宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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URLを残されたコメントは非表示となっております

気になったことの記録

2021-01-21 14:49:36 | 書いておく

公開のブログを書く者としては不本意ですが、コメント欄を承認制に設定しております。
私の発言を閲覧した方が不快感を抱いた場合には、ご意見を伺うのがマナーという考えにより、閉じてはおりません。

現在、私のブログとしては機能しておりませんが、今でも、一日に数十名の閲覧者数、時には急激なアクセスの増加に驚くことがあります。
その原因は、閲覧されている記事から、おおよそ見当がつきますので、URLが残されたコメント以外は、ありのままを残しております。

私自身も残念ですが、ここに日常を綴るブログとして続けることはありません。
これまでにコメントを頂きましたかたには有難く、お返事を差し上げるべきところですが、とあるブログ主の一方的な書き込みが懸念されるため、非公開とさせていただきますことを、どうぞご了承ください。




以下は独り言です。

ブログ村の某カテゴリーに於いて1位(のん子さん)の記事を拝見しました。
他人が書かれたものをコピーする場合に、相手の許可を得るというルールは百も承知です。
しかし過去に私は、のん子さんのブログに於いて

● 承認制のコメント欄であるにもかかわらず、「麦は精神的治療を要する」のコメントが公開されたこと
● 麦の中傷と思える批判のコメントに、のん子さんも加わり、公開されたこと
● 無断で私のブログをブックマークされたこと
● 「麦は書き込まれたコメントを編集して公開した」 と、私には身に覚えのない冤罪を背負わされたままであること

などのルール違反を数多く受けていることから、相手にコピーの許可を得るマナーは省いても問題ない、と考えます。
赤い文字が、コピーの文面です。



最近のブログ記事からですと、お返事する気はナッシングとお見受けしました。

本当はご自身での言葉で語って頂きたかったのですが、仕方がないので私の思っていることで答えとさせて頂きます。

もし、違っていたら仰って下さいね。

1、(仏教は宗教ではない)

一般的には仏教は宗教とされています。それを違うと仰るなら、あなたの信仰されている仏教は、本筋から離れている新興宗教みたいなものでしょうか?

勿論、それが悪いと言っているわけではありませんよ。信仰の自由はありますからね。


世界三大宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教、と言われています。
どのような経緯で「仏教は宗教ではない」という言葉に至ったのか分かりませんが、私は、常々、のん子さんのブログに於いて発信される日本語の在り方には偏りがあるように感じています。

私が、「親友は居ない」と発言したことで、『親友がいない人って居る?』と、私を嘲笑するような会話がなされるということがありました。
親友とは、例えば石田三成と大谷吉継の逸話にあるような、相手のために自分の命をも惜しまないとする、私の、親友を意味する言葉でしたが、共に娯楽を楽しむレベルの間柄を親友という言葉で決めつける思考回路。
「三国志の読破」もしかり。
中学生のときに三国志を読破したという閲覧者さんについて、お人柄を述べた時のことです。
のん子さんのブログでは、『三国志を読破した中学生は身近にもザラに居る』として、やはり嘲笑の会話が交わされました。
私には、中国の三大名作の一つと言われる三国志を読破した中学生が、そうザラにいるとは思えません。
その後の様子から、身近にザラに居るという中学生の「三国志の読破」は、横山光輝氏による三国志を指しての事と推察しました。

このような事から、「仏教は宗教ではない」に行きつくまでには、のん子さんの宗教という日本語の使い方に、🍃Kさんと、なんらかの行き違いがあったのではないかということが予想されます。

仏教を学ぶ某会は、月刊誌に、「法華三部経を所依の経典とする在家仏教教団です。家庭や職場、地域社会の中で釈尊の教えを生かし、平和な世界を築いていきたいと願う人々の集まりです。」と明記されています。
🍃Kさんが、その会の会員なのかは分かりませんが、
釈尊を神と崇める宗教でなく、平和な世界を築いていきたいと願う人々の団体である、とのお考えを示したかったのではないでしょうか。


2、(公開のブログを覗いただけでストーカーになる)

それは違うと思います。多数のいやがらせコメントでも入れていれば違うでしょうが。

誰が1日何回見ているかが気になるのなら、それが分かるシステムを外せばいいことです。


あまりにも頻繁な、のん子さんのアクセスを目にして、「ストーカー」と称したことが有ったのでしょうか。
そのシステムは、ブログ主さん同士での交流で既読かどうかを確認するべき場合もあるでしょうし、迷惑コメント防止として設置する意味があると思います。
現に、FC2には自動的に解析が報告されています。
のん子さんのアクセスを確認するために設置したシステムではないのですから、「外せばいい」という考え方を押し付けるのは違っていると思います。


3、(1日何回見たとの証拠のために私のipアドレス(一部ですが)を公開したこと。で、そのことは不思議でもなんでもないと仰ったこと)

