リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

保育園数も保育士の待遇も,国の想定が甘すぎる

2018-02-27 | 待機児童
待機児童が一向に解消されず,親たちは理不尽なまでに過酷な「保活」を強いられている.数字を見ると保育施設の受け皿の整備は進んでいるのだが,子育て世代の収入低迷などで共働きが増えて,一向に追いつかないことが今日の朝刊でも解説されていた(朝日新聞2018-2-26).やはりニーズの見積もりが甘かったと言わざるを得ない.誠実に見積もっても需要増がそれ以上だったということなら仕方ないとも言えるかもしれないが,政府の試算を大幅に上回る需要を予測する民間試算が出ても,両方の数字をすり合わせて予想の精度を高めようとはしていないようだ(過去ブログ参照).低めに見積もったニーズで対策を講じているようでは,本気で待機児童解消に取り組んでいるとは言えないだろう.その状態で自民党の選挙公約のための幼児教育無償化に莫大な予算が投じられようとしているのだからやりきれない(過去ブログ).

保育士の待遇にしてもそうだ.そもそも国が決める補助単価が低いことや,個々の保育施設での予算配分の問題(過去ブログ参照)もあるが,そのほか70年前に定めたれた保育士の配置基準の影響もあるということを上記朝刊記事で知った.保育士1人あたり1~2歳児なら受け入れるのは6人までなどとする基準のことだが,この大昔の人員配置では手が回らず,認可園では国基準より多い保育士を配置しており,その結果,支給される運営費を分け合う人数が増えるので,一人当たりの賃金が低くなってしまうのだという.政府は国の基準より手厚くしている保育施設の環境を国の基準並みに引き下げさせようとしているようだが,それでは保育士の負担が増して保育士ばなれが加速すると先日書いた(過去ブログ).だが今日の記事が正しいとすると,保育士を減らせば一人当たりの給料が増えるということなのだろうか? だが仮にそうだとしても,保育士の人数を減らして一人当たりの取り分を増やすというのはどうも違う気がする.やはり70年前の保育士の配置基準を改めないほうが問題だと思う.今基準を厳しくするのは難しいだろうが,せめて「国基準並みに引き下げ」というような時代に逆行することは言うべきではない.

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追記:保育士の待遇については「保育士の給料、なぜ低い 私立認可園への委託費、仕組みに課題」(朝日新聞2018-5-9)でも詳しく報じられている.



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