宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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事実からの真実でパクリ再び (*´▽`*)

2023-01-07 20:39:45 | 三石さん

去年の暮れ 食料品のスーパーに隣接する小さな花屋さんで見つけた 百両

千両 万両はともかく 百両に出会う事は稀なので 迷うことなく連れて帰った

暮れも押し迫るころ その百両に 万両と葉ボタン それからミニのシクラメンなどを添えて 寄せ植えが完成

いつもなら カメラに収めて 元旦を挟んだ前後に登場する寄せ植えだけど

残念ながら 今年は そのチャンスを見失ってしまった

聞くところによると 十両と言うのもあるらしく どうやら それはヤブコウジのことらしい

百両

  

 

花には なかなか覚えられない名前もあり どうにか覚えることが出来ても いつしか忘れてしまうってことは よくある

しかし 過去に身をもって経験した印象深い事柄は 忘れろと言われても そう簡単に記憶の中から消えるものではない

 

ご自分にとっては都合が悪いようで [お互いに忘れましょう] と 過去にも何度か提案されたことがあったけど 私に そう提案した ご本人が [忘れましょう!とした事柄]を ことあるごとに振り返っては 公開していた

繰り返される このような行為に対峙することがあって とうとう堪忍袋の緒を切った私は 相手の気質を 厚顔無恥 と 表現しても差し支えないと思うようになったけれど 

ご本人は 道理に合わない ご自身の行為に 気付いているのだろうか

 

その人に負わされた [誹謗中傷の加害者] と言う汚名は いまや私の身に沁みつき ホクロかアザのように馴染んで 相手の被害者気取りを払拭しようという意欲は もう失せてしまっている

 

ではなぜ 今 ここに振り返って記すのかと言えば 

最近になって 

私と同じ立場となり 苦悩されているブログ主さんの存在を知ったから

万両

 

コメント欄のないブログを書く✿さんの 聞き流せない発言に疑問を抱き 話し合うのが目的で [愚か者の戯言] を立ち上げた

その発言とは ※さんを蔑む類いのものだったため ✿さんが [愚か者の戯言]を立ち上げたのは※さんだと思いたいのは 自然の流れだったかもしれない

しかし それは ✿さんには都合の良い思い込みであって 間違いなく 私(麦)が管理するブログであることを申し出た

それでも ✿さんとしては ※さんを擁護する第三者の存在を受け入れ難かったのか 麦がブログ主であることを頑なに否定する心情が伺えた

 

ブログ主は※さんに違いない その理由として✿さんは ブログ主のイメージ画像として貼ってある鳥の写真を ※さんのブログで見たことがあるから と言い続けている

その写真とは 私が京都を旅した時に ごく普通のデジカメで撮ったものである

✿さんは カメラを趣味とする※さんだからこそ写せる見事な鳥の写真であり 麦の技量では写せないようなことを主張した

ブログ主のイメージ画像として貼った たかが3~4cm四方の写真である

 

私は その写真について 間違いなく 私が義両親の眠る東本願寺にお参りしたとき写した という事実を書いた

 

その後に また 何がキッカケだったか [愚か者の戯言]について✿さんと議論する事態が起こり またもや鳥の画像が問題視され 相変らず※さんがブログ主だと言う✿さんの思い込みは 揺るがない

私は再び 私がブログ主であることの証明として 鳥の写真は 私が秋の三千院を訪ねて京都を旅した時に写した写真であることを書いた

そこで✿さんは 鬼の首でも取ったような気持ちだったかどうか? は 分からないけど

麦は 鳥の画像を 一度は [秋の三千院を訪ねて京都を旅した時に写した] と言い 一度は [お墓参りに行ったときに写した]として 鳥の画像を撮った その[時]を述べる私の矛盾を突いた

 

私は コロナ禍の前に 毎年 恒例となっていた[秋の三千院を訪ねる]そのつど 必ず[義両親が眠る東本願寺にお参り]していた

鳥の写真は ある年に 三千院から京都へ戻り 駅から数分の東本願寺に参って 帰路の伊丹空港へ向かうには いくらか時間に余裕があったため 京都駅前を散策した際の川沿いで見た鳥を 橋の上から写したものである

 

[愚か者の戯言]のブログ主が※さんという ✿さん思い込みは 鳥の画像にあった

鳥の写真を撮った場面を説明する状況は2回あって どっちが先だったかは 確信がないけれど

1回は [秋の三千院を訪ねて京都を旅したとき] で 1回は[義両親が眠る東本願寺にお参りしたとき]と説明した

 

義両親のお墓参りは 秋の三千院を訪ねる行程の中にある

そこを読み取らないと 麦は 嘘つきになる

 

この場合の✿さんは 私の説明で瞬時に納得して頂けたと思っているけど 

事実を正確に読み取らず 自分の主観で把握したままが真実として公開され 第三者は 個人の真実を事実として信じることが起こり得るということ ね

 

被害者が実は加害者 加害者が実は被害者

G氏に中傷されたとするブログ主さんには 事実に主観が交じり 無意識だとしても事実が歪曲され個人の真実になっていないか ・・・ を言いたかった

 

クリスマスローズ

セミダブルに花芽

 

事実を知る側でなく 間違っていようとも強く生き残った側が 甘い汁を吸う

ネットも 社会の縮図

 

見苦しい事も書かれている 私のブログだけど

麦に誹謗中傷されたという ご自身の主観を真実として公開し その事実は[思い出せない]という無責任なブログ主さんを拝見していて このブログを絶対に抹消しないと決めている

このブログを見つけて戦慄が走った。 私は、このブログ主に誹謗中傷された。

この公開発言が 私のブログライフを邪魔するのが狙いだったなら 目的を達成したと祝杯を挙げるのもアリかもしれないけど

私は 出鼻をくじいて立ち止まっている それだけのこと

 

三石さんの声を聞いて 言わずにはいられなくなって歩き出すのかな


今日は吠えないで語る (*´▽`*)

2023-01-02 14:41:50 | 書いておく

さぁ 新しい年を迎えましょう と 玄関に据えた寄せ植えや おせち料理を載せようとするとき 慣れないことをして その機会を失った

必要あって [吠え] た

けど タイミングで 新年の第一歩が 迷い気味 ・・・

 

あけまして おめでとう

今年も元気でね!

