「私的戦後左翼史」より

2006年06月23日 16時45分25秒 | memo
そうじゃなくても著者がその後「辺境最深部」を経てどこまで到達したかはよく知ってるし(この本執筆の85年当時でもかなりのところにまで行ってたと思う)、飯島さんの本を読んだ後でもあるので気が引ける感じもしてしまうけど、読んでおもしろいなと思った部分。

「戦後体制、戦争・軍備を放棄した新憲法体制は、三つの方角から解釈することができると、私は思う。
その一つは、戦勝国アメリカによる旧敵国日本の永久的武装解除と徹底的な弱小国化の政策の法律的表現、という解釈である。1946年当時の国際情勢をそれは反映している。
原爆を独占し、世界の工業生産の過半を占め、金準備の大半を握っている状況下では、アメリカの支配層が日本にこのような体制を押しつけようと考えるのも、尤もなことだ。しかし、これだけなら、国際情勢の変化にともない、アメリカの要求によって、ただちに憲法は改正されたはずである。
その二つは、いわゆる吉田学校、吉田茂の戦後保守本流の取った政治路線である。日本列島の対ソ防衛の主役を在日米軍にゆだね、日本政府の軍備支出は最低限におさえ、全力を経済復興に傾ける、というのである。つまり、この目的のために、アメリカに押し付けられた平和憲法を逆に利用する、という戦術である(この考え方で行けば、日本の経済大国化が実現されたときには、憲法9条改正が当然、日程に上ってくる)。社会党、共産党の平和運動はこの構造の中に一つの要因として組み込まれている、というのが実体である。
その三は、前二者と区別される。しかし、戦後40年、未だかつて、一つの政治勢力によって明確な表現で主張されたことはない。しかし、個々の思想家、評論家、宗教者、などによって敗戦直後から語られつづけている。(大熊信行の『国家悪』を一例として挙げておく)
それは、新憲法を、国家主権の死滅、国家の廃止に向う世界的傾向の尖端として認識する、という考え方である。日本は軍備を全廃した、世界もやがて軍備全廃に至るであろう、と考えるのである。
まぎれもない、これは一種の国家主義から地球人類主義への志向である。
敗戦後の日本国民の中には、無定形のつかまえようのない、国家を超越する気分が確固として根を下ろしてしまった、と私には思われる。
そしてこの不可視の国家を超え地球人類主義に向う気分を土壌として、戦後日本固有の反戦平和のフィーリングが再生産されて来たのである。
宣伝カーで街頭をどなり散らしている右翼が抹殺しようとしている『敵』の正体は、この気分としてのアナーキズムである。
つまり、右翼から見ると、国家に対して忠誠心を持とうとしない戦後の日本人国民大衆の存在そのものが敵なのである。右翼はそれを許すこともできず、妥協もできない。
これに対し、日本共産党と、戦後左翼は、戦後の平和主義的アナーキズムを戦術的に利用する統一戦線の形成に見事に成功した。ということは、この底流としての地球人類主義が、一つの独自の思想潮流、政治潮流として出現する芽を、左翼がたくみにふみにじり、つみ取って来た、ということである。
戦後のアナボル論争は不発のままに終わった。」(59ページから61ページ)

「地球人類主義」かどうかは別にしても、憲法に内在する「国家主権の死滅、国家の廃止に向う世界的傾向の尖端」としての論理への着目はたとえば最近読んだ松下圭一「市民自治の憲法理論」等にも共通する視点か?
対立するのは「国家統治という発想は『国家法人論』と結びつき、市民自治は『機構信託論』とむすびつく」(「市民自治の憲法理論」187ページ)とされる、憲法に内在する矛盾点の解決の「(憲法理論における)体制イメージの法技術構成」の考え方である。すなわち「国家統治を中軸におく国家法人論の理論構成においては、国民主権の政治機構による代行、ついで国家主権への転化が、安易に定位されているにとどまるため、現代における大衆民主政治という大衆国民主権の固有矛盾も自覚されてこない。それは、万人による万人の支配、あるいは治者と被治者の一致、という民主政治したがって国民主権の矛盾の体制的拡大という論点であり、ことに、それが、今日の大衆操作技術の発達により、全体主義への構造的傾斜をもつという問題点である。この国民主権の置換操作を批判する反体制憲法学は、資本主義体制における国民主権の限界あるいは欺瞞を指摘し、それにプロレタリア独裁、ついで新しい意味での国民主権(人民主権)を対置する。しかし、これも、国家法人論の理論構成にたつかぎり、大衆国民主権の固有問題の制度的解決には直接つながらない。このプロレタリア独裁という国民主権も、そこに政治機構の形成を不可避とするかぎり、国民主権の政治機構による代行ないし国家主権への置換をうみだすにすぎないからである。スターリン主義はその極限形態である。それゆえ、従来のプロレタリア革命の発想では、国家観念の360度転換をもたらすにすぎず、国家主権→政治機構の絶対・無謬という設定は温存されてしまうのである」(「市民自治の憲法理論」92ページ)。今日に引き寄せていえば「改憲阻止」も「日本国憲法擁護」(笑)もありといえばありってことか?統治機構論を共有しているかぎり同じ穴の狢ということで。

