「女の子の食卓(2)/志村志保子」

2006年06月20日 12時30分34秒 | Weblog
女の子の食卓 2 (2)

集英社

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水精

ぶんか社

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戦争の克服

集英社

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市民政府論

岩波書店

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「女の子の食卓(2)/志村志保子」
「水精/花輪和一」
「戦争の克服/森巣博・阿部浩己・鵜飼哲」
「市民政府論/ロック」

ジュンク堂で購入。

酔った勢いで

2006年06月20日 00時01分36秒 | Weblog


超メジャーサイトにカキコ。
80年代的にいうと、たとえば「真国労」なんかほんとに戦争なしにとめられてた?なんて思ったりするのである。
「戦争」を必要とする情勢にまで追い込んでしまった責任とかも考え合わせる必要がある問題だったりすると思う。
すっきりとはいかない。すっきりと問題を捉えることでスッキリできない人をぼこぼこにしてた身としてはすっきりとしない責任があるような気が(グルグルグルグル)


ここでの対立はもったいない 投稿者:あおざかな 投稿日: 6月19日(月)23時49分57秒   引用
すみません。横レスです。すえいどんさんwrote;

>「主体性」とはそういう事ではないと思います。「自分ならどうやって内ゲバを廃絶するか」がわからなくても、きわめて安直な「内ゲバ廃絶」方針に、これは間違っている、従えないと思ったら、立ち止まるのが主体性ではないでしょうか。

このすえいどんさんの書き込みには私も共感せざるをえないのです(私は「戦争犯罪人」ですので)。
内在的に「日帝」の侵略に関わってしまった者として、再び開始されている侵略(これ、今まさにすすんでいると認識してます、内部でも)とどう闘っていくのかを厳しく問われている身とすると、じゃあ、内在的に「それ」をどうやってとめられたのか、とめるべきだったのか、そこまでやらなきゃいけなかったのか、とめたらどうなってたのか、そんなことをぐるぐると考えてしまうのです。

「日帝」内部の問題だといわれてしまうとそれまでです。

すみません、、、、