答えが示されているように思います。
 南相馬在住だった遠藤たか子さんの「基地ゲート福島のゲート相似たりけふつくづくと車に見れば」(『水際』)という歌も思い出されます。福島でも沖縄でも、人間を抑圧するものは同じような姿を見せるのですね。本質的な構造を捉えることで、さまざまな人たちが問題を共有していく道はあるのではないか。

 

・次々と仲間に鞄持たされて途方に暮るる生徒 沖縄

 

 都道府県という四十七人の学級があったとして、「沖縄」が一人苛められていると、比喩的に詠っている。沖縄問題をすごく分かりやすく視覚化しており、多くの人の心に入っていきやすいのではないでしょうか。
 最近、「天荒」という沖縄の句誌を拝見して、とてもおもしろかったんです。野ざらし延男さんの句です。

 

・あけもどろ棺形に切られる豆腐
・原子炉の頭をたたく蝿たたき

 

 切られた豆腐を棺に喩えて、イメージがとても斬新です。原子炉の句にも驚き、笑いました。
 平敷武蕉さんの句

 

・弾痕がくねる城壁の世界遺産
・頭蓋陥没の部分日食新北風(ミーニシ)吹く

 

 一句目、「くねる」がとても怖いですね。二句目も「頭蓋陥没」の比喩に、強烈なインパクトがあります。俳句のほうが破壊力があるんですよ。もし「原子炉の頭をたたく蝿たたき」を上の句として短歌を詠んだら、その後で、何らかの思いを書かなければならない。短歌は、自分の心情が色濃く出てしまい、吹っ切れることができないんです。その点、俳句の方が、イメージだけで勝負できる強さがありますね。
 短歌はやはり、「迷う詩型」なのだと思います。先ほどの「痛みを分かち合ひたし合へず合へざれば」のように、短歌には迷いやためらいがどうしても出てしまう。それが短歌の面白さでもあり、難しさでもあるわけです。基地に反対でも、親しい人がそこで働いていて、はっきりと口にできないケースもあるでしょう。そうした葛藤をどのように引き受けて歌にしていくのか、言いにくいものを如何にして表現として高めていくかが、短歌においては大事になるのではないでしょうか。
 一口に「沖縄の短歌」と言っても、実際には多様な作品があり、一括りに語ることはできません。そして、読者の側の知識不足のために十分に読めていない惧れもあるのではないでしょうか。沖縄の短歌は「類型的」と批判されることがあるのだそうです。もしかしたら、それは読者の問題で、微妙なニュアンスを汲みとることができず、同じように見てしまっている側面もあるのではないでしょうか。沖縄の一つ一つの歌に誠実に、丁寧に対すること。それが読者の側に求められているように思われます。