もうひとつ面白いなと思ったのは
「左翼は、1948年ごろから明確に反米の立場を取った。親米の左翼というのは聞いたことがない。
左翼は、みずから、極少数の資本家階級に反対して、日本国民の絶対多数を占める労働者階級と勤労農民、都市の勤労市民の利益を代表する、と言う。
戦後民主主義は、左翼に対して言論結社の自由を保証している。左翼の主張は勤労民衆に対して或るていど自由に訴えることができる。しかし、日本国民の大多数は戦後一貫して親米保守の政治勢力を支持してきた。1983年の総選挙でも、この構造は維持されている。
日本国民は、米国にかたくコミットしていると言える。米国にすがっていれば安全だ、という心理である。日米安全保障条約がその法律的表現である。
反米左翼と米国にコミットしている日本の勤労国民の心理のズレ。この問題は、戦後左翼史の、いわば基調音であると私は思う。
この問題を更に次のようにこまかく解明することができる。
反米左翼は
1 反米親ソ左翼(1950年代までの日本共産党)
2 反米反ソ親中共左翼(1960年代後半からの毛沢東派)
3 反米反ソ反中共反スタ左翼(1950年代からの新左翼)
4 反米自主独立左翼(1960年代後半からの日本共産党)
という具合に細分化して来た。
これに対して、日本国民大衆の中には、確信を持った反米派はゼロにひとしいと私は思う。彼らの生活感覚がそれを受け入れないのである。それゆえ、左翼は国民大衆の支持を得ようとすると、反米の本音をつとめてかくしておかねばならない。
しかし、親米日本国民の中にも、いくつかの区別がなされ得る。
1 親米国民の大多数は、ご都合主義的親米である。すなわち、米国が日本国民に具体的な利益を与えてくれるかぎりでの親米、ということである。米国が日本に害を与えるようになれば、とたんに反米に変身する可能性を内包している。左翼はこれを利用しようとして来た。
2 第三世界、開発途上国、貧しい国々に対しては、親米的日本国民は、精神的距離感を持ち、白人的蔑視と優越感を育てて来た。かぎりなく白人の側に接近したのである。親米はすなわち第三世界の人々への嫌悪感となる。これは、どうしようもなく戦後の日本国民の血肉にしみついた毒である。
この点は、敗戦前の旧日本帝国主義時代の風潮と本質的に異なるところである。旧帝国主義時代は、日本の支配階級の中には、親米英、親欧米的路線と、アジア黄色人種の『盟主』として欧米と対決する路線とがすくなくとも共存し、競合していた。1941年12月8日の対米英戦争は、アジア解放の大義をかかげる大東亜戦争であると主張されたのである。石原陸軍中将の『世界最終戦争論』はこの路線に対して一つの理論的根拠を与えていた。
敗戦と共に、日本の支配者階級の中からは後者の潮流は消え失せた。そしてそれにつづき、日本の国民の中からも、姿を消した。日本国民の心理はアジアの黄色人種から断絶して、欧米の白人のそれにとけ込んでしまったのである。
このような変化の中で、日本の左翼は、なすすべを知らず、一歩か二歩遅れてこの状況の変化に追随することになった。
3 親米派の中でも、今日の日本を動かしている実力者は、実は戦後大量に育成された米国留学生出身の人々である。彼らは英語に精通し、米国の情報に深くコミットしている。そのことが彼らに権力を与えた。彼らは米国を中心とする西側自由陣営と称される勢力の中で、国際的バックグラウンドを持っている。
これに対し、左翼の側は安定した国際的バックを持たず、より島国的、一国的、ローカル的、局地的な心理構造にとじ込められた。
ここでも左翼は大きなハンディキャップをつけられている」(109ページから111ページ)

このあたりに「辺境最深部」経由の別世界への萌芽も感じるが、「ご都合主義的親米」に対する分析とか面白いと思う。

全共闘についての記述も。
「全共闘の核心は、黒ヘル的ノンセクト的、上からの命令によらぬ、下からの自発性にもとづく大衆運動であったと私は思う。
あきらかにそれは、マルクス主義左翼の時代を超えるネオアナーキズム、自由連合の時代の先ぶれだったのである。
しかし、もうひとつの特徴がある。それは市民社会の深部のヤミにとじこめられていた人々。問題に光があてられたこと、そのような人々が立ち上がり始めたこと、である。
精神病者の問題がそれである。
被差別の解放の問題がそれである。
水俣病の問題がそれである。
そしてそれから、無数の問題が頭をもたげて来た。
全共闘運動がスクスクと育って行ったら、こうした辺境最深部からのエネルギーの噴出は、キャンパスを超えて世間一般の中に波及し、大きな連合の潮流となって行ったであろう。
しかし、そうはうまく行かなかった。なぜなら、ここで、既成のマルクス主義左翼の党派が、一斉に、全共闘つぶしにおそいかかったからである。
彼らにとって、『大衆運動』はマルクス主義政党の指揮下に入るべきものであって、左翼政党の支配から自立した大衆運動は、アナーキズムか、もしくは右翼的反動的な役割しか果たさない、と見るのである。
まず、日本共産党は、全共闘を、大学の秩序を破壊する暴力集団と規定して、警察力による取締りを要求した。
新左翼の側と言えば、彼らは全共闘のエネルギーを、ベトナム反戦、沖縄返還、70年安保などの政治闘争に利用することを考えた。この方向に全共闘のエネルギーを巻き込んでいこうとした。彼らの意向に抵抗するようなノンセクトグループを、暴力的につぶしにかかった。
1969年という年は、新左翼セクトによる全共闘つぶし、全共闘解体、全共闘のっとりが完成してゆく日々であった。
私は、この目で、その過程を見た。
大衆の深部からの本能的エネルギーの爆発が、どのようにマルクス主義セクトによって利用され、ねじまげられ、奪い取られていくか。革命史の中で無数にくり返されてきたことを、私は現実に体験した」(206ページから207ページ)

太田竜も含めて70年頃に同じような問題意識を共有せざるをえなくなっていたのだなあと思う。

いま何周遅れかでこのあとを追っているのかもしれないと思うと少しぞっとしたりもする。







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少し前の「犬にかぶらせろ」のこのエントリーを拝読させていただき、ラムー時代の音源を聞きたくなってしまった。