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リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

芸能スキャンダルも政治論議も、思考停止による過剰な自粛をしない勇気を!

2019-04-09 | 政治
芸能人が不祥事を起こして、関連する作品が公表中止になったり回収されたりするケースが相次いでいるが、他方、そうした風潮に対する疑問の声も上がっているという(たとえば福井健策「不祥事×作品封印論 ~犯罪・スキャンダルと公開中止を考える」)。
そんななか劇作家の鴻上尚史氏がツイッターで述べたという言葉が問題点をうまく表していると思った。

「出演者の不祥事によって、過去作品が封印されるなんて風習は誰の得にもならないし、法律的にもなんの問題もないし、ただの思考停止でしかない。ここで制作者は踏ん張って、作品と1人の俳優はイコールではないと持ちこたえないと、この国の文化は悲惨なことになってしまう。」

もちろん、不祥事を起こした人がメインになっている作品を大々的に宣伝したりするのはまずいのかもしれないが、過去の作品まで封印したりするのは行き過ぎだ。

「何でもかんでも封印」、「くさいものにはふた」というのは「思考停止」にほかならない。私もつい先日、大学の卒業式における「自粛」について書いたが(「「指摘」が「強制」になりうることをわきまえよ」)、このところ公民館便りでも、講演会でも、展覧会でも、議論を呼びそうなものはとりあえずやめておこうという風潮が強すぎる。芸能人スキャンダルでも政治論議でも、「思考停止」による過剰な自粛が続くと、どんどん息苦しい世の中になっていってしまう。

なぜそんな過剰ともいえる自粛をするのかというと、やはりネット上の「サイバーカスケード」による非難の嵐が起きやすい風潮が背景にある。難しいが、鴻上氏も言うように、ここは「踏ん張って」「持ちこたえ」ることが肝要だ。

関連記事:
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追記:この件について3氏の談話を読んだ(朝日新聞2019-4-11)。
東映社長の多田憲之氏は場合によっては非公開の判断もありうるとしつつ「十把一絡げに公開中止や配信停止の動きが広がっている最近の風潮に、違和感を覚えます」と語っている。社会心理学者の碓井真史氏も、公開を自粛することがあってもいいとしつつ、「『世間の空気』というあってないようなものを読み過ぎて何もかも無しにするのは、自粛ではなく『委縮』です」とする。いずれも、場合により公開・非公開どちらの判断もアリだが、あくまでもきちんと検討したうえでのことであるべきであって、「思考停止」では困るという、ごくまっとうな意見に思える。
教育評論家の尾木直樹氏は最近のピエール瀧氏の事例について、問題が麻薬取締法がらみだったことから公開の判断を甘すぎると見ているようだ。
碓井氏は「自粛」が広がる背景として「ひとたび転がれば、一気に流れる空気」を憂い、なんとか歯止めをかけられないものかと問いかける。その背景分析がよくまとまっている。
「ヘマをした人や組織に対し、鬼の首を取ったかのように攻撃し、非難する人が増えています。日ごろからストレスをため込み、何かを蹴っ飛ばしたいけれど我慢している人は、小さなきっかけで怒りを爆発させます。」そして自分が多数派だと感じれば声を大にして意見を言う一方、少数派は沈黙するようになる。(「沈黙の螺旋理論」というそうだ。)

追記2:ピエール瀧氏が出演する新作「麻雀放浪記2020」の白石監督は「日本は今、倫理観に統制されている。法律でなく私刑によって言論の自由が奪われている」と表現している(朝日新聞2019-4-12)。もちろん倫理観の欠如も困るが、過剰な押しつけもたちが悪い。

追記3:伊勢谷友介氏が大麻所持で逮捕された件に関し、「作品無罪」論について週刊女性PRIME(Yahoo!ニュース 2020-9-11)にいろいろな視点のコメントがまとめられていた。
・映画やCDなど客が選択できるものは全部だめにしなくてもいい。テレビではスポンサーの意向が物をいう(須藤理彩氏)
・「何月何日までに撮影は終了しました」と表記すればOK(おぎやはぎ・小木博明氏)
・殺人、女性に暴行、詐欺などの犯罪と違って、薬物は明確な被害者がいることが少ないから「作品無罪論」が目立つ(芸能ジャーナリストの佐々木博之氏;上記の尾木氏の見解とは逆)




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