 

機器に疎い私にとって ネットは時空を超えた 魔法のようなもの

人間に翼を付けなかったのは間違いだったと気付いた神様が せめて声だけでも自由に飛べるよう・・・ と 信じているわけではないけれど 誰に と言う事でなく 切手のない手紙を書いては 宇宙に投函している

宇宙には いろんな手紙が飛び交っているから 私の手紙が 何かと衝突することは避けられない

 

その結果 カテゴリに [麦] という名が明記されているブログの存在

 

違法ではないにしても 私は承諾してないのでマナーとしては疑問があるけれど 違う土俵で生きていらっしゃるブログ主さんなので 今さら苦情を言う気は無い

自分のブログを どのように保とうと ブログ主さんの勝手でしょうから その様なところに関り合うことなど絶対に有り得ず 

カテゴリに置かれたスレの内容からすると 好意によるものとは思えないので 不愉快であることは言うまでもない

 

そのブログ主さんから伺えるのが 読み間違い 勘違い 想像 妄想から起こった事柄を 事実として思い込む傾向にあること 

 

たとえば麦が 山歩きの記録で [祝山に藤色の花が咲いている] という経験を公開したとする

それを読んだ相手が ふぅ~ん と思ったとして、なんとなく記憶に残ったとする

そのブログで 花が咲く山の話を提供することがあったとして

そこで

[確か麦が 何処かの山で 何かの花を見たと書いてたっけ] と 記憶を遡ったとする

麦が登ったのは 何と言う山だっけ?

確か おめでたい名前の山だったような 

寿 という山だったかな

花の色は たしか鮮やかな系統の 薄い色だったような

桃色だったかな

 

勝手な脳内変換

 

そうして そのブログ主は

 [寿山に桃色の花が咲いてる] と 脳にインプットする

やがて それは 

[麦が寿山に桃色の花が咲いていると言った] となって公開される

時が経っても それはカテゴリに事実として定着するのだ

 

[祝]と[寿] そして [藤色]と[桃色]

これらの違いを説明しても その違いを表す日本語の読解力に欠けているのではないか ・・・ 

と  思う事がある

 

私が [違います]と否定し 事実を説明しても

思い込みは 絶対に変わる事がない

 

私が書いているのは 義務教育を習得したレベルの日本語でしかないのだから

つまり

 [読解する能力に欠けている] のではなく

ご自身の思い込みを振り返り 事実を正しく確認しようとする努力を 怠っている

つまり 聞く耳を持たず なのだ

 

こんなブログだけど、古くから閲覧して下さる読者さんが居られて、新年の挨拶を頂いたところ、そこに [例のかたが追記をしていますね] と添えられてあった。

最新記事は読ませて頂くことがあっても、 [麦へ] として、何年も前の古新聞のような思い込みなど 読む気にもならずいたけど ・・・ 

 

なんと、 そこに この後は2022年9月19日に追記しました。 とあった。

2022年9月とは、つい最近のことではないか。

 

しかし、 この時に至っても、何の進歩も、考えの変化もない、古~い古~い まま。

謝罪します、お詫びします、と書いているのは何度か読んだけれど、いまだに自分が正しいのだ。

それを、カテゴリの先端に置くことの深層心理。

[麦へ] となっていても、私宛て、ではない。

閲覧者へ、[誹謗中傷された被害者] の主張ね。

 

最新記事に、追記としてあった[麦へのお願い]の文字が、タイトルから消えている。

カテゴリの末端にある、[麦]の文字が表記されたスレも[0]ゼロになっているから、何かが削除されたか非公開になったらしい。

立場が危うくなったり、嘘がバレると、削除や書き換えは、よくあることでしたね・・・。

 

そして、今日、語る気になったのは

彼女の言葉では、「正義のために立ち上げた」とのことでした。   

嘘!

私は、私の正論として声を挙げることはあるけれど、おこがましくも[正義]などと、身の程知らずの心得は持ち合わせてない。

ましてや 「正義のために立ち上げた」ような、自己満足の正義感を振りかざすブログは大嫌いだし、私が、「正義のため]などと声にすることも、そのような行動を起こすこともありえない。

「正義のために立ち上げ(られ)た」

これを言ったのは、🌸さんが、過去に相場の掲示板でトラブルになり、解決のないまま蓋をして姿を消したらしいことから、苦い思いを胸に収めたままでおられた、NA※さん! である。

 

土俵が違うブログ主さんが、ご自分のブログに何を書こうと勝手かも知れないけど、関り合うつもりはないので、私に語りかける文体で発信しないで欲しい。

連続コメントを見かねた閲覧者さんが、🌸さんに苦言を呈したところ [私は麦に、質問に答えるようにと、しつこく迫られた身です。] として、私のブログにコメントすることを正当化した🌸さん。

私が質問したのは、[中傷された事の具体例]であって、それ以外のことで、コメントを必要とし、しつこく迫る事柄はなかったはず。

 

もう何をおっしゃられても、お応えできません。 

このように、相変わらず土俵の違う相手と関り合っている愚かな麦、と認識されがちな発言は、辞めていただきたい。

 

私は、間違ったこと書かれたら、事実を明確に記して、翼に託し、宇宙に放つだけのことだから。