リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

「投票することに価値がある」か?

2017-11-12 | 政治
衆院選で「#投票に行かなかった理由」とのテーマでツイートが集まっている(Twitter Search)という(朝日新聞11月11日夕刊).

当選させたい候補がない,自分が投票しても何も変わらない,下宿先での投票手続きが面倒,台風でおっくう,など,定番のコメントが並んでいるなか,面白かったのが次.
「正直,当選させたい人より当選させたくない人の方が多い.マイナス1票制度とかあれば台風でも行くかも.政界は滑稽なほど足の引っ張り合いをしてるんだから,国民にも足を引っ張らせてください.」
私も「一人10票制」に言及したことがあるが(10月25日),時折提起されるこのような「落とす投票」も「マイナス1票制」だとわかりやすい.

考えさせられたのは,ネットでみつけた記事「『間違った投票をしたくない』は正しい? 選挙に行かない若者の言い分」(withnews)だ.「間違った投票をして世の中を悪くしては申し訳ないから投票しない」という若者がかなりいるというのだ.理由の一つとして間違いを恐れる気持ちがあるようだが,結果的に失敗だったということはあるものの,政治に正解/不正解はない,ということは諭してやってもいいかもしれない.そしてそもそも,記事も指摘するように,棄権は「事前情勢で有利とされている候補に有利な結果」になるもので,必ずしも影響しなかったということにはならない点はわかってほしい.

一方,上記Twitter Searchには,啓発活動で投票率を高めることを批判する投稿もあった.ちゃんと考えている人は言われなくても投票する,促されて投票するような人はいいかげんに投票するから困る,という趣旨だったと思う.たしかに,「組織票などで投票先が決まっている人は言われなくても投票する,促されて投票する人の投票先はその時々の『風』次第(つまり浮動票)」という意味では指摘は当たっている.私も長期的なことを考えずに目先の利益や「風」で投票する人が多い(と思われる)ことはポピュリズムの原因として苦々しく思っている.だが,「風」や「気分」で投票することを批判するのは,上記のような若者の「間違った投票をしたら申し訳ない」という風潮を助長するものだ.

票の価値に軽重はない.政治学者の票も,浮動票も同じ重みをもつというのが民主主義の根幹だ.その気のない人に「投票しましょう」ということの意義について,私は「棄権すると組織票を固めた政党を利するだけだ」という理由以上の説明を思いつけずにいる.

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画がヒットしたら誰が儲か... | トップ | 東シナ海・南シナ海,「棚上... »
最新の画像もっと見る

政治」カテゴリの最新記事