「卒業式は参加者が自発的に集まる場ではないので、特定の政治的主張を述べることは不適切だろう。ただ、賛否両論があることを前提に地域の将来をみんなで考えようという発言まで封じれば、議論すること自体を否定することになる。」という識者のコメント(朝日新聞2019-4-1)は至極当然のことに思える。だがその当然のことがわきまえられていないのが現状だ。
秋田公立美術大学の卒業式で卒業生代表の学生が謝辞で「ミサイル配備計画」に触れようとしたところ、事前に学生課長から「内容にデリケートな部分がある」と指摘されて削除していた。学長は取材に「強制的に聞こえたならば申し訳ないと思う」と話し、学生には自ら電話して謝罪したという。だが学生から大学職員から「指摘」を受ければ、対応せざるを得ないと思ってしまうのではないか。
ことなかれ主義が行き過ぎて議論があることに言及することさえ許されないというのは権力者の思うつぼではないか。公民館便りとか、展覧会だとか、会場の使用とか、権力に対する過剰な忖度がありすぎる。
秋田公立美術大学の卒業式で卒業生代表の学生が謝辞で「ミサイル配備計画」に触れようとしたところ、事前に学生課長から「内容にデリケートな部分がある」と指摘されて削除していた。学長は取材に「強制的に聞こえたならば申し訳ないと思う」と話し、学生には自ら電話して謝罪したという。だが学生から大学職員から「指摘」を受ければ、対応せざるを得ないと思ってしまうのではないか。
ことなかれ主義が行き過ぎて議論があることに言及することさえ許されないというのは権力者の思うつぼではないか。公民館便りとか、展覧会だとか、会場の使用とか、権力に対する過剰な忖度がありすぎる。