これだけは謝ってほしいと思います(そのブログは閉じたとしても)これが通常のことなら他のブログでも見られる筈ですが、私はその後、同じようなことを見たことがありません。


頻繁な、のん子さんのアクセスが、ipアドレスの一部を伏せて公開されたことがありました。
その連なったアクセス回数には、私も驚いたものです。
それが謝るべきことなのかどうか、私には分かりません。

🍃Kさんと、のん子さんと不穏な関係になったとき、その発端は🍃Kさん自身の発言だったということで、🍃Kさんが、のん子さんに謝罪なさったことがありました。
このことからも、万が一、🍃Kさんが、のん子さんのブログに目を通されて、ご自分に非があると認識なさったら真摯な気持ちで謝罪なさるお人柄と思います。

ネット上に公開されている全てのブログから、一個人が目を通すことの出来るブログは限りがあり、ほんの一部に過ぎません。
私はその後、同じようなことを見たことがありません、← これを根拠に、通常なのかそうでないかを判断するには、あまりにも視野が狭すぎると言わざるを得ません。


4、(3なのに、そのブログを閉じたこと)

だから、本当は悪いことだと思っていたのですね。


🍃Kさんが、ご自分のブログを「悪いこと」と思ったから削除したとは限りません。
私も、このブログに私の落ち度はないと確信しますが、たびたび、抹消したい気持ちに駆られることがあります。
見苦しいものになったり、コメント主さんとの煩わしさから気分一新、心機一転を目指して、それまでのブログを閉じることはあると思います。
悪いことだと思って🍃Kさんがブログを閉じた、と想像し、そう思い込んで決定するのはいかがなものでしょう。


5、(HNをk🌟さんから🍃さんに変えたこと(非難しているわけではありません、単に理由が知りたかっただけです)

🍃は出身地の特産物?健康に良いそうですね。

因みに私のHNもネット参加時は、もっと若そうな名前でした(^-^; 老齢の方もブログを書かれているのを知って、これからは、のんびりとの意味の、のん。子は女性と分かるようにです。
今は余り、のんびりとの記事も少ないかもですが。



引っ越したブログでも、HNは、「K🌟」でした。
ブログを引っ越したことで、ブログ友さんに、新しいブログは「K🌟」で検索してください、とお伝えするためのようでした。
しかし、アクセスを拒否したいK・Sさんまでが、「K🌟」で検索して来られることが推定され、「🍃」に変えた、とのことだったように思います。
その辺りは、当時、🍃さんは、のん子さんのアクセスをブロックなさっていたようですので、のん子さんは、ご存知ないと思いますが。

K・Sさんの場合は、アクセス拒否を設定しても効き目がなく、K・Sさんのアクセスは新しいブログにも続いている、ということのようでした。


6、(ブログ村からのカテ変更は罰に当たるとは、どなたに聞かれたのでしょうか?(私は村長さんから、そのような理由ではないとお返事頂きましたが?)

これは、あなたの解釈が間違っていたのでって、本当はよくご存じですね。

以上です。


のん子さんは、あるシニアのカテに所属していらっしゃいました。
そこでは、タイトルに「麦」というHNが明記されて、私に向けた内容を公開されるということが数回、続いたと記憶しています。
しかし、それらの更新記事は、ブログ村での新着記事では紹介されませんでした。
のん子さんご自身が、その記事を削除なさったのかと思いましたが、のん子さんのブログ自体には間違いなく残っていました。

カテ移動は、のん子さんの希望ではなく、ブログ村側から「こちらのカテの方が相応しいのではないか」との善意による移動です、と、のん子さんご自身が説明なさっていたように思います。
私は、
本人の希望ではないのに強制的に移動されたことについては、村長さんの善意かもしれないし、あるいは、元のシニアのカテに相応しくないブログだから移動する、という指導なのかもしれない、と考えました。

それが指導や制裁だったとしても、ネットのプロであるブログ村の方針は「善意」という形で納め、穏やかな村民の交流を目標に運営が成されているのだと思っています。

のん子さんが公開なさった数件の記事が、ブログ村の紹介記事から排除された、ということからも、ブログ村サイドの強制的なカテ移動を、制裁なり、罰だとして感じ取る閲覧者さんが居られた可能性は高いと思います。
それを、どなたかが、のん子さんに伝えたのかどうかは、知るよしもありませんが。


何回も言いますが、間違っていたらここへコメントお願いしますね。あなたのipアドレスが分るシステムは取り入れておりませんので。


当時の、のん子さんと🍃Kさんが関りを絶ってから、もうどれくらいが経過したでしょう。

その後、しばらくして、のん子さんが🍃Kさんについてブログに書かれたことを🍃Kさんが読まれたのか気になりましたが、「それ以来、のん子さんのブログは訪ねてない」とのことだったように思います。

以前は、のん子さんが書かれていることに対して感じることを、🍃さんがブログで呟かれるのを目にすることがありました。
しかし、関り合いがあってから、のん子さんとは考え方も生き方も根本的に違う、と、🍃さんが身をもって感じられたでしょうことは、私も同じです。

私は、最近でもブログ村で上位の記事は、タイトルによってはクリックし拝見することがありますが、🍃さんは、のん子さんのブログだけでなく興味のないブログには関わらないとする向きを感じています。
そのようなことから、🍃さんが、のん子さんのブログを目にすることは無いと思います。

私が伺い知る🍃さんのお人柄から察するに、当然、お返事はないでしょうし、この、のん子さん自身による答えを読む事も、まず無いと断言できるように思います。
のん子さんは、いまだに🍃さんが、のん子さんのブログを訪ねていると思い込んでいるのですね。


のん子さんと🍃さんとの根本的な違いが、こんなところに現れているなあ、と、某カテゴリーで1位の記事を拝見して、私が知る限りの事実と考えを記録に残そうと思いました。


別件ですが、のん子さんのブログを遡りましたところ、
「青鬼さんのコメントを非表示にしたこと」を麦には伝えてある、という記述を目にしましたが、私は、そのようなことは、いっさい聞いておりません。
それまでの高飛車から低姿勢に急変し、「ここで終わりにしたい」という、のん子さんの申し出に疑問を感じた私は、水面下で何かが起きていることを察しました。
そんな中で、青鬼さんのコメントが非公開になっている、という事実が表面化したと記憶しています。
「青鬼さんのコメントを表示して欲しい。公開が無理なら私のFC2ブログに非公開で書き込んでほしい」と、お願いしましたが、無視されたままで今に至っています。

また 「非表示にしたのは、エロコメントと青鬼さんの2件のみ」 とのことですが。
非公開にしたコメントが2件のみという状況なら、なぜ承認制なのでしょう、疑問に思います。

他人様が、どのようにブログを設定するかは自由ですが、青鬼さんのコメントは私にとって貴重なコメントでしたし、また私のブログには、「のん子さんのブログにコメントしたけど反映されなかったから」という理由で、複数の方からコメントを頂いています。
ネットの不具合で、のん子さんのブログには届かなかった可能性を、否定はいたしませんが。


また、「麦さんは、🍃さんのことを師と仰ぐ方と答えていたと思います。それが、のん子さんのブログでは、いかにも宗教での師弟関係にあるように書かれています。」 とのコメントも頂いています。

私は、「🍃さんとの関係を強いて言うなら師と仰ぐ方」と公開しました。
コメントを下さった方は、この、私が公開した言葉を正確に解読なさっています。
それなのに、相変わらず、のん子さんのブログでは、麦は🍃さんの弟子、として公開されているのですね。


思い起こせば、次々と理不尽な過去が蘇ります。

連休には関西旅行する、と公開された🍃さんのブログを閲覧なさったかたが、のん子さんのブログに、🍃さんが関西へ行くとの情報を書き込み、それが、なぜか、「🍃さんが、のん子さんを訪ねて関西へ行く」となり、「🍃さんが関西へ行くから、のん子さんは身辺に気を付けろ」となって、さらには、「警察・・・」というところまで飛躍しました。

しかし言うまでもなく、🍃さんは家族での単なる関西旅行でしかありませんでした。

のん子さんのブログに書き込まれたコメントで、次々と想像が展開し、警察という、とんでもない方向へ飛躍したことが、実は、ご自分たちの思い違いだったことが判明すると、のん子さんのコメント欄は鎮まり、ダンマリを決め込むという結論を迎えました。

この経緯について、のん子さんは、飛躍したまでを記憶に留めて、それが正しいと思い込み、その後に、🍃さんの単なる関西旅行だったことが判明したらダンマリを決め込んだ結果については、のん子さんの記憶から排除しているのですね。

相変らず、想像、勘違い、思い込み、そして、ご自分に都合よい結論に行きつき、それで決定してしまうブログ。

吉田松陰も西郷さんも罪人として命を閉じることになりましたが、その後に、その生涯は認められました。
それが賢者の生き方であり、それとは次元が違うけれども、自分の言動に自信と責任が持てれば、今、私が、この件を無視して沈黙することが賢者の生き方なのでしょう。
悲しいかな、私の記憶に自信はあっても、事実を捻じ曲げられて「死人に口なし」は受け入れがたく、愚かな生き方しかできない私。


ご自分の思考回路で想像し、ご自分の思い込みを正しいとして貫き通すところは、K・Sさんとよく似ている、ということも、ここには蛇足と知りながら、しっかりと付け加えておきたい心境の愚か者です。




急激な閲覧数の増加・・・
嘘がバレると、ご自分の不利になる部分を削除し、過去の言動を都合の良いように書き換えるK・Sさんに思い惑わされる日々。

加害者は己の非に蓋をして忘れ去られることを望み、被害を被った者の苦悩は、永遠に終わることが無いことも追記しておきましょう。



疑問に思う文面に対し、私の思いを綴り記録に留めるのが目的であって、ここから先へ展開することはありません。